第二話 名も無き末裔 case3
学生は意外に、時間を共有する人々の範囲が狭い。
そこから両親を省くと、もっと少なくなる。
けれど、それでも代わりになってくれる人はいる。その分、自分は恵まれている方だ。
翠はいつも、そんなふうに考えている。
「でも良かったの?いつもとあんま変わんないコースだったけど」
「はい!新しいランチは美味しいし、それに映画も!期待してたより、うんっと面白かったです!」
「翠は邦画も好きだもんね」
「楽しいお話はみんな好きです」
午後一時を過ぎた東京都内のオープンカフェで、翠は落ち着いたひと時を過ごしていた。店舗自体はブラウンストーン造りの、レトロな雰囲気の建物だった。
落ち着いた色合いの木の机の上で、翠はホイップクリームを沢山乗せたコーヒーゼリーを小さな口に含んだ。冷たく甘く柔らかい味は、翠の好物の条件を殆ど満たしていた。
休日の安心感が幸福感を増やしてくれている。
今は春休みだ。翠の中学生最後の春休み。
『どっか遊びに連れてったげよっか。春休みになった記念ってやつで』
そう言ってくれた怜理は、翠の前でアイスコーヒーを飲みながらにこにこ笑っている。
人によっては、彼女の表情は軽薄に見えるらしいが、翠はそう思う人の気が知れなかった。
怜理は、くっきりとした一重瞼を愉快そうに細め、長い黒髪を整えた。
あるいは、師匠だろうか。それとも先生?
「そっかそっか。うん。なにより」
グラスを机に置いて、頬杖を突く。
「もう二十日もしないうちに新学期でしょ、何か抱負ある?」
「うーん。分からないです。あんまり高校生になる実感が湧かなくて」
翠としては、このまま中学四年生になるような感覚だった。
翠は注文した氷の入っていないレモネードを口に運ぶ。後味は爽やかだけど、少し酸っぱい。
「わかるよ。私もそうだったし。劇的に変わると思ってた。でも気付いたら勝手に進学してて、その前とあまり変わらなかった。受験が無いからかな。メンツも変わらないし」
怜理は翠達と同じ私立校に昔通っていたのだという。けれど、頑なに何回生なのかは教えてくれなかった。
「由香さんも、部活もっと頑張るって言ってました」
「演劇部の子だよね。良いことだ。翠も頑張らなきゃねえ。あ、今は休んでていいんだよ」
「はい。この後どうします?」
「私、翠が喜びそうな場所知ってるよ」
「どこでしょう?」
ワクワクしながら、翠はおどけて聞き返した。
「私の家」
怜理が楽しげに答えた。
「結局また映画観るんですね」
怜理の自宅は新宿にある一軒家だ。
警察庁の名で分室が借り上げている官舎であり、ここに彼女は高校卒業後からずっと住んでいるのだという。
スレートの屋根の鉄筋コンクリート造りで、最近改修したらしく、新たに作り直したかのように建物は綺麗になっていた。
リビングのソファに座ると、軽く部屋を見渡した。室内の様子は以前と全く変わっていない。
今は一人暮らしをしているが、翠は二年前までここで怜理と共に暮らしていた。
「どうせ一人で住むには広すぎるしね。まあ、転がり込んでいくといいよ」としばらくは親代わりをしてくれていた。
必要なものしか置かれていないがらんとしたリビングに、カーペットとふかふかのソファが置かれており、奥には大きなテレビがでんと据えられている。
その隣の部屋は映画のブルーレイが大量に入った棚がいっぱいだ。怜理の唯一の趣味であり、テレビよりもきっと多くの資金を費やしているだろう。
「仕事が無かったら、私は一日中観てるもんね」
怜理がラフな印象のジャケットを脱いで、ハンガーに引っかけた。
翠はカーテンを全て閉め、部屋を真っ暗にして、シアターの雰囲気を家の中で再現した。
怜理は棚にしまわれたコレクションの中から『コラテラル』を取り出すと、プレイヤ―に挿入すると、翠の隣に勢いよく腰を掛けた。
「最近買って来たんだ」
「怜理さんでもまだ見てない映画あったんですね」
「そりゃそうだよ。コレクションの中にもまだ観てないのあるもん」
映画が、静かに始まった。
うっかりプロの殺し屋を乗せてしまった、冴えないタクシー運転手の話だ。
しばらく話が進むと、絡んできたチンピラ風の男達を、白髪交じりの殺し屋がスタイリッシュに射殺する。運転手は困惑しながらも、その状況にどうすることもできない。
青白いテレビの光に、画面の中で閃いたマズルフラッシュが混ざった。
『撃っただけ。銃弾が殺した』
画面の上で殺し屋が無責任に言い放つ。
「そりゃないよ」
怜理がぼそっと呟いた。
翠はよく銃を撃つ。
仕事柄どうしても必要だからだ。撃った相手も色々だ。異誕もそうでないものも。
自分もこれくらい無責任でいれたらいいのに、と翠は一瞬考えてしまう。
画面上では、タクシー運転手がひどく狼狽しながら、殺し屋の男を乗せて走り出した。
なんだかんだで、この二人も、きっといつか分かり合うはずだ。
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