第七話 常人には向かない職業 case7
ランドクルーザーの助手席で、リアシートに身を沈めながら、椿姫は増えてしまった厄介ごとについて思いを馳せていた。後部座席には、翠を挟むようにして茶花と白翅が座っている。
不破の送迎で、今は椿姫の屋敷に向かっている。
今日の訓練を全て終え、訓練施設の当直の隊員に見送られて、しばらく前に渋谷に向けて出発したばかりだ。
ほとぼりが冷め、全員が退院したタイミングで、現在は不破以外が全員、
首都高速を安全運転で走る車窓の景色は、緩やかに変わっていく。空には上弦の月が浮かび、ヘッドライトと共に夜の闇を照らし出していた。
一瞬、暗がりのどこかに潜んだ何者かが、自分たちを狙って飛び出してくるのではないか……そんなあらぬ考えが椿姫の頭をよぎった。
(……今はありえない話じゃないのよね)
なんとなく落ち着かない気分だった。自分が助手席に座ることにはご無沙汰だったからだ。いつもここには怜理が座っていた。自分たちの先輩が。自分のかつての先生の一人が。彼女は自分たちを待ち伏せしていた連中の罠にかかって亡くなった。同じことをまた敵がやらないという保証がどこにある?
「それで、白翅さんがすごく正確に的に当てて……すっごく驚きました。ほんとに初心者なのかなってくらい!」
後部座席では、やや興奮した口調で翠が白翅の訓練成績がいかに秀でたものなのか語っている。
「驚異の新人ね。あたしも負けてらんないわ」
努めていつも通り振る舞うため、椿姫は明るい声で自身に気合を入れる。
白翅はその後、用意されたカリキュラムに沿って、六時間も撃ち続けたらしいが、射撃成績が落ちる事は無かったらしい。
途中から採点を手伝った不破によれば、このペースでいけば拳銃を扱う訓練の期間は、全部で一週間ほどに短縮できるかしれないとのことだった。
これは通常、想定されている平均よりもはるかに短い。
分室の中で現在、銃術成績トップの翠に迫る勢いだ。いかに身体機能を強化できる特異体質の持ち主とはいえ、通常時の肉体のステータスは異誕の力を持つ翠に劣っているはずだ。それを鑑みても、白翅が叩き出したスコアは驚異的だった。
調整分隊のメンバー達は、だいたい初めのうちは、射撃場にこもって連日十二時間は撃ち続け、ひたすら「撃つ」という行為に慣れていく。通算すると、発射した銃弾の数は一週間で六千発は超えるだろう。そうやって、ノウハウを身体に直接沁み込ませるのだ。これで求められている水準に達するまで、素質のある者でもだいたい一ヶ月はかかる。椿姫も言わずもがなである。自分の中の対抗意識が徐々に熱を持ち始めるのも、いたしかたないというものだ。
「茶花も訓練メニューを増やすとしますか」
むふー、と荒く息をつきながら茶花が意気込んでいる。今でこそ彼女も高い射撃スキルを誇るが、最初の成績は惨憺たるもので、メンバーの中ではいちばん上達に苦労した。
「良い心がけね。でも、あんたの食事のメニューは増えないからね」
「むー、下心がバレました」
フフクそうな声を茶花が漏らす。茶花はなんだかんだでとても図太い性格をしている。不貞腐れながらもめげないことで、椿姫のレベルに並ぶ程度の実力をなんとか身に着けたという点を、内心椿姫は評価していた。
「口に出した言葉には責任を持ちなさいよ」
「はーい」
せっかく新入りに触発されてやる気をだしているのだから、今度ご褒美に何か奢ってあげた方がいいだろうか。
自分の気まぐれな相棒を諫めながら、椿姫はそんなことを考える。
ふと、隣の運転席に視線を向けると、それと同時に不破がおもむろに口を開いた。
「全員聞いてほしい」
その一声で、まるで上官の号令を聞いた下士官のように全員が口を閉じた。もしかすると、全員、不破の一声を待っていたのかもしれない。そう、椿姫自身も含めて。
車が、赤信号になった交差点で停車する。
「君達が先日交戦した相手……あの武装した異誕、一人と一匹と、そのバックアップ要員らしい私兵のような男たちについてだが」
息継ぎし、不破が続けた。
「化物どもの方は残念ながら足取りを追えなかった。途中までは追っていたんだが、防犯カメラの死角を通るようにして逃走したらしい。白翅が襲撃された時と同様にな。現在も足取りは追っているが、逃走ルートの特定は難しい」
「痕跡をなるべく残さずに逃げる……できないことはないでしょうね」
異誕という化物の肉体のスペックを考慮すれば、建物の壁を駆け上がり、立体的な動きで逃走経路をショートカットすることも可能だろう。
普段なら、逃げた異誕はすぐに気配を追って追跡するところだが、今回はできなかった。椿姫達はもはや追うどころではなかったからだ。
全員が負傷していたし、あれ以上戦闘が続けば、撤退しなければならなかったのは椿姫達の方だったかもしれない。
「だが、分かったことはある。あれから、現場を最大限に調べた。ついさっき報告が来てな。白翅の訓練の時間の合間に情報をまとめあげていた」
不破が言葉を続けた。
胸の内に緊張が走るのを感じながら、椿姫は次の言葉を口に出した。
「不破さん、その話、今日はうちでしていきませんか?」
「いいのかね?確かに、場所は適しているかもしれないが」
サイドミラーに映る不破の顔が意外そうな色に染まる。
「いいんです。時間が遅いのを気になさるのでしたら、今日は泊まっていってください。あまりウチに寄っていかれないでしょ?」
いつのまにか、フロントガラスの向う側に見慣れた景色が映りこみ始めた。
ここは道玄坂にもう入ってしまっている。マンションや、新しい住宅が立ち並ぶ一角に車は入り始めていた。渋谷にある椿姫の屋敷までそう時間はかからないだろう。
「みんなもいいわね?」
振り返って、後部座席を覗き込み、椿姫が声をかけた。
「賛成です」
「えっと……」
「かまいませんよ」
微妙な返事があった気がするがまあいい。
「それではお邪魔するとしよう」
「うちは紅茶がウリなんです。温室も最近手を入れたので、なかなかなものになってますよ」
「確かそうだったね。母家にしか入った事がなかったな。楽しみだ」
自分が余裕な態度を崩すまいと懸命になっている気がした。
不思議な心持ちだった。今の気持ちを、うまく言い表せる言葉が見つからない。
やがて、車は長い坂を上り終え、ひと際住宅街の中で存在感を放つ、螢陽の屋敷の前に停車した。
今はもう誰も使っていない車庫にランドクルーザーを収納すると、全員が順番に車を降り、屋敷の敷地内に足を踏み入れた。
念のため、感覚を研ぎ澄ませて、周囲を探る。見知らぬ異誕の気配はない。椿姫は、一息つく。
水を張っていない噴水に、闇に沈んだ領主館風の屋敷。光を灯していない庭園灯。
明かりはまったくないのに、その闇は椿姫を穏やかに包み込んでくれるような気がした。
やはりホームグラウンドは偉大だ。特にその場所に憂うものが何もないという状況が、そこの主を最も安心させてくれる。
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