第三話 名も無き末裔 case16

 三月半ばの朝は、まだ冬のように寒かった。


「悪かったね。変な形での里帰りになっちゃったな……」


 おもむろに怜理が口を開く。


「……いいえ。こちらも無理なこと言ってごめんなさい」

「いいってことよ。まあ、あんまり収穫はなかったけど……里帰りしようと思うだけでも偉いってもんよ。偉いなあ。あたしなんかずっと帰ってないわ……」


 白翅は辺りを見渡した。周りには背の高い木々が鬱蒼と茂る森があるばかりだ。遠く離れた向こうに、谷に囲まれた険しい傾斜地を臨む事が出来た。

 そこにはボロボロに朽ちた廃屋が複数連なるようにして佇んでいる。

 おそらく、その場所は一族の本家ではなく、分家の人々が住む場所だったのだろう。


 ひょっとしたら、自分の育ての母である、夏葉が住んでいたところかもしれない。

 調べたところによると、似たような建物は谷間に複数存在するようだった。

 二つの谷に挟まれた奥底の草地には、苔むした多くの墓標が立てられていた。

 夏葉曰く、一族は、外から弔う人を呼ぶこと無く、そこに一族の人々を火葬せずに埋葬していたらしい。

 だから、白翅を連れて引っ越してきた時、今時は火葬するのが普通だと知って驚いたとも言っていた。


 ここは、山梨県の某山中。中心部からは大きく外れた、曲がりくねった道を抜けた先にある奥深い場所だった。標高も高く、近くには他の集落も無い。


 十五年前の事件があったここは、確かに白翅が産まれた場所のはずだった。

 けれど、何も思い出すことはできない。赤ん坊だったから当然のことといえばその通りだが、白翅はどこか歯がゆさを感じていた。


 空は真っ青に晴れている。太陽の光が白く眩しく、そしてひどく冷たくて、白翅は思わず目を閉じたくなった。

 森の近くの平らな草地に車を停め、翠は怜理と話していた。

 椿姫達が離れた所で何かを話し合っている。その近くでは、多くの制服警官や、作業服の鑑識員たちが、侵入者の痕跡を探そうと検証を行っていた。


 もし、今回の事件で白翅のことを狙った者達が、白翅の出自を知っているのならば、事前にこの場所を調べたかもしれない。そう思って、白翅を守る部署のメンバー達はここに調査にきたのだ。


 その際に、白翅は四人に同行させてもらうように頼んだ。

 白翅自身は、母である夏葉に自分の生まれ故郷について教えてほしいと頼んでいたが、いつも断られてしまっていた。母が自分を危険から遠ざけておきたいと思っての事だったことは重々承知していた。けれども、いつもそれが気にかかっていたのは事実だ。

 この機会に自分の生まれ故郷を見ることができるかもしれない。そう思っての事だった。初めは渋る様子を見せていた怜理だが、自分が頼み込む姿を見て、気の毒に思ったのか、承諾してくれた。


『くれぐれも、もう帰りたくない、ここで暮らす、なんて言わないでよ。こっちも用が済んだら、さっさと引き上げるつもりでいるんだからさ。なにしろ、すごい山奥だ。文明人の私らにはキツいのよ』


 などと冗談を言いながら。

 警察関係者たちの表情は明るくない。成果が上がらないからだろう。


 昨日の明け方にここに車両で到着し、現在までずっと調査を行っている。

 丸一日かかったが、現場でなんらかの痕跡を見つけることはできなかった。


 朽ちた自然と、火事で焼け落ちた沢山の廃屋に、再び元の姿に戻ろうとしている木々があっただけ。収穫は何もなかった。

 白翅のことも、しばらくの間一人にしておくのが心配だったから連れてきたというだけのことだったのだろう。


「時間が止まっちゃってるみたい……」


 翠が独り言のようにつぶやいた。はたして、ここを訪れる人はいたのだろうか。いたとしても、そう多くはないはずだ。今とかつての事件があった頃が一番多く人が訪れた時期なのだろう。

 その後も、不破という指揮官の女性の指示のもと、多くの機動隊員や、地元警察の動員が行われたが、何も手がかりは見つからなかった。最近誰かが立ち寄った形跡も。


「まあ、何も無いことが分かってよかったじゃん」

「里帰りっていえば、怜理さんは確か、長野でしたよね?」


 翠が何かを思い出したように尋ねた。


「そうだよー。ずっと帰ってないけど」

「帰ってあげなくていいんですか?」

「帰ってもアウェー間違いなしだと思うしな……でも翠がどうしてもってならセットで帰んのもありだけど」

「そうですね……」


 目を閉じて翠が考え込む。


「やっぱりいいです」

「そっか。まあ楽しくはないと思うし」

「怜理さんが楽しい方がいいです」


 穏やかな空気の中、にっこりと、優しく翠が微笑む。


「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。じゃあ、また映画でも見るか」

「賛成です!」


 怜理がまんざらでもなさそうに微笑んだ。白翅は急に、自分と彼女たちの間が、分厚いガラスに隔てられているかのように心細くなった。

 ほどなくして、撤収することになり、全員で車に乗り込み、集落を後にした。

 車は、再び通りにくい未舗装の道を進んで、山を下りていく。そのまま、峡谷を抜けた。


 白翅は、車窓から彼方の甲府盆地を見下ろした。

 それよりも遥か遠くには、山頂が雲に包まれた富士山の姿がある。

 この景色を自分を産んだ人々や、一族の人々は、外界に降りるたびに見たのだろうか。自分達は今、同じ道を通っているのだろうか。

 考えても仕方の無いことが、白翅の頭の中に浮かんでは消えていった。

 そうして、収穫を得ることなく、屋敷に帰還した。



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