第四話 名も無き末裔 case19

 楠原にとって、それは今まで味わった事のない達成感だった。

 目標の家は金持ちで、警備会社と契約している。何かあればすぐに、詰所から飛んでくるようになっているらしい。

 なぜ知っているのかというと、そこは、彼女が最後に犯行を行おうとして、失敗した場所だからだった。住所も暗記している。

 殺せなかったことが悔しくて悔しくて、毎晩その事を反芻しているうちに覚えてしまった。


 あんだけ大事に守られてるんだから、余計に挑戦したいじゃん?と取り調べの時に述べたが、同意は得られなかった。

 先に詰所に立ち寄って、当直の警備員達を皆殺しにすると、大急ぎで目標の邸宅に駆け付け、正面から堂々とドアを破壊して侵入する。ターゲットの女性はすぐに見つかった。様子を見に来た家政婦や、他の家族達を片っ端から殺していけばいいだけのことだったからだ。


「いないいない〜バア」


 恐怖に見開かれた母親の目を覆い隠すように、吹き出した血飛沫が飛び散る。

 冗談みたいに長く伸びた髪が、節足を形作って腹をかきまわしている。

 胎児はもうズタズタだ。


「髪の毛って一年でけっこー伸びますよね。お姉さんも結構伸びるんですよ。自分にしかできない、気持ちいい事がしてみたかったんです。やってみて、満足できることが」


 前よりずっとお腹が大きくなっていたのが嬉しくて、見つけた時は、思わず涎が零れそうになった。

 殺す前に、まだ赤ちゃんを産んでいない妊婦さんに聞いてみた。


「お子さん、名前はなんていうのかな」

「な、名前!?ひい、あ、」

「うんうん。ゆっくりね。待ってるから」

「ひ、ひ、ひ、……」

「早くね。そしたら殺すのは待ってあげてもいいよ」

「ひ、ろ、み、です……」


 ひろみ、というらしい。


「ひろみか~私は~楠原芽衣。あ、知ってる?知らない?あ、テレビに名前出なかったもんなあ。あたし、あん時未成年だったし……」


 そのまま硬化した髪を大きくこじらせ、内臓と共に、胎児を掻き混ぜた。

 母親が掠れた声で絶叫する。悲痛な声で激しく楠原を罵っている。

 殺すのを少し待ってあげたというのに、罵られるのはひどく理不尽な心持ちだった。


 † † † †


 都内で、異誕による殺人事件が頻発していた。

 東京都郊外で、三人の若い女性が殺害されたのを皮切りに、都市中心部でも同様に女性達が餌食となった。

 郊外での事件が、現場状況の異様さから異誕事件と疑われ、検証の結果、特務分室が捜査に乗り出した。

 翌日、明け方近くになって、今度は都内の邸宅で事件が起こった。殺害されたのはそこの一家だった。

 詳しく調べていくうちに、その一家はかつて、妊婦連続殺人事件の被疑者であった、楠原芽衣の襲撃を受けた家だったことが判明した。

 そして、楠原は入院中の外科病院を逃亡しており、警備の警官は殺害されていた。


 奇妙なことに、現場の監視カメラが複数機能停止していた。そのため、楠原が如何にして病院から脱走したのかは分からなかった。

 日本の病院のセキュリティは世界的に見ても甘い。しかし、監視カメラが事件当時たまたま不具合を起こしていたとは考えられなかった。

 何者かがセキュリティに干渉したのだ。そして、それだけの技量を楠原が持っていたとは思えない。

 そのため、特務分室と捜査一課は、脱走の際に外部の協力者が手引きした可能性を考慮して、関係者を徹底的に調査した。


 それからも事件は続いた。念のため、妊婦が集まる産婦人科の前に警官を配置し、厳重な警戒態勢がとられた。

 おそらく、楠原もそれを警戒しているのだろう。目立つところに現れることなく、移動を繰り返している。不可思議なのは、楠原が以前起こした事件とは殺害方法が異なることだった。


 以前は出刃包丁数本で腹部の胎児を母親ごと切り刻むと言った方法だったはずが、今は違っている。妊婦達は皆、針状の凶器で滅多刺しにされていた。

それに、現場には大量に毛髪が残されており、分室のメンバー達が後に異誕反応を確認した。以前はなかったはずなのに。


 楠原は、収容前に捜査員に撃たれて確保された時点で、確かに人間だったはずだった。

 怜理は、楠原が実は混血で、入院中に急に覚醒したという可能性を考えていた。

 あり得ない話ではない。混血としての力が目覚めるには、時期にばらつきがある。それがつい先日のことだったという可能性もある。

 

 怜理は今、地下鉄とJR線を乗り継いで、楠原が最後に現れた、住宅街の公園近くで捜索を行っていた。

 明朝から六時間、怜理は休まず動き続けていた。

 朝方に、楠原の両親のもとを訪ねていた。もしかしたら、楠原芽衣を匿っているかもしれないという可能性があったからだ。

 だが、その可能性は無いだろう、と心のどこかで思っていた。

 案の定、楠原芽衣はいなかった。いたのは心身ともに消耗した彼女の両親だけだった。


 道路脇に止めてある、黒いライトバンに乗り込み、搭載した無線機のチャンネル表示を切り替えた。耳に着けたインカムに向かって語りかける。


「怜理だよ。お疲れ様」

『お疲れ様です。椿姫です』

「三件目の現場付近は異常なし」

『現在、巡回地点C1です。異常ありません。ついさっき、D2の茶花から連絡がありました。こちらも異常なし』



 怜理が楠原の両親を訪ねている間、椿姫達は、楠原が犯行を行った現場付近と、その周辺にある産婦人科、そしてその他の妊娠している女性達が集まりそうな場所をしらみつぶしに当たっていた。しかし楠原は、あちこちに逃げ回っているらしく、一度事件を起こした現場の近くで犯行を繰り返すことは無かった。


 やつは一度警察に追い掛け回されている。だから、いかに捜査員達が優秀なのかはよく知っているはずだった。楠原の行った殺人は、手口の残虐さからよく報道されていたため、怜理も良く知っていた。まさか、このような形で、自分も楠原を追いかけることになるとは思ってもみなかったが。


「そっか。了解。一旦キミの屋敷に戻って、翠達の様子を見てくるよ」

『椿姫、了解。天悧さん、元気にしてるといいですね』

「さっき、新潟から出るときに翠に電話したけど、元気らしいよ。あの子に出会ったのは翠が最初だし、ある意味、翠と一緒にいる方がリラックスできるのかも。翠、人懐っこいし」

『そうですね。年齢も同じですし、話も合うのかもしれません』

「ホントだね。んじゃ、一旦戻ります」

『お気をつけて』


 通信を終えると、座席にもたれて、瞼の上から目を揉んだ。ふと、楠原の両親のことを思い出した。

 彼らは行政の援助を受けて細々と暮らしていた。楠原は未成年だったから、当初名前は公表されないはずだった。しかし、どこからか情報が洩れ、地元にいられなくなったのだ。仕事を失った彼らは、新潟県の小さな町で暮らしていた。


「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……」


 父親は泣いていた。胸が苦しくなるのを覚え、怜理は部屋を後にした。

 生まれてくる子供を親は選べない。そう、自分の家もそうだったから、怜理はよく分かっていた。


 怜理は長野県のとある銀行家のもとに生まれた。

 そこは、父方の先祖に人外を持つ家系だった。だが、現代になると、一族はその血を完全に薄めようとして、一族とは直接繋がりの無い家系と縁組してばかりいた。

 しかし、一度混ざった血は、薄まることは有っても、完全に無くなることなどない。

 怜理の上に兄第は二人いたが、人間だった二人とは違って、彼女だけが混血の先祖返りとして生まれてきた。


 現代において身体能力が高く、氷を操る能力を持っている人間なんて異端でしかなかった。そして、今の一族にとって必要のない存在だった。

 母親の家系は、完全に普通の人間の血族だったため、母親は自分の腹からそんな異質な存在が出てきたことを受け入れられず、彼女は怜理を拒絶した。

 急に爆弾を押し付けられたように気が気でなかったようだ。今までずっと順調にいってたのに。

 優秀な子供を二人も生んだのに、三人目で?なんでこんな普通じゃない子が?こんなはずじゃなかった。


 兄姉からも、身内とは思われていなかった。

 あまりに異常なスペックを持つ彼女が、何か問題を起こさないように、一族は彼女の立ち居振る舞いをしっかりさせ、病的なまでに厳格に管理した。どこに行っても監視の目があり、外出しても、必ず見張りが付いて来た。

 自分を危険視している人間が周りに居すぎて、常に人目を気にして、気を配っていなければならないのは、正直苦しくて窒息しそうだった。


 だからこそ、一人でいる時間が必要だった。誰にも見られず、誰にも気を使わないで済む、自分だけが持っている時間が。映画が趣味になったのも、そのためだ。

 兄姉からも嫌われていたから、遊んではもらえなかった。

 理由は母親を不安定にさせていると思われていたからだ。怜理は一族の調和に波風を立てたのだ。その罪は重かった。その反動は大きく、あまりの窮屈さに、怜理はますます一人でいたがるようになった。


 怜理は自分がいつか自立して生きていかなくてはいけないことは分かっていた。それなら今から始めても、なんの問題もない。

 早い段階から始めて、慣れておいても決して損はないだろうと思っていた。

 どうせいつかはやらなくてはならない事だ。


 最終的に十二歳の頃、家を出て寮制の学校に行く事にした。そのために受験もした。

 自分の部屋を片付けて、家を出るとき、廊下を歩いていると、すれ違いざまに兄は「せいせいするよ」とだけ言葉を吐いた。


 頭の中で何かが音を立てて切れた。

 兄の部屋に、怜理はいきなり飛び込んだ。そして、めちゃくちゃに暴れた。ひたすら物を壊し続けた。机を踵で壊し、テレビを窓から広い廊下の端まで投げ飛ばした。激しい騒音に驚いて、部屋の前に他の家の者達が集まってきた。


 頭が真っ白になったし、それを見ていた家族達の顔はそれ以上に真っ白だった。

 ひとしきり一人で暴れて、気が付くと、誰かが肩に手を置いていた。父親だった。

 今まで自分を、仕事が忙しいからと助けてくれなかった父。母親を説得してくれなかった父。


 兄が音を立てて床に飛びつくと、怜理に何かを投げつけた。何かが顔の横を通り過ぎ、がちゃんと花瓶が割れる。姉は目線を床にやったが、すぐに元に戻した。

 兄姉達の、憎々しげな目つき。いつもの軽蔑は鳴りを潜めている。なぜか妙な気持ちだった。


 思わず声に出さずに笑った。何が面白かったのか、今なお分からない。

 ……そのまま放っておいてくれなかったのが嬉しかったのだろうか?こんな形でも自分に構ってくれたことが?

 怜理が見つめ返すと、兄姉達は、また怯えた目に戻ってしまった。

 最後まで怜理は直接暴力を振るわなかった。

 結局、滞在の最終日は父親に駅まで送ってもらった。大した会話も無く、二人は別れた。


「私の事を大っ嫌いなお前達なんて大っ嫌いだ」


 最後にそう言い放った。もっと違う言葉を言えばよかった、と今の怜理は思う。

 父に駅で降ろして貰った時、わざと思いっきり乱暴にドアを閉めた。手加減はした。父は何も言わなかった。


 いいさ、誰も助けてくれなかったって。

 かわりに今から、助ける身分になってやるんだから。助けられないあんた達とは違う。私のことすら助けられないアンタらとは。

 怜理が今の仕事に就いた理由は天邪鬼な気持ちからだ。

 自分の異誕としての実力を疎まれていたのならば、自分にしかできないことをやってやろう、と考えた。


 つまり、その力を活かした仕事をしようと思ったのだ。

 寄宿制の学校に進学を決める前に、彼女のことを知った、当時の螢陽家の当主が父親を通してスカウトに来たのだ。

 蛇の道は蛇。化物退治という稼業が有るなら、当然人ならざる者に詳しい人々がいるはずだった。

 彼女はその話に乗った。設立されたばかりの警察庁特務分室には戦力が足りなかった。フリーで依頼を受ける家系が少なくなった今、警察が直接、すぐに動かすことのできる部隊が必要だったのだ。


 二十歳を過ぎた頃、自分用についにパソコンを手に入れた。

 自分の実家の地方銀行のホームページを検索して、頭取が変わっている事に気づいた。兄が見たこともない顔で笑っている。彼はあんなに自信ありげに笑えない男だと思っていた。  

父の写真とは大違いだった。父はいつも仏頂面だった。


「嫌なこと、思い出しちゃったな。私のバカ。もう関係ないじゃん」


 怜理は螢陽家の門をくぐった。


「ちゃんと留守番してるかな、翠は」


 捜査に出るとき、必ず一人は屋敷に置いておくことにした。いつも不破が庁舎にいるとは限らない。その時は、白翅を屋敷に置いていかなくてはならない。その護衛のつもりだった。


「お土産くらい、買ってくればよかった」


 シュークリームとか。プリンとか。あの子はそういうのが好きだ。

 屋敷のホールを抜け、階段を上がっていく。

 今回の事件は謎が多い。急な楠原の殺人の再開。まだ白翅の件にも決着がついていないというのに増える仕事。白翅の件は特に何をすれば解決するのかすらわからない。

 しかし、襲ってきた連中がいることは分かっている。そいつらをどうにかするしかない。


「となると大元を見つけるしかないか……」


 こんな事態に陥ったのが、自分の責任ならまだ諦めもつく。

 だが、白翅を襲ったような、自分が顔どころか、それがなければ今まで一切関わることは無かったし、おそらく今後も無いであろう、どこかの大馬鹿野郎共のせいでこんなにこんがらがった事態になっているというのが、一番我慢ならなかった。


「……ん?」


 白翅が滞在している部屋のドアをノックして開けると、翠と白翅が互いの身体をくっつけるようにして立っていた。白翅の片手に目が吸い寄せられる。そこには、黒い刃を持つ軍用ナイフが握られていた。見覚えがある。翠が持っている予備のナイフだ。刃がPB合金で加工されている。


「……なにやってんの、キミ達」


 翠が困ったような顔になった。

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