第二話 名も無き末裔 case4

† † † †


「結局謎は謎のままか」

「何?急に」

「いや、天悧あまりのことだよ」


「……?わたし?」


 前を歩いていた同級生の安西あんざいが急にこちらを振り返った。

 そばかすのある、眉の太い顔は、いかにも気が強そうだ。

 その横を歩く坂田はきょとんしている。他の二人の女子も同様だ。


 前を行く仲良しグループの子達が、悪気なく道を塞いでしまい、後ろから来た先を急ぐ女性が迷惑そうに立ち止まっていた。

 慌てて横にずれると、女性は素早く通り抜けた。


 真昼なのに道を行く学生の姿が多いのは、今日が卒業式の学校が多いからだろう。

 白翅の中学校もそうだった。白翅は、四月にはこの千葉県の公立高校に進学する。


「いや、天悧の髪な。結局ご先祖に外人さんがいるのかいないのかって話」


 そう言うと白翅の髪を遠慮なく指差した。白翅の淡いグレーの髪は、染めているわけではなく、生まれつきのものだ。

 自分では特に気にしてはいないのだが、やはり気になる子はいるらしく、安西は三年生でクラスが同じになった時、「あんたって外国人?」と尋ねてきたのだ。

 でもすぐに、「いや、でも顔的に違うか」と訂正した。


 以来、ごくたまに話しかけてくれる。

 今日も卒業式を終えた後、なんとなく合流したから一緒に歩いているだけで、どこかにみんなと遊びに行くわけでもない。

 人見知りで、その上無口な白翅には、話をしたがる人も少ない。安西のような存在は珍しかった。


「そう、だね」

「別にいいけどね。あんた、進学する高校どこの学校だっけ」


 気の利いた返事を返せない白翅に不満を漏らすわけでもなく、安西はふんふんと納得して他の子達と次の話題に移ったり、かと思えばまた同じ話題に戻ったりする。

 今の話題は、卒業後の勉強はどの程度難しくなるのかについてらしい。


 姉がいる安西は、数学が高校になるといかに難しくなるかについて語っている。

 並んだ店舗や、オフィスの入ったビル街を通り過ぎて、集合住宅やコンビニが多く立ち並ぶ歩道にやってきた。

 もう少し時間をかければ家に続く道に辿り着く距離だ。


「…………!」


 白翅が足を前に出した瞬間、急に首の後ろが冷たくなった。

 ぞわ、と背筋が寒くなり、鼓動が一気に早くなる。

 首の一部に氷の針が突き刺さっているかのように、寒気は引いてくれない。


 咄嗟に、白翅はその原因を探し出そうとした。頭が自然に跳ね上がり、視線が上に吸い寄せられる。

 歩く歩道の脇に並んでいる複数の賃貸マンション。そのうちのどれかからだ。

 隣、じゃない。もう少し離れたところだろうか?目の前を安西たちのグループが、自分を置き去りにして先に歩いていく。

 安西が先頭で、何かを言いながら元気よく足を前に出そうとしていた。


「……まって」


 小走りで近づくと、白翅は安西の手を思い切って強く掴んだ。


「な、なんだよ⁉急に⁉びっくりするじゃん」


 戸惑ったように叫ぶ安西。

 普段機敏に動くことの無い、白翅の行動に驚いているのだろう。

 周りの友人たちも、「どうしたの?」と戸惑っている。


「……止まってて」

「だから、なん」


 白翅は答えずに二軒先のマンションに目を向けた。危険だ。何かは分からないけれど危険だ。

 不意に、五階の窓に人の姿が映りこむ。若い男だ。疲れたような眼で下を見渡し、そのまま彼はベランダに出た。そして、手摺に無造作に手をかける。

 するすると、窓から宙を何かが滑り落ちていく。それは歩道にぶつかると、パン、と大きな音がした。あっという間のことだった。


 歩道には男が倒れていた。

 大の字になって、体の前面を下にしている。叩きつけられた部分から何かが流れ出し、歩道を濡らしていく。

 白い陽を浴びてそれが鈍く輝いている。

 血だ。そして、それ以外の内臓。

 鼻のあたりに生臭い匂いが漂ってくる。

 頬に湿った感覚があった。空いている方の手を、そっと頬に当てた。

 腕を掴まれたまま、安西が恐ろしくゆっくりと振り返った。


 歩道の血に視線を送る。ふと、自身の掌に視線を戻した。

 さっき跳ねた血て、白い指先が赤く染まっている。


 時間が止まったような沈黙を破って、坂田と他の女子達、そして通行人たちが一斉に叫び声を上げた。

 安西は口をパクパクさせるばかりで、声を出すことも出来ていない。

 そして、そのまま戸惑ったように白翅に目を向ける。どこに視線を送ればいいのか分からない、というようにひどく目が泳いでいた。

 白翅は思わず俯いて視線を外した。周囲の人たちが携帯を取り出して、口々に何かを捲し立てて通報している。


「…………あ、ありがと。助かった」


 安西がやっとの様子で言葉を絞り出した。

 あのまま進んでいれば、落ちてきた身体とぶつかっていただろう。

 それから、急に「いてぇっ」と叫んで、白翅の手を振りほどいた。


「強く、掴みすぎ……」

「……ごめんね」

「いや、いいよ……」


 安西の腕には、くっきりと内出血した紫色の手形が付いていた。


「なあ、うちらってさ……」


 周りの子たちが中西に注目している。


「天悧さん、ほっぺたに血が……」


 他の子が、白翅の顔を指差した。


「やっべ、怪我してんじゃん!」

「やばいってほどじゃないけど……、あ、さっきので切れたのかな!?」

「ちょ、ハンカチ……いや、ティッシュか……!?」


 安西たちがパニックになったように慌てている。

 平気、と手伝いを断り、数枚のティッシュを受け取り、血の跡に押し当てた。


「……ありがとう」

「切れて、ない、みたい……、だな。よ、よかったな。……な、なあ……うちら、ただ、ちゃんと帰ってただけだよな………?寄り道もせずにさ………」


 ただ呆然として、言葉を続けている。


「なのに、どうしてこんなケチがついちゃうんだ?」


 答える者は誰もいない。

 せわしなかった雑踏は、いまや静止している者か、その場から足早に立ち去る者ばかりだ。





「ただいま……」


 町はずれに立つ家に、いつも以上に時間をかけて帰宅すると、白翅は玄関を開け、奥に声をかけた。

 返事は返ってこない。分かりきったことだが、もう習慣になってしまっている。

 昼間なのに薄暗い廊下の木の床を踏んで、居間に入っていく。

 もう着ることのない制服を脱ぎ、洗面所で顔を洗うと、すぐに落ち着いた色合いのインナーに着替えた。

 幸いにも、顔以外に血は飛ばなかった。

 あの後、みんなはバラバラに解散してしまった。何人かは卒業記念に一緒に食事に行く約束をしていたらしい。だが、あんな事があった後に食事をする気分にはなれないらしく、一同は顔を曇らせて、ひどく憂鬱そうだった。


 外食しない子たちはどうしているだろう。

 家に帰れば、お祝いの料理を作ってくれる人がいるのだろうか。自分とは違って。

 なんとなく何も食べる気がしなくて、膝を抱えて、居間の畳の上に座り込んだ。

 外はまだ明るくて、家の中は薄暗い。


「………………」


 部屋の端に置いてある小さな机に目を向ける。

 そこには一つの写真立てが置かれていた。

 白い木の枠の中では、線の細い、優しそうな女性が静かに笑っている。天悧家に仏壇は無く、遺影を置く場所はそこしかなかった。

 母は「私の実家には無かったから」と言っていた。確かに、お坊さんを呼ばないのに、仏壇は必要ないだろう。



「……今日ね。少し間違えたら死んじゃうところだったの」


 遺影の母に向かって、今日あった出来事を、ぽつぽつと話した。

 死が近づいた、明確な瞬間のことを。


「お母さんも、死んじゃいそうなこと、昔、あったんだよね。……怖かった?私は……」


 白翅は言葉をか細く継いだ。


「ただ、助からなきゃって……。そう思ってたの。だから、あんまり怖くなかった……」


 返事は返ってこない。

 もういい、と本当に小さな声で呟く。

 そして、目元をそっと拭った。

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