第三話 名も無き末裔 case10
不破が眉間に皺を寄せて、タブレットの画面を切れ長の眼で睨んでいた。
翠の心には、ただ心配だけが広がっている。
胸の内が顔に出ていたのか、怜理がぽん、と翠の肩に掌を置いた。
「気になっちゃうよね」
「あ、はい、ぼーっとしちゃってごめんなさい」
「ううん。心配すんのは当たり前のことだからさ。応急処置のやり方、なかなかだったみたいだよ。お医者たちが褒めてた」
「……ありがとうございます!」
ここは中野区にある警察病院の個室だ。元々は警察学校の跡地だった場所に建てられている。
設備も最新式のものが揃っており、警察官やその親族であれば割引も受けられるので、翠達もよく利用していた。
「…………この子、本当に大丈夫なの?」
椿姫が形のいい眉を寄せながら、腕を組んでから、ネクタイに軽く触れた。
気を揉んでいる時、椿姫はそういう動作をする。
茶花は手持ちぶさたなのか、椿姫の上着の袖をつかんでよそ見している。いつのまにか、茶花はお気に入りの白ブラウスにスカートといった格好に着替えていた。
胸元には赤い花のコサージュ。外出時に茶花はこのおしゃれを忘れない。
個室に設置されたベッドの上で、天悧白翅は静かに眠っていた。
薄い病院着に包まれた細い肢体は、点滴スタンドや、その他のコードに繋がれ、微動だにしていない。
ベッドサイドの医療機器の電子音が、ピッ、ピッ、と白翅の心音を規則的なリズムで刻んでいた。
「……伝えた通りだ」
不破が少し掠れた声で答えた。タブレットから目を離す。
「おおむね、治っている、らしい。信じがたいことだが……」
——————翠が自然公園で白翅に応急処置を施した後、白翅はすぐに地元の救急病院に運ばれた。
が、その後、不破が急遽、東京の警察病院へ救急車両を伴って彼女を移送させたのだ。そして、東京警察病院で緊急手術が行われた。
それがつい九時間前のことだ。
翠達は今、仮眠をとった後、ここに来ている。
普通であれば、しばらくは集中治療室に入れられたままになるはずが、翠達が起きた時にはもう個室に移れる状態だった。
容体は安定している、と聞いて翠はほっとしたが、その後には驚きが待っていた。
「医師たちが言うには……少しずつ、しかし、通常では考えられない速さで、負傷した箇所が修復したようだ、と言っている。こんな患者は初めてだ、とのことだ」
怜理が首を左右に振る。
「何がどうなってるの?冗談は鑑識記録だけにして欲しいよ、まったく」
「そこも、問題ではありますが……」
「何の話ですか?」
どうやら、怜理と不破だけが話し合って知っていることがあるらしい。
「大人の話ですか?置いてけぼりです。付いていかせてください」
茶花はフフクそうだ。
「…………」
椿姫は組んでいた腕をほどいて、黙って不破たちが話し出すのを待っている。
「現場になった天悧家の敷地内で、ナイフが見つかったの。軍用のナイフ。料理包丁じゃない」
怜理は一息ついて、一気に話し出した。
「どうやら天悧家を襲撃したのは、異誕生物だけじゃないらしい。敷地内から遺体が他にも見つかった、って話はしたでしょ?ナイフはそいつらが持ってたものなんだって。同じ型のナイフを他の奴が持ってた。そして、ナイフからは」
怜理の視線が白翅に向くと、他の全員の視線が集中した。
「その子の指紋が出た」
思わず息を呑む。一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「戦闘服のやつらはその子に反撃されて死んだんだ。ナイフを奪って武器にしたんだろう。異誕の方はまだ捕捉できていないけどね。けど、その子を見つけられなかったことだけは確かだ」
そうでなければ、天悧白翅はここにいないだろう。
「銃を撃ったのは……」
翠はやっとのことで言葉を絞り出した。天悧家の塀に刻まれた弾痕のことを思い出したのだ。
「迷彩服のやつらだよ。服から硝煙反応が出た。正直、地元警察は混乱してる。
今は分室のスタッフがかろうじて情報をせき止めてるけど、どう言い含めるかはこれから考えなくちゃいけない。
この子が、武装した男達を殺した?そんなはずはない。だって、この子はどう考えても普通の人間なのに。隣の怜理が顎に手を当てた。
「とりあえず、その子から知ってることを聞き出さなきゃね。話はそれからだ」
それからも説明は続いた。街の防犯カメラを徹底的にチェックした結果、現場付近には目立たない塗装のバンが移動していたこと。その足どりはつかめていないこと。
銃の出所や、銃弾については現在調査中であること……。
「…………ん……………」
翠の耳に、不意に聞き慣れない小さな声が聞こえてきた。
思わず、視線を、音の方向へと向ける。ベッドの上の少女の目蓋がほんの微かに震え、やがて少しずつ持ち上がっていく。半分ほど空いた深い紫の虹彩は、焦点を合わせる場所に困ったかのように、一瞬だけ虚空を見つめた。そして、そのまま本当にゆっくりとした動きで、翠たちの姿に視線を合わせた。
やがて、ゆっくりと身じろぎする。
「…………う……………」
身を起こそうとしているのか、ベッドのマットに手を突こうとしているが、思うように動けないらしく、その動作は酷く緩慢だ。
「よかった、大丈夫…………⁉」
思わず、翠が駆け寄ろうとすると、怜理が口を開いた。
「不破さん、リクエストしていいかな。提案があるんだけど」
「どうぞ」
「場所を移してこの子から情報を聞き出すっていうアイデアはどうかな?銃や異誕が仲間にいるような奴らだ。病院に乗り込んでこないとも限らない。警察病院の警備だって絶対じゃないでしょ」
「同感です。おまけに、今回は警察の通常の取調べはふさわしくない」
「うん、だからさ……椿姫、頼めないかな?ちょっとだけ、屋敷の空き部屋を貸してほしいんだ」
話を振られた椿姫は、やや驚きつつも、やがて、綺麗な顎を引いて肯定の意を示した。
「広さも設備も充分ですし……別に構いませんよ」
「ありがとう。じゃ、取り調べは代わりに私が引き継ぐよ」
「お願いします。しかし、その時の様子は必ず私に中継してください」
「任せておきなよ、強面の不破さんが無理なレベルまで落としておくからさ」
「なら今度勝負しますか」
不破が眉間のあたりを揉んで、薄く笑った。
これだけ広い病院だと、万が一敵に狙われた時、侵入経路を塞ぐのは困難だ。病院は特定の一人を守るにはあまりにも人が多すぎる。おまけに、他の患者や職員が巻き込まれるかもしれない。
「………看護婦さん、呼びますね」
二人のやりとりを尻目に、翠はナースコールのボタンに手をかける。
指がかすかに震えていた。
その後、執刀に立ち会った女医の立ち合いのもとで、簡単な問診が行われたが、白翅はまともな受け答えを返すことができず、また再び気を失うように眠ってしまった。
「脳やその他に何か大きな異常はありません。おそらく、過度の疲労と消耗によるものでしょう。ですが……」
その先を聞いて、翠はますます困惑した。
「この子、どうなってるんですか?全身麻酔をかけても全然寝ないんです。これ以上は危険だってくらい投与してようやく……」
確かに投与しすぎかもしれませんね、と怜理が口を出す。
「私達の治療の時と同じくらい使ったんですか?麻酔」
「ええ。こっちだって、サディストじゃないんですよ。寝ないと、ずっとこの子苦しんでるんです」
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