第七話 常人には向かない職業 case3

 † † † †


 画質を調整したクリアなカメラの映像が、スクリーンには映し出されていた。

 プロジェクターが編集された映像を、光と共に投げかけている。

 天井から降りている大型のスクリーンの上には、どこかの広い屋内駐車場が映し出されていた。


 周囲は夜なのか、真っ暗だ。灰色のコンクリートに囲まれた空間。そこの中央のスペースに、黒い靄のようなものが、闇の中から浮き上がるように現れる。

 それはやがて形を変え、不気味に蠢き始めた。

 次第に、それは曖昧な輪郭を形作り、やがて一つのシルエットになった。


 大きく、ずんぐりとしたサイのような身体が、闇の中で身を起こす。確固たる形状を持ったそれは、木の幹のように太い二本の足で立ち上がった。

 黒い口腔からは巨大な牙が、脚の先まで伸びていた。そして、何より異常なのは、両肩に乗るようにして生えている、二つの同じ形の頭だ。

 三つの首の動物。

 動物図鑑ではけっして見られない姿を持つ化物が、そこには建っていた。


 その生物は六つのギラギラ光る眼であたりを見渡すと、無音の中、振動が感じられるほどの重々しくも俊敏な動きで、駐車場の外へと消えていった。


「これが異誕生物の誕生の仕方ね。結構新しい映像よ。去年の分かしら」

「急に、出てきた……?真っ暗闇から……」

「最近は防犯カメラの設置数が増えてるからね。異誕が誕生する瞬間なんかも捉えれるようになったの。昔は目撃証言しか資料が無かったんだけど……後は関係者の簡単な調書とかね」

「へえ……」

「あたしの螢陽家は古い家だからね、そういう資料も沢山あるのよ。だから、さっきまでのリアルタイムでの誕生の映像を初めて見た時は、うちの家系の人はみんな驚いたそうよ。大昔の目撃者の証言の通りだったから。かなり昔、そうね、防犯カメラが普及したての時代かしら。」


 椿姫の実家は、古くから化物退治に関わる家系だというのは既に解説を受けていた。異誕生物に関わる話は、白翅の暮らしてきた環境からすると、まるで異次元の話のようだったが、それは椿姫達にとっての、自分の一族のようなものなのかもしれないと白翅は最近思うようになった。鷸館しぎたて家。これまで人外と戦ってきた人々ですら信じがたいほどの、いにしえから続く暗殺の家系。


 白翅は椿姫の声が響く広い部屋の最前列で頷きながら、新しい知識を聞き取っていく。

 白翅が講義を受けているのは、白く高い天井に、磨かれたフローリングの床を持つ大学の講義室のような場所だった。奥の演壇に向かって、下向きの傾斜のついた階段が続いていて、「第二教室」と呼ばれているらしい。

 隣の部屋はもっと大きな教室があるようだった。しかし、ここもたった数人のために使うには充分すぎるくらい広い。


 東京都のはずれの、標高の高い場所にある森林の中に、この施設は存在していた。地図には詳細は載っていないが、そこはSATの特殊訓練施設の一つだ。


 椿姫達、特務分室に所属するメンバー達もそこを使わせてもらっている。野外訓練での銃声も、木々に吸い込まれて外に漏れることはない。秘匿性がしっかりと保たれている。

 外から見た時は、広大な敷地の真ん中に立つ、丈夫な鉄筋コンクリートで作られた白い箱型のかなり広い建物で、まるで飾り気がなかった。


 あまり人目に触れたくはないらしく、この講義を、椿姫は施設に人が少なくなった時間帯にセッティングしていた。学校が終わった後に行いたかったというのもあるのだろうが……。

 現に、この教室にたどり着くまでに一人もすれ違わなかった。


 隊員達の育成講義のために普段この部屋は使われているらしい。

 演壇の上では、黒の皺ひとつないジャケットと、サテンのスラックスを身に着け、同じく黒いネクタイを締めた椿姫が、白翅のために特務分室の業務を解説していた。今はその基礎知識を説明している段階だ。


 プロジェクターの置かれた机の後ろで、姿勢の良い立ち姿で朗々たる声で講義を行っている彼女は、白翅が新しく所属することになった特務分室の先輩にあたる人物であり、同時に、現時点で分室の保有する戦力の中では最も戦闘経験のあるメンバーだ。そして、同時に、命のやりとりを行う現場では彼女がリーダーを担当することになっている。

 ………………今は亡き、怜理の代わりに。


「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」


 まなじりを少し吊り上げ、腰に手を当てた椿姫が咎めるような声で尋ねてくる。

 いつの間にか、俯くように視線を下げてしまっていた。……ぼうっとしているように見えたのだろうか。


「……ごめんなさい。聞いてました」

「聞いてるのなら謝らなくていいじゃない。じゃ、続けるわよ」

「椿姫さん、鬼教師」


 後ろから声が届いた。


「どこがよ。茶化ちゃかさない」


 椿姫が厳しい声を出した。

 なんだか社会科見学にでも来たようだったが、内容は事前知識に乏しい彼女からすれば難解なものだった。


 あなたは化け物を倒すためのお仕事に就きます、などと過去の自分に教えたところで首を傾げるに違いない。

 白翅はとにかく、人にあまり触れ合わず、目立たず生きていければいいとしか思っていなかったし、将来の展望も何もなかった。


 手元には新品の大学ノート。翠が余っていたものをくれたのだ。

 あまり丁寧とは言えない字で、そこに要点を書き込んでいく。最近買ったばかりの新品のシャープペンを使って。成績はわりといい方だったので、ノートの取り方には自信があった。

 前の学校で、特に好きな科目はなかったが、打ち込んでいた趣味も特になかったため、暇つぶしを兼ねて勉強をしていた。


 分室の指揮官である、不破が教えてくれたところによると『理事会』というネットワークとの協議の結果、白翅は特務分室への所属が認められたのだという。

 白翅としても、果たさなければならない義務を果たせるような気がして、ひとまず気持ちを引き締めることができた。


 白翅達を襲撃した、武装した男達への攻撃は、責任を追及されることは無かった。そこも『理事会』というネットワークによる根回しのおかげなのだ、と白翅は不破から伝えられていた。

 今日は座学を含む研修と訓練がある。座学研修は数日で終わるらしいが、訓練は基礎訓練から始まり、それが終われば、白翅が分室に所属している限り日常的に反復しつつ継続する。


「異誕生物、というのは何なのか、そこから始めるわけだけど……まず、ヤツらは簡単に言えば、化物よ」

「化物……」

「そう。妖怪って聞いたことあるでしょ?」


 名前くらいは知っている。トイレの花子さんとか。口裂け女とか。


「あれは幽霊かもしれないわね。てか、アンタ古いの知ってるわね」


 それを伝えると、椿姫は軽く首を傾げながらそう答えた。


「他にも、怪異かいいとか様々な呼び方をされているけど……そいつらは昔からこの世界、そしてこの国に存在してきたの」


 そして、無線でプロジェクターに信号を送った。静止していた画面の映像が切り替わる。


「映像が残っているものでこんな感じよ。変わったヤツもいるけど慣れておくように」


 映像が変化し、別の異誕生物が映し出された。様々な場所、様々な時間帯に撮影された、異様な生物達の映像が切り替わっていく。動画を止めて、画像を抽出したものらしい。

 知っている動物に似ている物もいれば、図鑑を探してもまず見たことがないものもいた。


 最初は数秒ごとに止めていたが、途中からは高速で画像を流していく。

 奇妙なことに、ドレスをまとい、濃いめの化粧をしただけの普通の妙齢の女性にしか見えない静止画像もあったが、すぐに考えを変えることになった。その女は片手でスチール製のベンチを持ち上げ、もう片方の手で大人の男性の身体を貫いていた。


 他にも被害者の写真が含まれているものなど、中にはショッキングなものもあったが、吐き気を覚えることもなく、目で追った。


「へえ。アンタこういうのに強い方なのね」

「……そうかもしれません」

「……胆力があるのは良いことだわ」


 褒められたのだろうか。けれど、なぜか喜んではいけない気がする。

 そして、十七枚目……六本足の蟷螂に似た異誕。色は黒くて、毒々しいマダラがあった。

 その腹部に、亀裂のように開く「口」があり、そこに人の頭が挟まっていた。額から上がなくなっていて、角度の加減からか、その部分から先は見えなかった。

 あちこちこそげ落ちているから分かりにくいが、おそらく男性のもの。


 ふと、自分が殺した男の事を思い出した。あの夜、合流地点で待ち伏せしていた兵士のような男達。なぜ急に思い出したのかというと、目が似ていたからだ。

 あの時の男は、モニターの生首と同じ目を自分に向けていた。飛び出さんばかりに目を見開き、感情がその時点で停止したような、あの表情。


 沸騰した湯がそれ以上温度が上がらないように。臨界点に達した驚愕を、顔に凍りつかせて。二人が見ているものは明らかに違うはずなのに。


 例えないようの無い感情を覚えて、白翅の胸の奥が、少しざわついた。







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