第五話 名も無き末裔 case27

 自動小銃の掃射音が、幾重にも重なって押し寄せる。

 翠と怜理のペアはリヨンの攻撃を懸命に捌き続けていた。


 狙撃班そげきはんと連絡をとろうとするが、通信が繋がらない。

 敵と交戦中か、あるいは既に殺害されたのかもしれない。あり得ない話ではなかった。

 敵がある程度、軍事に通じているのならば狙撃ポイントを特定することもできる筈だ。そこで先手を打たれたことは充分に考えられる。


 五本の氷の槍が、冷気を迸らせ、ミサイルの如く勢いで放たれた。グレネードを撃とうとした敵兵が、回避が間に合わずに串刺しになり、横倒しになって絶命する。

 リヨンの攻撃に気を取られている内に、中二階に続くキャットウォークには二人の兵士が陣取っていた。FAMASに付属した二脚を立て、バースト射撃を絶え間なく放ち、一階にいる仲間達を援護している。


 そして工場の中心部では、巨大なミミが、椿姫達と対峙している。

 叫び声と共に、口から橙色の極太の光線を放つ。それがコンクリートの床に直撃し、派手に粉塵を巻き上げ、大穴を穿った。


「レーザービーム⁉」


 椿姫達が数多の炎弾を獣の巨躯へと叩きつけるが、獣の周辺には四つの橙色に輝く光球が浮かび上がり、そこからも追加で光線が放たれた。空中で起こった小爆発で、朽ちかけた建物は激しく揺さぶられ、今にも天井が落ちてきそうだ。

 敵は光線を炎弾にぶつけることで相殺している。これがミミ、と呼ばれた巨獣の能力らしい。


『じれったいなあ!近くで戦ってよお!』

「いいでしょう、力比べ上等なのです!」


 距離を詰めた獣が鉤爪をふるい、椿姫達に襲いかかった。椿姫の前に進み出た茶花が、大鎌を力一杯ふるい、連撃を防いでいる。

 爪の生えた強烈なキックを、茶花が逆手に鎌を持ち換えて防御した。続けて襲い来る足の爪を、後退することなく、踏ん張って堪える。爪先がギリギリと食い込み、鎌の柄が軋みを上げた。

 押し負けかかったところを、椿姫がハイキックで爪を蹴りつけて援護、同時に茶花も力を乗せて、鎌の柄を前に押し出した。二人分の力の圧し負け、巨獣の踵が僅かに退いた。一瞬の優勢を見逃さず、椿姫が特大の火球を叩きつける。


 またも炎と光が両者の間で炸裂する。火の粉が衝撃波に飛ばされ、翠達のところまで飛んできた。


『危ない危ないっ』


 が、それをもミミは大きく跳躍して躱していた。

 代わりに延焼に巻きこまれた二人の兵士が、火だるまになってのたうち回る。起き上がろうとした一人が炎弾の追撃を食らって崩れ落ちた。



 翠と怜理は、リヨンの鎖を弾き、兵士のような男達への応戦を続けていた。

 バーストで放たれた銃弾が、頬のすぐそばを通り過ぎる。


 廃工場の中には血と煙の匂いが立ち込め、それが時々口の中に流れ込んできた。

 翠は可憐な唇を引き締め、銃口を上方に持ち上げると、敵影めがけて銃弾を放つ。


『細切れになりやがれ!』


 中二階からの弾幕を左右に高速でステップを踏むことでなんとか回避。十時方向に立つ一つの鉄柱まで、銃弾を避けつつも駆け抜ける。


 跳躍して、柱の側面を蹴りつけ、右奥に位置する別の柱へと跳び移る。そこで動きを止めることなく、更に別の柱へと、躰の向きを変えながら、上へ上へと飛び縋った。

 三角跳びを繰り返し、天井近くまで飛び上がると、ドア手前の踊り場に陣取る二人組の、ヘルメットで覆われた頭が視界に映った。


『バカ野郎!叩き落とせ!高所とられてんぞ!』


 翠の意図に気づいたリヨンが叫ぶも、もう遅い。

 躰を前に倒しながら、ストックを肩付けし、バースト射撃の雨を降らせた。

 弾丸が兵士のヘルメットを貫通する。その顎から飛び出した強装弾は、止まることなく金属製の階段を突き破る。倒れる動きに巻き込まれた自動小銃が、二脚ごと床に叩きつけられた。

  その横ではペアの兵士が肩と脚を撃ち抜かれながらも、転がって追撃を避けている。負傷しながらも、銃は構えたままだ。

 

「一人倒しました!」

「ああ!まとめて吹き飛びな!」

『食らうもんかよババア!』


 怜理が巨大な氷柱を頭上に精製すると、複数の氷の短槍と共に射出した。

 リヨンが、自身の周囲に鎖を蜘蛛の巣状に展開し、盾のように掲げながら飛び退る。

 キャットウォークの基礎が完全に破壊され、砕けた軽量鉄骨が瓦礫となって崩落した。

 ちょうど翠の銃撃を避けながら、陰に身を隠そうとしていた兵士が、氷と金属の塊に頭から圧し潰された。翠に負傷させられていた男の死体が、どこかに引っかかっていたのか、遅れて一階に落ちてくる。怜理がSR16の二連射で、瓦礫の下の男の顔の真ん中を撃った。


 必死の形相でグレネードを放った最後の兵士を、翠が三点バーストを胸と頭に当てて撃ち倒す。呻き声が上がり、頭部のヘルメットが吹き飛んでいく。短く刈り込んだ金髪の男が、全身のあちこちに氷柱が突き刺さった他の兵士の死体の上に倒れ込んで絶命した。

 再び飛んできた鎖を怜理が氷の盾で弾いた。


『やりやがったな……死にかけのゴキブリみてえに粘りやがって……。島国の甘ちゃんどもの分際で……!よくも粘りやがったな!』


 灰色の埃の粉塵が吹きすさぶ中を、リヨンが肩で息をして仁王立ちしていた。

 黒かった眼は血走り、全身の所々に、躱しきれなかった氷柱や、コンクリートの破片が突き刺さっている。


「玩具の兵隊どもは、どうやらもう品切れみたいだね。手持ちが無くなったらどうすんの?ママにおねだり?」

『ッの野郎!』


 連続で放った氷の槍が怒りと共に投げつけられた黒い鎖の接合部を連撃で削る。

 長い鎖の部分が千切れ飛んで、地面にぶつかった。しかし、それは黒い霧となって消滅し、本体の長い鎖が即時再生し、再び翠達に牙を向いた。


 どのような物質でできているのかは分からないが、リヨンの作り出す鎖は、傷ついたり、砕けたりするたびに自己再生するようになっているらしい。怜理が吹き付けた冷気を横に飛び、走りながらリヨンが躱した。


『ミミ!アタシを援護しろ!』

『今はムリ!』

弾倉装填リローディング!」

「了解!」


 遮蔽に飛び込みながら、翠はSG552の弾倉を詰め替える。後方を確認すると、ミミを援護していた兵士達のうち、新たに三人が、切り刻まれて無残な骸を晒していた。

 茶花の大鎌の餌食になったのだろう。すぐそばでは、茶花が血濡れの鎌を驚異的な速度で振り回して、放たれた弾幕を弾いていた。


ミミの側の敵兵は後四人。

 椿姫の炎の魔術による延焼を恐れるがあまり、味方の巻き添えを避けようとしたのか、敵兵達は既に隊列を維持できず、あちこちに分断されてしまい、連携が取れなくなっている。

 こちら側に向かってこれそうな者はいなさそうだ。

 

 「装填完了グリーン!」


 支柱に長い鎖を巻き付け、慣性に従って宙を滑るように走るリヨンを、氷の槍が追尾し、さらに逃げた先を、遮蔽から半身を出した翠が銃撃で追い詰める。

 一斉に放たれた鎖を氷の盾を呼び出した怜理が防ぐ。四方八方に弾かれた鎖が飛んでいく。分厚い氷で作られた盾の硬さは並大抵のものではない。そうそうの威力の物理攻撃は全て弾かれてしまう。

 

「ほんっとにしつけえ!」


 舌打ちしながらも、歯ぎしりし、凶暴な表情で、リヨンが床に靴底を叩きつけて降り立つ。

 体中を覆うように黒い鎖を背中から八本呼び出すと、翠達のさらなる攻撃を辛うじて全て防ぎきった。


「とっとと、アマリの居場所を教えろって言ってんだよ。そうしたら楽に殺してやるのに」

「結局、殺すんでしょ」


 荒い息を吐きながら、翠が言った。


「あなた達はいつもそう、勝手な理屈で人を殺して、勝手なことをする。どうして?なんであの子を狙うの?」

「ああ?生意気に質問してんじゃねえぞチビガキ。聞いていいのはアタシだけだ。てめえらの仕事は、吐くだけ吐いて、後は死ぬだけだ。簡単だろうがよ」

「生意気はそっちだよ。その言葉そっくりそのまま返す。いや、アタシは大人だから少し優しくしてやろうかね」


 怜理が両手に氷の剣を構えながら言った。


「捕まえた後、拷問フルコースを味わってもらう。殺しはしない。これでどう?」

「いいわけねえだろ……」


 リヨンが呟く。その口角が不意に吊り上がった。

 そのまま後ろに下がり、鎖をこちらに続けて放ってくる。二人は下がりながら、全力で迎え撃つ。


 次の瞬間、背後で破砕音が響き渡った。翠と怜理は咄嗟に振り返った。

 工場の左側の壁を突き破って、カーキ色のピックアップトラックが一台、工場内に飛び込んできていた。運転席は無人だ。そして、


「全員、伏せろ!」


 それが激音を轟かせて爆発した。内部に爆発物が搭載されていたのだ。

 思わず伏せて耳を塞いだ。怜理がその横に転がり、何かを叫びながらフルオートで銃撃を放った。金属音が立て続けに響き渡る。おそらくリヨンの攻撃を弾いているのだろう。

 銃を構えながら、顔を上げ、スコープを覗き込み、引鉄に指をかける。

 その時、背後で硬いものが砕ける音がした。更なる危険を直感する。

 怜理と共に、床を蹴って立ち上がった。


「どこ行くんだよチビィ!」


 粉塵の中、嘲笑いながらリヨンの黒い鎖が、灰色の靄を破って目の前に突き出された。

 咄嗟に横にずれて防ごうとした。首筋に悪寒が吹き付ける。新たな気配が、ただならぬ速度で迫ってくる。

 翠は頭上を見やり、戦慄する。両手に刃物を閃かせ、迷彩服の女がこちらに向かって急降下してきていた。刃物と同じくらい鋭く、冷たい眼がこちらを見据えている。


 避ける?間に合わない。銃で撃つ?狙いが付けられる?咄嗟に銃を前に出した。

 大きな風切り音と共に、何かが頭の上から迫り来る。二つの手榴弾が、闇の中を滑るように落ちてくる。前方に向かって身を投げ出して横に転がった。一つが後方で爆発。

 更に、バウンドした手榴弾の一つを、加速した迷彩服の女が蹴り飛ばして、翠の耳元まで転がした。


「うあああ!」


 轟音が炸裂する。あまりに近くで爆発したせいで、骨伝導インカムが衝撃でずれ、激しい耳鳴りが翠を襲った。方向感覚が狂い、煙の中を転がり、上方に銃を掲げながら、遮蔽に飛び込もうとする。敵の気配を探れ、と心の内で翠は自身に命じた。

 敵は異誕生物だ。自分達と似て非なる気配を放つ。それからできるだけ遠ざかって、反撃を────!


『あら、そこにいたのね』


 斜め前方に、急に気配が出現した。瞬間的な危機察知で、翠は後方に跳び退く。

 振り降ろされた刃物が、SG552真っ二つに切断した。二つに分かれた銃が飛んでいく。崩れた部品があちこちに散らばった。呆然と瞠目する翠の目前で、空間が激しく振動を始めた。


『やるじゃねえのリリーナ!』

「翠ーーーーーーーーーー!!!!」


 飛んできた鎖を弾きながら、怜理が弾丸の如く勢いで駆け出し、翠を思いっきり突き飛ばした。


『遅いわ』


 大きく揺らぐ視界の中で、渦を巻いて空間が動き、突風の如く勢いで射出された。


────衝撃波?見えない攻撃────⁉


 地が揺らぐ。翠の小さな頭は、コンクリートの硬い床に、容赦無く一四二センチの体躯ごと叩きつけられた。


 間髪入れず、ガガガガガガガガガガガガ‼と更に衝撃音が襲い掛かった。


「う…………」


 近くで衝撃と共に床が砕けた。音は外からだ。銃声?だとしても、ただの銃声じゃない。音が大きすぎる。きっと重機関銃だ。

 横に転がり回りながら、それを躱す。体の近くで飛んできた何かが爆発する。コンクリートの破片が体にぶつかった。グレネードだ。


 もうもうと砂埃が舞う中で、大穴が空いた壁の向こうから複数のマズルフラッシュが見えた。そして黒い影も。ガンベルトのホルスターからP226ハンドガンを咄嗟に引き抜いた。四方八方から鳴り響く音で、もはやどこに敵がいるのかすら判別できない。立て続けに襲う危機に、脳がリソースを裂かれ、翠から冷静さを奪っていた。


 埃でむせそうになりながら、銃を持ち上げると向こう側へ、狙いもつけずに掃射する。黒い影達が素早く散開し、後退していった。たちまちのうちに全弾を撃ち尽くす。

 視界の隅では、爆発したピックアップトラックが黒煙を吹き上げながら炎上し、暗闇を赤く照らしていた。


「怜理さん!怜理さん!どこにいるんですか?」


 返事が無い。煙が目と口に入り、また咳き込んだ。目に涙が滲む。弾倉を素早く装填し、なんとか構え直した。

 激しい音が響いた。げらげらと誰かが笑う音がする。中腰で立ち上がり、顔を上げた。


「……え………………………………………」


 もうもうとした黒煙の中で、怜理が佇んでいる。

 怜理の首からは、鮮やかな血が迸っていた。黒い鎖の先端が、延髄の辺りに深々と突き刺さっている。

 彼女は両手に砕けた氷の剣を、ぶら下げるように携えていた。

 直感的に翠は全てを理解した。怜理が自分を庇ったことを。

 あの衝撃波のような攻撃で体勢を崩されつつも、怜理は反撃に打って出た。

 両手の剣で、刃物の女の攻撃を防ぎ、その結果として剣が砕けた。そして、その隙を突いて、リヨンが攻撃を仕掛けたのだ。怜理の急所に。


『助かったぜ、リリーナ』

『あなたがお礼を言うなんて……珍しいわ』

「れいり、さん」

 

 酷く枯れた声音で、翠は呼びかけた。返事をして欲しかった。だって、そうじゃないと。そうじゃないと、また、私は。


 その声が届いたのかどうかは分からない。

 ガバッと怜理が顔を上げると、震える血濡れた手を前にかざした。

 リリーナという女に氷柱を発射するも、舌打ちと共に弾かれる。

 癇癪を起こしたような乱暴さでリヨンが、がむしゃらに鎖を引っぱった。

 怜理が引きずられながら、鎖を自分の首から無理矢理引き抜く。ぶちぶちと短く切れた血管を首が吐き出した。堰を切ったように傷口から血が噴き出した。

 リリーナがブレードで素早く踏み込みながら、怜理の腹部を切りつけた。迸る血の紅さが、翠を刺激する。


「うあああああああああ‼」


 翠は叫びながら、激情のままに銃弾を放ち続けた。

 P226がありったけの弾丸を放つ。銃弾の雨が正確にリヨンとリリーナめがけて飛んでいく。

 リリーナが両手の刃物を振り回し、銃弾を全て弾いた。

 奇妙なことに、彼女が振り回すブレードの周囲の空間は、まるで波打つように激しく動いていた。いや、振動している、というべきだろうか。

 銃が弾切れを起こし、ホールドオープンする。その隙をついて、リヨンが黒い鎖をこちらに放った。銃を叩きつける。両手のブレードを、リリーナが構えた。


「お…………!」


 鳥肌が立つ。怜理の周りの空気が、その気配が、その存在が、一気に膨れ上がったかの如く濃くなっていく。怜理が全ての歯を噛みしめる音が、翠のところまで聞こえてきた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」


 怜理が咆哮を上げる。気配の増幅は止まらない。周りを取り巻く空気が急激に凍てついていく。肌を突き刺すような冷気が形を成していく。ただならぬ雰囲気に、リヨンとリリーナが動きを止めた。


 その叫びは、報復の氷弾として具現した。大量の氷柱、氷槍が怜理の頭上の空間を埋め尽くす。それらが一気に豪雨のような勢いで、リヨンとリリーナに殺到する。そのうちの何割かは、離れた場所にいるミミの方向に勢いよく飛び、その巨体に襲いかかった。


 コンクリートが貫かれる激しい音が機関銃のように鳴り響き、翠はその中を疾走し、飛び出していく。

 椿姫が何か叫ぶ声が聞こえた。すぐあとに、爆発音が轟く。

 翠は、両手で自分より上背のある怜理を抱え、素早く背負うと、ひたすら工場の外へと走っていく。

 ミミが突入してきた大穴から飛び出し、やがて、コンクリート塀に囲まれた敷地内に出た所で、積まれた廃材の陰に身を潜ませる。息を吐こうとするが、躰がそれを許さず、あまりの苦しみに肺が締め付けられた。追い打ちをかけるように、鳴り響く銃声が追いかけてきた。

 

 翠達の現在地点から、十一時方向に、荷台に銃座が取り付けられたピックアップトラックが、掃射を行いながら現れた。

 敵の増援だ。さっき外から撃ってきた者達に間違いないだろう。リリーナが連れてきたに違いない。こちらの姿を認めると、機関銃が乱射され、散らばった兵士のような男たちが銃撃を開始した。


「こっちに来ないで!」


 激しい怒りにかられ、弾倉を詰め替えたP226の銃身を向け、前に向けて走りながら、手前にいた二人にまとめて銃弾を撃ち込んだ。一人が、側面に回り込んだ翠の銃弾に耳の穴を撃ち抜かれて脳漿を撒き散らしながら、くるくると横回転して倒れた。

 八発目で、顔面を貫通した弾丸が後ろの兵士のヘルメットに衝突し、それを受けてよろめいた相手の眉間に二発叩きこみ、勢いのままに接近、瞬時にトラックの間近に到達する。

 銃座に取りついている男が驚愕の叫び声を上げた。重機関銃の七・六二ミリ弾が、足元の砂利を、枯れかけの芝生を吹き飛ばしていく。


 銃撃が続く中、ひたすら反撃の弾丸を放ち続けた。許せなかった。傷付いた怜理を更に痛めつけようとするこの男達が。自分達を執拗に殺そうとするこいつらが。


『はぐッ』


 ついに銃座の男が、血に染まって、荷台の上で仰向けに倒れた。外された幌に流れる血が拡がっていく。

 ドラム缶の陰に飛び込んだ五人目が放った弾丸が、肉薄した翠の身体をかすめてトラックの防弾加工されたドアにぶつかる。ドアを蹴りつけて、反動をつけて空中に飛び上がる。翠は銃に残された弾丸を叩き込み、最後の一人を射殺した。


「はあ、はあ、はあ、」


 怜理さん、待ってて。走って怜理のもとへ辿り着いた。


 怜理の首からはまだ血が流れ続けている。腹部からは腸がはみ出していた。口元が微かに動いているところを見ると、呼吸はしているようだ。急いで救急キットを探る。指が震えて、うまく中身を掴めない。早く、早く、しなくちゃ。屈みこむ。どうすればいい。このまま手当すればいい。分かってる。けど、どうしたらいい?

 頭が回らない。どうしよう。だって、どうしよう。


 早く傷跡を塞がなきゃ、これで治るの?本当に?治らないのに、手当てするのはなんで?首が千切れてしまった人をどうやって治せばいい?やっとのことで取り出したビニールパッケージを、首の回りにかろうじて巻き付けた。


 そう、きっと大丈夫、私のママみたいに、首が千切れちゃったわけじゃない。ママとは違って、怜理さんは混血だ。私と同じ。だから大丈夫。こんな事じゃ死なない。  

 死んだりしない。血に塗れた、母親の首と胴体が頭の中をよぎった。


 得体の知れない恐怖が押し寄せてくる。まるでインクのように、心に絶望が染み込んでいく。どんどんそれは拡がり、翠の脳裏を埋め尽くしていった。


「怜理、さん」

 

 怜理の細い頸を垂直に保とうとする。切り裂かれた内部から溢れ出す血潮で、ビニールが真っ赤に染まった。左腕を持ち上げ、エマージェンシーバンテージを頸から脇の下に通した。


 何か喋らなくちゃ。何か喋って、怜理さん。

 目の前の景色が揺らいでいく。眼から涙が溢れ出した。なんで、どうして。私、また失わなくちゃいけないの?どうして。こんなことあるはずない。涙が後から後から溢れていく。喉が詰まるように痛かった。嗚咽が漏れる。何か言わなくちゃ、と思うけれど声が出ない。


「泣く、な……って……じゃなきゃ、あたしも、泣いちゃうよ……」


 不意に、頬に冷たい感触。空いた手を翠の頬に当てて、怜理が言葉を懸命に紡いでいた。その声は、ひどく掠れている。


「うそうそ、大丈夫、泣くな……」


 続けて、口を開き、何かを二言三言呟いた。

 

「……なんて?なんて言ってるんですか?教えてください、お願い……」


 答えは返ってこなかった。

 そして、あまりに自然な様子で、目を閉じる。


「いやだ、怜理さん、いや」


 怜理の目は、閉じられたままだった。本当に微かだった呼吸音がもう聞こえない。

 首を激しく振り、だだをこねるように泣き声を上げた。心臓がうるさいほど鼓動していた。手がガタガタと激しく震え始める。思わず片手で保持していた拳銃を取り落としそうになって、左手で手加減することなくぎゅっと握りしめる。


 なんで?なんで怜理さんが?自分を庇ったからだ。私のせいなんだ。私がいたせいで。パパとママの時と同じように。また私のせいだ。

 いやだ。そんなのは、


「やだあああああああああああ!」


 声の限り、絶叫する。怜悧の姿が形を失い、淡い光を放つ粒子となって崩れ、上昇していく。

 思わず、空に向けて手を伸ばした。けれど、何も掴めなかった。光の粒は空気に吸い込まれるように消えていった。





 




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