第二話 名も無き末裔 case8
† † † †
「もうすぐ着くよ。全員、準備はいいかい?」
「はい!」
「もちろん」
「いつでも」
助手席の怜理が後部座席に声をかけた。
翠が一番大きな声で返答し、椿姫と茶花が続いた。
椿姫達とおしゃべりに興じた後、翠は自宅に戻り、満足して眠りについていた。
が、夜中に緊急招集がかかってすぐに起こされてしまった。
迎えに来た不破が運転するランドクルーザーでここまでやってきたのだ。
そのため、一旦別れた椿姫や茶花とは、すぐに再会することとなった。
『手短に話す。千葉県N市にある町はずれの住宅街で殺人事件が起こった。しかし、状況がかなり奇妙だ。現場はひどい有様で、遺体が複数見つかっている。だが……いずれも身元不明だ。しかも、初動捜査に当たった警官によると、どうやらその家の住人じゃないらしい。
それだけでなく、家に住む少女が行方不明になっている。
正直、現地の警察も何が起こったのか把握できていない。
そして……現場近くで、首を吹き飛ばされた死体と、胴体を真っ二つにされた死体が見つかった。
翠達メンバーを拾い終えると、不破はそう伝えたっきり、無言でハンドルを握っていた。
考えることが多すぎて、喋る余裕も無いのだろう。
「不破さん、私達、今夜はやることが多そうだね」
「ええ。とりあえず現地警察との交渉は私に任せてください。怜理さんは、チームの統率を」
「任せておいてよ。こう見えて長いんだから」
怜理は分室が設立された当初からのメンバーだ。そして、必ず現役警察官から選出される『分室長』の任期は基本五年。不破はそろそろ三年目だった。
町はずれの住宅地で一軒家が襲撃。住人の少女は行方不明。先ほどからずっと、「行方不明」という文字が頭から離れない。
その子は無事でいるのだろうか。翠の小さな手に、冷たい汗が滲んだ。
マンションや俗化した区域からは遠く離れた一角に、ランドクルーザーが切り込んでいく。
タイヤが弾いた水がかかったフロントガラスの向こう側に、小さな住宅が見えた。
付近には赤いパトカーのランプがいくつも点滅している。
近くの歩道には、後部扉を開いた救急車両が止まっていた。
「あの家ですか?」
翠が尋ねると、不破が答えた。
「いや、違う。あっちは検証中なだけだ。行方不明となった少女の自宅の前で亡くなった二人の家だな。奇妙な遺体があると伝えただろう?」
「巻き込まれたんでしょうか」
「おそらくな」
「……家にいた子もいなくなってるんですよね」
「だね。異誕の仕業なら、ますます早く始末しなきゃ」
ひどくぞっとする声音で怜理が呟いた。声に出さず、翠は心の中だけで同意する。
「……見えてきました」
不破が片手をハンドルから離して指を差した。
白い外壁に、くすんだ赤のスレート屋根の、木造のこじんまりとした住宅。
家の裏手からは小さな石の階段が雑木林に続いていた。
建物自体は、どうというところもない一軒家に見える。
が、玄関のドアは吹き飛んでいるし、二階の窓があった場所には大穴が空けられており、いたるところの窓ガラスが割れていた。何か異常が起こったことは明らかだった。
それとほぼ同時に、翠の中で強い違和感が生まれた。
「間違いないわね」
「同感です」
椿姫が窓の外に険しい視線を送りつつ呟く横で、茶花がゆるゆると首を縦に振った。
『
そして、それは同じ異誕の因子を持つ者と、ある特殊な技術を使う者にしか察知することができない。
そうした人外の気配を察知した時、犯罪を犯した異誕生物を始末するため、分室は動き出すことが出来る。
三台の警察車両が、表札はかかっていない門の前で停車していた。
車のドアが開くと同時に、翠は飛び降りるようにして車の外に出た。
翠と茶花に挟まれて座っていた椿姫が後から降りてくる。
ふと、目を向けた先に立つ塀には、所々に抉られたような穴が空いていた。
翠がよく目にするそれは、日本の住宅地にはおよそ相応しくないものだ。
「これ、弾丸の……痕です」
思わず声に出す翠に、怜理が、「きな臭いね」と呟いた。
さっきまで見ていた地図をレインコートのポケットにしまい、支給された手帳を見せながら、怜理が警備の警官に声をかけた。
「ご苦労様。捜査に参加させてもらうね。あ、詳しくはこの人から。不破さん、お願い」
「了解。不破警視だ。警察庁から来た。この家の女の子の行方はどうなっている?」
突然現れた自分より階級の高い女性二人と、後からぞろぞろついて来る少女達にとまどいながらも、警備の巡査が答えを返す。
「は、はあ。それがまだ見つかっておりません。警察車両はいまだ近辺を捜索中です」
雨の音に混ざって、近くの車両からキイキイと無線の音が聞こえてくる。
「それじゃ、現場に入るよ。おーい、みんなおいで」
白手袋を嵌めながら、怜理が一同に声をかけた。
「お疲れ様です」
「あ、どうも、え、お嬢ちゃん、どこの子?」
現場はひどく荒らされていた。忙しく作業する鑑識課員達に挨拶しながら、翠は怜理の後をついて、内部を見回っていく。
家屋の中は、まるで局地的に台風でもやってきたかのように、家中が傷だらけにされていた。
特にリビングの荒らされ方がひどく、家具という家具が破壊され尽くし、床に砕けた状態で散乱している。
遺体の収容はもう終わったらしく、倒れている者はいなかったが、廊下には生々しい血の
「裏手の雑木林に、何かが通った跡があります。おそらく、そこから少女は逃走したものかと。足跡がありました。素足のものと、それから……」
言いにくそうに、地元警察署の捜査主任が答える。
「大きな、獣のような足跡が……」
「ありがとう」
怜理が礼を言った。
「まだ見つかってないんですよね。もう連れて行かれちゃったんじゃ……」
「まあまあ、これから見つけようよ。逃げ切ってるかもしれない……」
心配そうに呟く翠の頭をそっと怜理が撫でる。
けれども、あまり安心する事はできなかった。異誕に連れていかれた人間がどんな目に遭わされるのか、翠はよく知っていた。
だからこそ、今すぐに動き出したい気持ちで胸がいっぱいだった。
ふと、中に住む人を守る家がここまで荒らされている以上、住人が無事なわけがないのではないか、という考えが頭をよぎった。しかし、翠は頭の中からその考えをすぐに締め出した。今は、悲観的なことは考えたくもない。
「怜理さん、こちらへ。捜索のブリーフィングをしましょう」
不破が声をかけてくる。彼女も緊張した面持ちだ。
「わかった。地図でだいたい把握したからね。捜索の段取りはもう決めてある」
リビングから出ながら、翠は破壊されたこの家の平穏を悼んだ。
「とりあえず、詳しい現場状況解析は続けてもらうとして、我々は我々自身の仕事をこなすことにしよう」
住宅の軒先で、地図を広げながら、怜理は告げた。
「行方不明になっているのは、
今は一人暮らしだ。地元の中学校に通う三年生。写真はとりあえずこれを。預かってきた」
写真をカメラで撮影したものが、翠達の捜査用のスマートフォンに共有された。
ほっそりとした体つきに、グレーの髪の色素の薄い印象の女の子と、それに寄り添うように、目の細い優しそうな女性が映っている。
親子のわりに、あまり二人は顔が似ていなかった。
入学式の写真らしく、どちらも正装だ。
グレーの髪の少女は、控えめに笑みを静かに浮かべていた。すぐ隣では、母親も同じように笑っている。翠の胸が、強く痛みを訴える。その最中、不破が言葉を継ぎ、全員に指示を飛ばした。
「君たちは、彼女を捜索し、見つけ出せ。妨害を受けたら押し除けるんだ。犯行を行った異誕は間違いなく、天悧白翅さんを探している。周辺のカメラはもう抑えさせた。
それによると、彼女の姿は映っておらず、方向から考えて、このN市の中心部に向かったわけではないようだ。
反対方向に逃げたと考えると、彼女は雑木林を抜けて、隣町まで行った可能性がある」
「ここで問題となるのは……彼女は隣町の総合病院や警察署に辿り着いていないこと。夜通し歩けば辿り着けそうな気もするけどね。今のところ、報告は受けていない」
怜理が市のマップを端末で確認しながら自らの見解を述べた。
今は午前三時。近隣住民からの通報があってから三時間が経過しようとしている。
「どうしても見つからない理由として、考えられるのは……一つ目は最寄りの警察や病院を超えてできるだけ遠くの病院に行こうとしたけど、辿り着けてないという可能性。近くの病院だとすぐに捕まっちゃうと思ったのかもしれない。
二つ目は、もう捕まったという可能性。これは考えたくないけどね」
「……」
翠は唇を嚙みしめる。そうなれば天悧白翅の安全は絶望的だ。
怜理は冷静に続けていく。
「三つめ。傷ついているため、力尽きて動けなくなり、人気のないところに隠れている可能性。そのため、助けを求められていない。これを考慮して、最寄りから捜索範囲を広げていく。
彼女は今、携帯電話を持っていない。自室で壊れているのが見つかった。
壊された勉強机の下で、それにぶち当たってぐちゃぐちゃになっていたんだ。おかげで位置情報を辿ることはできなくなったわけだ。
彼女は助けを呼べない。財布が一階で見つかったから、現金もおそらく持っていない」
そこで言葉を切り、一同を見渡す。
一重の綺麗な黒瞳に、力が宿った。
「よって、私達はおそらく近場の逃げ込めそうな交番、警察署、病院の手前を探す。まず、可能性を一つずつ潰していこう。三つ目だとするなら、彼女は助けを呼べず、どこかに隠れているのかもしれない」
「分かりました。けど、よりによって大雨の日を選ぶなんて……」
「わざとでしょうか」
「……そうかもしれない」
知能のある異誕であればあり得ないことではない。
雨の日は、水に流されて路上の痕跡が残りにくい。そのことを敵が認識している可能性がある。実際に、異誕の中にそういった知能犯が現れた前例もあるのだ。
地面を叩く水音はどんどん大きくなり、雨は降る勢いを増したかのように思われた。
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