第八話 常人には向かない職業 case14
頭の片隅が急激に熱くなり、五感が急速に研ぎ澄まされていく。
匂い、音、そして白翅視界に映るもの全てが瞬時に鮮明になった。
迫りくる脅威に神経が揺さぶられる。あらゆる肉体の機能が向上していくのを本能で理解した。
このまま戦わなければ殺される。
身体が生命の危機に対して、それを乗り越えるためにステータスを向上させている。白翅の感覚を戦慄が襲う。
異誕が咆哮する。犠牲者の血が混ざった涎が撒き散らされた。
あまりのプレッシャーに腰が浮く。その勢いを利用するかのように、あえて白翅は高く飛び上がった。
同時に、翠が壁に靴裏をつけて反対側の背の低いビルの屋上に飛んでいくのが見えた。
白濁した目が、鋭い牙が、自分たちの肉を引き裂こうと迫ってくる。吐き気を催すほどの獣臭さが二人に押し寄せた。
眼前の敵を真っ直ぐ見据えたまま目を逸らすこと無く掃射を放つ。
異誕の肉体に赤い孔が穿たれ、それが空を切るように腕ごと縦に動いた。
PB加工弾のストッピングパワーを受けてもなおその動きは止まらない。しかし、身をひねり銃弾をかわそうとしたのがたたったのか、その三メートルの身体がよろめいた。勢いを殺しきれず、自重の影響を受けた巨体が白翅の右方向に斜めに転倒する。
人外ゆえの頑強さで致命傷には至っていない。
発生するインパクトとともに地に伏した怪異が仰向けのまま咆哮とともに足蹴りを繰り出してくる。なんのひねりもない、力任せの一撃。
横に跳んで、それをかわし、身体の側面を地につけつつも追撃の銃弾を浴びせる。
が、相手はすぐさま地面を転がり、反動をつけて勢い良く立ち上がる。こちらに突進する構えを見せる。迎撃か、再びかわすか。
「伏せて!」
続けて鳴り響く連射音。両者の間に割り込むように火線が目の前を横切る。向かいの建物の陰から翠が構えたSG552から硝煙を立ち昇らせて立っていた。
翠の姿を視認すると同時に、マガジンをリロード。横にずれながら三点バーストを続けざまに浴びせる。
同時に翠のSG552も再び火を吹いた。それぞれの弾丸の一つが皮膚をかすめ、肉の表面を焼き焦がす。
挟み撃ちにされると悟ったのか、奇声とともに怪異が俊敏な動きで後ろに飛び退き、後退し、距離をとった。
「ッああああああああああ!」
翠が咆哮する。銃撃の嵐が叩きこまれる。
弾幕の猛火に身を晒しつつ、異誕は決死の抵抗を試みる。
やけになったように突っ込んでくる。
逃走か闘争か。
今更背を向けても何も得られない。挑み続ければ敵の動きもいずれ変わるに違いない。戦うしかない。
無理な体勢で回避した異誕の姿がかき消えると同時にそのすぐ後ろの壁を六発の弾丸が抉った。
間髪入れず移動地点を予測して銃口をずらし、制圧射撃を浴びせる。
弾丸を、食らいながらも地面を四本脚で走り、こちらに猛スピードで突進してくる。
前に身を投げ出し、横向きに転がりつつ、銃身を保持。異誕に再び弾幕を放つ。
「……許せない」
翠が怒りのこもった声でそう呟くのを、確かに白翅は聞いた。
異誕は悲鳴を上げ続けている。白翅はその隙を逃さず、近くの電柱を蹴り付け、小さなビルの壁面を走りながら、異誕めがけて自動小銃の引き金を引き続けた。狙うは急所。目や口や眉間だ。頭と牙を振り回して、痛みを堪えながら化け物が抵抗する。
二人が距離を詰めながら銃撃を開始する。かわそうと大きな体を動かすが、二人は巧みな連携で位置を入れ替え、それを許さない。
白翅の使用する銃はIWIモデルX95アサルトライフル。イスラエル製の小型で携帯性のいいスタイルの銃だ。
総弾数は三十発。それを扱う白翅の手つきは、はたから見ればプロと比べて勝るとも劣らない。
特にカスタムはしていないが、強化時の白翅のスペックからすれば問題ないだろう。翠にとってもそれは同じだった。
相手の手加減抜きの攻撃を、レッグホルスターから取り出した銃剣でカウンターの要領で切りつけて反撃していく。異誕にダメージが蓄積していくのがわかった。野生の猛獣は、戦闘のために技術を培った力を持つ者には勝つ事ができない。最小限の動きでかわしていく。白翅の動きにはまったく無駄がなかった。距離を詰める。
大ジャンプして攻撃をかわし、掌底で顎を思いっきり突き上げた。そして跳ね上がった喉を狙って銃剣を振るう。
それを邪魔しようと、異誕の獣の腕が迫った。翠はSG552を連射し、その指先を吹き飛ばした。千切れた指が空中を舞う。同時に異誕が悲鳴をあげる。白翅の銃剣が喉を切り裂き、致命傷を負わせる。噴水のように赤い血が吹き出した。異端の獣はいまや、たった二人の少女に圧倒されていた。隙を突いて、翠がその腹部に弾丸を撃ち込んでいく。
そして撃ち込むだけ撃ち込んで、最後は走って突っ込んで行き、腹部に蹴りを放った。同時に白翅が腰を跳ね上げて異誕の顎を蹴り飛ばす。五メートル以上吹き飛んだ異誕は、近くの小さなレンガタイルのビルに激しくぶつかり、コンクリートの地面にうつ伏せに倒れた。
重々しい音を最後に、異誕は動かなくなった。やがてその身体は輪郭を少しずつ失い、光の粒となって、分解されていく。
少しずつ中空に登っていき、やがて消えた。初めからそんなものはなかったかのように。戦闘の痕跡だけがそこに残っていた。
「怜理さんの時と、違う……」
ぽつり、と翠が呟いた。
彼女らしくない、か細い、それこそ消えてしまいそうな声で。
「え?」
「ありがとう、白翅さん。助かっちゃった」
顔の返り血を拭って、翠は笑顔で白翅をねぎらう。強い火薬の匂いが、風に乗って流れてきた。
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