第六話 名も無き末裔 case31

 リヨンとミミは、護衛対象を巻き込むまいとした椿姫の意志に反して、広範囲を攻撃である戦力彼女をリリーナによって遠ざけていた。

 そして、予想せずに現れた僥倖白翅へと、それぞれの凶器鎖と爪の矛先を向けた。


 かくして、死闘が再開される。そして、新たにこの場に参入した人間白翅を護るは、人に近しい混血一人。異能を持たぬ銃撃手ガンナーただ一人。


「このおッ!」


 翠は肩に掛けたスリングを外し、SR16のフルオートで迎え撃つ。既に怜理の形見となった自動小銃アサルトライフルは、主を失った悲嘆に咽ぶかの如く咆哮した。


『しゃらクセエぞフヌケが!』


 猛撃による牽制を、獲物白翅を仕留めおうとする意志を糧に、ものともせず弾きながらリヨンが前進を敢行する。

 繰り出される鎖がライフル弾を四方八方に散らし、壁や柱や屋根をいたずらに痛めつけた。

 あっという間に翠は弾丸を撃ち尽くす。その隙を突いて、ミミが同心円状に立ち並ぶ鉄柱の群れを突破した。


「いけないっ」

『どうだあッ!』


 不規則な動きで距離を詰め、獣そのものの動きで、ミミは白翅に爪で連撃を繰り出した。白翅の靴が、後ろに向かってステップを踏む。

 翠もなんとか加勢しようとするが、衰えること知らないかのようなリヨンの鎖の投擲を捌き、銃で牽制するのが精いっぱいだ。



『あれえ⁉』

「んっ!」


 驚愕すべきことに、迫り来る攻撃の手を、白翅は紙一重で避け続けていた。

 急激に向上したステータスをフル活用して距離を稼ぎ、絶対に攻撃を当てさせていない。

 そして、隙を見つけた瞬間、軍用ナイフによる反撃を放っている。

 躱し、切りつけ、距離をとる。予想だにできなかった白翅の回避性能を前にして、ミミは決め手の一撃を放てていない。


 いまだかつて見たことも無い化物の攻撃を、白翅は臆することなくいなしていた。

 時折、ナイフを逆手に持ち替え、殴りつけるような動きで、当たりそうになる爪を力強く弾いていた。

 そして、自分の身体に最も近くなった急所を狙って刺突、斬撃を放つ。ステップを踏む動きがどんどんと加速していく。白翅は、翠が少し教えただけのナイフを操る術を、完璧と言っていいレベルで修得していた。


 とてもつい先日、ナイフでの戦い方を習ったばかりの人間の動きとは思えない。

 正面からぶつかっても、推し負けるかもしれない攻撃を、相手より一手先を行く動きで避けている。

 身体能力が優れているとはいえ、翠といえど、短期間でここまでの動きはできなかった。


 ────すごい……。それに、この子、とても強い……!



 きっと彼女自身、怖くてたまらないはずなのに。彼女は一度も敵に背を向けていない。

 ナイフを取り落とす事なく、弾かれても、すぐに相手に向き直り、ナイフを構え直している。放たれた一撃を避け、体勢が崩れた隙を突こうとする攻撃を、後退すること無く、鋭い斬撃で受け流している。そしてナイフの先端で刺突を繰り出した。


 得体の知れない化け物に、突然住処を奪われた。

 そして、そんな彼女は、今は自分を守ろうとした翠達のために戦っている。

 怯む事なく立ち向かっている。最近出会ったばかりの自分達のために。


 それなのに、自分はまだ相手を倒せずにいる。怜理を殺した憎い相手の一人を。

 翠は少し前の自分を直視する。


 怜理を殺されたばかりで、動けずにいる自分を。心を折られ、戦えずにいる自分を。

 それはかつて両親を失った時の自分と同じ姿だった。自分を助けることもできなかったあの頃の自分。


 ただ檻の中で無力に悲しみに打ちひしがれ、ろくに抵抗する事ができなかった自分。


 そして、二度とそんな思いをしたくなくて、訓練に明け暮れ、今度こそ多くの人が自分と同じ悲しみを味あわなくてもいいように、翠は自身に戦うことを誓ったのだ。


 ─────そうだ、誓ったんだ。私自身に。


 ここで戦えなければ、自分はもう、何も守れない。

 私は怜理さんを助けることができなかった。だからこそ……。

 これ以上好きになんてさせない!


 鼓動が激しく高鳴る。あの時の自分とは違う。

 今の自分は無力なんかじゃない。腰に差したスペアのP226を、自動小銃を持つ反対の手で握りしめる。自分はまだ戦える。

 今の自分には戦える武器とその意志があるのだから。これ以上、何かを奪わせてたまるものか!勢いを乗せて抜き放ったP226を敵に向け、五発撃ち込んだ。


 そして、疾駆する。身を屈めて回避の姿勢を取りながら、拳銃を咥えると、ガンベルトに差し込んだ弾倉マガジンをかろうじて手に取る。

 避けきれなかった鎖の先端が服を破り、肌を傷つけた。


「ぐうっ!」


 弾けた布地を湿らせながら、紅い血が噴き出した。

 怜理は死んでしまった。白翅は、今目の前の敵をやりすごすのに精一杯だ。

 翠を援護できる者はもういない。


 でも、それがどうした。翠は培った直感と技術を武器に、攻勢に打って出る。

 装填完了。負けじと放った弾丸の雨が、リヨンの脇腹の肉を削る。お互いのダメージは着実に蓄積していた。


 相手の体力も、無限ではない。持ちこたえれば、必ず隙が出来る筈だ。特に、リヨンは、怜理が倒され、求めていた獲物白翅がいきなり現れたことで気が逸ってる。


 それも当然だ。本来であれば、もっと手間のかかることであった筈なのに、今、翠達特殊部隊を排除すれば、一気に目的が達成できるのだから。

 執拗に喰らいついてくる翠に、腹が立って仕方がないはずだ。

 早く殺したくて仕方が無いはずだ。奴は冷静になってる場合じゃない。


「しつけえんだよ!死にぞこない!」

「ぜったいに死んでなんかやるもんか!」

「ふざけんじゃねえ!あたしは殺す側なんだ!たとえ生まれつきの化物だろうがなんんだろおーが、ひ弱なてめえだけには負けねえ!」


 八本の鎖が同時に投擲される。制圧射撃を鎖が存在する空間自体に浴びせて叩き落とす。弾けた鎖が数本、苛立ったようにじゃらじゃら音を立てる。


「育ちが違うんだよ!育ちが!このクソ並みに平和な国で生きてきたテメエとはな!テメエが死ぬ攻撃であっても、アタシは死なねえんだ!テメエの相棒が死んで、アタシが生きているよおにな!あのババアの名前はなんだ!テメエぶっ殺す前に聞いといてやるよ!」

「怜理さんのことを……」

「悪く言うなってか!あんなクソ日本女どう褒めろってんだ⁉お前あいつのかァ⁉だからそんなに女々しい上にドチビなのかァ⁉」


 かっと頭が熱くなる。怒りで耳奥が圧迫されたように苦しくなった。それでも、手元の銃をしっかりと保持して、狙う先を見据える。前に向かって跳躍しながら前転、紙一重で残った鎖の追撃をやり過ごし、リヨンの首から上へ向けて弾幕を放つ。


「うるさい!」


 身を起こし、横に跳びながら、銃撃を繰り返す。


「絶対に許さない!」

「なんだそりゃ?なんだそりゃ‼許してくださいってお願いするのはてめーの方だろ!あたしのしたことを全部許しながら、泣き叫んでてめーは死んでいくんだ!命乞いしてもぶち殺してやらあ!」


 リヨンはひたすら動き続けて、狙いを定めさせない。足元を狙った銃弾を、奴はステップを踏んで回避した。

 左右に放たれた鎖を、首を左右に振るようにして躱わし、前に足を踏み出しながら引鉄を絞る。ちょうどリヨンの躰が、二本の鉄柱のはざまに差し掛かった時点で、バースト射撃に切り替えて追い打ちを掛けた。


 迫る弾丸の雨を、鎖を振り回しながら相手が避ける。弾丸が掠ったらしく、リヨンが軽く呻いた。狭くなったスペースの中で、動きを制限されたため、思うように鎖を盾に出来なかったのだ。


「チクショウ!」


 リヨンは下がりながら、支柱から支柱へ、その表面を蹴って距離をとる。

 再びセミオートで動きを追う翠の耳に、獣の哄笑が届く。


『ギャハハハハハ!』

「‼」

『捕まえたあ!』


 思わず、右奥のスペースに注意を向けると、ミミが白翅のナイフを弾き、飛んで下がろうとした白翅の細い足を掴んでいた。巨大な手に掴まれた白翅の躰は、いつも以上に華奢に見える。

 銃を向けようとする翠の背後に異誕の気配。咄嗟に横向きに身を投げ出す。

 すぐ近くの柱に鎖の先端が突き刺さった。ワイヤーのように張り巡らされた鎖を操って宙を飛びながら、リヨンが鎖を巻き戻す。


 ミミのところまで走るか、それとも、ここで捨て身でリヨンを仕留めるか?

 リヨンが狂喜と怒りに口元を歪ませて、攻撃を再開する。


『ぎゃははハハハハハハハハハ!』


 ミミがけたたましく笑いながら、両脚を逆手に握った白翅の身体を地面、柱、あちこちに叩きつけ始めた。


『ケガさせるなとは言われてないもんね!痛いけどまだ死んじゃだめだよお!怒られちゃうから!ハハハハハ!』


 襲い来る危機感で全身の毛が逆立った。


「このおおおおおお!」


 白翅のもとに向かおうとしたところを、躱せなかった攻撃が脇腹に突き刺さった。鮮血が噴き出し、傷口が急速に熱くなる。

 必死に走って追撃を避ける。躰から血が零れた。振り向きざまに銃撃し、リヨンを足止めする。


 暗い廃工場の通路を走り、弾倉を詰め替えたそばから、フルオートで弾丸をばら撒き、周囲を一巡しながら、白翅を助けようと方向転換する。

 異誕の気配がある方向へ近づいていく。支柱の間を滑るように抜けた。


 次の瞬間、翠の眼の前で、吹き上がった血飛沫が闇の中を舞った。


『っがあああああああああああああ』


 絶叫が轟く。白翅が逆さ吊りにされた状態から、拘束の緩んだ手を、足で押してこじ開け、足元から着地した。

 素早く後退するミミを尻目に地を蹴って宙返りしつつ、距離をとる。

 翠の足元近くの地面に、受け身をとりながら、傷だらけになった白翅が転がった。


「しっかりして!」

「けほっ……けほっ……」


 白翅が苦しげに激しく咳込んだ。

 ぼたぼた、ぼた、と白翅の口元から赤黒い液体がこぼれ落ちていく。


『こ、の、クソアマがああ、ああああああああ』


 身体中で歯軋りをするかのような異音を立てて、ミミが叫ぶ。


「う、ぐううぅ…ぅぅうう…」


 着地した白翅が膝をつく。蓄積したダメージを遅れてやってきたのか、彼女の呻き声は、とても弱々しかった。

 けほ、けほっ……となおも咳こみながら口内に溜まった血を、地面に吐き出した。よく見れば、血溜まりの中には、赤黒い肉片とおぼしきものが浮かんでいた。


 視線を上げれば、巨獣の手の甲からは血が滴り落ちている。

 白翅が振り回されながらも、空中で身を起こして、ミミの手に嚙みついたのだ。


『殺してやる……てめえら。もう許さねえ。コケにしやがって』


 鬼気迫る表情で、リヨンが言葉を吐き出した。こちらに近づいて来る。その足取りには、明確な悪意が籠っていた。


「白翅さん!大丈夫⁉︎」

「……翠?」


 白翅の側に駆け寄る。拳銃SIG226を抜き、二体の人外に弾丸を弾倉が空になるまで浴びせかける。先に空になった拳銃を口に咥え、白翅の腰を抱えて飛んで光線と鎖を避けた。

 怒りに満ちたミミとリリーナが再び飛び掛かってくる。決死の攻防が始まった。


 ここで勝たなければ、

 心の内で自分自身が言う。

 今動かなければ他のみんなも殺されてしまう。助けることができなかったと同じだ。


 翠の家族が殺された時と。いやだ。そんなのは絶対に嫌だ。

 これで、一矢報いずになんていられるものか。

 このままおとなしくなんてしていられるか。

 これ以上、奪われてたまるものか。

 怜理さんを奪っていった事が許せない。

 白翅さんをもっと傷つけようとすることが許せない。

 絶対に。許さない。


「大丈夫⁉」

「……うん!」


 目の前の光景を強く睨みつける。脚に必死に力を入れた。攻撃を受けて、あちこちが傷だらけになっている白翅。肉を食い千切られ、怒り狂う二足歩行の獣が、怒りの咆哮を上げて、鋭い爪を振り回している。

 もう一度、鎖の女を睨みつけた。真っ向から、リヨンの眼が翠を睨み返した。


 翠は右手にSR16を、左手にP226を構えて走り出す。双銃の銃口の一つを鎖の女に、もう一つは獣に向けながら、加速する。そこから放たれた銃弾で白翅をフォローした。

 銃弾を放ち、ひたすら前進していく。

 獣が翠に四つ目を向け、怒りの声を上げながら橙色の光弾を放ってくる。足元に飛んできたそれを、翠は脚を開いて、上に飛んで躱した。


 リヨンがその場を離れ、身体の周りの鎖を操りながらこちらを走ってくる。先端の尖った鎖が、こちらめがけて投擲された。

 鎖による牽制をくぐり抜けて、ひたすら距離を詰めていく。


 迫りくる鎖の先端の刺突を最小限の動きで躱し、避けきれないものを銃身で弾く。銃弾を連続で放ち、撃ち落とす。

 絡み付こうとする鎖を素早く弾きとばす。次の瞬間、四本の鎖が迫り来る。

 銃口からもっとも近い鎖を見定め、ライフル弾を放つ。わずかに斜め下に傾いた角度からの銃撃による衝撃で鎖が跳ね上がった。


 おそらく相手の攻撃は、体力を使い切るまで続くのだろう。千切られた鎖は再生し、断面から黒い霧を噴出しながら再び現れた。

 弾倉の数はどんどん減っていく。


 迫る鎖を蹴り飛ばし、飛び越え、猛然と突き進む。

 どこまでも追いすがる。決して後退はせず、着実に距離を詰めていく。

 視界の隅で、立ち上がった白翅がナイフを捻り、斬撃を繰り出している。攻撃から回避に転じるタイミングを、ミミは捉え切れていない。回避を続ければ、逆に攻撃する瞬間には、既に白翅は回避に転じている。

 相手を倒せる実力が備わっていない白翅は、ダメージをこれ以上受けないようにするのがやっとのようだ。


「しつこいぞ……!」


 リヨンは、悪態を吐きながら舌打ちし、なおも攻撃を加えてきた。

 撃つ、刎ねあげる、躱す、撃つ、破壊する、叩き落とす……。

 相手も身体の向きを変え、時には翠との距離を詰め、あるいは離れることをくりかえす。

 翠がリヨンに並走しながら銃撃を見舞う。


 同時に右手の弾倉を落とすと同時に、左手の銃の連射を食らわせ、リヨンが避けた隙を狙い、拳銃を口に咥えて換装を終える。

 これで、ライフル弾の弾倉はあと一つだけだ。銃を口から放した瞬間、八本の鎖が僅かな時間差を保ちながら次々に迫り来る。


 SR16から放たれた連射が、迫り来る全ての鎖を跳ねあげた。

 翠は飛び上がり、支柱を蹴って三角跳びしながら銃撃する。

 再び掃射を開始する。襲い来る鎖と弾丸の嵐が激しくぶつかり合い、火花を散らした。

 空中の銃撃の際、避けきれず肩に攻撃を食らったリヨンが、血を噴き出しながらも痛みを堪え、攻撃を続行する。


「なめ腐りやがって!あのババアみてえに跡形も無くこの世から消してやらあ!」


 翠は地面に着地する。いつの間にか左脇腹食らった裂傷が、着地時に激しく痛んだ。それを狙いすましたかのように、鎖による鬼気迫る猛攻を繰り出された。


 それを双銃の銃撃で迎え撃つ。が、猛攻を防ぎきれず、頭に飛んできた鎖を、咄嗟に翠は左手の銃ごと受け止めた。

 グリップが突き破られ、掌が串刺しになる。


「ぐうっ!」

『きゃはあ!はははあ!』


 リヨンが矯声を上げる。

 翠は奥歯を噛みしめた。負けない!

 傷ついた左手の力が抜ける。銃をそのまま捨て、右手のSR16を撃ちながら、翠は突っ走る。そして、突き刺さったままの鎖を、相手めがけて投擲する。リヨンの胴体に、鎖が鞭のように巻き付いた。


「なっ」


 そのまま、力一杯引き寄せる。裂けた掌から更に血が噴き出すが構わない。

 引鉄トリガーを引き続けた。リヨンが引きずられながら、死に物狂いで身を捻り弾丸を避ける。


『テメエ!バカか死にやが』


 目の前に飛んできた鎖をかろうじて避ける。頬が引き裂かれた。後ろにリヨンが下がって距離をとろうとする。


──させない!


 勢いよく、前方めがけて前進する。二人の間はもう二メートルと離れていない。

 飛んできた鎖を左足で、素早く蹴って打ち払った。

 前方へ向かって地を蹴りながら、右手の銃を渾身の力で振り下ろす。狙うは、鎖を鞭のように振るおうとしたリヨンの右手だった。


「ぐ、あっ!」


 異誕としての腕力の乗った渾身の打撃を受け、リヨンの右手の指が、全てへしゃげて折れ曲がる。

 突撃を敢行する翠の視界に、頭一つ背の高いリヨンの顔が飛び込んでくる。奴は歯を噛みしめて、痛みに耐えていた。表情が憤怒に染まっている。冷静さを失ったリヨンが外国語でこちらを罵りながら、拳を振るった。


 突き出された左手の拳に思い切り頭突きを食らわせる。そのまま相手の腕を、血塗れの手で掴み、こちらに引き寄せた。その手首に、右手に持ち替えた拳銃ハンドガンの銃口を押し付ける。


 そして、弾倉が空になるまで拳銃の引鉄を引いた。

 手首を貫通した白金色のPB加工弾がリヨンの胴体めがけて飛んでいく。化物を殺すための特殊加工弾丸。化物の肉体に、通常弾以上のダメージを与える改造弾。


「ぐぶうっ!!」


 リヨンが血を吐き出した。五発の弾丸が、胸と腹の間にめり込み、体内組織をズタズタに傷つける。

 リヨンの身体が、縦に跳ねた。


 相手の手首を、傷ついた左手で強く掴んで離さず、更に踏み込んで顔の真ん中に頭突きを放った。鼻の骨が折れ、歯が飛び散る。

 翠の額が切れて、血が噴き出す。しかし興奮していたためか、全く痛みは感じなかった。


 そして、そのまま銃身を何度もやつの顔面に叩きつけた。

 スチールフレームの狂ったような猛打を受け、リヨンの鼻が叩き潰され、唇が千切れたように裂けていく。

 あまりに負荷がかかり過ぎたせいで、握っていた大穴の空いたリヨンの手首がほぼとれかかり、流れ続ける血で手が滑った。


『あ……っが……』


 銃身が完全にへしゃげた頃、力を失ったリヨンの躰が、仰向けに地面に倒れこむ。歯は殆ど口の中から無くなっていた。


『ち……ぐ、しょ…………』


 それでも、リヨンは横に身体を倒し、背中から噴き出す黒い霧で、鎖を新たに作り出した。


『うあああああああああああ!』


 歯の無い口でリヨンが絶叫する。

 鎖が放たれる直前に、その胸の真ん中に、銃弾を連続で叩きこんだ。

 迷彩服を貫通した弾丸がリヨンの身体を貫いていく。


 左手のP226から、弾倉が排出される。

 リヨンは既に胸から大量の血を噴き出し、地面に倒れていた。身体はわずかに痙攣し、両手が力無く垂れ下がり、弱々しくこちらを見上げている。


『や、め、ろ、あ、しあ、もう、』


 目の前の潰れかけの肉塊が、知らない言葉で、何かを言っている。弾倉を詰め替えた。

 狙いをつけて、再び引鉄を引く。どんどんリヨンの身体には風穴が空いていく。

 また、全弾撃ち尽くす。弾倉を詰め替えようとしたが、もう一つも残っていなかった。


 ダウンの内ポケットにしまっておいた、SIG229自動拳銃を取り出す。怜理の銃だ。怜理の服を手放した時、拾っておいたのだ。

 リヨンは白目を剥いて、動かなくなっていた。その間にも、血溜まりはどんどん広がっていく。

 明らかに生きていられる状態じゃないはずなのに、その体が消失する様子は無い。

 どうしてだろう。異誕は死んだら跡形も無く消えてなくなるんじゃないの?

 怜理さんみたいに。

 再び、残らず弾丸を叩き込んだ。


「どうして?どうして消えないの?」


 レッグホルスターから自分の軍用ナイフを抜いた。


「どうして」


 リヨンの死体はまだそこにあった。そうだ、まだ生きているかもしれない。だって消えていないんだから。

 ナイフを構える。リヨンの身体の下腹部のあたりから、何かが零れ落ちた。


 それは、認識票だった。リヨンの身体からあふれ出す血液の中を流れて、地面に滑り落ちる。


 ついさっき死んだ楠原のことを思い出した。あの認識票。あれと同じもの。

 いったいなんなのだろう。これを使えば、人間が、異誕になる。そういう仕組みなのだろうか。だから死体が残った。そういうことなのだろうか。


 屈みこんでそれを拾い上げようとする。

 手で触れようとした瞬間、それは青白い炎に包まれた。

 やがて、跡形も無くそれは消え去った。塵さえ残さず。

 横たわるリヨンの身体に視線を落とした。

 その死体からは、もう異誕の気配を感じなかった。






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