第八話 常人には向かない職業 case8

 椿姫はいつも紅茶を飲むときはうんと中身を濃くする。一度ストレートで上質な紅茶を飲んだ者は、砂糖を入れて飲もうなどという気は起こさなくなると、あるSF作家がエッセイで主張したが、椿姫はそれは疑わしいと思っている。


 白目のマグカップを、息を吹きかけて冷ましながら口に運んでいる翠は、カップの中にミルクをたっぷり入れている。茶花に至っては、角砂糖をどんどん放り込んでいて至福の表情を浮かべている。

 この子たちは皆、 何も入れずに椿姫の紅茶を味わったことのある者達ばかりだ。


 一同は石材とガラスで作られた、屋敷の母家から少し離れた場所に立つ温室コンサバトリーに集まっていた。南向きの窓は、今は夜の闇だけを黒く鮮明に映し出している。

 室内には異国の植物が、螢陽の一族を象徴するツバキの色とりどりの花々と区画をはっきりと別にして飾られている。

 椿姫が苦労して飾り立てた物だ。

一族が最も景気が良かった時代には、この温室を埋め尽くすほどだったらしいが、今は温室の一角を華やかにしているだけの量となっていた。その一角、ゲストルームとして使われている場所スペースに、椿姫達は腰を落ち着けている。


 新入りの様子を伺うと、目慣れない手つきで、白翅がそろそろと高級なマグカップを唇に押し当てていた。やがて、テーブルにカップを置くと、翠に声をかけてポットを受け取って、ミルクを入れた。

 ストレートで味わっているのは、椿姫と、温室の中央に置かれたテーブルに最初に腰かけた不破だけだ。ストレート党の同志は新たに増えなかった。


「伝えたいことはいくつもあるが、明確なものから伝える。武装した男達の身元が一部判明した」


 茶会の準備は終わり、一息ついた不破が口を開いた。


「早いですね。さすが公安のエキスパート」

「元、だよ。次の人事異動の結果次第だな。一人だけ生き残りがいたんだ。で、そいつを締め上げた」


 二日前まで意識不明だったが、と付け加える不破。


「椿姫、報告書によればキミが攻撃したうちの一人だ。炎にまかれたが、大火傷ですんだ。他の仲間は焼け死んだり、鎌で切り殺されたりしたと供述してる」


 間違いなく、あの金髪にブレードの女、リリーナとの戦闘の際に乱入してきた連中だろう。

 吹き飛ぶ身体、燃え盛る炎、肉が焦げる匂いが、椿姫の中に蘇る。その後ろで火だるまになって転がっていた男。ついついその時の光景を思い出してしまい、腹部のあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚に捉われた。夕食を少なめにしておいて正解だった。

 それだけではない。工場内で襲撃を受けた時も、数えてはいないが、何人も殺した。魔力弾で胴体を撃ち抜いた、銃弾で殺した。


 茶花たちと共に。本来自分の役割ではないはずの人殺しを。椿姫達は行ったのだ。

 こめかみを片手で抑えそうになって、髪に柔らかく手を当てるだけでごまかした。

 他のメンバー達の顔にも一瞬、複雑な感情がよぎったのに椿姫は気づいたが、それに気付かぬふうを装い、そのまま先を促した。


「ずいぶん素直に吐いたんですね」

「素直なわけないだろう。手を焼いたよ。だが、その甲斐あってうまく聞き出せた。英語が通じるやつで助かった。こっちも同じ仲間を殺されているのでね。手荒になってしまったが、結果オーライというものだ。警備の警官やSAT隊員達の件を私も分室のスタッフ達も忘れてはいない」


 あっさりとした口調でそう言って、不破はカップを口に運び、手から少し離れた場所に置いた。

 大火傷を負った男がどんな目にあったかは聞かない。聞かない方がいいだろうし、時に警察が過剰な取り調べを行うことは椿姫自身、自ら調べてよく知っていた。

 ましてや身内を殺されている。身内を殺されれば、警官は鬼になる。


「そいつはイギリスに籍を置く民間警備会社の社員だった。昔はイラクを、今は中東全域を中心に仕事を請け負っている中小企業サイズの会社だ。いわば彼は傭兵というやつだ。護衛サービスの他に、それを口実に違法に戦闘に参加している。もともとはイギリス陸軍にいた男で、特に問題を起こしたわけではないが、特殊部隊SASへの入隊試験に二回落ちて、しばらくして除隊している。その後、履歴書にブランクが多少あって、いくつか職場を移って、今に至るというわけだな。まあ、今後はずっと空白だが」


 傭兵、という聞き慣れないワードに思わず椿姫は困惑した。犯罪組織の事は知らないわけではないが、傭兵という存在とは縁が無かった。金銭を対価に、紛争やなんらかの戦闘行為を代行する存在。法律で存在を禁じられた違法な職業。そのはずだが、実際の所、抜け道はいくつもあるのだという。今回はそれの一例、というわけなのだろう。


「そもそも、彼が履歴書を書く機会なんてもうないと思いますけど」


 椿姫は強がるように冷笑する。


「ああ。会社自体も、うさんくさい傭兵派遣会社だった。民間警備会社の業界団体に問い合わせてみたが、そこのウェブサイトにすら載っていない会社だった。入国の際に使われたパスポート、身分証は偽造されたもので、どうやら雇い主が送ってきたものらしい」


 二千年年代前半、イラクへの米軍の介入をきっかけに、多数の国々が紛争へ参入した。結果として戦線が拡大し、撤退後も石油などの天然資源を巡って、中東ではいまだに内戦が続いている。中東戦争も、今はもう何次まで続いたか分からないほどだ。


 公安時代に、国際情勢に嫌でも詳しくなったという不破いわく、武力衝突が起こった当初から、足りない戦地での人材を補うために、多くの民間警備会社が作られ、戦地に投入されたのだという。


 椿姫が倒した傭兵はそんなところの一つに属していたようだ。

 さらに調べてみると、以前は業界団体に登録されている警備会社に在籍していたこともあったらしいが、そこが消滅して以来、行方知らずになっていたらしい。実際は違法な会社で非合法の稼業に手を染めていたというわけだ。これは在日米軍のネットワークを使って分かったことなのだという。

 椿姫達があまり顔を合わせたことのない警察庁長官も要請に立ち会ったのだとか。

 その結果、副産物として、死亡した兵士のような男たちの中には、元米軍の兵士だった者も居たことが判明した。


「かなり前に作られた会社だそうだ。ただし、もう創立時のメンバーは一人も残っておらず、代替わりし続け今に至っている。中東の情勢が多少落ち着いてからは、頻繁に非合法の仕事を請け負っていたそうだ。海外の犯罪組織や武装勢力の依頼ですら引き受けていた。今回もその一環というわけだな」


 その傭兵の男は同じ会社の傭兵たちと共に、目隠しをされて車の送迎をうけた挙句、どこか人気のない廃墟のような場所で降ろされた。そして、今回の仕事の指示をされたらしい。


「白翅の誘拐について尋ねたのだが、写真を見せられて『居場所が判明したら、この女を見つけてすぐに拘束して連れてこい。邪魔が入ったら殺して排除しろ』と言われていたらしい」


 白翅の、ただでさえ明るくない表情にさらに影が差した。無理もない。

 自分の知らない所で、誰かが自分に危害を加える計画を立て、その仲間を募っている。心穏やかでいられるはずがない。隣に座る翠の目つきが険しくなっていた。

 スカートの裾を、利き手でぎゅっと握っている。茶花はさっきから、カップを握ったままだ。


「ひどく急な依頼だったそうだ。しかし、そこに来て指示を出した男もどうやら、白翅に危害を加えたがっていた連中に雇われた駒だったようだ。報酬が高かった上に、既に半金がポンと口座に振り込まれていたから引き受ける事にしたらしい。楽な仕事だと思ったと言っていたな。また、装備も当然雇い主もちだ。FAMASにDshk重機関銃、防弾アーマーから軍用ナイフまで……。作戦が成功したら、そのまま解散ということらしい。装備は足がつかないように、依頼主側が処分する予定だったそうだ」


 あれから、不破達は現場検証を綿密に行い、倒された敵の身元確認と顔の照合を行った。その結果、大火傷した男に確認をとると、死体の写真の中に、指示を出した男がいる事を突き止めた。


「指示を出した男を捕まえることが出来たら、もう少し進展したかもしれんが……。今回の敵は用意周到だ。簡単にボロは出さんだろう。逮捕できても、なにかそこで手がかりが切れるようにしてあるのかもしれん」

「徹底して首謀者を隠そうとしていますね」

「ああ。ちなみに、インターネットを介した電子メールで依頼が来たらしい。荒事の依頼も進化していてな。だからこそグローバルな人材が集まったのだろうが。だが、これで……やつらの真の狙いはまた闇の中になった」


 依頼内容の送り主のメールは、現在イギリスの警察に問い合わせて調べているらしい。が、おそらくは何も出ないだろう。生き残りの傭兵が言うには、他の傭兵達とは送り主の名前が食い違っていたという。


「一人でも異誕を捕らえられたら良かったが」


 逃げられてしまったからな、と呟き、ふう、と息を吐いた。


「仕方ないわ。あれ以上戦ったら、ここに集めるメンバーが更に少なくなってたかもしれないもの。あの状況で出せる……最善の結果を出したのよ」


 最善か。一人、メンバーに死人が出て、最善。最善とはこんなに不本意な気持ちになるものだっただろうか。

 不破が今度はブリーフケースから書類を取り出し、写真付きのものをテーブルの中央に置いた。


「次に、だ。現場で採取した血痕、およびDNAの照合結果について……ここからが奇妙な話になる。現場には、異誕と思われる生物の血液は発見されなかった。ここまでは普通だが……」


 体外に出た異誕生物の血液は、時間が経つと空気中で少しずつ死滅する。

異誕が死亡した時に、肉体がこの世に残らないのと同様、緩やかに分解され、この世界から消滅する。

以前、翠や茶花の身体から採取した血液を試験管に入れて、真空状態で密閉したまま保存しようという実験を科警研が行ったことがあったが、工夫の甲斐なく一日程度で、試験官は空になっていたという。


「報告と照らし合わせて、白翅くんが肉を食いちぎった、『ミミ』と呼ばれている二本足の獣。どうもその肉片と思われるものを回収することに成功した」


 なんとなく、椿姫は不破が次に告げる言葉が分かったような気がした。

ふと、グレネードを窓から撃ち込まれ、おそらく口封じのために消されたであろう楠原のことを思い出した。そしてその後の異常の事も。

 白翅がその白い喉元に手を当てている。どことなく不快そうだった。その時の感触を思い出したのかもしれない。


「その肉片は鑑識課で調べた結果、人間の、それも若い女性の者であることが判明した。血液型はO型のRh+。警察のデータベースに一致したDNAデータは無かった。分かったのはそれだけだ。ついでに、楠原の死体も調べたが、やはり人間のものだった」


 やはり当たっていた、と内心呟く。

あの廃工場内での戦闘の奇妙な結末。異誕のステータスを持つ楠原を倒せば、なぜか人間の身体に戻り、そして、その後、翠に倒された褐色の肌の女の死体も消滅せず、『ミミ』達と共に離脱した。


 さらに……楠原が戦闘不能になった際に、その下腹部を突き破るようにして飛び出してきた真鍮色の『認識票タグ』。椿姫は直接確認できていないが、翠は『リヨン』が死亡した際、同じものを見つけている。


 あの認識票に謎が隠されていることは間違いない。それを体内に取り込んだ者を『人間』から『異誕』に変えてしまうような、前代未聞の謎が。

 現存する魔術でも不可能なことを可能にする、呪われた奇跡を実現する何かが。

いずれにしろ、あってはならないものだった。異誕人外と戦うものとして。存在を許してはならない。


「今のところ、進展はそれだけだ……」


 不破の声に無力そうな響きが滲んだ。


「あいつら、諦め悪いから、また来るでしょうね」


 カップを持ち上げ、窓の外に視線を向けた。

広い庭には、相変わらず漆黒の闇が広がっていた。空には、星一つ浮かんでいなかった。


「きっと来ます」


 固い声で、翠が椿姫に応えた。


「私に仲間を殺されて怒っているはずだから」


 小さな両手はテーブルの上で組み合わされ、力が籠って、指先はいつも以上に白くなっていた。

 感情豊かな翠の今の声には、どんな感情が込められているのか。椿姫にはうまく判断できなかった。怒りか、憎しみか、怜理を奪われた悲しみか。それとも、他の負の感情か。あるいは、その全てだろうか。


「茶花は、鎌のお礼参りをしたいです。壊されても治るから言って、帳消しにはできません」


 茶花の声は平坦だが、どことなく苛立ちが含まれていた。


「そうね」


 このままにはしておかない。異誕を討つ者として。


「その通りだわ」


 今回は一人ずつ死んで、引き分け。このままでは持ち越させない。

 特務分室は、一人欠けただけでも、完全な勝ちとは言えなくなるのだ。一度でも奪われたら、同じものは二度と取り返せない。


『雀が一羽落ちるにも、天の摂理が働く。今起こるなら、後には起こらないだろう。後で起こらないなら、今起こるだろう。何事も、準備こそが全てなのだ』


 母とともに、帝国劇場で観たハムレットはこんなことを言っていた。

 シェイクスピアは嗜む方だが、この台詞だけは好きじゃなくなった。準備こそが全て?勝手な奴だ、ハムレットは。準備していても、今回の事態が避けられたとは思えない。こんな仕事をしている身だ。自分はいつだってできるあらゆる覚悟をしてきたはずだった。

 それでも、準備のおかげで少しもマシになった気がしなかった。

 いつだって、痛みは最上の形でやってくる。

 それも、大切なものを失った痛みは。


 誰が言った言葉であろうが、格言というものは嘘をつく。椿姫はその疑いをますます強めた。椿姫は、あえて窓の外を向き続けた。

  今の顔を誰にも見せたくなかった。

  窓ガラスには、自分の仲間たちがそれぞれの表情を浮かべて映っている。

 茶花は、カップから手を離し、どこか据わった目で利き手を開いたり閉じたりしている。

 白翅は俯き、その表情は下がったショートボブの髪に埋もれ、僅かにしか見えなかったが、困惑と戦ってことが伺い知れた。

 そして、翠は下唇を強く噛んで決然と顔を上げていた。

 それがまるで、自分の中の辛さが、外に漏れないように蓋をしているかのように椿姫には感じられた。





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