第五話 名も無き末裔 case26

「どうした!?おい!?状況を報告しろ!」


指揮室に続く扉奥から、険しい声が聞こえてくる。

生まれつき人並外れた五感を持つ白翅の耳は、不破の声を確かに捉えていた。


「だめだ。応答が無い。よもや、全滅……」

「……そろそろ頃合いですね。一旦安全を確保しましょう」

「……!どういうことだ」

「今度はどんなトラブルです?」

「狙撃班とも連絡が途絶えた……」


 明らかに何か異常なことが起こっていた。

 白翅が分室のオフィスの応接室で待機している間に、青い制服姿の男が訪ねて来ていた。

 警察の特殊部隊の指揮官らしいが、不破と分室で彼女を補佐するスタッフがいる指揮室に入って行ったっきり、一時間が経過していた。

 そして、指揮室は今、にわかに騒がしくなり始めている。


(どうしたんだろう……)


 意を決して、ドアをそろそろと開ける。そして、分室のオフィスを通り抜けていった。ぴかぴかした立派なデスクを通り過ぎ、指揮室のドアの前で立ち止まった。

ここを開けて、何を尋ねる?仮に何かが起こっていたとして、それで自分に何ができる?そもそもわたしに関係あることなの?

 その時、室内でバタバタと足音がした。咄嗟に後ろに下がると、ドアが内側から勢いよく開いた。


「うわ、びっくりした!なんでこんなところにいるんですか?」


 髪を短く切った、長身の女性。分室のスタッフのうちの一人らしい。不破からは清水しみず君と呼ばれていた。ひどく慌てた様子だ。


「……気に、なって…何があったんですか?」


 驚いたのは白翅も同じだが、勢いに気圧されながらも、なんとか言葉を絞り出した。


「ちょうど、あなたを呼ぼうと思ってたところなんです」


 清水が続けた。


「黒い鎖を持った武装した女と……四つ目の化物がいるらしいんです。分室のメンバー達が制圧に向かった現場に……もしかしてあなたを襲ったやつらなんじゃないか、と思うんですが……」

「………!」

「それで、安全のために不破さんがあなたの身柄を他の場所に移すと。荷物をまとめておくようにと……現在も交戦中のようです。詳しくはまだ……」


 そんな。どうして。どうして。私の家を襲った化物たちが。あの人たちを攻撃してるの?


「どうした?」


 奥から不破が進み出てきた。かなり憔悴しているようだが、それをなんとか抑え込んでいる。そんな様子だった。険しい表情から緊張が伝わってくる。


「あ、不破さん!」

「君に関係ある事だからとりあえず伝えにきた。上手く鎮圧できれば、君の安全が確保されるかもしれん準備はいいか?忘れ物は?いざという時にすぐ動けるようにしておけ」

「どういうこと、なんですか………」

「聞いての通りだ。無線の内容を聞いていると、ヤツらは君を探している」


 どうやら不破達は、敵がもし分室のメンバー達が警察庁傘下にいると確信を強めれば、警察本部が襲撃されるかもしれないと考えていたらしい。

 そのため、万が一分室のメンバー達が負けた場合などに備えて、白翅のための緊急避難場所を手配していたのだという。


「宿泊できる場所を用意した。一度そこに行ってもらう。そこから対策を考えよう」

「さあ、すぐに」


 清水と呼ばれた女性刑事に連れられて白翅は歩き出す。ふと、オフィスの壁際に寄せられたホワイトボードの地図が目に入った。大きく赤いマーカーペンで囲まれた大きな工場。あちこちに書き込みがされており、何かの説明を行っていたのが見て取れた。矢印などが書かれているのは侵入する場所を示しているのだろうか。


「……」

「急いで!車出しますよ、ショックなのはわかりますが……」


 促されるままに、後を付いていく。

 高層エレベーターを使い、降りるや否や、ロビー付近の自販機などがある休憩所に移動する。


「車の準備ができるまで、ここで待っていてください」

「……はい」


 ロビーには誰もいない。もう分室の関係者以外は残っていないのだろう。ひどく落ち着かない。一人でいる事には慣れていたはずなのに。どうしてこんな気分になるんだろう。両手を膝の上に乗せる。

 ぎゅっとスカートの生地を掴んだ。生地が引き寄せられたせいか、右脚にかさばる感覚が生まれる。

 ポケットに入れてある、シース付きの軍用ナイフ。翠から貸してもらったものだった。


『他に……誰か怪我したりしなかった?』


 白翅は思い出す。あの日の事を。

 白翅が襲撃を受けて、土砂降りの中を逃げ出した後、自分の住んでいた場所がどうなったか、白翅は分室のメンバーに尋ねたのだ。ただ気になっていた。あの襲撃者達の凶暴さからして、もし姿を目撃されたら、相手が誰であれ殺すだろう。そんな感覚があったのだ。それくらい、自分を狙った者達の悪意は強烈だった。

 自分の身の上を話し終え、自分の肉体に隠されたスペックを測定した後で、白翅は居間に戻ると、翠にそう尋ねたのだ。


 翠は困ったような顔で口ごもってしまった。

 あの子に聞いたのは、話しやすそうだったからだ。あの子は傷ついた自分の手当をしてくれたし、話を聞くためには仕方ないとはいえ、目覚めた自分に声をかける役割を買って出たらしいということは聞いていた。

 明るく、快活そうな女の子。柔らかい表情を見ているうちに、聞きにくいことも話してくれるかもしれないと思ってしまったのだ。

 それがいけなかったのだろう。怜理が割って入った。


『ごめんね。この子、ウソがつけないんだわ。それに言いにくい話だからさ』

『怜理さん……』

「ウソ…………?」

『どのみち、なんらかの形でニュースにはなる。ごまかしてもしょうがない』


 そういって、悲痛さを微かに滲ませながら。


『近所のご高齢の夫婦が亡くなったよ。…………ひょっとして知り合い?キミの家の近くに様子を見に来ていたみたいなんだ。…………殺されてた。邪魔されたと思ったのかもしれない』


 そして、資料写真を捜査用のスマートフォンで見せてくれた。現場の写真は無かったが、淡々と事実だけを記した報告書がそこには写し出されていた。


 がん、と頭を思いっきり殴られたような気がした。並んで映っている生前の老夫婦に確かに見覚えがあったからだ。

 夫婦とは、たまに学校帰りに顔を合わせた事があった。人見知りだった白翅は、元気に挨拶ができなかったが、それでも気を悪くしたような様子ではなかったからきっと良い人達だったのだろう。


 自分が家から逃げるときに、心配して見に来てくれた人達が殺された。

 また、あの時みたいになったら?

 もし、あの人達、分室という部署の人達に何かあったらどうしよう。自分のせいで。たぶん、今回の事件と、自分を襲った犯人達は繋がっているのだろう。

 なんのために?どうして?なんでわたしを狙うの?ただただ不安だけが募っていく。唇が乾燥してきた。

 どうすればいい?

 わたしにできることはなに?わたしのせいでみんなが傷つかないようにするにはどうすればいい?

 ロビーの椅子から、白翅は立ち上がる。右脚に手をやった。硬い感触があった。



 夜の道を走り、歩道を抜けて、やがて駅近くのバス停が立ち並ぶ区画まで辿りついた。


「はーーーー……はーーーー……」


 息が荒くなっていた。喉がからからだ。庁舎を抜け出してきてしまった。もう自分がいなくなったことには気づかれているだろうか。わたしは何をしてるんだろう。せっかく安全な場所に避難させてくれるというのに。その好意を無駄にして、自分は一人で走っている。

 心臓が激しく鼓動して、胸が痛い。

 近くにタクシー乗り場があるはずだ。

 怜理の車で庁舎に来る途中に目に入ったから覚えていた。終電の時間を過ぎた今なら、何台かはタクシーの空きがあるだろう。

 しかし、予測に反して他はもう出てしまったのか、乗り場はがらんとしていた。

 愕然として声を出すことすらもできない。どうすれば……電話で呼ぼうにも携帯電話を自分はもう持っていない。


 思わず当たりを見渡す。仕方ない、別の場所で拾うしかない。

 はやる気持ちを抑え、また走り出す。

 やがて、歩道を懸命に走ったところでようやく、車道を走るタクシーが今にも曲がり角を横切ろうとしているのが目に入った。この近くにも、確か別のタクシー乗り場があったはずだ。そこに向かう途中だったのかもしれない。


「止まって!止まってください!」


 自分でもびっくりするくらい大きな声が出た

 こんなに声を出したのはいつ以来だろうか。喉が痛い。猛ダッシュで走り寄る。

 こんなに一生懸命に走ったのは、自宅を襲撃されて、逃げる時以来だった。

 手を振る姿に気づいたのか、タクシーが慌てて停車した。


「こんばんは……ど、どちらまで?」


 車内に転がり込んでくる白翅に驚きながらも、初老の運転手が行き先を尋ねてくる。

 慌ててスカートの裾を押さえて、中から飛び出しかかったナイフを隠す。

 今タクシー強盗と間違われでもしたら最悪だ。

 地図の情報を思い出しながら、行き先を告げた。ホワイトボードに工場の名前が記されていた。それから拡大された地図に乗っていた地名も。きっとヒントになるだろう。

 カーナビをいじり始める。

あれ、ちょっと待ってくださいよ、と言いながら運転手はダッシュボードを開け、古びた地図帳を出してきた。

 場所がカーナビに登録されていないらしい。それをひとしきりめくると、静かに頷き、おもむろに静かに車を走らせ始めた。お金はいざとなった時のために靴底に仕舞い込んでおいた。これは怜理の入れ知恵だった。うっかり金品を落とすかもしれない場所で、緊急用の資金を無くさないでいる方法なのだという。


「あの……できるだけ急いでもらえますか?」

「一応、いつも全力で走ってはいるんですが……」


 運転手がアクセルに力をかける。


「そんなにお急ぎですか?」

「はい。お願い、します」

「仕方ないなア……。この仕事をしていると、前の車を追ってくれって、たまに言われるんですよ」


 飛ばしますよ、と運転手はミラーを覗き、一瞬周りを見渡した。そして、さらにギアを強く踏んだ。


 相当な速さで走り続けたタクシーは、やがて、工場から少し離れた道路で一度大きくバウンドしてから停車した。

 すなわち、工場へ続く三叉路の手前で。


「これは……いったい」


 呆然とする初老の運転手の肩越しに目の前の光景を見つめる白翅は、声も出なかった。

 破壊されたパトカーが、方々に転がり、スクラップと化していた。

 その周りには、散らばる制服警官達の死体が、まだその躰から血を流れ出させていた。おびただしい血が車道いっぱいに広がり、真っ赤な水面を作り出している。


 最悪の事態が起こっていた。死体はここを警備していた警官達のものだろう。

 では、この先の工場、今一番の危険地帯はどうなっているのか。

 最悪の想像が頭をよぎる。


「これ……どうぞ」

「え……は?」


 まだ呆然としている運転手に万札を押し付けると、白翅は車を降り、走り出した。

 乱雑に崩されたパトカーのバリケードを飛び越え、白翅は身を屈めながら、車両の間をすり抜ける。

 少しずつ鼓動が高まっていく。


 夜の道を走り続け、やがて合流地点に到達する。


「………!!」


 ドクン、と心臓が跳ねた。思わず道路の端に屈む。そこにはカーキ色のピックアップトラックが二台と、見覚えのある迷彩服を身に纏った男達が、銃を構えて周囲を警戒していた。

 おそらく、警察からの増援が来たら、迎え撃とうとしているのだろう。


 どうしよう。諦める?引き返す?嫌だ。絶対に諦めない。

 前は敵から逃げ出した。自分は助からなきゃいけなかったからだ。けど、今は……自分を助けてくれた人たちが危ない。

 あの殺された近所の人達や警官達のように、分室の人達がなるかもしれない。

 ポケットの中に手を差し込む。するり、とそれは鞘から抜けて、白翅の手におさまった。

 声も無く、白翅は飛び出していく。


『……な!』

『あいつ!なんでここに!』


 あの日の感覚が、湧き上がるように体中を満たすのを白翅は感じていた。

 兵士のような男達が驚きの声を上げながら、一斉に銃をこちらに向けた。

 体中の血が湧き立つ。頭の中が研ぎ澄まされていく。地を足で蹴りつけ、向かっていく。

 一気に身体機能が底上げされた。


「どいて……!」

『行動不能にしろ!』

『撃ちゃいいんだな!』


 男達が引鉄を引いた。

 軍用ナイフを手に、銃撃された所を素早く前転してかわし、足裏をアスファルトに叩きつけ、低くなった体勢のままで肉薄した。

 放たれたキックを咄嗟に足蹴りでブロックし、蹲み込んで膝を切りつけた。

 相手がバランスを崩し、痛みに呻く。

 血が飛び散る中、前に進み出ると、身につけたボディアーマーごとナイフを渾身の力で横薙ぎにふるい、胴体を切断した。

 切られた方向に、斜めにずり落ちようとする上半身を跳躍して蹴り、さらに飛び上がる。靴の裏に蹴り付けた肉の下の神経が千切れる鈍い感触が伝わってきた。


 そのまま、ナイフを逆手に持ちかえて急降下し、二人目の首を突き刺す。上からの急な負荷に耐えられず、兵士の首が根元から折れ、背中から後ろに崩れ落ちる。


『ちいっきしょうが!』


 背後で声が聞こえ、激しい銃声が響いた。

 突き刺した男の身体の背中が地面に到達するよりも早く、その反動を利用し、左斜め後ろにバク転の要領で大きく跳躍、虚空に身を躍らせる。そのまま頭と足の位置を宙返りで入れ替え、三人目の背後に着地する。


『早く連絡……』

『ぶちのめす方が先だ!撃て!後ろだ!』


 相手の振り向き様に銃を保持する右腕と手首を突き刺した。


『ぐあっ!』


 力が緩んだ所を喉を抉る。グッと相手の口から声が漏れた。

 血の飛沫が頬を濡らす。銃が地面に叩きつけられた。

 兵士の一人が銃撃を開始した。


『ファッッッック‼︎』


 さっき刺し殺した男の身体の陰に身を隠しつつ、死体で銃撃を防ぎ、ナイフを投擲する。

 放たれた一撃は、相手の左目を貫通し、確実に脳を破壊していた。

 その体が、喉を抉った男と同時に崩れ落ちる。盾にしていた三人目の男の銃を奪い、弾幕をかわしつつ、近くのピックアップトラックの車体の陰に体を滑り込ませる。

 最後の一人の銃撃が止んだ瞬間、車の影から飛び出し、走り出した。


『ンだよッ!テメエはッ!』


 発砲音がたて続けに響く。相手は両手で大型の拳銃を構えている。脚の近くの地面に弾丸がめり込んだ。肩に力を入れ、持っていた銃を投げつけた。男が自動小銃を掲げるようにして、それを防ぐ。ぶつけられた銃の衝撃を殺しきれず、男がよろめいた。

 その隙を逃さず、地を蹴り付け、一気に肉薄する。体制を立て直そうとしつつ、左手のハンドガンを保持し直し、銃口を男が向けた。


『正気かテメ……』


 必至の形相が目に映る。が、それも一瞬。左手首を払うように、左拳を思いっきり叩きつける。そして、喉元に勢いよく頭突きした。突風にあおられたかの如く、相手が横倒しになり、アスファルトに頭から叩きつけられた。がん、と激しい音が響く。

 全身の部位の中で真っ先に頭が地に到達していた。ぴくりとも動かない。喉が潰れたようにへこんでいる。そこに更に踵を叩きつけた。

 視線を四人目に倒した男に向ける。身体を踏みつけ、目からナイフを引き抜いた。

 男の迷彩服で、その刃の血を拭きとる。


「…………」


 ぎゅ、っとナイフをより強く握って、白翅は再び走り出した。








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