第二話 名も無き末裔 case9
雨が激しく歩道に打ちつけ、水が絶え間なく跳ねている。分室の四人は、天悧家の裏手を抜けると、曇天の下、隠れる事ができそうな場所をひたすら探していた。
広いエリアになると二手にわかれ、こまめに連絡を取りながら移動する。
もし敵の異誕に襲われたらインカムで連絡するように、気配を感じても連絡するようにと椿姫達にも、怜理は伝えていた。
不破は事件現場付近で、随時無線に取りついて情報を整理してくれている。
不破が手配した覆面車両を運転する怜理の横で、翠は端末をタップして、マップ上の探し終わった場所にマーカーをつけていく。
「怜理さん」
「どうしたの、翠」
「天悧家の塀、弾丸の痕がありましたよね」
「うん。不破さんや他の警察官の話だと、現場では銃は見つからなかった……だからおそらくその異誕か、その仲間が持って帰ったんだろうね」
不破が得た情報によると、天悧家の敷地の中からは、不審な人物の遺体が五人分見つかった。
全員が迷彩服を着た男達だったという。日本の片田舎には似つかわしくない出で立ちだ。
「その人達、異誕の仲間だったんでしょうか」
「おそらくはね。でも、なぜか死んだ」
「どうしてでしょう……仲間割れ?」
「あり得ない可能性かもしれないけど」
何かを見据えるように、怜理は視線を上に向けた。
「返り討ち、とかね」
「まさか……!」
「わからない。から、これから調べるんだ。翠。とにかく今は冷静にならなくちゃいけないよ。じゃないと大きな見落としをするかもしれない」
怜理が
返り討ち?まさか。あの女の子が?
写真で見た、天悧白翅のとてもおとなしそうな顔が脳裏に浮かんだ。
返り討ち?どうやって?
やがて、翠達は地元の自然公園に辿り着いた。
山側に近く、中に道路の通った小さな作りの、寂れた雰囲気の自然公園だ。
足元を覆う芝生は、手入れがあまり良くないのか、ところどころ枯れている。
近所の住人達がウォーキングをしたりする時によく使うらしい。
出入口の車止めに停車して、外へ出ると、冷たい土砂降りが翠達の身体を直撃した。
同時にガンベルトのホルスターから取り出した、P226のスライドを引き、交戦に備える。起き上がった
雨で髪が顔に張り付き、視界が
「じゃ、私はこっち。なんかあったらすぐ言いな!」
「了解、気をつけます!」
そして、大きな木々の立ち並ぶ分かれ道で、二手に分かれた。
最小戦術単位である二人を下回ったが、時間が惜しい。不可抗力だ。
西側の通路から入り、順番に木々や林の中、小さなキャンプサイトまで順に見ていく。
着こんだスナイパーコートが雨を弾く。履いた軍用ブーツが水を吸った芝生を踏みしめていく。
濡れたミニスカートが、太腿に張り付いて、ひどく冷たかった。
「やっぱり、屋根のあるところを探した方がいいかな……」
この雨の中だ、逃げる側も野外にずっといるわけにはいかない。どこかで雨を凌ぎたいと思うはずだ。頭に叩き込んだ、入口近くにあった公園の案内板を思い出す。
「そうだ、トンネル!」
今いる地点の近くには、車の通れる通路がある。そして、それは自然公園中のトンネルから外まで繋がっていた。
湿った緑地を超え、前方に広がる緩やかな傾斜を下ったところに、ぽっかりと口を開けたトンネルが見えた。
翠は念のため、太腿に巻き付けたホルスターから、P226を取り出し、右手で構えながら、反対の手でタクティカルライトを構えた。手の甲同士を合わせてライトを安定させると、小さいが、強力な光が夜の闇を切り裂く。傾斜をゆっくりと降り、慎重な足取りでトンネルの中へ、すり足で入っていく。
光の円が、闇を照らし出した。銃身が闇の中で鈍い輝きを放つ。
トンネルを中ほどまで進んだ頃だろうか。
「……!」
翠は胸の中で声を上げた。
ライトの光を当てたあたりで、何かが向こう側で光ったような気がした。
トンネルの真ん中を進む翠から見て、左側に何かが低くうずくまっている。
銃口の先に、何か細長く白いものが見えた。
……人間の脚だ。生足で、泥まみれ。抜けるように白い肌が、ライトの光を反射している。
被害者は靴を履かずに、いやおそらく履くことができずに素足で逃亡した。現場で確認した情報を思い出しながら、翠は銃を下ろし、ライトを片手にゆっくりと近づいていく。
……一人の少女がルームウェア姿で、壁にもたれかかっていた。
身体を照らすと、服のあちこちが引き裂かれ、血で汚れている。白い脚を伝って、素足の指先にまで血が垂れていた。翠の胸の内で、鼓動が激しくなる。太い血管に傷が付いていれば命に関わる。
「…………天悧白翅さん?」
「…………」
間近で立ち止まり、翠は少女に呼びかけた。血の匂いが鼻を差した。普通なら、かなり離れていても、翠の嗅覚は血の匂いを容易に察知することができる。しかし、雨の匂いのせいで、血を嗅ぎ分けることが出来なくなっていたのだ。おそらく、逃げる途中で彼女が流した血も、雨で洗い流されてしまったのだろう。
『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………』
返事がない。雨の音に混ざって、弱々しい呼吸音だけが、聞こえてくる。
ライトを下げて、地面に屈みこんだ。
「…………っ」
少女が薄目を開けて、こちらを見た。
はっと息を呑むほど鮮やかな紫色の虹彩に、翠の顔が映り込む。二人の視線が絡み合った。
意識があったことに安堵しながら、翠は声をかける。
「大丈夫だからね。私はあなたの味方だよ。私の声、わかる?」
反応が無い。薄目を開けたまま、ぼうっとこちらを見つめている。
ややあって、その目がすっと伏せられた。そのまま一言も発しない。
気を失ってしまったのかもしれない。素足で逃げるということ自体が、彼女の窮状を物語っていた。ここにも必死で隠れたのだろう。こんなところを襲われたらひとたまりもない。
追跡者達よりも先に見つけられた事に胸を撫で下ろしつつも、翠は緊張を緩めず、端末を操作してからインカムに呼びかける。
「天悧白翅さんを見つけました!マーカーを地図に付けてあります。みんなに共有してください」
『……!よし、すぐに行く。待ってな』
「はい、待ってます!」
返事をしながら、スナイパーコートをはだけ、ガンベルトに括りつけていた救急キットに手をかけた。
「早く、血を止めないと……!」
消毒された白い手袋を手に装着する。大腿部からの出血を止めるため、右脚の付け根に、取り出した止血帯を一本、しっとりと濡れたショートパンツの上から巻き付ける。
そして、エマージェーシーバンテージを、赤く染まった腿に当てがい、転がすようにして巻き付け、傷口を圧迫する。
それが終わると、腹部からの出血の対処にかかった。
翠は少女の身体をゆっくりと横に倒し、その細い肢体を伸ばさせ、血流を制限した。少女の口から、「ふっ」と息が漏れる。呼吸は相変わらず弱々しい。翠は、不安を押し殺すように処置に集中した。
真っ白な両膝に手をかけると、そっと優しく脚を閉じさせる。濡れた皮膚は氷のように冷たく、柔らかかった。
スペアの止血帯を使って足首と膝を縛った。最後に、遠慮がちにそろそろと上に着ているTシャツを脱がせると、滅菌ガーゼを出血している箇所に当て、完全に傷口を塞いだ。応急処置はこれで終わりだ。
躰がこれ以上冷えないように、水に濡れていないブレザーを脱ぎ、少女の全身を包むように覆った。
少女の青ざめた顔色は、回復の兆しを見せない。形の良い薄い唇も、紫色なままだ。
翠は額の汗を拭った。呼吸の具合を確かめるため、翠はその顔を覗きこんだ。
ひどく浅い呼吸音に、細い吐息をすぐ近くに感じる。
白く整った顔立ち。特徴的なグレーの髪。長い睫毛もあいまって、その容姿はとても儚げな印象を醸し出していた。
間違いなく、写真で見た、天悧白翅本人に間違いなかった。
「こんな子が、なんで……」
翠はそれ以上何も言うことができず、少女の紙のように白い顔を見つめた。処置のおかげか、顔つきも呼吸も、さっきまでと比べていくらか穏やかになってきていた。
「もう大丈夫だからね。今は休んでて」
パシャパシャと水音が聞こえてきた。誰かが、濡れた土を踏みしめて走ってくる。
そちらを振り向くと、トンネルの入り口に、片手を上げた人影が見えた。連絡を受けた怜理だった。
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