第六話 名も無き末裔 case30

 駆け戻った廃工場の中は、激しい戦闘に蹂躙され尽くしていた。

 ほとんど全ての窓が割れ、屋根は傾き、壁には大小様々な穴がこじ開けられている。もはや防衛施設としての役割は期待できない状態だ。


 激しい焦燥感が、椿姫の胸で渦巻いていた。多くの疑問が湧き上がる心の内を、目の前の事態の対処にひたすら集中することで抑えつける。

 最優先事項として、椿姫は仲間と共に、遮蔽の確保を行う。できるだけ敵と距離を取るため、四方を警戒しつつも、奥の支柱の陰に身を潜ませた。


「翠、怜理さんは……」


 自分用のフラッシュバンを右手に持ちながら、どこにもいない仲間の行方を、翠に尋ねる。

 そして翠の顔を見つめた椿姫は、思わず息を呑んだ。


「……………………あ」


 翠の表情からは、まるで生気が感じられなかった。

 臓腑を刃物でごっそり切り落とされてしまい、骨格だけで歩いているかのように、その様子は頼りない。

 いつも元気に、小柄な躰でも力強く、機敏に戦う後輩の姿はどこにもなかった。

 椿姫の言葉にろくに反応もせず、焦点の合わない、涙を湛えた虚ろな瞳を向けてくる。

 その姿がなによりの答えだった。


「そんな……どうしてよ……!」

 

 激情のまま吐き出された言葉は、ついには向かう先を失ったかのように消え入った。


 怜理が死んでしまった。こんなに呆気なく。あり得ない、という言葉が思わず口をついて出かかるが、かろうじて堪えた。奥歯を強く噛みしめ、意地でも嗚咽は漏らさない。

 冗談じゃない。まだお別れも言えていない。自分の見ていないところで人知れず消えてしまった。いや、死んでしまったのだ。


「く、」

「……椿姫さん」


 ジャケットの袖が強く握られる。うつむき加減で茶花が呟いた。その手がぶるぶると震えている。茶花の足元の地面が濡れた。

 意志に反して、こぼれそうになる涙を懸命に押しとどめようとする。けれど失敗して、手の甲で流れるしずくを拭った。今は泣いている場合じゃない。今、この子たちに指示を出せるのは自分だけだ。

 白翅は呆然とした様子で、絶句している。彼女の両手は、持参した軍用ナイフを握ったままだ。


「……そんな」

「アンタは、」


 え?と白翅が掠れた声で聞き返してくる。


「アンタは、なんでここにいるわけ?」


 次の疑問を片付けるために、言葉を発する。自分の声がわなわなと震えているのがわかった。怒っているわけでは無い。小さく咳払いした。このままでは涙声になってしまいそうだったからだ。


「タクシーで、来ました。お金貸してもらってたから……みんなが、心配で」


 たどたどしく白翅が続きを話す。捜査本部の様子を聞いているうちに、いてもたってもいられなくなって来たのだという。


「なんて無茶すんのよ……」

「わかってます……だけど、ほんとに、みんなが心配で……」


 敵の狙いが白翅の身柄であることは、奴らの言動からして間違いない。

 そのため、彼女がいかに特殊な体質の持ち主だからといって、戦力として加算することはあり得なかった。隙を見せた瞬間、攫われでもしたら、白翅を守ってきた意味が無くなる。そんなことはなんとしてでも起こさせるべきではなかった。


 来るべき時が来た。

 不意に、強い禍々しさを察知する。工場内に複数に異誕の気配が飛び込んできた。

 魔術を使う者の中には、化物の気配にとりわけ敏感な者がいる。そんな家系の精鋭達が、代々化物退治の一族として異誕と戦ってきた。当然ながら、椿姫にも、その血は受け継がれている。


 悪意を携えた三体もの強力な異誕の気配には、さすがの椿姫も戦慄を禁じ得ない。

 翠と茶花が銃を取り出して構える。一斉にバースト射撃が放たれ、着弾と共に、砂塵とコンクリート片が撒き散らされた。

 だが、攻撃をものともせず、舞い上がる粉塵の中を、激しい足音と共に三つの影がが近づいて来る。


「指揮室へ!こちら椿姫です!伝達します……!」


 後退しつつも、捜査本部に無線で連絡を取る。すぐに不破が出た。


『いるのか⁉彼女がそっちに⁉……………………クソッ!』


 さらに追加で放たれたバッドニュースは不破に更なる衝撃を与えただろう。


怜理さん分隊長が……。……分かった。一度引き返せ」

「数が多いです。各個撃破は難しいわ。白翅の安全を確保しつつ、できるだけ敵にダメージを与えることにします。応援を要請をお願いできますか?その間は、私が分隊長の代理で指揮をとります」

『ああ。今、脱出の手配をしている。その後、囮の車両を乗り換えながら現場を離脱できるように手筈を整える。敵が攻撃を止めないのなら、そうするしかない』


 二人の銃撃手翠と茶花の応射を走行して避けながら、三体の人外達が、それぞれの武器を携えて迫り来る。

 中腰になりながら、椿姫は三点バーストの連撃で応戦に加わる。


『見つけタアアアアアア!』


 ミミが巨体ですばしっこく弾丸を回避し、天井近くまで跳躍しながらこちらへ向かってきた。椿姫は舌打ちし、スリング付きの銃を手放しながら、両手で魔術の砲門を作り出し、火炎放射を放つ。一気に周りの空気が熱を含んだ。

 レーザーの攻撃がミミの周囲と口内から降り注ぎ、炎と相殺される。余ったエネルギーが爆発して、膨張した空気を橙色に染めた。


「ここからよ!」


 体に力が漲るのを椿姫は感じる。体内で生成した魔力がガソリンの代わりとして利用し、全身のステータスを増強させていく。通常時の身体能力がいくら優れているとはいえ、どうやっても化物にスペックでは劣る椿姫達魔術士は、このように身体機能を向上させて化物たちと渡り合う。

 しゃがみ込むと同時に、目の前を黒い影が横切る。


『あなたの相手は私よ』


 煙を突っ切って、金髪の迷彩服の少女が現れた。振り下ろされたブレードを、横から突き出した大鎌が防いだ。目の前で火花が散る。


『ゴアあああああああ!』

『守られてたくせに自分から来やがった!ありがとよ!』

「やらせない!」


 ミミが白翅に踊りかかるのを、すぐ前に立ち塞がった翠がナイフを振るって牽制し、SR16による銃撃で追い打ちをかけている。弾が切れると、白翅がナイフを構え、代わりに応戦する。

 即席のコンビネーションからは、非力さは全く感じられない。しかし、いかに巣の身体能力が高いとはいえ、片方は素人同然だ。隙が一瞬でもできれば、たちまちのうちに追い詰められてしまうだろう。


 八本の黒い鎖と、ミミの爪と光線が二人に襲いかかる。

 二人の前に、椿姫は茶花と共に、飛び込むようにして立ちはだかった。

 大鎌とブレードが、爆炎がぶつかり合う。止むことの無い発光に、眼がちかちかと眩んだ。

 ミミが軌道を変えて急加速し、衝突の場に割り込んだのだ。


「ふううううううう!」


 茶花が唸り、ブレードを大鎌で捌き、時に回避して、その隙を突くように椿姫が炎弾を放つ。

 金髪の少女……リリーナの動きは非常に洗練されている。軍用ブーツに包まれた脚を素早く踏み出し、引きながら、最小限の動きでこちらの攻撃を躱し続けている。

 お互いの位置を入れ替えるようにして戦闘を続けていた椿姫達は、壁を背にした瞬間に、とっさに崩れかけの壁に開けられた穴めがけて炎弾を放ち、穴を拡げると、外に飛び出した。

 転がって地に伏せながら、穴を通って追ってきたところを狙い撃とうと待ち受ける。


「なっ!」


 そこから数メートル右に離れた外壁が、突如として内側から爆ぜた。

 砕けた鉄筋コンクリートは、亀裂の入った大きな断片となり、こちら側に回転しながら飛んでくる。

 その奥から、リリーナが飛び出した。コンクリートの壁を内側から吹き飛ばしたのだ。


 これも、リリーナの人外としての能力なのか。こちらを威嚇するかのように旋回させたブレードの周囲の空気が、大きく波打つように激しく振動している。

 出鼻を挫くべく叩きつけた大型の炎弾を、上に大きく飛んで避けたリリーナが、空中で前転し、ブレードをこちらに向けて降下した。大きな風切音と共に、空気が動かされ、向かい風のように椿姫達に襲いかかる。


「茶花、こっちに寄りなさい!」

「恩に着ますです」


 激しい衝撃と共に、波打つ振動が螺旋状となって突進してくる。

 椿姫の展開した、半球状の魔力の盾が激しく軋んだ。ビリビリとものすごい振動が伝わり、椿姫達は懸命に踏ん張ってそれを堪える。長い淡栗色の髪がはためき、それが視界を塞ぎそうになる。


「椿姫さん!前方、警戒を!」


 茶花が珍しく大きな声を出した。瞬間、ガラスが割れるような音と共に、椿姫の魔力で作られた盾が弾けるように砕けた。

 その破片が舞い、空間に消失していく中を、リリーナが迫ってくる。両手のブレードが茶花の大鎌にぶつかる。耳障りな音が響き、刃同士のぶつかり合いが激しく火花を散らした。

 耳を塞ぎたくなるような騒音が響く中、椿姫は振動から逃れるために距離を空け、横に跳びながら、援護するために、炎弾を放つ。


 茶花の大鎌の刃が音を立てて砕け散る。振動のあまりの強さに耐えられなかったのだ。椿姫が息を呑む中、茶花は向かってくる二本のブレードを頭を傾け、大きく後ろに跳び、絶妙なタイミングで回避する。二人が、同時に左右に散る。

 茶花は、両手を使ってバク転を繰り返しながら距離をとると、急に体勢を元に戻して立ち上がる。


「それっです」


 そして、両手に持った大鎌を投げつけた。

 回転しながら飛んでいくそれを、横回転して咄嗟に躱すリリーナ。それが頬をかすめたのか、リリーナのバラクラバに包まれた頬の生地が裂け、一筋の血が流れ落ちた。その背後のコンクリートに大鎌が突き刺さる。

 リリーナがそちらに視線を向けると、それはすぐに消失した。投げつけられた筈の大鎌は再び茶花の手元に戻っていた。


「便利ね、手品師さん」


 リリーナが素っ気無く呟いた。両手のブレードを構え直し、油断なくこちらの動きを伺っている。いかなる素材でできているのか、リリーナ自身の持つ能力や、大鎌の攻撃を受けてもビクともしていない。


「器用な鎌ですので。茶花の得意技です」


 茶花の持つ『大鎌おおがまの召喚』の能力異能は、大鎌の性能を強化する以外にも、複数の付随効果を持つ。


 一つは『鎌の修復』。

 破壊されても、茶花の意思一つで、茶花の体力の消耗と引き換えに、自動的に無傷の状態にまで再生させることができる。


 二つ目は『鎌の引き寄せ』。

 鎌を手放しても、即座に距離と関係なく、手元に戻すことができる。先ほど投擲した鎌が瞬時に茶花の手元に戻ったのも、その効果によるものだ。


『せっかくの能力がそれじゃあね』


 リリーナが異国の言葉で何か呟く。リヨン達がかわしていた言葉はおそらく英語だろうと、椿姫は見当をつけていたが、リリーナの言葉は分からなかった。冷たく美しいが、同時に酷薄な印象を受けるリリーナの顔立ちは、明らかに欧州圏の血を感じさせる。肌の色と髪の色からもだ。


「なにか言いましたか」


 言葉を理解できなかったらしく、茶花が不機嫌そうに眉を上げる。


「横文字を使えばかっこいいと思われる時代はとっくに終わりましたよ」

「何者なの?アンタ達」


 椿姫は尖らせた視線で相手を見据える。自分の先輩を殺し、今も仲間たちを危険に晒している敵を。


「白翅をどうしたいの?」

『答える言葉は与えられていない。私はただ、邪魔者を排除するだけ』


 返答の言葉は、ひどく乾いていた。自分たちが求めていた答えを教えてくれたとは思えない。

 椿姫達と意思疎通をする気が全くないらしい。それなら、倒してから聞き出すだけだ。

 椿姫は息を吸い込んで攻撃に備えた。両手のブレードが闇の中で強い存在感を放つ。


「そう。なら、これならどう⁉」


 片手を上げて、椿姫が全身に、生成した魔力を漲らせる。

 言い終わらぬうちに、椿姫達の背後には、血のように紅い光を放つ、魔術の方陣が大量に浮かび上がっていた。数にして十五は超えるだろう。解読不能の文字が編みこまれた砲門が、鈍く点滅する。


『へえ』

「放て!」


 一斉に方陣から、赤く光る魔力の砲弾が射出される。その攻撃は流星の如く勢いで、リリーナの躰に襲いかかった。


 異誕の肉体に、通常の炎以上の効果を発揮する浄化のほむら。それ以外にも椿姫の魔術には大技がある。

 体内で生成した魔力を、精製した方陣を介して物質として実体化させ、椿姫の攻撃の意思に応じて自在に敵に襲いかかる、魔力の集中砲火。

 魔力の生成には、体力を少なからず消費する。

 この技は、わずかな体力の消耗と引き換えに、多くの魔力を作り出すことのできる椿姫だからこそできる芸当だった。


 爆発音が連鎖する。

 リリーナは攻撃が肉薄するたびに、回避し、ブレードで振動を放ち、次々に攻撃を切り刻み、巻き起こった衝撃と風圧で相殺していく。捌ききれなかった魔力弾が着弾し、爆発する。

 爆発の衝撃波が折り重なり、耐えきれずリリーナの体勢が崩れたところを、茶花が三点バーストで銃撃するが、リリーナは躰を捻り、無理な体勢で飛び上がりながらも、それを避ける。相当高度な訓練を受けているのか、直撃だけは受けることなく、ダメージを最小限に抑えている。

 猛烈な勢いで吹き上がった土埃が舞い、リリーナの姿が覆い隠された。


「あぶなッ!」


 激しい銃声が椿姫の目の前の地面に弾丸が突き刺さる。

 四人の迷彩服の集団が工場の建物の陰からこちらめがけて発砲したのだ。

 増援の生き残りだ。椿姫の魔術の延焼を恐れて方々に散っていた奴らだ。


「邪魔よ!」


 盾を展開し、弾丸をガードしながら、大型の炎弾を放つ。

 弾丸並みの速度で直進した炎弾が直撃した兵士が吹き飛び、地面に投げ出され、たちまち全身が炎に包まれた。

 その背後にいた兵士も炎が移ったのか、炎に包まれながらも転げまわって火を消そうとしている。燃えているもう一人はぴくりとも動かない。


 こみあげてくる吐き気を堪えながらも、残りの二人の銃撃を茶花と共にジグザグに走って避ける。椿姫を追い抜いた茶花が、敵の一人に接近していく。

 銃弾の盾にした大鎌を、掲げながら翻し、慌てて身を隠そうとした一人を斬り殺す。

 もう一人が手榴弾を椿姫めがけて放った。手榴弾が空中で放物線を描く。


「茶花、先にそいつを倒してこっちに引き返しなさい!」


 兵士が銃を構え直した頃には、そいつは繰り出した斬撃を浴びてもんどりを打っていた。横に転がり伏せた瞬間、爆発が空気を揺るがす。


「くそっ!」


 汚い言葉が口から出る。また吐き気を堪える。ワンピースを血に染めた茶花が叫んだ。


「後ろを警戒してください!」


 椿姫はブーツの踵で地面を叩いて、勢いよく振り返った。


『手数が多いのね。うちの兵隊共も、苦しまずに殺してくれるなんて。優しいわ』


 砂塵の舞う中、リリーナが傷つきながらも立っていた。大きなダメージを負っている様子は無い。兵士達の援護で集中を欠いたのもあってか、 一発も直接命中させることはできなかったらしい。


「しぶといわね、ほんと」

『けど、私は優しくない』


 こちらを冷たい目つきが睨んだ。駆け寄ってきた茶花が、すぐ側に立って、目前の敵に向かって歯を剝き出した。


「まだやれるわね茶花」

「むろんです」

「よし」


 茶花の頭の上に手を軽く置く。そして、そのまま手を前に出して構える。


「行くわよ!」


 椿姫は再び魔術を全身の力を使って編み始めた。







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