第三話 名も無き末裔 case15

 白翅の調書と、身体の検証記録を受け取った二日後、分室長の不破は、警察庁庁舎の廊下を怜理と共に歩いていた。

 いつも鷹揚な態度でいることの多い怜理も、今日ばかりは、僅かに緊張している様子だ。

 無理もない。なにせ、行くところが行くところだ。

 現在は午前十一時。庁内の人通りも多い中、不破達は高層階へ向かうエレベーターに乗りこんだ。


 二人は分室の執務室にいる所を内線で呼び出され、ここまでやってきていた。

 不破からすれば、ついに来るべき時が来た、という心持ちだった。


 目的のフロアに到達すると、一つの部屋の前に迷わず到達する。

 頑丈そうな両開きのドアを持つ、他の部屋と比べて一際大きな部屋。


 警察庁長官の執務室だ。

 不破が居住まいを正した瞬間に、怜理が素早く部屋をノックする。


「入りなさい」と声がかかった。あまり聞く機会のない低いテノール声。

「失礼します」と声をかけ二人は部屋に入っていく。


 部屋の中は広く、清潔さと厳格さを併せ持ち、無駄な装飾は一切無い。真面目一辺倒で生きてきたとして評判の、部屋の主そのものを現すかのような部屋だ。


 ぴかぴかと光るマホガニーのデスクの側には、眼鏡をかけ、長身のがっちりした白髪交じりの男性が立っていた。目つきは鋭いが、メタルフレームの眼鏡のおかげでいくらか柔和に見えた。

 警察庁長官、歌川忠勝うたかわただかつ

 彼は分室の直属の運営者でもあった。

 異誕対策特務分室は長官直轄の部署セクションだ。

 不破はそこの監督と指揮を任されている。そのため、分室の情報を長官は全て把握していた。


「座りなさい」と手で促してくる。礼を言って二人は革張りの豪華なソファに腰かけた。

 樫の木で作られた大きなテーブルの上には既に湯呑に入った日本茶が置かれていた。まだ湯気が立っている。彼が手ずから入れてくれたのだろう。不破は内心恐縮していた。


「少し前に入れたんだ。冷めていたら悪いね」

「いえいえ」

「とんでもない」


 と怜理が茶にいきなり口を付けた。


「長官、虹橋にじはしさんはお元気ですか?」


 怜理が湯呑みを置いた。


「虹橋くんか。相変わらず元気だよ。今は富士見署の署長。警視正さ」


 長官が答えた。虹橋は、三代ほど前の分室の監督者だ。それ以前は警備一課にいたと聞いている。


「この前、翠が言ってましたよ。長官はM・Rジェイムズに似ているそうです。全集の口絵の所についてる写真を見たら確かに似てました。体格も良いし、顔の彫りも深いし。これで考古学者なら完璧なんですが」

「あいにく、大学では法学部でね。考古学なら、定年後に始めるのもいいかもしれないがね」

「いっそのこと、ジェイムズに習って本でも書いたらどうですか。長官は物知りでしょ?」

「それなら、回顧録以外にしたいね。話したくないことが多すぎる」


 不破は何を言うべきか考えた。用件が何なのかはおおよそ見当がついていたが、彼がそれにどのような見解を述べようとしているのか、についてはまるで分っていなかった。

 長官が窓の方を向く。差し込む日差しを受けて、彼の大きな影が、テーブルの上に被さった。遠くから鳥の鳴き声が重なって響いてくる。


「報告書を読んだよ」

「すごい内容だったでしょう」

「いや、あいにくこの地位にいると、もう信じ難い内容には慣れてしまっていてね。驚きはしたが」


 長官の表情は見えない。大きな背中だけが見えている。


「あなたは昔から豪胆だから」


 うっすらと怜理が微笑む。不破は彼女の実年齢を知っている数少ないうちの一人だ。怜理は、螢陽家の椿姫の祖母、椿鬼と同じく特務分室設立時からのメンバーだ。

 長官と怜理は怜理が子供くらいの年齢の頃から面識があったらしい。


「違う」


 長官がこちらに向き直り、口調を引き締めて答えた。


「知っていたからだよ」

「どういうことです?」

「天悧くん、という子の実家についてだ。鷸館家について。君たちを呼んだのは、そのことを伝えるためだ」


 不破は思わず無言になった。彼は実際にこの事件に関わった自分たちが掴んでもいない情報を握っているということなのだろうか。


「……長官。水くさいですよ。私達に隠し事なんて。何をご存じなんですか?」


 冗談めかして怜理が言った。


「仕事に関わることなら、もっと早く教えてくれればよかったのに」

「そういうわけにもいかないのだよ。警察の暗部に関わることだ。私だって君達に話したくない事はいくらでもあるさ。できればこんな事態にならなければ伝えたくなかった」

「詳しくお聞かせ願いますか」


 不破は湯呑を机に置いた。

 長官は顎を引くと、言葉を整理するように黙っている。


「長官。盗聴器の心配でもしてるんですか」

「怜理さん、さすがに冗談が過ぎるのでは」

「盗聴器か。それならもうチェックしたよ」


 長官が意外な答えを返すのに絶句している間に、歌川長官は話し出した。


「昔、といっても、今から十五年前のことだ。おそらく、君たちは知らないだろう」


 歌川長官は自分の机に置いてある、アルバムのようなサイズのスクラップ帳を取り出した。


「山梨県の山中に、名前も無い集落があった。そこで大きな事件が起こった。ちょうどその年の十月の事だ。その集落は一夜にして壊滅してしまった」


 そこは少数の世帯が寄り集まって暮らしており、外界との接触をできるだけ断って日々を送っている、本当に小さな村落だった。住む人々の様子について、周辺の町の者に聞いても、たまにまとめて食料を買いに来る以外、接点がなかったらしい。交通の便の悪さもあり、立ち入る者はそこの住人以外いなかったのだという。


「現場では多くの死体が見つかり、生存者は一人もいなかった。それだけでも驚くべきことだが、さらに問題があった」


 湯呑を傾け、長官は一息つく。


「現場からは大勢の武装した男たちと、その集落の住民達の遺体が見つかった。そして、こちらも武装していた」


 不破は眉を上げた。怜理の口元が「ああ」と動く。


「現場からは製造番号のついていない、大量のカラシニコフが見つかった。その他、日本刀や軍用ナイフなど、多くの武器が、焼け落ちた集落にある最も立派な屋敷の地下でどんどんと発見されてね。カラシニコフは武装した襲撃者達の物ではない。集落で暮らしていた人々のものだった」

「まさか、そんなことが……」


 あまりにも日本の集落のイメージと似つかわしくない。本当に日本の話なのだろうか。


「それだけではない。襲撃した連中の武装も、ロケット砲や戦闘ヘリ等、強力なものだった。だが、これほど大事になっているにも関わらず、捜査は打ち切られた。

 手がかりが全くなかったんだ。武器の入手ルートも分からなかったし、何より、その集落の住民達が何者だったのかも」


 ふう、と誰かが息をついた。三人全員だったのかもしれない。


「当時、私は警視庁で公安部長をやっていた。だから、ひょっとしたら公安畑の事情が絡んでいるかもしれないと考え、捜査の指揮を執るつもりだった。襲撃者達は、日本に仇なすテロリストなのかもしれないと疑ってね。が、無理だった。急に各方面、政界、官界あらゆる方面から圧力がかり、捜査指揮自体がとれなくなった。捜査本部も解散。事件は迷宮入りになった」

「なぜでしょう?」

「わかるよ」


 怜理が、感情の読めない口調で言葉を発した。


「長官の語っている集落は、鷸館家の本拠地だったんでしょう。鷸館家は殺し屋だ。当然、あちこちと裏のコネがある。さて、ということは?」

「……調べたところ、他にも奇妙な点があった。一族の当主たちは金銭的にかなり恵まれた生活をしていたらしい。調度品や、暮らしていた者達の人数、そして屋敷の維持費も踏まえれば、かなりの金額が必要だろう。しかし、預金をしている口座がどこなのかわからなかったし、その資金源が何なのかも分からなかった」

「真っ黒じゃないですか」


 呆れたように怜理が言う。


「そうだ。見つかった装備の数から考えても……彼らは絶対に堅気じゃなかった。しかし、いくら調べても情報は出てこなかった。だが、今なら分かる。情報が各方面からブロックされていたのだと。捜査が打ち切られたのは、鷸館と関わっていたことを知られたくない人々が圧力をかけたからだ。我々が私は独自に調査しようとしたが、止められた。が、止められても、しばらくは有志達と共に調査を粘って続け、関連のあると思われる記録を調べ尽くした。そして議論した結果、次のことが分かった」


 長官はさらに信じ難い話を始めた。

 戦後の動乱期、あちこちの国から、どさくさに紛れて日本の縄張りを奪おうとする海外の犯罪組織が進出してきた。

 しかし、それから間もなくしてそのメンバー達が多数殺害されたり、日本国内で反政府活動や、それに関する犯罪を起こす準備をしていた過激派のメンバー達が、いつの間にか大量にいなくなってしまうという事件が相次いでいた。また、偶然糸口がつかめた事件では、当時の政府にとって都合の悪い人間が、日本人であるか外国人であるかを問わず、次々に殺害され、護衛ごと皆殺しにされるというものまであった。


「確かに政府にとって、存在を隠しておきたい殺し屋、のような存在がいたのだ。しかし……その件は報道規制され、完全に揉み消された。そんな事件など存在しなかったかのように扱われ……無理矢理風化させられたのだ。そして、一族が何で揉めて、何者達と戦い、朽ち果てたのかはこれで完全に分からなくなった」


 しかし、つい先日その存在が、一族の末裔の口から語られた。


「話は以上だ」


 重々しい口調で、長官が話を締め括る。


「長官、方針はこのままでよろしいですか?天悧白翅を襲撃した異誕共と、それと協力している人間達を倒し、事情を聞き出すということで」


 怜理がまとめる。


「問題ない。なにか分かったらすぐに私に。……十五年前の事件と関連があるかもしれないからね」

「調査の結果ですが……現場で使われた銃は モデルFAMAS F1自動小銃。フランス製のものでした。……入手経路は不明です。

 また、国内において使用された形跡はありません。おそらく密輸品であると思われます。

 それに、現場付近のカメラをチェックしましたが、目立たない塗装のバンが複数のカメラで確認されました。ナンバープレートの照会をデータベースを介して行いましたが、こちらも身元不明です。おそらく、偽造されたものかと。検問にも引っかからず、その後の足取りはまだ掴めておりません」

「引き続き頼むよ。私としても、この事件の行方は気になっている。それに、理事会にも話を付けなければならない。それもすぐには終わらなさそうだ」


 その後、簡単なブリーフィングが行われ、二人は長官の部屋を後にした。

 しばらく無言で廊下を歩いていく。どう処理すればいいか分からない話に、

言葉が出なかった。


「不破さん」


 不意に、怜理に名前を呼ばれた。


「なんでしょう?」

「今回の件、やっぱり過去の事件と関係あんのかな?めっちゃ武装した連中って、十五年前の事件でもいたじゃん」

「わかりません……装備は違うようですが」


 長官の話が終わった後、二人は過去の事件に関するファイルを見せてもらっていたが、使用された銃器や装備は、今回の事件で用いられたものとかなり違っていた。


「今の話、来月の頭だったら私は信用しなかったよ」

「え?」


 そういえば、来月は四月だから、エイプリルフールだ。怜理の冗談は分かりにくい。


「でも今は、東京タワーが明日北海道に引っ越すって聞いても信用しただろうね」

「なんで北海道を選んだんですか」


 不破はようやく苦笑を返した。

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