第三話 名も無き末裔 case17

 楠原芽衣くすはらめいは夜道を行くのが生まれつき好きだった。だが、せっかくの夜道も、今は少しも楽しくなかった。

 楠原は、ついさっきまで収容されていた病室を抜けて、夜間緊急用の裏口から、外へ車椅子とともに運ばれていた。見知らぬ誰かの手によって。

 足が不自由なわけでもないのに、車椅子で運搬されているのは、異様な心持ちだった。


 最初は、の遺族の報復か、とすら思った。楠原は方々ほうぼうで恨みを買っている。

 だから、いつ復讐の対象になってもおかしくないと、日頃から思っていた。

 だが、どうも様子がおかしい。自分を連れ出した一人は不満そうで、もう一人は鼻歌を歌って楽しそうだ。


「あんたら、なんなの?いったい……」


 返事は無い。聞こえなかったのか。車椅子の車輪が地面を滑る音がキイキイとうるさい。


「あー何かな?助けてくれたのかな?だとしたら嬉しいけど……できたら……」

「黙ってろー」


 鼻歌を歌っていた長身の女が側頭部を馴れ馴れしく小突いてきた。

 髪は亜麻色だが、色合いの不自然さから、おそらく染めている。

 顔は暗くて、というより相手ができるだけ楠原の視界に入れないようにしているのか、よく見えない。


「着くまで口閉じてろ」


 もう一人がドスのきいた声で言う。発音がどことなく変だった。……日本人ではないのだろうか?

 楠原達はついさっきまで入院していた総合病院を、振り返ることなく車椅子で進んでいた。絶対に戻りたくなかった。自分が脚を撃たれさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。


 楠原は、人を八人殺して逮捕されたが、最後に追跡された時、捜査員に銃で撃たれて入院していた。

 厳重な監視が付いていたはずだが、自分は簡単に外に連れ出された。廊下には警備の警官の死体が転がっていた。

 楠原は『妊婦にんぷごろし』と警察では呼ばれ、テレビでは『女殺人鬼』という不名誉な仇名で呼ばれていた。

 彼女が妊婦ばかり殺したのはちゃんと理由があっての事だった。


 自分はこれからどうなるのだろう。そもそもこいつは何者なのだ。自分は殺されるのだろうか。

 しかし今殺されても、自分の親は大して悲しまないだろう。


 楠原の父は、不況のせいで勤め先の会社で人員整理の対象になった際に、楠原たち家族に不満をこぼしていた。勤め先の支店長から何か言われたらしく、その日は酷く荒れていた。


「俺にも家族がいるんだよ、だと?いたからどうだってんだ、こっちにだっているんだよ!守るべきものを守る努力をしないから、こんな事になるんだとよ!誰が身体壊してまでお前らのために働いたと思ってたんだ!こんなに苦労するなら家族なんて持つんじゃなかった」


 当然、母親はその発言に対して激怒し、楠原自身も父親に対して静かに失望していた。

 収入が激減し、家族仲が最悪となった家庭に居辛くなり、楠原は高校卒業と共に家を出た。


 その後の全てにおいて決定的だったのは、奨学金を貰って苦労して楠原が大学に通っていた時、付き合っていた恋人との間に子供ができて、中退する女の子をたまたま見かけたことだ。

 同じ大学の子ではなく、近くの喫茶店で見た知らない子だった。向こうも楠原の名前は知らなかっただろう。

 相手の男の子は新しい家族のためにも頑張らなくてはいけないと言っていた。

 二人は貧しくとも、希望に満ちていた。


 ふと、楠原は、ここまで彼らを駆り立てる原動力はなんだろうと疑問を抱いた。彼らの子供のなにが、そこまでの決意させるのだろう。思わず興味を抑えられなくなった。


「ここで子供が死んだらどんな反応をするだろう」


 いったいどれだけ苦しむのか、見てみたいと思った。

 それはその日、彼女が多くの事情で、大学に通い続けることを諦めなくてはならなかったからかも知れないし、家族のためにという名目で父から職を奪った、顔も知らない父の上司に対する苛立ちからなのかもしれないし、ただ単に相手の女の子の満足げな声や表情がなんとなく気に障ったからかもしれなかった。


 あるいは、それは同意を求められた彼氏の顔に僅かに不安の色が浮かんでいたことに気が付いたからなのかもしれなかった。

 楠原は、最初にその女の子をターゲットに選んだ。

 後に逮捕された後、楠原が彼が自信満々に頷いていれば、自分はこんな事をしなかっただろうと述べ、取り調べに当たった刑事はただキョトンとしていた。


「だって、男の子は楽になったんじゃないですか?良かったじゃないですか。子供を守るってすっごく大変なことみたいですし?」


 そう言って楠原が笑うと、刑事は青ざめていた。

 自分が苦労してこぎつけたこれまでと同じものを、あっさりと投げ捨てて笑ってる。自分にとっては屈辱でしかない、大学を辞めるという決断を笑顔で行い、代わりに子供を抱こうとしている。それを失った女の子の反応がとても楽しみだった。


 それからは衝動に任せて動いた。

 結論から言って、とても楽しかったと言わざるを得ない。

 可能性の塊である赤ん坊が殺された時の反応を生で見ることができたのだ。

 目の前で『取り出して』みせたのは最高だった。


 色々試してみたくて、主婦達が目を離した隙に乳母車の子を殺したこともあった。 

 けど、やはり子供がお腹にいる状態で殺すのが最高だった。

 でも、最後に失敗した。気に入った妊婦がいた家は、近隣の詰め所から派遣されたガードマンがいたのだ。おかげで逃げた所を警察に通報されてすぐに捕まってしまった。もう二度と楽しむことができないのかと思うと、病院の中ではストレスで今にも死にそうだった。


────刑務所から出れたら、また殺してみたいです、とか言っちゃったしなあ……。死刑にされたらもう殺せないし……。ウソ泣きくらいしとけば良かった……。


 やがて、目隠しをされ、車でどこかに運ばれていった。一時間ほどすると、ひどく静かな場所に辿り着いた。

 すぐに降ろされ、しばらくして、目隠しがとられた。

 あたりはひどく暗い。しかし、立ち並ぶ木々や、足元の舗装されていない道の土からは、ここがかなり郊外にあることが推測できた。


「!」

「どう?」


 背の高い女が自慢するように言葉を楽しげに弾ませた。

 林に囲まれた道の真ん中に、若い女が三人縛られて転がっている。ピアスを付けたり、髪を染めたりしており、いかにも夜遅くに出歩きそうなタイプだ。全員、猿轡を嚙まされて、声をろくに出せていない。その近くには、レインコートを着た人影が立っている。亜麻色の大柄な女よりかは、頭一つ分小さい。


『余計な手間をかけさせてくれたわね』


 ぶっきらぼうな口調で、レインコートの人物が冷たい声で何か言った。


『うるせえな。あんたには簡単だったろ』

『やったのは私じゃなくて他の人員よ。私が来たのはあなた達のお目付け。あなた達が失敗したから仕事が増えた。単純な相手じゃなかったとは思うけど、そんなこと大した言い訳にもならないわね』

『なんで相手のことが分かんだよ。お前も詳しく事情聞いてないくせに』

『ええ。でも、勘よ。私には分かる。写真を見た時からね』

『勘だァ?アホくせえな』


 何の話かはわからない。しかし、それよりも……


「子供だ!」


 そして、女たちの腹を見て楠原が叫ぶ。下腹部が大きく膨らんでおり、明らかに妊娠していた。


「見つけさせたんだ。苦労したんだよ」

『苦労したのはお前じゃないだろ』

「さあ、これを」


 そう言って、亜麻色の染めた髪の女がポケットから鈍色の何かを取り出し、楠原に握らせた。


「これを、私に?」


 それは楕円形のタグだった。テレビに出てくる軍人が持っているような。認識票というやつだろうか。


「なにこれ」

「使うと、もっとサクサク殺せるようになるんだ。入院期間長いんでしょ。鈍ってるだろうからさ」


 ほら、と更に強く握らされる。


「これを使いたい、って強く思ってみて」


 言われた通りに念じる。もっと殺したいと念じてみる。殺したい。殺したい。心の底から殺したい。

 掌に刺すような刺激が走った。

 その途端、脳髄が熱くなる。頭の中で、何かが蠢いたような気がした。強い衝動が、今にも頭蓋を割って溢れ出してきそうだった。


「さあ、好きなことをしなよ」


 わかってるわかってる。やる事は前と同じ。殺したいから殺すんだ。大好きだ。

 殺すのが大好きだ。赤ん坊を殺すのが大好きだ!そして次に母親を殺すのが大好きだ!

 

 頭全体が重くなった。背中が少しくすぐったい。入院の際にばっさり切られた髪の毛がするすると伸びていった。

 やがて、髪が柔軟さを無くし、鉄の針のように固くなった。

 急に気分が高揚してきた。どんどんハイになっていく。ははは、ははは。唇から歌が漏れ始める。


 縛られた女が、この世の終わりのような悲鳴を上げた。殺したい。そう念じると意のままに髪が伸びていく。

 尖った先端が、あっという前に肉薄したかと思うと、膨らんだ下腹部にぶすぶすと突き刺さり、標的に悲鳴を上げさせた。激しく身体を揺さぶるようにして、ひたすら腹部を傷つけ続けた。二十秒も経たないうちに、相手は動かなくなっている。

 みんなぐったりとして、もう動くことはない。流れ出る血が草地に吸い込まれていく。


「もういいかな?もういいかい?」


 後ろにいつのまにか立っていた女がしつこく尋ねてくる。黙っててよ、今良い気分なんだから。ちくしょう、しまったなあ。三セット殺すのがこんなにすぐ終わっちゃうんだ。もっともっと時間をかけて楽しみたかったのに。


「邪魔し……」


 余韻を味わう余裕も与えてくれないまま、背の高い女が上着の内ポケットから何かを取り出した。

 それは女が自分に与えたものと同じものだった。楕円形の認識票。

 強く女が認識票を握りこむと、その体がグニャグニャと形を変え始めた。

 たちまちのうちに、身長が倍ほどになり、そこには二本の足で立つ、四つ目の獣が、大人の腕ほどの太さの牙を光らせて辺りを睥睨していた。


 獣が唸り声を上げて縛られた犠牲者の死体に飛びかかり、延髄を噛み砕き、肉を貪り始めた。咀嚼音と骨が砕ける音が闇の中に響き渡る。そして、流れる血が土の上にぶちまけられる水音が続いた。

 

 楠原は不思議と納得していた。そうだ。自分に簡単にタグを渡したということは、他に在庫があるということで。

 それは当然他にも持っているものがいるということだ。化物は他にもいる。そしてきっと、自分達以外にももっといるのだ。

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