第七話 常人には向かない職業 case4

 やがて、モニターが停止した。最後まで観終わったらしい。

 途中から降りだした雨は勢いを増し、水の粒が窓を叩く音が大きく響いていた。

 椿姫が再び口を開いた。


「異誕生物たちは、こんな風に自然発生的にこの世界に生まれてくる。だからこそ、異誕はいわゆるこの世界における自然現象の一つなんじゃないか、なんて言われることもあるわ。ハリケーンとか、地震みたいなものね」


 現象が生物となる。白翅にはイメージし辛いことだったが、地震のように急に現れるものだと思えば少しは納得できた。だから異誕生物。

 通常とは『異なる』『誕生の仕方をする』『生物』、だから『異誕生物』と呼ばれるのだと告げ、椿姫は更に話を続けた。


「で、異誕の発生要因だけど……これも諸説あるけど、一番有力なのが、『動植物や人の感情が生み出したエネルギーの集合体なのではないか』というものよ」

「えっと……」


 どうにも呑み込めなかった。

 椿姫が軽く綺麗な眉を寄せた。


「これはあたしもはじめ聞いた時は戸惑ったんだけど……私たち魔術士や、その他のオカルトに携わる人々の間には『生物の感情はエネルギーを生み出す』という、一種の共通の解釈があるの。

 例えば、怒りや憎しみを感じれば、その感情の大きさに比例した目には見えないエネルギーが生まれるっていう説よ。後は恐怖、かしらね」

「恐怖……」

おそれっていう感情は時には何よりも大きくなるの。それで一歩も前に進めなくなることもある。正直、誰もコイツらの発生要因を科学的に証明できなかったから、これは追求しても仕方のないことなんだけど……他にも動物が感じる怒りもある。これらが集まって異誕という、いわば人外の存在がこの世界に生まれてくるんじゃないかってね」

「ううん……」

「ちょっとイメージし辛かったかしら。確かに、あたしも少し思うところがあるもの。そこはおいおい詳しく説明するとして……そうね、後ろを振り返ってみなさい」


 言われた通りに振り返る。講義室に配置された座席の、最奥のコーナーには二人の少女が腰かけていた。

 すっきり通った鼻筋に、顎の下まで伸ばしたつややかな黒髪を持つ、ぱっちりとした緑の瞳のとても小柄な少女。翠がこちらの視線に気づいて片手を上げた。それに応えて、白翅は小さく手を振る。その隣では、鳶色の猫目を持つ同じ色の髪の東欧系の少女、茶花が眠そうな目をこちらに向けていた。


「あの二人もいわば、異誕生物。翠は、人間と異誕の子孫だけど、茶花は天然ものよ」


 天然もの、という言い方に翠が苦笑する。茶花は「もっと養殖されたいです」とよく分からない言葉で応酬した。


「あんたはご飯のおかわりの回数を減らしなさい。……じゃなくて。カメラの映像で観た、ほとんどの異誕達とは違うでしょう」

「はい」


 違い過ぎるほどだ。猛獣のような見た目の異誕とは、翠も茶花も似ても似つかない。

 …………そう、今の状態では。


 白翅は思い出す。三月の末。重々しい銃火器を構え、翡翠色の眼を美しく燃え滾らせ、獣をも遥かに上回る速度で疾走する翠。身の丈ほどの鎌を軽々と振り回し、獰猛でありながら、舞うように戦いを繰り広げる茶花。

 どちらも人間の見た目を持ちながらも、人間を遥かに超えるスペックを持つ者にしかできない動きだった。

 けれど、戦いの時以外は、彼女たちはどう見ても可憐な少女そのものだった。


「どう見ても、怪獣映画に出てくるクリーチャーにしか見えない見た目のやつらもいるけど……あんな風に人間にしか見えない異誕生物もいるの。色々な外見を持ったやつがいるわ」

「はい」


 スクリーンで見た人型の化物が頭をよぎった。 あの凶暴な様子は、正しく化物の姿だった。


「これも、憶測でしかないんだけれど……異誕達が、動物や虫のような外見を持つのは、その姿のもととなった生物の感情が生み出したエネルギーの影響を強く受けているせいだと言われているの。例えば、蟷螂みたいな見た目のやつは、当然蟷螂……虫みたいなのは、昆虫とかね。つまり、人型のものは当然、人間の……ってね。つまり、影響を受けた生物に準拠した見た目になると考えられているわけね」

「……なんとなく、理解できます」


 白翅の理解が曖昧になったのが伝わったのか、「なんとなくでいいわ」と椿姫は応じた。


「それで、人間の方が感受性が豊かで、虫や動物よりかは何かあった時に、強く感情を揺さぶられやすい。泣いてる動物って見ないでしょ。でも人間は結構すぐ泣く。だからこそ、そのぶん強い感情のエネルギーを産みだす、と考えられているの。少なくとも、現存する日本の魔術士の家ではね」


 ここで、椿姫がテーブルの上に置いた水を飲んだ。たおやかな手で優雅に行われたその仕草は、この教室にミスマッチなほど、上品だった。


「だからこそ、人型の異誕は強いのだと言われているわ。その強さこそが、感情のエネルギーで、化物が形作られているという説を裏付けるって考えている人もいたみたい。うちのご先祖様のことなんだけどね。

 人間は機動性に非常に優れていて、すばしっこい。大型の異誕とはそこが違うところなのよ。しかも知性がある。がむしゃらに突っ込んでくるばかりじゃないから、始末に悪いのよね」


 確かに、身体が小さい方が小回りが利く。おまけに、いざ分室のメンバーに追跡されることになっても、どこかに隠れやすいだろう。


「ま、ここは蛇足みたいなものよ。どのみち、私達が解明できるような事じゃない。できることなら証明してみたいとは思うけどね。ただ、異誕達が生まれてくるのが、この世界の現象の一つだというのなら、台風がなぜ急に発生するのかを解き明かすのが難しいのと同じで、すぐ手に負える問題ではないでしょうね」


 そう言って椿姫は肩の力を抜いた。


「だいたい分かった?分かりにくかったら悪いわね。質問はある?」

「……はい。この世界には異誕っていう、いろんな姿の化物がたくさんの感情のエネルギーをもとに、急に生まれてきて、倒すのが難しい。それで、いまだに分からないことが多い」


 白翅が内容を簡単にまとめる。


「その通り」


 腰に手を当てた椿姫がきれいな顎を引いた。


「そして、あたし達の仕事は……その異誕の力を使って、人々の生活を脅かす化物どもを駆除することよ。そして、蹂躙される人々の生活を守る。あるいは蹂躙される前にぶっ倒す。それでこその特務分室なの」

「……」


 白翅は頷いた。椿姫が椅子を引いて座り、講義室の後ろの席に目配せした。


「交代ね、次はあっちの先生に見てもらって。あ、その前に休憩を入れるわ。後はよろしく、翠。腕の見せ所よ」

「はい!」


 翠が椅子から立ち上がって、小走りで駆け寄ってくる。その姿に、小犬のようでいじらしさを感じた。……同い年なのに変だろうか。

 でも、翠はとても同年代とは思えないほど小柄だし仕方がないのかもしれない。

 異誕の血を色濃く引いている事が、何か関係しているのだろうか。白翅はふとそんな疑問をおぼえた。


 講義室の入口に向かって歩いていく椿姫が翠に向かってハイタッチした。

 翠がなぜ、廃工場での戦闘で見せたようなスペックを発揮することができたのかは、既に本人から聞いていた。異誕の血を、隔世遺伝的に受け継ぎ、先祖の異誕と変わらない身体能力を持つ存在がいることを。

 翠はそのうちの一人であることも。

 ……他にも知りたいことはあった。けれどそれを、白翅はいまだに聞けずにいる。


「いこっか白翅さん」

「うん」


 ありがとうございました、と椿姫に一礼すると、ひらひらと手を振った。

 上品そうな、まさに深窓の令嬢といった見た目の椿姫だが、言動はくだけていて以外にとっつきやすい。まだ知り合って日が浅い白翅はまだ遠慮しまうところがあったが、じきに慣れるかもしれない。白翅はそう楽観的に考える事にした。

 講義室の最後列に座った椿姫の肩に茶花が軽く手を置いて、なにかを言葉をかけている。眉を寄せて、椿姫がなにかを言い返した。


「出発!あ、そうだ、白翅さん、ジュース一緒に飲もう!何が好き?」


 妙に張り切った様子で、翠は腕を振って合図した。その顔は笑っていた。


「…………」


 何かが違う、と思った。初めて会って話をした時から、翠は明るい笑顔をよく見せてくれる子だった。

 それでも、今の笑顔は少し翳りが見えた気がした。

 …………当然の事かもしれない。春休みに、翠に起こったことを考えれば。


「今からは、私が先生だからね!なので、好きなのを奢っちゃいます!白翅さん、甘いの好き?」

「うん。ありがとう。…………先生?」


 翠の小さな背中を追って、白翅は歩き出す。


「……翠、ところで、次は何するの?」

「次はね、本格的な訓練だよ」


 大きな瞳でこちらを見上げるようにして、がんばろうね、と小さな拳を固めて、翠が激励してくる。

 あどけない、無邪気な表情に、少し沈んでいた心が軽くなるような気がした。

 …………胸がほんの少しだけ温かくなった。

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