第四話 名も無き末裔 case22

 分室のオフィスを出て一時間ほど経った頃、ようやく目的地の姿が見えて来た。

 怜理の運転する黒色のライトバンは静かに潜伏場所に向かって、無人の工場地帯を通り抜けていく。

 やがて、闇と同じ色の車体が、工場を取り囲むコンクリート塀から少し離れた場所に静かに停車した。


 目的地の精鉛工場は、波打った形のトタン屋根を持つ、二階建ての大きな工場だ。

「国土交通大臣認定工場」というペンキの禿げた看板が掛かっている。

正面に設置された大きく錆びた鉄の門は、翠達の侵入を拒絶するかのように固く閉じられていた。


「『調整分隊』現場に到着。こちら怜理。これより速やかに制圧する」

『確認しました。狙撃班そげきはんが周囲を警戒しています。今のところ、周囲の検問にかかった者はおりません。ご武運を』

「了解。頼りにしてる」


 怜理と共に、翠は速やかに降車した。

 闇の中を慎重に足音と気配を殺して動く。先頭を歩く怜理がコンクリートの塀を軽やかに飛び越え、音も無く地面に着地した。それに習って、翠が飛ぶ。着地し、身体を伸ばすと、背後に椿姫に腰に手を回した茶花が共に着地した。


「ありがと」


 椿姫の肉体は、たゆまぬ訓練によってアスリート並みに鍛えられているが、どうしても異誕の肉体のスペックと比べれば劣ってしまうため、こういう時は手助けが必要だ。

 また、翠達と違って、夜目も効かないため、車内では目を閉じて暗闇に目を慣らしていた。


 敷地内にはいくつかの廃材が離れて転がっている。

 事前の打ち合わせ通りに、怜理が翠と共に、一階から侵入し、茶花が軽々と椿姫を背負い、工場の壁面を駆け上がり、二階の屋上に到達する。そこの昇降口から、二階を制圧していく手筈となっていた。

 翠達は正面入口を避け、建物の右側に移動すると、古びた窓ガラスを取り出したナイフで切り取り、人が通れる空間を作った。そこから、音も無く侵入する。


 工場の中には、機材はほとんど残っておらず、がらんとした空間が広がっているだけだった。経営者家族達が、夜逃げ同然で逃げ出してからもう何年も経っている。

 工場地帯の中でも、今はホームレスすら寄り付かない様子だった。

 だからこそ、殺人鬼が身を隠すには絶好の場所だったのだろう。


 闇に紛れつつ、俊敏な動きで、柱の陰から陰を移動していく。

 前後左右、上方と確認する。異常なし。

 小さな部屋を一通り検索すると、奥の広い作業場に、戸口の両側から踏み込んだ。 

 軍用ブーツの足元を確認する。床以外、何もない。


「(右に行くよ)」

「(左に行きます)


 ハンドサインを飛ばし合うと、翠が左から前方に真っ直ぐに進み、怜理が右側にすり足で進んでいった。

 突入した戸口が、作業場の左端に設置されているため、右の角まで移動しきると、部屋の隅を背に、怜理は弧を描くようにして方向転換した。

 そのまま、翠と共に、部屋の内部全体を取り囲むような動きで、敵影を探していく。

 なんとか遮蔽になりそうな廃材を見つけながら、影と一体となって進んだ。


『翠……!』


 骨伝導インカムの声に反応し、目を向けると、怜理がハンドサインを出していた。

 翠は咄嗟に立ち止まる。


 翠から見て二時方向、怜理から見て正面十二時方向に有る鉄柱……その先に有るコンクリートの古びた壁に何かがもたれかかっている。

 怜理が、彼女のSR16自動小銃アサルトライフルを銃口を、そいつにぴたりと合わせていた。

 潜む影は、汚れているが、まだ新しいフード付きのパーカーを身に付けている。ジーンズもやはり新品に近い。

 混血としての力を持つ翠達はそれが誰なのか暗闇の中でもすぐに分かった。


「楠原、芽衣……」 

「怜理、接敵コンタクト


 『妊婦殺し』の楠原芽衣は、汚れて、シャワーも浴びていないのか、顔は浅黒くなっていた。土気色の両頬がげっそりとこけている。

 若い女だ。うりざね顔の、少し眠そうに見えるが、人好きのする感じの顔は、資料写真で見たものに間違いなかった。身長は一六五センチほど。見た目だけではとても殺人鬼には見えない。


「……人だ。なんで?どうして、ここに。妊娠してないのに。なんで?殺されにきたんだよね?」


 楠原は、口を開いたかと思えば、支離滅裂な言動を繰り返している。


「あ、分かった。仕返しに来たんでしょ?なんか、警備の警察が言ってたんだって。私を殺したい人がたくさんいるんだって。おかしいよね。殺したいのはこっちなのに。なにが無限の可能性だよ。こっちは可能性なんて全然ないのに。なんで奪わせてくれないの?」


 がばっと楠原が勢いよく腰を跳ね上げて立ち上がった。


「ママさんも赤ちゃんもすべてがゼロになる。苦労して産もうとしているのに、今までもこれからも全て無駄になる。私がパアにする!それがいいんでしょうよ。なんでわかんないかな」


 楠原芽衣が殺人を犯した動機を思い出した。胸が悪くなった。生まれたら何者になるかわからない赤ん坊を殺し、全ての将来の可能性を奪う。

 そして、母親の心の底からの絶望を見届けて殺す。楠原はその事に喜びを見出していた。しかも、なるべく家庭円満なところを狙うのだ。


「くあ、いったい、けど、きっくううううううううううううううう」


 急に背中を限界まで伸ばし、楠原が絶叫する。

 それと同時に、違和感のような感覚が翠を突き刺した。

 翠はSG552を構えて、相手を睨みつける。怜理は相手の正面に立った。


「警察庁からあんたを捕まえに来た。おとなしく捕まるか、被害者達の無念を身をもって体験するか選べ。なんなら、欲張って二つとも選んでくれてもいいぞ」

「あんた、たち、私といっしょじゃん。なんで、あ、そっか、他にもばけもの、いるもんね。ほかにもいたってわけだ」


 ひどく落ち窪んだ目でこちらを見つめてくる。両目が獣のようにギラギラ光っていた。舌先を出して、首を異様な角度でぐるぐる回し始める。


「うううううううううう」


 人外は同類の匂いを嗅ぎ分ける。異誕生物特有の気配が濃くなり、すぐそばまで迫ろうとしていた。

 首をコキコキと鳴らしながら、にじり寄ってくる。ひどく歪な動きだった。


「混血か……?いや……違うとすれば、あんたはなんだ?」


 怜理が楠原の常軌を逸した様子に困惑しながら、一歩も引くことなく相手を睨みつけた。


「わたしは、わたしだよ。混血?わたしは日本人だよ? 」


 目の前の女からは確かに同類の匂いがする。けれど、少しだけ違和感を感じた。

化物そのものでもなければ、混血でもないような……。感じたのはそんな、奇妙な感覚だった。銃口を相手にずっと向けたまま、翠は引鉄に指を掛けた。


「…………」


 一瞬、その場の空気が張り詰めた。


「孕んでからこいよ!腹を抉ってやる!抉ってやる、抉ってやる、エグくしてやる!」


 その叫びで、二人が同時に動き出した。そして、ほぼ同時に、部屋の反対側から二階に続くドアが吹き飛ばされ、椿姫と茶花が、中二階に張り巡らされたキャットウォークを飛び越えて駆け出てくる。無線の内容を聞いて、急いでここまでやってきたのだ。


 背後の気配を察した楠原が勢い良く振り向く。

 次の瞬間、更に強い気配が噴き出したかと思うと、楠原の長い髪が足元まで一気に伸び、ざわざわと四方八方に伸び始めた。

 それらの先端が軋みを立てて硬化し、翠達に次々に襲いかかった。怜理が氷の盾を展開し、その攻撃を防ぐ。


 事前に推測した通り、髪を自在に操り、硬化させる能力のようだ。

 油の切れたネジのような、きいきいという声が、楠原の唇から漏れた。笑っているのだ。歯軋りをして、笑っている。とても歪な笑い声だった。

 楠原が、狂喜の表情をその顔に張り付かせてこちらに突進した。他者を殺すことが面白くて仕方ない。確かに表情がそう物語っていた。

 

「戦闘開始!不破さん、誰も現場に入れるな!」


 怜理が叫びながら、両手に氷の剣を召還した。飛び出してきた髪束の攻撃に刀身を叩きつけて、防御し、突き出す動きで弾く。

 翠が、怜理が、それぞれ柱の陰に飛び込み、銃撃を開始した。激しい銃声と共に、マズルフラッシュが闇を照らす中、鉄柱から鉄柱へと移動した茶花が、ばっ、と片手を掲げて見せた。


 「制圧開始です」

 

 次の瞬間、手の先の空間が歪み、そこには身の丈ほどもある、巨大な「鎌」が出現していた。その出現は、はじめからソレがそこにあったかのように違和感が無かった。

 茶花の身体から、同類の気配が流れ出す。


 茶花が鎌を片手で軽々と振り回し、触手となって襲い来る硬化した髪束に、巨大な刃で攻撃を加える。斬撃が生み出したあまりの衝撃に、楠原がバランスを崩しかけるが、髪の束を支柱や床に突き刺して体を固定し、かろうじて持ちこたえた。

 茶花は大鎌の重さを意にも介さず、まるで自分の手足であるかのように操り、追撃をいなし、楠原を翻弄していた。


 異誕生物には様々な種族がいる。明らかに人の形をしていない物、人型の者。

 隔世遺伝で人間として生まれたが、後に能力を使えるようになり、先祖の異誕と同じスペックを持つようになった者。

 そして、異誕生物の中には、稀にイレギュラーの『人型』が産まれてくることがあった。

 

 茶花の異誕としての能力は『大鎌の召喚』。

 正確に言えば、『自分の分身』を強化して作り出す異能だ。

 茶花の正体は、いや、彼女のは『大鎌』そのものだ。

 かつて、ドイツを中心に活躍していた中世の傭兵団。

 そこで代々受け継がれてきた、幾多の人間の血を吸った大鎌が茶花の存在の大元だ。

 ソレは東欧ポーランドの農村で作られた、とある大柄な傭兵が持つ、愛用の武器だった。

 戦場で長年に渡って、振るわれ、多くの戦士を屠った大鎌は、やがて継承者達の情念、そして殺害された犠牲者達の怨念を吸うことで、力を持った。


 積み重なった感情の大きなエネルギーの蓄積は、やがて大鎌そのものの存在を変質させた。即ち、異誕という人外へと。

 古来より、日本では『付喪神つくもがみ』と呼ばれていた種族。

 それこそが異誕生物である茶花の正体だった。自身の存在の分身、虚像である大鎌を召還し、それを強化、修復再生可能という特性を付与して自在に操る。

 それが茶花の持つ異誕としての能力だった。


「クソ、どこから武器を」


 楠原が舌打ちする。


「器用な鎌ですので」


 身を屈めて攻撃を避け、硬化した髪束をガンガンと弾き、その衝撃で楠原の躰を揺さぶり、狙いの正確さを奪っていく。大鎌を髪で巻き取ろうとしても、鎌の柄を巧みに引き寄せ、寸前で回避する。楠原がたたらを踏んだ瞬間に、翠と怜理が、銃弾と氷槍の猛撃を叩き込む。

鉄柱が逸れた攻撃を受けて、激しく火花を散らした。


 その隙に、茶花が後ろに後退する。怒りの呻き声と共に、楠原が髪を逆立たせた

 次の瞬間、頭から髪の房がいくつも離れ、空中で分離したかと思うと、一本一本が針のように鋭く尖り、一斉に翠達めがけて高速で放たれた。

 鉄柱が衝撃で激しく揺さぶられ、どんどんと削られていく。翠は弾幕を張り、攻撃を迎え撃ちながら、次の遮蔽の側を敢えて通り過ぎ、伏せながら攻撃を回避する。茶花がHK416Cを持ち上げ、翠の後に続くように三点バーストで追撃する。


「次はあたしの番よ!」


 椿姫が両手を前に出した。目の前の空間に、真紅の光が現れ、それが形を成していく。

 周りの空気を焦がしながら、解読不能の文字と共に、椿姫の前に大きな方陣が現れた。

椿姫の精製した魔力まりょくによって作られた砲門。そしてその先には燃え盛る炎の舌が光っていた。


 この世界に古くから異誕が存在するように、それに対抗する者も存在する。

 今ではすっかり科学に活躍の場を奪われ、表舞台からは退くことになってしまった、いわばロストテクノロジー。

 魔力を使い、物理法則を無視した現象を自在に起こす、魔術まじゅつと呼ばれた超常の技術は、今では同じく、表舞台に存在する事のできない化物たちを狩るために使われていた。

 そして、それを操る者達は魔術士まじゅつしと呼ばれ、優れた者は化物狩りを生業なりわいとしている。

 警察庁の専属になったとはいえ、その影響力はいまだに強い。螢陽家の当主たる椿姫はそのうちの一人だった。


「放て!」


 椿姫が叫ぶと同時に、火炎放射が砲門から放たれた。辺りの空気が焼けていく。翠達の周りの空気が一気に熱を持った。相手が飛び退くと同時に、怜理と翠の攻撃が退路を断つように、楠原の前方に割り込んだ。


 楠原が慌てて、硬化した髪を振り回し、何か喚きながら、壁を蹴り、天井に飛び移った。

そこを翠と茶花が、一斉射撃で追い詰める。


 飛び散るコンクリート片に打たれながら、楠原が叫ぶ声が聞こえた。

その後に回り込んだ椿姫が、柱の陰から炎弾を四発放つ。楠原が避けたところを、足元を狙って翠が撃った。


 太腿をライフル弾が掠め、ぐあ、と楠原が呻く。茶花が大鎌を振り回しながら、相手に接近した。ぶんぶんと鎌を振り回し、力任せに刃を叩きつけていく。楠原が髪を振り回して抵抗する。重く、硬い音が響き渡り、それが他のメンバー達の移動の足音を覆い隠した。


「前進します!」

「オーケー!援護するわ!」


 その隙に、三人は二手に分かれ、楠原を取り囲むようにして距離を詰めていく。足元に向かって長く伸びてきた髪を、怜理が氷柱をぶつけて弾いた。攻撃の手をゆるめず、SR16のバースト射撃を敢行し、そのまま氷の槍を、何本も楠原に向けて空中から発射する。相手はそれを髪を交差させて防いだ。


 今だ。翠は走り出す。前髪で目が塞がった。床に刺さった氷柱の上に走った勢いのまま飛び乗り、一気に駆け上がる。翠がスリング付きのSG552を手放して、引き抜いたP226の二丁拳銃で銃弾の雨を降らせた。今度は、楠原の右手に弾丸が命中する。

 怜理が髪の針を、氷の槍で弾きながら近づき、胴体に回し蹴りを叩き込み、吹き飛んだところを氷柱を飛ばして追撃した。


 椿姫の炎弾が後に続く。楠原は倒れたまま、身を反らしたが、躱しきれず、服と肉を焦がされ、悲鳴を上げた。

 翠は床にしゃがみ、弾倉を白い左膝に乗せて体勢を安定させる。SG552の銃口を、よろめく対象に照準する。


──たれ!


 引鉄を絞り、バースト射撃を叩き込んだ。闇を切り裂いた銃弾が殺到する。火花と血が、交互に舞い、楠原の命を白金色の弾丸が確かに削っていく。


 異誕としての能力と、魔術士としての戦術、そして現代兵器を手足のように扱う正確な戦闘技術。これらの組み合わせが、分室が抱える制圧部隊の武器だった。

 硬化した髪が立てる火花を追うように、業火の火球が放たれる。


 椿姫の魔術による連撃が闇を照らしながら、敵に迫った。それらを硬化させた髪を広げて防ぐ楠原。飛び散る氷の槍が、その肌を引き裂いた。噴き出す血が、飛沫となって翠の頭の上にまで飛んでくる。


 足元を狙い、翠がしゃがんでナイフを投擲した。楠原が横に跳んで回避したところを、背後にある支柱の陰から、茶花が身を乗り出し、HK416Cの射撃で不意打ちを食らわせる。

 が、後頭部の髪が、まるでカーテンのように伸びて広がったかと思うと、銃弾の雨を受け流すように弾いた。

 ガガガガ、と外れた弾丸が壁に突き刺さる音が響く。茶花めがけて罵声と共に、髪を硬化させて作った針が連続で放たれる。

 怜理が庇うようにして別の遮蔽から飛び出して、氷の盾を張った。茶花の背後から走ってきた椿姫が支柱の一つを蹴り、反動をつけると、氷の盾の表面をブーツで蹴りつつ、三角跳びで高く跳躍。驚いて椿姫を見上げる楠原に、炎弾を五発投げつけた。


「あつ!」


 回避しつつも、命中した地面から噴き上げる熱量に怯んだところを、瞬時に距離を詰めた翠が弾幕を叩き込んだ。回避しきれず、放たれた弾丸のうち、二発の弾丸が命中。そのうちの一発は脇腹から背中に貫通し、近くの遮蔽物に衝突する。楠原は、絶叫しながら壁際に後退。かとおもいきや、一気に髪を広げ、髪の針を大量に放った。

 全員が地面に伏せ、もしくは遮蔽の陰に隠れた。


「グ、ううううううう!」


その隙を見逃さず、楠原が走り出す。四人の位置からもっとも遠い窓に向かって。逃亡を図るつもりだ。


「させるか!」


 怜理が叫びながら氷の槍を精製、八本の槍を窓の上下に投擲し、突き立てる。


「翠!」

「はい!」


 弧を描くように銃身を動かして弾丸を放ちながら、翠が走り出し、距離を詰めていく。

 敵は髪を伸ばし、広げ、硬化した壁を作ることで、これをやり過ごそうとした。

 髪に弾丸がぶつかり、あるものは弾き飛ばされ、あるものは命中し、コンクリートの壁を削った。

 翠はジグザグに走りつつも、銃口の向きを一切ブレさせること無く、正確に一箇所に弾丸を集中させる。髪の束が、内側に向かってめり込むようにへこんだ。


「うお⁉」

「アタシを忘れんな!」


 間髪入れずに、怜理が、冷気を全身から吹き出させながら飛び出し、俊敏な動きで追撃を放った。

 弾丸がめり込んだ箇所に、後を追うようにして大きな氷柱が突き刺さり、向こう側まで突き抜け、楠原の腹部を串刺しにする。


「がーーーーーーーー!?」


 困惑の叫びとともに楠原が髪を振り乱し、床に吐血した。不意打ち気味の貫通ダメージ。予期せぬ攻撃を受けて、狂気の殺人鬼に大きな隙が生まれた。


──畳みかける!


 その瞬間に、翠達は一斉に攻勢に打って出た。

 支柱を盾にしながら、背後に回り込んだ椿姫が、背中に二発炎弾を叩きつける。

茶花が鎌を振り回して片足を切りつけ、肉を切り裂き、骨をへし折った。

 翠は飛び出しながら右脚に三発銃弾を撃ち込み、更に銃口を跳ね上げて、胸元に二発撃ちこんで、のけ反らせ、動きを完全に封じる。


「終わりだ。サイコ女」


 怜理が特大の氷柱を召還し、それを勢い良く撃ち出し、楠原の腹の真ん中にぶつけた。

 楠原は五メートルほど吹き飛び、バランスを大きく崩して、床に顔から叩きつけられた。

 あちこちが奇妙に捻くれてしまった躰が、弱々しくバタバタと痙攣した。

 楠原が勢いよく血塊を吐き、大きく呻く。


「げえ、あああ」


 その次の瞬間だった。

 陥没した腹から、何かが血飛沫と共に転がり出し、宙を舞った。それぞれの武器を構えたまま、呆気にとられる一同の前で、小さなそれは、硬い音を立てて、床を転がっていく。

 

「なんだこれ……?」


 長く伸ばした氷の槍で、怜理がそれをこちら側に引き寄せる。


「認識票、か……?」


──お腹の中に入ってたの……?


 翠は身を屈めて、それを見つめた。闇の中で鈍色に光る、殺人鬼の血に濡れた、楕円形の認識票。本来であれば、持ち主の名前が記される筈の場所には、何も記されていなかった。


 その時、キキッと外で軋むような音がした。それが車の停車音だということに気づいた次の瞬間、何かがフロア奥の窓を突き破って飛び込んでくる。


 「な……!」


 緩やかな放物線を描く先端の尖った影を、翠は優れた視力で捉えていた。グレネード擲弾。

 かつて実習で見たことのある代物。

 翠の右手を、怜理が強く掴んで横に飛んだ。茶花が椿姫の腰を抱えるのが視界の端に映った。翠は地面を蹴りつける。爆発音を上げて、グレネードの破片が飛び散り、楠原の全身をズタズタに切り刻んだ。グレネードが命中した『妊婦殺し』の肉体が焼け焦げていく。


 翠は後ろに跳び退る。何かが破れた窓を通り抜け、こちら側に矢の如く勢いで向かってくるのが分かった。それは意思を持つように動く、八本の長く黒い鎖だった。

 外れた鎖は、コンクリートの床に深々と突き刺さった。

 その直後に、黒い影がいくつも、他の窓を叩き割りながら、次々と工場内に飛び込んできた。


 影が手に持つ、黒く光る、長い銃身が目に入った。全部で九人。

 FAMASF1自動小銃。身に付けているのは暗い色の迷彩服に、ボディアーマー。膝当てに防弾ブーツ。大量のマガジンパウチ。どこかの戦場からやってきたかのような装備を身に着けた、兵士のような男達が瞬時に隊列を組んで銃を構えた。

 床に食い込んだ鎖の一つが巻き取られ、大きく跳躍して浅黒い肌の小柄な影がその先頭に立った。そして、翠達を鋭利な眼で見据えた。



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