第七話 常人には向かない職業 case2

 202X年 四月三日 東京都霞ヶ関 警察庁本部ビル 七階 


「……以上が私達が調査した天俐白翅あまりしらはの経歴と実績です」


 その日は不破が、これまでの人生で最も緊張した一日となった。

 警察庁内の重厚なウッドパネルで囲まれた大会議室。そこには『理事会』のメンバー達が集まっていた。裁判所、検察庁、防衛省、内閣情報調査室、そして警察庁、法務省の重鎮達。その他の官公庁の幹部たち。日本の警察全体の運営を任されている国家公安委員会に所属する委員たちの顔ぶれもあった。


 朝方の予定をキャンセルしてでも、彼らには確認しなければならない事があった。


 それは白翅の有用性についてだった。彼女が今回警察職員に多大な犠牲を出した異誕達の集団に立ち向かうにふさわしいか否か。


 そして、彼女はこの国家の暗部に不利益なことを知っているのかどうか。そのことも明らかにしなければならない。

 だからこそ、今の場がある。

 皮肉なものだ。彼女に人並みの扱いを要求するために今からいかに彼女が化物じみているのかを力説しようとしている。

 そして人外と戦う者たちと肩を並べる資格があるという事を。この報告会の成果が、今後を決める。


 『理事会』。

 それは、二千年代初頭に設立された異誕生物の存在を秘匿しながら、事後処理、報道規制を円滑に行うために、治安に関わる官公庁が共同で作り出したネットワークである。

 マスメディアや情報技術の発達した今、化物達の存在を表に出さないためにも、国家公安委員会を中心にこのネットワークは維持され続けている。


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」


 誰もニコリともしない。不破も笑う気は無い。


「長官の方からも事前にお話があったかと思われますが、本件事案を担当したわたくしの方から、天俐白翅への超法規的措置による、彼女が行った反撃についての違法性の阻却、並びに特務分室への登用について進言させていただきたく思います。根拠はただ今より解説いたします」


 不破はまず、事前に用意したプロジェクターを介して、スクリーンに白翅の身体の特異性を記したカルテを提示した。


 続いて、事後処理にあたった警官達と共に収集した現場報告書類と、鑑識記録の写真一式。白翅の自宅で撮影されたものだ。

 弾痕が著しく残る家の内部、そして動かない床に倒れた襲撃者達。

 そして、場面は変わり、廃工場付近で待ち伏せしていた私兵達の写真。およびいかにして反撃され、死に至ったかを記した検死書類と本人の供述書類を読み上げつつ解説した。さらに、空いた僅かな時間の間に、翠からナイフを少し教わっただけで使いこなしたことや、廃工場で戦った異誕の刺客との戦闘で、敵が撤退するまで持ち堪えたことを報告すると、参加者たちの戸惑ったようなどよめきが上がった。

 不破は結論を述べる。


「ご覧になっていただけたように……彼女は短期間で目覚ましいほどの成果を上げています。空いている穴を埋めるのに、これ以上最適な人員はおりません。彼女は逸材です」

 「彼女の攻撃の矛先がこちらに向かないという保証は?」


 検察のトップである、検事総長が鋭く切り込む。白翅の有用性を証明するため、戦闘力の高さの根拠を提示する必要があった。それが畏怖の念を掻き立てたのだろう。

 客観的に見て、強力な戦力は頼もしさを感じさせることには繋がらない。


「理事会のネットワークに関する情報はなるべくシャットアウトします。これまでの分室と同じく。

 また、今更過去の事件を調べ直すことは困難なことも伝達済みです。

 仮に聞き出そうとしても私達に危害が及ぶ可能性は少ないでしょう。彼女が死亡した実の両親に愛着を持っているとは思えない。彼女の養母の証言の記録と合わせれば、赤ん坊の時に亡くなっているはずです。

 また、彼女は自分が危険視されることは避けたいはず。

 暴走の予兆が見えても分室のメンバーが止めます。

 新たなパートナーである、壬織翠にも逐一状況を報告させます。彼女の信用もこれまでの実績が証明しているはずです。……今回の件を最も深刻に受け止めているのは翠です。彼女の真摯さは信頼に値します」


 この問答も想定済みだ。右向きに少し離れた席に座っていた警察庁長官、歌川が心得たように頷く。


「彼女は本当に何も知らないのか?十五年前のことを……いや、知らされていないのか?」


 更に質問が飛ぶ。法務省の事務次官からだ。去年とは顔ぶれが違う。交代したのか。

 十五年前の鷸館家襲撃事件。この場で、特に大きく注目を集めた話題がこれだった。事件自体は隠蔽されたとはいえ、その中身はあまりに凶悪なものだったため、日本の治安に関わる省庁の幹部達は、一様にその内容について把握していた。そして、この度の事件で、鷸館家の直系を名乗る少女が現れたことは、彼らに少なからず動揺を与えていたのだ。更に、問題の少女──白翅は、聞く限り殺し屋を生業とする一族の末裔だという。そんな存在を、日本の極秘事案を扱う保安機関に組み込んでいいものか、多くのメンツが決めあぐねているはずだった。


「彼女は当時生まれたばかりです。家業の人間と同一視するのはナンセンスです」

「しかし、後から取引材料として持ち出す可能性は?奥の手がある可能性は?実は、真相を知っていて黙ってるんじゃないか?」

「確実に無いとは言い切れません。しかし、それは何事に関してもそうです。

 いずれにしろ、彼女から全てをとりあげることは得策ではないでしょう。

 彼女は敵側でもなく、ましてや暗殺の一族でもない。特殊な訓練も積んでいないただの少女です。

 彼女を育てることは我らに大きな利益をもたらします。特に今回のような……」


 不破は言葉を切った。正念場はもう少しで乗り切れる。


「我々がかけがえのない人的損失を被った場合には」


 それは、犠牲になった警官達のことだ。当然、それは怜理のことでもある。事務次官は複雑な表情で顎を引き締めた。


「彼女はその穴を埋められると?」

「将来性も含めてですが、そのように私は捉えています」


 言葉を重ねて、訴えた。


「彼女は私達の一員として加わるべき人間なのです。幸運なことに彼女自身がそれを望んでいます」


 彼女を危険視する者や、彼女が不都合な事実を知っていて、その事実を何かに使うかもしれないと恐れた者が、彼女をなんとかして収容施設に送ろうと周囲を動かすかもしれない。それだけは確実に避けたかった。


「そうです。第一、こちらに不利な情報を知っているのなら初めからその話をしているでしょう。口にする機会はいくらでもあったはずです。そして身の安全を確保させる事もできた。捜査に貢献もした。協力者として信頼に足り得ます」


 大会議室の空気が静けさと緊張を纏った。決断の時が近づいている。

 長官が後を続けた。


「いずれにしろ、飼い殺した方が得だ。腹に一物あるようならそのうちボロを出すかもしれん。そうなってからでも遅くはないでしょう」

「現状、彼女が我々に刃向かう事は損しかないと、本人に伝えてあります。このまま彼女の行動の自由をただ、『奪うだけ』では、赤ん坊を産湯に漬けたまま流すのと同じです」


フォローを受けた不破は言葉を切り、最後の一手を放つ。


「どうせなら、私達の今後に役立てるように彼女を育てようではありませんか」


 今、白翅を逮捕させるわけにはいなかった

 彼女を狙ってきた奴らへの手がかりも失うことになる。

 そうなったらどうなるのか。


 白翅は生活を破壊された上に、何もかも取り上げられる。そんなことになれば、まるでこちらまで彼女を襲撃した連中の仲間になった気になる。

 それだけに、白翅が自分に銃を向けた連中を殺した事で罰せられるのは、気に食わなかった。

 正当防衛に関して厳格に対処しているつもりのこの国の裁判は、実際に命を危機に晒された場合に対する想像力がゆきとどいていない。それだけが気がかりだった。


 重苦しい沈黙が再び訪れる。

 そして………………………決議の答えが出た。


 結果は……全員一致で賛成。

 白翅の『警察庁 異誕対策特務分室いたんたいさくとくむぶんしつ』への正式な加入が認められた。

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