第二話 名も無き末裔 case1
夜が赤く紅く染まっていく。
火の粉が飛び交い、吹き上がる炎が夜色の空以外の全てを朱に彩り、濃い黒煙が全てを埋め尽くしていく。
業火の中、絶え間なく発砲音と連射音が鳴り響いていた。
そこは、人里離れた山中に古くから存在する、森の奥に閉じ込められたような集落。
幾世代にも渡って守り継がれてきた、とある一族の隠れ里。
外界に、ほとんど存在を知られることの無い人々の安息と安寧の地。
此の地には、今や地獄が具現し、あらゆるものが終わりを迎えつつあった。
集落の全域を余すことなく、襲撃者達の攻撃が焼き払っていく。
その最深部に立つ屋敷にも、攻撃の手が押し寄せていた。
味方による弾幕の援護を受けながら、屋敷の二階の窓を一人が銃撃で破る。
こじ開けられた穴から、三つの人影が次々に飛び降り、地面に音も無く着地した。
姿勢を低くして、遮蔽の陰に身を隠しながら、一斉に駆け出した。
黒煙が三人に押し寄せ、逃げる影を覆い隠す。
女が二人、男が一人。
一番後ろを走る──まだ若い長い黒髪の女が、むせながらも足を進める。
その背中には、まだ小さな赤ん坊が背負われていた。
前を走る二人は慣れた足取りで、地面を蹴っている。
対照的に、黒髪の女の身体つきは最も華奢で、鍛えている様子も無い。
息を切らして、迷路のように入り組んだ森の中をただひたすらに走る。
いつもであれば、夜になれば虫の鳴く音すらも聞こえない静かな道は、轟音が支配していた。
「急げ!追いつかれるな!」
先頭の男が指示を出し、一番後ろを並走していた女が速度を落として、赤ん坊を背中に背負った女の後ろに回って、手に持つ
銃声に紛れるようにして、苦痛に耐えかねたかのような長い悲鳴が聞こえてきた。
一族を襲った敵達のものだろう。
彼女達の同胞の中に、あのような声を上げるものはいないはずだ。
闇に覆われた道を走り続ける。慣れた道が、今は別の道であるかのように走り辛かった。
木立を抜けた先に、首のもげかかった死体の山が唐突に道を外れた草地に現れる。
その近くに転がる自動小銃は、実際に自分が扱ったことのないものだった。
道を抜けた後、現れた大木のそばには複数の死体の上に身を横たえる姉妹の少女の死体が目に入った。
彼女達も一族の者達だった。
何かを複数人で囲むような陣形のまま、後ろから刺突と銃撃を受けて死亡している小隊規模の死体が、その先に散らばっている。
と、その時。
人影が一つ、林の木の陰から姿を現した。
異国の言葉で鋭く何かを叫び、こちらに向かって飛び出しながら、腕に抱えた物を突き出して来た。
彼の言葉が、警告で無いことは確かだった。自分達と同じ言葉を使っていないのだから。
「下がれえ!」
先頭の男が警告する。次の瞬間、着弾した擲弾が爆発し、土砂を撒き散らした。
地を割る衝撃に片耳の鼓膜が揺れ、キーンとした耳鳴りで、それ以外は何も聞こえなくなった。
思わずたたらを踏むと、手を引かれた。冷たい素手の感触からして味方のものだと分かったので、恐怖が少し和らいだ。
しかしそれも束の間、あらん限りの力を振り絞り、走り出す。先を走る二人が手にした銃で猛然と援護射撃を開始した。
目の前に立ち塞がった敵が、一瞬で蜂の巣にされて崩れ落ち、手に持つ武器を取り落とした。
いつの間にか、遠く彼方で鳴り響いていた戦闘音は、随分と小さくなっていた。
一同は、あらゆる音を振り切り、開けた場所に飛び出した。
「だいぶ静かになったみたいだが……どうしてご当主はこちらに来られない。まさか……」
「足止めを食らっているのでしょう」
「様子を見にいかないといけないんじゃないのか⁉︎」
必死の形相で護衛役の女が言う。
「それはこの子を逃がしてからです……」
なんとか赤ん坊を背負った女が声を絞り出した。女も、端くれとはいえ一族の人間だ。
自らの主が不覚をとることなど微塵も考えていない。
だが……未知の出来事に対して、彼女の確信は大きく揺らいでいた。
再び遠くで爆ぜ始めた銃声が、一抹の静けさを破る。
「見つけられた者がいるか」
森を抜けるため、獣道を前進する。
足首から先を失い、転がっている野戦服の男。
穴だらけにされた死体。倒れているものは、みな死体だった。
「さあ、早く」
背後からまた新たな敵が現れるかもしれない。思わず両手で耳をふさぐ。
こんな時でも背中の子は泣き声すらあげていない。
背中に弾が当たるのではないかという恐怖が頭の中から消えてくれない。
もしやすでに事切れているのでは、とも考えたが、背中に伝わる僅かな鼓動を感じ、安堵する。
この子と位置を入れ替えれるものなら入れ替えたい。
頭の片隅に残る一族の教えが、彼女の中に他者を庇う意識を思い出させた。
しかし、どうやって?それが思いつかない。今にも襲い来る弾丸が、背中の子に当たるかもしれない。
あるいは、自分の頭に当たるかもしれない。 更に恐ろしいのは、背中の子を貫通して自分をも貫くかもしれないということだった。
自分ごと跡形もなく吹き飛ばされるかもしれない。こんなにも恐ろしいことがあるなんて今まで考えもしなかった。
ただ全ての神経を逃げることに集中させる。
火の粉が舞う赤い道を走り続けた。
逃れるために。逃れた先のことを想像することすら
轟音と叫び声が、再び背後で鳴り響く。
頭と首に、粘ついた何かが勢いよく背後から飛んでくる。
大勢の足音が近づいてくる。ガチャガチャと装備が擦れる音がする。
先頭の二人が、振り返って銃撃した。
それでも足を止めない。立ち上る臭気を無視してひた走る。
塞いだ耳で、確かに自分の叫び声を聞いていた。
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