第八話 常人には向かない職業 case12

† † † †


『それでは指示を伝える。最初に装填されている弾倉内の弾丸を、次にポケット内に収納した弾倉を再装填し、どちらも五秒以内に撃ち尽くせ。はじめ!」


 防弾ガラスで仕切られたコーナーの中で、不破が場内放送で指示を飛ばした。

 以前使用した拳銃用とは違い、今度はライフル用の屋外射撃場で、翠と白翅は同時に引鉄を絞る。

 二人の減音器サプレッサー付きの自動小銃アサルトライフルから、同時に速射オートで銃弾が放たれる。

 矢継ぎばやに放たれた五・五六ミリ弾を受けて、設置されたリアルな人型の標的が、足、腰、胸、頭と順番に穴だらけにされていく。

 弾丸の雨による衝撃で、的がぐるぐると回転した。二人は同時に素早く弾倉を再装填し、次に二つ離れた的を撃ち抜く。狙い通りの場所を弾丸は貫いていった。


 この正確さは二人の常人を遥かに凌ぐ筋力による制御と、度重なる訓練で鍛え上げられたセンスの合わせ技によるものだ。


 拳銃の場合も、現在のようにライフル弾を使用する場合も、訓練の時は通常弾を使用する。PB加工弾は非常に高価だからだ。

 いかなる会計記録にも、特務分室の予算の詳細は記されない。それでも、血税は確かに使われている。

 二人は、私服の上からニーパッドを装着し、そしてマガジンパウチにコンバットブーツを身につけた戦闘スタイルで、本格的な射撃の連携を鍛えていた。

 翠と白翅はお互いの身体を、もう少しで完全に密着しそうなくらいにまで近づけて銃撃を繰り返している。


 戦闘になった際、お互いを援護しながら戦えば、そのような体勢になることもある。

 今回は、それでも集中して銃弾を正確に当てられるかどうかというシュミレーションでもあった。


(ちょっと恥ずかしいな……)


 怜理や、椿姫や茶花の時は、もう慣れたからかそんな気持ちになることは無かった。

 けれど、今は最近まで親しくすることの無かった子とのペアだからか、いつになく翠は緊張していた。


『そこまで!いいぞ二人とも!全弾命中だ!』


 不破が珍しく、喜びの感情が含まれた声で二人を激励する。


「やったっ!」


 翠は愛銃のSG552に安全装置セーフティをかけると、横を向いてねぎらいの言葉をかける。


「白翅さん、おつかれ……っ」

「……えっ」


 顔のすぐ近くに、同じくこちらを向いた白翅の顔があった。そのまま、間近で目が合う。


 通った鼻筋に整った白皙はくせき、どうして今まで人目を引かなかったのかと思うほど美しい少女の顔が、そこにあった。

 お互い勢いよく顔を動かしたからか、睫毛が触れ合いそうなほど顔が近い。濃い紫色の瞳に驚いた自分の顔が写りこんでいた。 薄桃色の唇が少し開いている。白翅も驚いているのだろう。


 かあっと顔が一気に熱くなった。同時に、なにかやましいことをしてしまったかのような気がして、慌てて横に跳んで顔を離す。


「ごめんね、白翅さん、近すぎちゃった……!」

「……ううん。いいよ」


 白翅は俯き加減になっている。雪のように白い頬に赤みが差していた。

 ……とても恥ずかしそうだ。だとしたら、なんとなく申し訳なかった。どうしよう。すごく気まずい。そして、恥ずかしい。


「なんかあったの?」

「わっ!」


 後ろから突然かけられた声に翠は飛び上がりそうになるが、とっさにブーツで芝生を強く踏みつけてそれに耐えた。


「なにビックリしてんのよ」


 振り返ると、制服姿の椿姫が小さく綺麗な顔立ちに呆れた表情を浮かべて立っていた。そのすぐ後ろでは、茶花が呑気そうな様子で翠達に視線を向けている。


「懐かしいですね。茶花も昔はよく椿姫さんにくっついていたものです」


 しみじみと茶花は頷いた。


「昔って言うほど昔じゃないでしょ。ていうか今もあんたはベタベタしてくるし」

「ナイスなツッコミです。長い付き合いなだけあってよく分かってます」


 茶花が椿姫に近づくと彼女のすっきりとした上半身のお腹に、顔を鼻から押しつけて身体にぎゅっとしがみつく。


「これこれ。この子、たまにこうなるんだから」

「武器は構ってもらえないと死んでしまうのです。たまにこうしないと、茶花が特別な鎌である意味はありません」

「じゃあ、いいんじゃない。あんたは別にただの武器じゃないでしょ」


 その頭をポンポンと叩きながら椿姫が茶花の相手をしている。茶花はなんだかんだで甘えん坊だ。それも、椿姫限定で。


「じゃ、じゃあ終わりだね!白翅さん、銃しまおっか」

「……うん」


 白翅が持っていた銃をそっと両手で抱えた。 

 彼女に支給されているのは、X95と呼ばれるイスラエル製の自動小銃だ。

 かなり小型で、携帯性も良い。翠のSG552と比べてももう一回り小さく、スタンダードな軍用小銃と操作法もほぼ同じで使い方も覚えやすい。

 これも白翅が自分で選んだものだ。取り回しがいいという所が気に入ったらしい。


 銃身を肩に掛け、薬室を覗いて空であることを確認して、最後の点検を終える。

 全員で銃器ロッカーのある保管庫へ向かい、ふと腕時計をチェックすると、時刻は午後一時十七分を差していた。

 まだ大勢のSAT隊員達が施設に残っているため、運転技術の訓練を行う車両の走行音が遠くから聞こえてくる。


 今日は翠達の通う城山女子学院は、創立記念日のため休校となっている。

 平日のこの時間帯であっても訓練を行うことができるのはこのためだ。白翅を急いで現場に出せるように、詰め込み式のスケジュールが設定されていた。


 白翅の上達はめざましいものだった。拳銃射撃も、すぐに片手撃ちできるようになり、翠のように二丁拳銃による射撃も正確に行った。この分だと、もう少し不破に余裕を持たせてもらうことができるかもしれない。なんだか頼もしくて、自分が上達したかのように嬉しい。歩調を合わせて、隣に白翅が付いてきた。


 保管庫に足を踏み入れた途端、けたたましいサイレンの音が射撃場、そして施設内の全ての同時に響き渡った。

 悪魔の哄笑を思わせるその響きは、この訓練施設にいる者達に、緊急事態の発生を告げていた。



 異誕討伐。かつてより、日本の一部の特殊な技能を持つ者にだけ委託されていたそれらの役目は今は公的機関が主導となって受けもっている。

  椿姫達はその名残だ。行政権が拡大した時から、安全は個人のものから、社会が保障しなくてはならないものになった。

 時代が進むにつれて、国はオカルトのような技術を持つ人々に化物が起こす事件を丸投げするのをやめた。今は行政が受け持っている。

 そして、異誕対策特務分室は、そんな特殊な犯罪に対応するために設立されたイレギュラーな部署だ。


 埼玉県のH市のとあるJR駅付近で、電車が横転する事故があった。

 状況的にただの運転ミスではなく、電車は一度停止した後、倒れている。

 現場からは運転席の乗務員が引き裂かれたような肉塊となって発見された。一人はほとんどの体の部位が無くなっていた。さらに同様の手口で停車した後に乗客達が殺害され、運よく逃げ延びた人々は口々に「化物を見た」という内容の証言をしていた。

 マスコミに対して警察庁は素早く箝口令を敷き、『分室』の出動が決定した。


 訓練施設を出るや否や、翠達は移動時間を短縮するために、ヘリで移動を開始した。激しいローター音がドアを閉めていても耳に飛び込んで来る。

 時速百六十キロで空を突き進むヘリコプターは、在日米軍経由で手に入れた「ブラックホーク」だ。

 これは分室のメンバーが遠距離を移動するときのため、専用に配備されている。

 操縦しているのは、元SAT隊員で、非常に高い運転技術を持っていた。


『異誕生物の居場所は、他の偵察カメラでできるだけ絞り込んである。その範囲を捜索してもらう。今回の敵は数多く殺している。遠慮はいらん。この世から消滅させるんだ』

「了解」


 全員の声が重なった。

 現場はもう間もなくだ。いつでも飛び出せるように、翠はヘリのドアを全開にする。吹き込んでくる風が翠の前髪を揺らした。頬が冷たい。そして、白翅と共に、機体の端に腰掛け、脚を下に向けて垂らした。

 春の青空を駆け抜けていくのは、こんな状況で無ければ、さぞ心地が良かっただろう。けれど、戦場に向かう今は空の旅を楽しむ余裕は無い。

 無線を通して、不破の声が聞こえてくる。


『追加情報だ。現場に先行した偵察ヘリのパイロットからなんだが、転倒した車両にはどういうわけか左右両側から衝撃が加わった後があるらしい。これが写真だ』


 横転し、窓ガラスが飛び散った電車が、翠達の持つタブレットに映し出されている。

 翠の目に焼き付いた惨状は、血の臭気が、地上から遥か高いここまで立ち昇ってくるかのような生々しい。

 その隣のウインドウには、これから翠達が動く現場の範囲が地図上に記されているた。


「生き残った人たちは……」

『ぬかりない。もう救急が怪我人の収容を終えたよ。……亡くなった方々の遺体もな』

「わかりました」

「……」


 白翅がそっと目を伏せて、膝に視線を落とした。銃を抱える手に力が入った。


「指揮本部へ。こちらBブラボー0ゼロ1ワン。ロープ降下準備完了」

『了解、作戦開始』


 パイロットが現場近くの指揮車両と通信を終えると、四人の特殊部隊員の少女たちは一斉に動き出した。既に点検を終えていた装備を確認し、すぐにでも飛び出せるように立ち上がる。ヘリがホバリングを開始し、遥か下の地面がどんどん近づいてくる。

 眼下に広がるのは、真昼の人気ひとけのないアーケード街だ。商業ビルが古いものも新しいものも入り混じってあちこちに建ち並んでいる。


「みんな、あれ……」

「もう、結構暴れた後みたいね」

「食べたりなかったのでしょうか。ヨクバリなやつなのです」


 見える景色の中で、明らかに異常を訴えかけてくるものがあった。横転して、フロントガラスが粉々になった軽自動車。あちこちの電信柱が根元からばっきりと折られ、近くの大きな商家の屋根には大きな穴が開いていた。そして、建物のあちこちに赤黒いものがこびりついている。ひと気が無いのは、避難誘導が終わったからだけではなかった。突然現れた化物は、電車の乗客だけでは飽き足らず、近隣の町の住人たちを襲ったのだ。


「総員、スタンバイ!」

「スタンバイ、了解!」

 

パイロットが降下位置に到達すると同時に、指示を飛ばした。新たに分隊長となった椿姫が、ファストロープを外に向かって蹴り落とすと、翠達は後につづいて、次々にロープを掴んではるか下へと滑り降りていく。


 街路に着陸すると、翠達はそれぞれの銃を構えながら、すぐに行動に出た。現場付近には既に機動隊が駆けつけている。封鎖体制は万全だ。

 できるだけ早く走り、周囲を捜索する。

 街路を四人で菱形の隊列を組んで、向かい来る敵を警戒しつつ、疾駆する。


 そうして、二百メートルほど前進したところで、不意に、風に乗って血の香りが流れてきた。近い。

 そして、頭を突き刺す違和感に似た感覚。間違いない、同類異誕の気配だ。

 地響きが聞こえ、近くの小さなビルに巨大な手がかかった。指先の爪が壁のコンクリートに突き破った。

 

 ゆっくりと半身を覗かせたのは、二本の足で立ち、てかてかと黒く光る固い体毛に覆われ、五メートルほどの体長を持つ化物だった。

 大きな顔に嵌っているのは白く濁った、瞳の無い飛び出したようになっている眼球。それがじっと血まみれの躰をこちらに向けて佇んでいた。


 そいつは、噛み砕いていた何かをくちゃくちゃと口から音を出す。

 歯に引っかかったものをとろうとしたのか、舌を口内で動かして、異形の表情が妙な形に歪んだ。何を食べているのかは明白だった。

 不意に、異誕の口角が歪に吊り上がる。それがまるで笑ったのように見えて、翠は思わず端正な顔に嫌悪感を滲ませた。


 『お前にはやらない』


 まるでそう言って、翠を挑発しているかのような気がした。そして最後尾に立つ茶花のことも。翠が相手の正体を知っているように。向こうだって翠や茶花が何者かには気づいている。茶花が低く唸り声を上げた。


接敵コンタクト!異誕生物を確認!これより交戦開始します。全員、行くわよ」

「……準備、できてます」

「了解しました」

「行きます!」


 人を食らった化物を屠るため、分隊は一斉に攻撃に移った。四人は二手に別れながら銃弾を発射する。

 異誕は黄色い乱杭歯だらけの口を開けて、異常に発達した牙を閃かせながら、翠達に襲いかかった。


「総員、散開!遮蔽を確保して!」


 椿姫の号令の残響が消えぬうちに、それぞれが二人ずつに分かれ、遮蔽飛び込んだ。後方の街路樹の陰に跳び込み、白翅に先んじて銃身を突き出す。

 激しい炸裂音と共に、間断なく弾丸が異誕の身体に向かって放たれた。

 後を追うように、茶花がHK416Cの速射を放ち始める。

 

 異誕は突然に跳躍し、二方向からの攻撃を避けながら、空中を横切り、狙う先を巧みに変えながら、こちらに突っ込んで来る。

 それを妨害するために、翠はひたすら引鉄を絞り続けた。数発が牙に当たって弾かれるも、すぐにSG552の銃身を旋回させ、狙う角度を切り替える。

 新たに放たれたバースト射撃は、異誕の筋肉を斜めに引き裂いた。

 白金色の特殊加工弾丸が、確実に化物の肉体を削り取っていく。

 狂ったように異誕は悲鳴を上げた。白翅が電柱の陰から三点バーストで援護射撃を浴びせる。茶花が新たな弾倉を詰め替えると同時に、倒れた車体の影から這い出た椿姫が、大型の火球を放った。茶花の銃が加勢するように火を噴いた。

 人外を弱らせるために加工を最大限に施した対魔の弾丸と、異誕を屠るために練り上げられた魔術の奥義の合わせ技。

 虚空を切り裂き、銃弾の群れと業火が容赦なく異形の化物へと迫る。まともに喰らえば、消滅は必至。


 そう、その筈だった。

 四人の攻撃が届く直前、は起こった。

 突如として、異誕の姿が、身体を覆う空間ごと、ぐにゃりと曲がった。まるで幻覚のような唐突な光景の変化に、翠は困惑する。

 かろうじて手を止めることなく、引鉄を絞りながら、銃身ごと後ろに下がって距離を取る。


「……そんな」


 白翅が、ぽつりと呟く。

 そこには、身体を三メートルほどに縮めた異誕が、二体左右に分かれて立っていた。硬く長いたてがみと、大きな牙を生やした二つの姿はまるで不気味な狛犬のようだ。

 翠の脳裏に、左右二方向から追突された車両の残骸が浮かんできた。


「分裂する、能力……」


 きっとそうだ。だからこそこいつは、左右から車両を襲うことができた。電車の時も、分裂した一体が電車の前に立って足止めし、電車が急停止したタイミングで、とこから分裂したもう一体が襲ったのだ。


『シャーーーーーーーーー!』


 二人が呆気にとられた隙に、そのうちの一体は身を翻し、無人のアーケード街を建物から建物へ飛び移りながら逃げていく。


「手数増やすだけ増やして逃げた⁉なんなのアイツ!」

「敵が分裂しました!一匹が逃走中です!」

『どういうことだ⁉』


切羽詰まった不破の声が、無線の奥で鳴り響く。


「追いかける……」


 白翅が前のめりになり、走り出そうとした瞬間に、建物を三角跳びした、もう一体の異誕が爪を振るって白翅に襲いかかった。翠は咄嗟に斜め横に跳び出し、向かい来る攻撃を迎え撃った。


「やあっ!」

『ゴガァァァァ!』


 黒いソックスに包まれた翠の細い脚が、異誕のパワーと正面からぶつかる。コンバットブーツの激しい蹴りを爪に受け、異誕が衝撃で背中から放り出された。


 翠はその場に伏せて、銃撃を浴びせる

 敵はすぐさま、横に転がると、しゃがむような姿勢のまま前後左右に跳躍した。

 弾が当たらない。分裂して身軽になったぶん、素早い動きでそれを避けている。


「うー!まずいのです!」


茶花が珍しく狼狽した声で注意を促した。


「どうしたのよ!」

「あいつの……もう一体、逃げたんじゃないのです!あいつ、栄養補給に行ったのです!」

「それって……!」

「犠牲者が増えるってことね!」


椿姫が鳴り響く銃声に負けじと声を張り上げた。


「そうです。茶花なら、怪我してあれだけ血が出たら、回復するために沢山食べてやろうと思うのです!」


このまま封鎖地点を突破して、避難しきれていない住民達を襲うつもりか。いや、それだけではなく、負傷して気が立っているのであれば、近くに控えている機動隊員達も危ない。


『仕方ないわ……』


建物の陰に移動した椿姫が、少し考えこんだのち、無線越しに仲間達へと語りかける。


『みんな、聞こえる?これから先回りして、逃げたヤツを迎え撃つわ。茶花、一緒に来なさい!そして、翠と白翅!ここはあんた達に任せる』

「もちろんです」

「けど、どうやって……?」

「それなら……!」


四人の注意が逸れた隙を突いて、間近に迫った異誕が、倒れた車を足掛かりにしながら、跳躍して襲い掛かる。会話を中断した翠が、下方からSG552ですかさず反撃すると、異誕は四肢を振り回して攻撃を防ぎ、また近くの建物の陰へと姿を消した。どこからか飛び出して来るのを、白翅が照準を動かしながら警戒する。


『そうね……』


低く太く、何かが大きく唸るような音が不意に空から近づいて来た。


『一番近くの偵察ヘリに来てもらうわ』

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