第一話 闇に浮かぶあなたの顔は case7
「ええ、確かにこの子です」
「間違いありませんか?」
「はい。結構親しげに話してましたよ」
執務室でメンバー達が解散した
年齢の割に見た目は若々しく、顔立ちは細面で、あまり洋子には似ていない。
夫とは既に死に別れており、一人で洋子を育てていたようだ。
今になっては、この部屋に住んでいるのは彼女だけだ。
生活のために、勤務先の企業で忙しく働いているらしい。写真で見た時よりも、彼女はずっとげっそりとした様子だ。
仕事に没頭しても忘れられないことはある。それは椿姫だって実感したことがあった。
椿姫は警察関係者を装って、牧村家に聞き込みに訪れていた。
もう一度、洋子と森下麻衣の関係を洗い出すためだ。
そして、写真を見せて交流が無かったか尋ねたところ、
「一度うちに遊びに来ていたことがある」というのだ。
「私が仕事から帰ってきた時に食卓のテーブルで、楽しそうに冗談を言ってて……内容は思い出せませんけど、他愛ない話だったと思います。私にも、その子……森下さん?を紹介してくれましたし……」
「ありがとうございます」
応じながらも、椿姫は思考を巡らせる。翠達が聞き取りをした時に得た情報と微妙に食い違う。
たまに話したり、偶然帰りがいっしょになる程度の仲のはずが、家に直接遊びに行ったこともあるようだ。そんなことは、親しくなければできないことだ。
森下麻衣は、牧村洋子との関係をごまかそうとしている。
昨日不破から受け取った資料の内容が、ふと脳裏をよぎった。
「こうやって……」
不意に耳に届いた声に、椿姫は思考に没頭するのをやめて、顔を上げた。
洋子の母親は窓の外を見つめていた。
黒っぽい雲に半分隠された夕陽が、窓の外で弱い光を放っている。
「何でしょう?」
「あ、ごめんなさい。こうやって、待っていると……娘がひょっこり帰ってくるんじゃないかと思ってしまうんです」
遠い目をして、彼女は続ける。
「そんなはずないのに。おかしいですよね」
寂しげに笑うその笑顔も、すぐに消えてしまった。
「そんなことありませんよ」
椿姫は答えた。
「私にも、似たことがありましたから。いや、私達に、かな。なかなか慣れないんです、この感覚」
そう、この感覚。今も感じている、永遠に埋められない傷が、開きっぱなしになってるかのような強い喪失感。
そして、誰かを永遠に失ってしまった事実を受け止められないということにも、人は簡単に慣れることはできない。
「刑事さん、ずいぶんお若いのに。苦労されているんですね」
「そんな……関係ないお話、失礼しました」
椿姫は一礼し、つい喋り過ぎたことを少し反省する。
「ご協力感謝します」
「いいえ、良いんです。気は紛れましたから」
悲しげに、洋子の母親は微笑んだ。
聞き込みを終えて、部屋を出ると、マンションの正面玄関の陰から、
「終わりましたか」
「ええ。確かに森下麻衣を疑う価値はあると思う」
椿姫は黒髪のウィッグをとり、伊達眼鏡を外して、茶花が突き出した紙袋に入れた。
椿姫は背も高く、顔立ちも大人っぽい。手帳も支給されているため、警察官に化けることができる。ただ、この地毛はどうしようもない。それに顔も目立つ。
美人なのは自分でも誇らしいことだとは思っているが、人の印象に残りやすいのがこんな時はデメリットとなる。
女性は特に、多少髪型や色を変えるだけでも、普段とはかなり違った印象になる。
だからこそ犯人と思われる人物も変装した。
「椿姫さんは普段の方が椿姫さんらしいです」
「そう?大人に見えたかしら?」
「椿姫さんの年齢だと、昔だったら小さい大人、といったところなので充分なのです」
「アンタは確か、それくらいの時代に詳しいもんね」
「詳しくはないですし、茶花はそんなにお年寄りではありません」
プイッと茶花がそっぽを向いた。
この子の機嫌は相変わらずよく分からない。
「むきゅー」
茶花が気持ち良さそうな声を出した。
鳶色の頭を撫で続けながら、椿姫は頭の中で、不破から渡された資料の内容と言葉を反芻する。
『森下麻衣は現在、親戚のもとに身を寄せて暮らしている。母方の親戚だ。だが、あまり歓迎されていない。事情が事情なんだ。書いてある通り、麻衣は戸籍上の父親の子ではない』
麻衣の母親は麻衣の戸籍上の父と結婚する前から、他の男の子供を妊娠していた。その男はミュージシャン志望の典型的な夢追い人で、とても結婚して子供を養うことはできなかった。
そこでその子を養うために、麻衣の母親は自分に想いを寄せている、自分にあまり詳しくない、定職に就いていて人が良い男を選んだ。それが麻衣の父親だ。そう、戸籍上の。
二人が結婚した後も、関係は続いていた。が、ある時そのことに父親が気付き、親子鑑定を行い、麻衣が自分の子でないことも突き止めた。
父親はそれが発覚した直後、浮気相手の自宅へ訪れて、インターフォンを鳴らして出てきた相手を包丁で刺し殺した。
次に所持していた猟銃で妻を射殺し、麻衣の目の前で銃口を咥えて引金を引いた。
麻衣自身に大した怪我はなかった。
現場となった自宅マンションの居間で、床に倒れた父親の遺体をずっと見つめていたらしい。
『彼女の個人情報と指紋が、過去の事件の際にデータベースに残されていてな。そこから調べたんだ。で、これが浮気相手の顔写真を見ると、確かに麻衣の顔とよく似ていたよ。これなら顔を合わせた瞬間に分かっただろうな』
『あれ?』
急に訝しげな声を上げた翠に、全員の視線が集中する。
『似ていると言えば、この人も洋子さんに似てません?ほら、目元とかほっぺのあたりとか。髪の毛とかも少し伸ばせば……』
よく確認してみると、確かに翠が言うように、髪の長さは全然違うものの、髪を長くし、化粧を変え、肌の色をもう少し濃くすれば、彼女の顔立ちは洋子に似ていた。
そして、翠が写真の麻衣がかけている眼鏡を小さな手で隠した。
目元のあたりも、横顔も、口元も。確かに、全体的に似ている。
実際に画像の加工が行われ、モニターにそれが映し出されると、疑惑はますます大きくなった。
『確かに……ここにも似た人間がいたわけだ。いったい、どうして……』
仮に麻衣が犯人であれば、洋子と、そして自分と似た人物を選んで犯行を行っていることになる。嫌な予感がした。
もし予想が当たっていれば、最悪の場合、その事実は椿姫達のチームにとって、脅威が顔裂きだけでは無くなったことを意味する。
「わかんないのは動機ね……」
捜査用のスマートフォンをタップし、同時通話モードを起動する。
すぐに出た不破に、聞き取った情報を伝えた。
『ありがとう。把握した』
「けれど、証拠は揃ってません。どう動きます?」
『決まっている。現場を抑えよう。近々動くはずだ』
『顔裂き連続殺人事件』は、今回で三件目。一件目と二件目には十五日の間隔が。
そして二件目と三件目には七日しか間隔が無い。
おそらく、犯人は近々痺れを切らして、また殺すだろう。
犯行の間隔が短くなってきているのは、それだけ相手が焦れてきていることの証明に他ならない。
「椿姫、了解しました。森下麻衣を追尾します」
『スタッフたちの援軍も、すぐに手配しよう。翠達にも伝える』
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