第四話 名も無き末裔 case20

 白翅は一人、与えられた部屋でベッドにもぐりこんでいた。

 どういう態度をとるのが今は正しくて、どうすれば間違いになるのかさえ、今の白翅にはわからなかった。

 だから、普段通りの態度で臨もうとした。けれど、彼女には今の自分の状態が、正常なのかさえ見当がつかない。


 ゆっくりと、毛布の下に入れていた自分の両手を引き出す。

 掌を握り込んだまま、両手の甲を見つめる。ただ見つめる。

 この手でナイフを握って、人を殺した。

 大きな動揺は無かった。そして、殺した男達への罪悪感すらも。

 人殺しをした人は、 みんなこうなのだろうか。それは今だけだろうか?それとも、自分だけ?


 両手にべったりと付いた、血の粘り気が蘇ってきた。

 今の自分の手は、身を横たえている清潔なシーツと同じくらい白い。

 あの時の血は、雨が洗い流してしまったのか。それとも、誰かが拭いてくれたのだろうか。


 あの小柄な黒髪のヘアピンの子を思い出した。手当をしてくれた、すいという女の子。

 電灯の光が手の影を、白いシーツの上に写し出す。両手の影はじっと動かなかった。

 膝を抱えて引き寄せた。柔らかいブランケットが、床に向かってゆっくりと垂れる。


 その時、部屋がノックされた。白翅は、どうぞ、と掠れた声で応じた。

短めのスカートを履いた、翡翠色の目の女の子が部屋に入ってくる。


 ついさっき思い浮かべていた通りの子が来たので、少し驚いた。


「お邪魔します」

「うん」


 どちらかといえば、邪魔しているのは自分のような気がした。

 するりと室内に入った翠は、後ろ手に持った何かを目の前に差し出してくる。


「ほら、退屈してるかなと思って!本読む?ゲームとかはあまり無かった気がするけど……」


 それは数冊の文庫本だった。


「欲しかったら後で椿姫さんに聞いてみるね」

「……ありがとう」


 頭の片隅が温かくなる。自分に気を遣ってくれているのだろう。

 たぶん、ここの人達はみんなそうだ。みんな、私に悪意なんて持ってない。


「隣、座っていい?」

「……うん」

「失礼します」


 翠が白翅のベッドにそっと腰掛ける。スカートからのぞく柔らかな脚線を揃えて、愛らしい顔で白翅の顔を見つめてきた。白翅はまっすぐに翠の顔を見つめ返す。つぶらな瞳と、可愛らしい表情に、とくん、と胸が高く鳴った。


「直感的にそういうのって分かるの?」

「首の後ろがね、ぞくって、冷たくなるの」

「そうなんだ。第六感?みたいだね……車とかに轢かれそうになってもわかるの?」

「轢かれそうになった事は無い……けど。たぶん。危ない、って直感的に分かるの。誰かが誰かを殺そうとしてたりすると……私の家が襲われた時もそうなって……。自分が危なくなるとそうなるんだと思う」

「防衛本能、ってやつなのかな……」

「わかんない……」


 そっか、と翠が頷く。


「大丈夫だよ。もし……白翅さんを襲った奴らがやってきても、私が守るから。だから心配しないで」


 鍛えてるからね、と細い右腕を軽く振り回しながら力強く言う。本当なのだろうか。自分も人のことは言えないけれど、虫も殺せそうに見えない。

 締まった足首や、ぺたんとへこんだお腹や、ほっそりとした身体つきは、女の子としては魅力的かもしれないが、強そうにはとても感じられない。


「大丈夫、絶対元の生活に戻れるよ」


 本当だろうか。もう住んでいた家は壊れてしまったし、家族もいない。

 状況を知りたくても、報道規制がかけられているのか、ニュースでは詳しく報道されてはいないようだった。


 近所の人達はどう思っているのだろう。それほど親しくなかったけど、私を知っている人達は、家に押し入られて、行方知らずになっている自分のことをどんなふうに噂しているだろう?


 警察の調べによると、巻き込まれて死んでしまった人がいるのだという。

 その事を考えるたびに、胸が痛んだ。狙われたのは自分なのに。

 巻き添えにあってしまったのだ。でも、自分は逃げなければいけなかった。

 だからどうすることもできなかったのだ、という結論が頭を掠める。そしてそれが、たまらなく嫌だった。


「絶対安心してまた暮らせるようになるから。だから、」


 必死に訴えてくる。大きな目が潤んでいた。同情してくれているのだろうか。

 真剣で、感情の乗った強い声だった。

 この子もきっと、過去に何かあったのだろう。だからこそ、ここにいる。

 この普通じゃない警察のチームに。この屋敷に。


「……こういうことって前にもあったの?」

「え?」


 きょとんとした様子で翠が聞き返してくる。


「私みたいな人が前にいたことってない?」

「……ないよ、どうして?」

「……少し気になって」

「そう?うん、だから今回みんな対策に困ってるみたい。あ、困ってるっていうのは白翅さんにじゃなくて、どう今回の事件に対処するのか、ってことだからね」

「……うん」


 深い意味は無かった。ただ、目の前の女の子や、彼女と同じ立場の人達が自分という異物をどんな気持ちで迎え入れたのかが気になったのだ。

 自分だけ、なのか。ということは、今回のことはそこまでイレギュラーなことなのだろうか。


 それから、いくつか話をした。自分がここに来る前の数日間の話。少し前にあった、変わった出来事についても。

 翠は白翅が、事件の起こる前に発生した転落事件……実際は殺人事件だったらしいのだが、その現場の近くにいたことを知り、とても驚いていた。彼女もそのニュースを見ていたのだという。


「あ!そういえば、あれ持って来るの忘れてた」


 話が落ち着くと、翠が待っててね、と言って立ち上がり、部屋の外へ出ていった。何だろう?


「見て、これ」


 やがて、戻ってきた翠は、シースに入った黒い大きなナイフを、両手で包み隠すようにして抱えていた。


「え?」

「これ、白翅さんに持ってて欲しいの。私の予備のナイフ」


 思わず手に取る。ずっしりと重たい。


「……なんで?」

「護身用。もし敵に襲われた時に無防備だと困るから……」


 それは確かにそうだろう、しかし……


「いいの?」

「いいの。でも、ちゃんと使えないと、間違って自分を切っちゃう事があって、結構危ないの。だから……」



 鞘から抜き身を引き出して、手本を見せながら、ナイフの基本的な振り方を教えてくれた。

 案外、楽に覚えられた。それからしばらくした頃、怜理というリーダーの女性が戻ってきた。

 彼女は二人のしていることに驚いていたが、翠が慌てて事情を説明すると


「そっか。なら仕方ないね」


 とだけ言って、納得してくれた。


「それにしても……キミ、ナイフ振るの上手いね」

「……ありがとうございます」

「うん。二人とも、くれぐれも気を付けるんだよ」


 そうして、微笑んでくれた。包容力のある笑顔だった。

 

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