第八話 常人には向かない職業 case10

 特務分室に所属するようになってから、白翅の生活は大きく変わった。

 たとえば、毎朝十キロ以上のランニングを行い、疲労に慣れる必要があった。


 普通の人間の約三倍の身体能力を活性化時でなくとも発揮できる白翅だが、超距離のランニングには不慣れだったため、最初は多少なりとも疲労を感じた。

 けれども、「早く強くならなくてはいけない」という意識の方が強く、白翅は特訓を続けていた。この状況で自分が何もしないでいるのはあり得なかった。


 さらにもう一つは、別の学校に編入したことだった。白翅は通う予定だった高校から、翠達が通っていた私立城山女子学院の高等部に移籍することになった。

 勉強は少し得意だという自信があったが、転入試験はひどく難しく、合格点ギリギリでなんとかしがみつけたといった成績だった。

 無事編入できたのは、翠や椿姫が、問題の傾向や分からない箇所を教えてくれたおかげだ。


天悧白翅あまりしらは』とチョークで黒板に自分の名前が大きく記され、視線が全身に集中するのを感じながら、白翅は教卓の側で新しいクラスメイト達に頭を下げて挨拶する。


「……天悧白翅あまりしらはです、千葉県から来ました。よろしくお願いします……」


『なんで今の時期に?』

『おとなしそー』

『うわ、色白過ぎない?』

『ケッコー可愛くない?』


 小声でクラスメイト達が言葉を交わすのが聞こえてきた。

 ひどく恥ずかしい。注目されるのが白翅は苦手だった。顔を上げると、前から二番目の、ドアから近い机に翠が座っている。

 彼女は中等部から進学しているため、事前手続きが白翅よりも簡単に終わったので、三日前から登校している。

 両手を口にメガホンのように当て、小さな唇を動かしている。


『頑張って』

『がんばる』


 同じく声に出さずに返した。

 担任の教師に促され、新しく設置された、教室の窓の近くの机に座る。

ミッション系の学校にふさわしく、洋風の教室の窓はフランス窓で、教室は教会のような白い壁で囲まれていた。机のデザインも古風なものだ。

 やがて、鐘の音のようなチャイムが鳴り響き、授業が始まる。授業内容のレベルの高さに表情には出さずに動揺した。



「え、じゃあ二人は一緒に住んでるんだ?白翅ちゃんって、結構友達とお泊り会とかする方なの?それで慣れてるとか?どれくらいの付き合いなの?」

「あんまり質問攻めにしないの。困ってるでしょう」

「えー、白翅ちゃん、困ってんの?だったらごめんごめん!あたしほらおしゃべりだからさ!」

「由香さんは、ムードメーカーだから仕方ないよ。おしゃべり面白いし」

「ほんと?演劇部っぽい?」

「それはわからないなあ……」

「確かに、あたし無口な人の役は苦手だなあ。あ、そうだ、今度そんな役やるときは白翅ちゃんを参考にしてみよう!そうしよう!いいよね!」

「えっと……」

「こら。失礼でしょう」

「ごめんね。白翅さん。由香さんも悪気はないの」

「うん。わかってる」


 昼食の時間になると、翠と共に、翠の友人たちも集まって会話を楽しんだ。

 明るい髪色で、陽気そうな雰囲気の派手な顔立ちの秋野由香あきのゆか。髪が長く、細いフレームの眼鏡をかけ、切り揃えた前髪を持つ凛とした目の少女が佐原雫さはらしずく


 二人は翠の中学校時代からの同級生なのだという。翠によれば、由香と雫自体は小学校の時からの知り合いらしい。

 高校に入ったらまた友達増えちゃったな、と由香は嬉しそうだ。

 事前に、翠と知り合っていることを伝えられていたらしく、その事に関する追求が主だった。『悔しいけど、なかなか美人じゃん』という第一声と共に由香がランチタイムになるや否ややってきて、顔を覗き込んできた。

 それまでは、他のクラスメイト達から最初にやってきた翠と共に、質問攻めにあっていたため、上手くその場をとりなしてくれて助かった、というのが本音だった。


 大勢の人と話すのは苦手だった。白翅の容姿が珍しいからか、そのことについても尋ねられた。からかわれているわけではないので嫌な気はしなかったが、やはり受け答えにはかなり戸惑ってしまう。

 珍しい転校時期に、珍しい容姿ということで嫌でも注目されてしまったようだった。髪の毛を黒く染めた方が良かっただろうかと本気で考えた。


「どう?やっていけそう?」

「うん。勉強は難しいけど……」

「たはは、あたしもだ」

「由香は中等部進級でしょう。いい加減勉強くらい得意になったら?」

「「くらい」って、なんだ「くらい」って。……翠ちゃん。また教えて」

「まかせて!」


 小さな胸を軽く叩いて、頼もしげな翠。今度自分も教えてもらおう、と白翅は決意した。

 そして、やはり一番気にかかる部分らしく、話題が由香の興味の対象に戻った。


「で?どうなの?やっぱり翠ちゃんに惚れてこの学校に決めたの?翠ちゃんがガールハントに成功したってこと?」

「え、えっと……」

「ちょっと、由香さん……」


 恥ずかしそうに翠が顔を赤くする。ほら、困ってる。


「でも、話を聞く限りそうとしか思えないじゃん!」


 興味津々といった様子で由香は眼を輝かせた。

 二人が一緒に住む経緯を事前に翠が説明していたらしいのだが、その内容は、

『翠が春休み中に、たまたま千葉県に旅行に行き、土砂降りの日に、たまたま怪我をして動けなくなっていた白翅を見つけて手当てしてあげた。それをきっかけに仲良くなり、東京に白翅を連れて行き、春休みの期間中は同じ家で暮らしていた。その後、白翅は東京に進学して、同じ学校に通うことになり、下宿代の節約のため翠と二人でルームシェアをしている』というものだった。


 白翅は怜理が翠は嘘をつくのが苦手だと言っていたことを思い出した。翠が懸命に事実をオブラートに包んで伝えようとした結果なのだろう。

 内容はだいたい合っているが、確かにその詳細には首を傾げたくなるかもしれない。


「休暇中にたまたま助けたこんな色白で睫毛長い美少女を数日で口説いて東京に連れ帰ったんでしょ?そんで春休み中ずっと侍らせて「あなたと同じ学校に通いたいです」って言わせて、そのまま同じ家でルームシェアしちゃうとか、すごいイケメンでもなかなかできないよ?なんなの?翠ちゃん、ちっちゃくて顔が可愛いってのはそんなに得なの?春休みのロマンス?今度演劇の題材として脚本担当に取材させようか?」

「言わせてないよ!そんなこと!口説いてないし、侍らせてもいないよ!」


 翠がぶんぶんと腕と頭を振って否定する。

 眉を寄せて、腕を組むと由香は重々しく頷いた。


「そっか。でも白翅ちゃんは翠ちゃんのこと嫌いじゃないんでしょ?」

「……仲良くしたいって思う」


 思っていることを正直に伝える。人に好意を直接伝えるというのなんだか恥ずかしい。


「そっか。じゃあ、やっぱりひとめぼれってことで」

「なんでそうなるのーー!」


 翠は本当に困った顔だ。胸の中に温かく、不思議な感情が広がった。









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