第六話 名も無き末裔 case32

 空白化した意識に、獣の叫び声が響いた。


「りよおおおおおおおおおおおおおおおん!リヨンから離れろお前ええええええええ!」


 翠は最後の力を振り絞って、横に跳んでかわす。四つ目の化物が、こちらに突っ込んできたかと思うと、リヨンの身体を抱え上げた。そして、上を見上げて咆哮する。

 酷く耳障りで、鼓膜が破れそうだ。


 ミミはまだ生きている。どうする。ここからどう戦う。弾丸はもう全部使い切ってしまった。怪我をしていない手で相手に武器を向ける。黒い軍用ナイフ。今の翠が使える、唯一の武器。


 ぼろぼろになった白翅がこちらに駆け寄ってきた。パーカーも、スカートも生地が破けている。あちこちに焦げ跡も付いていた。闇に映える雪色ゆきいろの太腿を、真紅の水滴が伝っている。白いソックスは真っ赤に染まっていた。

 悲しいくらい、彼女はボロボロだ。

 きっと自分も似たような姿なのだろう。


 視線を落とし、自分の服が血に染まっているのを確認して、やっぱり、と翠は他人事のように思った。白翅の表情には、心配の色が浮かんでいる。ひどく切なくなった。


「白翅さん、だいじょう、ぶ」


 翠はかろうじて言葉を紡ぐ。


「ごめんね。ケガさせちゃって。でも私が……守るから」

「翠、でも、あなたも、たくさん怪我してるよ?」

「平気だよ」


 そして微笑んでみせた。精一杯、笑ってみせる。

 私が守る、か。たしか前にもそう言った。留守番をして、この子を警護していた時。

 結局それはできなかった。この子は怪我をして、今ここでしなくてもいい戦いをしている。

 視界がぼやける。血を流し過ぎたのだろう。身体が苦痛とエネルギー不足を、懸命に訴えていた。頭が酷く重い。


 ぼやけた視界の中で懸命に目の焦点を結ぶ。

 ミミは横に並んだ四つ目から涙を溢れさせながら、死体を抱えている。そして、身を寄せあう翠達を正面から睨みつけた。


『許せない…………なんてひどいやつらなんだ…………傷ついてるミミたちをこんなに傷つけて、なんで……あんた達なんて大嫌いだ!』


 怒りの形相を浮かべている。伝わってくる殺意に、白翅が緊張するのが伝わってきた。

 戦うしかない。殺されないためには。翠はナイフを手に進み出た。そして、構えて、腰を落とす。


 その時、遠くからバラバラバラ、と大きな音が聞こえて来るのを、翠の優れた聴力が捉えた。この音は……


「ヘリ……」


 警察のヘリのローター音だ。そして、更に遠くから車の走行音。ローター音の中でも聞こえるのは、台数がそれだけ多いからだろう。


『増援かあ』


 ミミが唸る。


『構わないよ、皆殺しだあ』


 別の異誕の気配を察知し、翠はそちらに警戒の視線を向ける。

 崩れた壁の向こうから、リリーナが姿を現した。

 その後を追うように、茶花と椿姫が負傷しながらも、入り口から走り出てくる。

 翠達四人は、ミミとリリーナを取り囲むような陣形をとり、敵を睨みつける。


「……退くわよ」

『え?今なんて』

『退くって言ったの。このままだと膠着状態になるわ。それに夜も明ける。秘密裏には行動できない。とっくにリミットは過ぎてるわ』


 リリーナが静かな声で、耳に装着したイヤホンに向かって何事か小声で確認している。ミミの腕の中の死体を一瞥し、更に冷たく言い放つ。


『なにより、一人がその状態じゃね』

『納得できないよお!』


 ミミが地団太を踏み、地面が揺れた。

 どうやら、何か揉めているらしい。足を踏み出そうとすると、リリーナがブレードをこちらに突き出した。


『……確認がとれたわ。やはり撤退しろとのことよ。このままじゃ脱出どころじゃなくなる』


 ぐるり、と周囲を見渡し、リリーナが両手のブレードに振動を走らせる。


『お互いに最低な夜だったわね。ざまあみろ。それでは、ごきげんよう』

「危ない!」


 言い終わらぬうちに、振動で作られた螺旋状の渦が放たれ、翠達は大きく後退して伏せた。着弾した光線が地面に当たって爆発する。 這うような姿勢で伏せながら、敵の姿を目で追った。


「まっ……」


 白翅を抱き寄せながら、地面に伏せる。椿姫と茶花が、素早くその周囲を固めた。


『ちくしょううううううううう!』


 ミミが叫ぶ声が長く尾を引く。

 視界の隅に、ミミが死体を抱えて、飛び上がり、リリーナの動きを追って、突き破った壁の向こうに姿を消すのが映った。

 サイレンの音が聞こえて来る。脱力して、両膝をついてしまった。白翅も、同じように腰を下ろした。


「……」


 白翅がナイフを握っていない手でそっと背中を撫でてくれた。


「…………ありがとう、白翅さん」


 胸に穴が空いたように、身体に力が入らなかった。椿姫達が、肩をお互いに貸しながら、走り寄ってくる。何を喋ればいいか分からなくて、翠はただ、穴の開いた天井から空を見上げた。


 星一つ無い空は、真っ暗だった。やがて、四機のヘリが菱形の陣形を組み、ホバリングを始めた。















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