第六話 名も無き末裔 case29

 涙で視界が酷く曇っていた。

 全身に力が入らない。力を入れる度に身体弱っていくような苦痛を感じた。

 あちこちの傷口から、気力が漏れ出しているかのようだった。ただただ悲しくてたまらなかった。


 怜理さんはどこ?怜理さんは?翠の両腕の中には、肉体だけがすっぽりと抜けてしまった、空っぽの怜理の服だけが残されている。

 その他には、ガンベルト、SR16、SIGP229拳銃、予備の弾倉などの各種装備。


 化物の血を色濃く受け継ぎ、異誕そのもののスペックを持つ者は、純血の異誕同様、光の粒となって消滅する。他ならぬ怜理から教わった事実が、翠の心を残酷に締め付ける。

 全身に絶望がまとわりついてきた。

 ザッと、背後で地面を踏みしめる音が聞こえた。地面に両膝をついたまま、翠は振り返る。


「ここにいやがったか」


 リヨンが獰猛な笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしている。


「ア?服だけ?どうなってんだ」


 翠の腕に抱えているものを見つめながらリヨンが首を傾げる。やがて、げらげらと哄笑を上げはじめた。


「あーーーーー!そうかそうかそうか!そうか、死んじまったか!そっか、服だけは残るんだな!そりゃそうか、もともと着てたんだもんな、ははは!こりゃケッサクだぜ!」


 なにがおかしいのか、翠にはちっとも理解できなかった。

 けれど、翠はあまりの失望に、怒りすら湧いてこなかった。再び涙が両目から流れ出す。


「気にすんなよ、チビ。アタシだって死ぬくらい辛いこともあった。けどよ、ちゃんとこうして生きてんだろ?だからノープロなんだって。あ、アタシはな?お前の場合はそーだなあ」


 リヨンの周りに黒い鎖が再び現れた。逃げろと本能が警告するのに、立ち上がれない。


「今まで、てめーみたいなのは何人も見たよ。そいつらがどうなったか教えてやる!カボチャみてえに頭潰されて目ん玉ひん剥いてくたばったのさ!臭え臭えドブにぶち込まれてな!お前もおんなじように潰してやるよ!ドテカボチャにしてやるってんだよクソチビ!」


 嘲りながら、翠に鎖が高速で投げつけられた。銃を構えた。ゆっくりと。いつもは軽く感じる銃がひどく重かった。残った気力を振り絞り、引鉄に指をかける。

 蠍の尾のような鋭い突起が目の前で牙を剝いた。


────────ダメ、間に合わない………………。


 次の瞬間、激しい金属音と共に、目の前の空気が震えた。翠の顎の下まで伸ばした黒髪が、風圧で舞い上がる。鎖の先端が宙を舞い、翠の足元の地面に何かが回転しながら突き刺さった。


 『………………てめ、なんでここに』


 リヨンが視線を翠から外して、翠から右側の少し離れた場所を凝視している。

 翠は、同じ方向へと、残された意識を向けた。

 ……敷地を取り囲むコンクリート塀の側に、人影が立っている。


 黒いパーカーに、見覚えのある赤いスカート。闇の中からでもはっきりわかる白い顔と手足。

 天悧白翅が、息を切らして、そこには立っていた。


「しら、はさん…………」


 呆然として翠はやっとそう呟いた。どうしてここに?

 自分の膝をついた足元に視線を向ける。黒い柄に、黒い抜き身の軍用ナイフ。それが闇の中に紛れるようにして、地面に突き立っている。

 それは、白翅に翠が護身用として貸していたものだった。ようやく、脳が状況を理解する。白翅がナイフを投げつけて、飛んできた鎖を弾き飛ばしたのだ。


 白翅の姿を目にした瞬間、驚きのせいか、意識が急速に覚醒を始めた。

 敷地内で、激しい戦闘音が聞こえてくる。やがて、大きな爆発音と共に、地を蹴る足音が近づいて来る。工場の建物の反対側から火の手が上がり、獣の叫び声が轟いた。


「翠、無事⁉」


 漆黒のジャケットとコートをはためかせて、椿姫が茶花と共に走ってくる。後ろを駆ける茶花が急に立ち止まると、持っていた大鎌を振って消失させ、振り向きざまにHK416Cを構えて銃撃した。

 その後を建物の陰から走ってきた『ミミ』が光線を放ち、追撃してくる。隣には金髪に迷彩服の少女。両手に血に濡れたブレードを構えている。翠の鼓動がさらに激しくなった。もう一人だ。怜理を殺した敵が、もう一人。

 椿姫がフルオートで追撃し、茶花に加勢した。


「クソッ」


 吐き捨てるリヨンめがけて翠は銃弾を放つ。慌ててリヨンが横に跳んで避けた。鎖が飛んでくる。


「これを!」


 一瞬、躊躇う。しかし、身体は即座に行動に出た。

 咄嗟に持っていた怜理の服を手放すと、しゃがみながら鎖を避け、足元の軍用ナイフを地面から抜き、白翅に放ってパスする。


 白翅がそれを正確に受け止めると、追撃の鎖を弾きながら、こちらにものすごい速さで走ってきた。

 その速度は、翠と比べても勝るとも劣らない。白翅のステータスの向上のレベルを測定した時以上の速度だった。間違いなく、白翅の身体能力は通常時より向上している。

 伏せながら前転し、更に下向きに飛んできた鎖の束を、反動をつけて身を起こしながら、勢いを乗せてナイフを振るって弾いている。

 力強い抵抗にリヨンが舌打ちした。翠も負けじと銃撃し、走って距離を詰めていく。


「いいぜ!来やがれ!」


 攻防が続く。やがて、ミミが放った光弾やレーザーがこちら側にも飛んでき始めた。


「翠、どきなさい!」


 椿姫が片手を前に出して構え、大型の火球を放った。

 火柱と黒煙が舞い上がり、翠は屈みこむと、手探りで目的のものを探す。掌に硬い感触があった。それを掴み上げ、スカートのポケットにねじ込む。ブーツの爪先であちこちを蹴ると、何か棒状のものに引っかかった。それを抱え上げる。SR16の長い銃身が、炎と光線の輝きを受けて鈍く輝く。

 そして、眼を凝らして走ると、煙の中で咳き込む白翅の手を掴んだ。


「こっちに……」

「うん…………」


 煙の中、椿姫と茶花が合流する。白翅の手は引いたままだ。


『工場の中へ。遮蔽をいったん確保して反撃に出るわ』


 椿姫が無線で伝える。翠はかろうじて頷いた。

「わかりました。白翅さんを連れて先に行ってください」


 そして、即座にSR16の銃身を回転させた。

 茶花と翠で左右にフルオートで弾丸をばらまきながら、ジグザグに後退する。白翅を連れた椿姫が、工場の中に走りこむのを確かめるや否や、茶花と共に、崩れた壁から屋内へと飛び込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る