第一話 闇に浮かぶあなたの顔は case4

 霞ヶ関かすみがせきにある警察庁けいさつちょう本部ビル。

 その五階に、「異誕対策特務分室いたんたいさくとくむぶんしつ 治安ちあん調整分隊ちょうせい分隊」のオフィスは存在する。

 ただし、部署に名称は有っても、部屋の扉にはネームプレートが取り付けられていなかった。


 任務を終えた白翅たちは、人の少なくなった庁内を足早に移動し、扉の前に立つ。

 不破がセキュリティーコードを打ち込むと、扉のロックが開いた。

 部屋の中では、窓から差し込む夕陽が四十五平米ほどのチームメンバー達の執務室を赤く照らし出し、あちこちに影を投げかけている。

 最初に入った不破が窓に近づくと、ブラインドを下ろし、電灯を灯した。


(ここ、久しぶりに入ったな……)


 前にこの部屋に入ったのは、二週間ほど前のことだった。

 彼女たちは有事の場合にだけこのオフィスに出勤する。

 内装は簡素なもので、壁際に並ぶキャビネットや本棚、そして温かみのあるデザインのデスクが四つ中央に置かれている。壁紙も落ち着いた色合いのものだ。


 部屋の奥には不破が座るための大きなデスクがあり、その上には閉じたノートPCが乗せられていた。すぐ側にはホワイトボード。東京都全域の地図が張られ、あちこちに赤くマーカーが付けられている。

 時刻は午後六時を回っていた。不破がまず自分のデスクにつき、それに四人が続く。白翅が自分の席に着こうとすると、その席に、翠が腰掛けた。翠と視線が絡んだ。


「あっ、ごめんね。白翅さん」

「ん-ん……」


 慌てて翠が立ち上がり、照れくさそうに笑った。白翅は首を横に振ると、そのまま椅子に座る。

 翠がすぐ隣の席に座り直し、茶花がその正面に、その隣に椿姫が姿勢よく座る。


「それではブリーフィングを始める。今日の事件の確認と、それから昨日の事件の情報の共有、そして今後の方針についてだ」

「今回はどんな感じで治めるんですか?」


 椿姫がみんなを代表するように声を上げた。現在の所、彼女がこのチームのリーダーだ。それに対して、不破は「異誕対策特務分室いたんたいさくとくむぶんしつ」全体の指揮官という形になる。肩書は『分室長ぶんしつちょう』。

 きっちりと背広を着こなし、長身で、いかにも頭の切れそうな切れ長の目を持つ風貌は、指揮官に相応しい落ち着きを湛えていた。


「ああ。ぬかりはない。まずあの近隣一帯各所に爆弾を仕掛けた、という脅迫を受けて警察が市民を退避させた。その後も脅迫が続いたが、逆探知および周辺の捜索によって犯人が特定された。犯人はストレスがピークに達した挙句、大学で鼻つまみになっていた理系の学生で、パトカーから逃げる途中車でハンドルを切り損ねて事故で死亡。現場付近の戦闘の痕跡は全て、爆弾が脅しでないことを証明しようと犯人が爆破したせいとなり、犯人は被疑者死亡のまま送検。これで話をつける」

「遺族は?」

「犯人は天涯孤独。架空人物のモンタージュをテレビで流させる」

「ホームセンターの惨状は?」

「そこにも仕掛けられていたことにする」

「生き残った人たちの証言は?」

「記憶が混濁しているんだろう。怪物のせいにしたいような悲劇は今の世の中にはいくらでも転がっている。監視カメラの映像に関しては……回収するだけしてシラを切るさ」


 翠は愛らしい顔に複雑な表情を浮かべている。彼女の顔が曇るのは、たいていこういう時だ。慣れていないのもあって、白翅はブリーフィングの時間があまり好きではなかった。

 夕闇に沈む、日本警察の中枢を司る行政機関の隠された一室に、成人に達してもいない少女四人と若手捜査官一名。

 この部屋の特異な状況が、この部署セクションで扱われる案件が常軌を逸したものであることを物語っていた。

 『分室』は、秘匿された『とある存在』と戦うために設立された特務機関であり、白翅達はここで戦力として雇われている、少人数制の特殊部隊とくしゅぶたいのメンバーだ。


「で、君たちが、今日は翠と白翅が異誕を駆除したわけだ。今日の『異誕事件いたんじけん』はこれにて解決。報告書は後で頼む。分からなかったら私に聞きなさい」

「はい」


 翠がにっこりと微笑んだ。 椿姫が声をかける。


「あたしでもいいわ」

「茶花でもいいですよ」

「あんたは翠の後輩でしょ?なに言ってんの」


 翠が、あはは、と声に出して笑った。やっぱりこの子には笑顔が似合っている。


異誕事件いたんじけん』とは、ある特定の存在が犯した犯罪を示す、特例事案の名称だ。

 その存在は唐突に発生し、時として人々の生命を多数奪うことさえある。


 人智を超えた力を持つが故に、古来より人々がただ「化物ばけもの」「妖怪ようかい」「怪異かいい」と呼んだ人外じんがい達。


 それが異誕生物。通常の生物とは異なる系統樹けいとうじゅから外れた存在であり、時に超常の力を発揮して、人々の生命を脅かすことがある。

 ただし、民間人の余計な混乱を避けるため、その存在は政府から秘匿されている。

 他の国がどうしているかは知らないが、おそらく似たような隠蔽工作がなされているのだろう。


 その証拠に、世間のニュースに異誕生物が姿を現したことは一度も無い。

 ただ、メディアや記録媒体の発達がめざましいゆえに、今朝、由香が見ていた動画のように、稀に映像が流出してしまうこともある。が、それもすぐに削除されるだろう。既にその件は不破に翠が伝えておいたからだ。

 そして、異誕生物が犯罪を犯した時、速やかに駆除する。それが分室の業務の全てだった。


 不破を含む分室に所属する他のスタッフ達は、事後処理や隠蔽工作、そして証拠集めの捜査活動などを担当する。

 かつて、一部の特殊な技能を持つ者にだけ委託されていた化物退治という役割は、今は公的機関が主導となって受け持っている。


 また、異誕達の存在と同じく、この部署自体も存在しないことになっている。翠達も非公開職員ひこうかいしょくいんという扱いであり、不破や他のスタッフを除いて、翠達四人の存在を警察は認めていない。

 白翅がここに所属するようになったのはつい先月のことだ。


「さて、では昨日の話題に移ろうか」


 不破が口火を切ると、執務室の中の全員が気を引き締めた。


「昨日の事件、やっぱり三件目なんですね、不破さん?」

「そうだリーダー。『かおき』に間違いない。ヤツめ、だんだんと人目をはばからなくなってきている」


顔裂かおさき連続殺人事件』。

 それは、三週間ほど前から、東京都内渋谷区を中心に起こっている猟奇殺人事件だ。


 一件目の事件が発生したのは三週間前。

 被害者は牧村洋子まきむらようこ(十七)。都内の高校に通う女子高生だ。遺体が発見された場所は夜の住宅地。

 夜中に誰も様子を見に来なかったため、遺体が発見されたのは朝方だった。

 そこは被害者が通う学習塾のバスの停車場所から少し離れたところだった。

 帰宅途中に犯人に遭遇したのだろう。不運な話だった。


 この事件の異常なところは、被害者の顔が鋭い刃物のような凶器で乱雑に抉られ、剥がされていることだった。

 損傷はあまりに酷く、顔そのものが完全に無くなっていた。また、腹部を肋骨ごと破壊され、住宅地の細道の塀に体が強くぶつかったらしく、あちこち骨折していた。

 その手口の凄惨さから、現場検証の際に、念のため翠達「分室」のメンバーが派遣された。その結果として、現場から「異誕生物」の反応が検知され、事件は「分室」と警視庁捜査一課、および担当所轄署から選抜されたメンバーによる合同捜査となった。


 現場近辺の捜索、被害者の身近な人への聞き込みが行われた。が、成果は出なかった。


 それから二週間後、また新たに事件が発生した。二件目はひと気のない高架下。帰宅中の女子大生。

 さくらみすず(二十)が殺害された。死体はうつ伏せにされており、やはり顔が削ぎ落とされていた。

 引き裂かれた顔は近くの河原で断片だけが見つかった。バラバラに刻まれて。


 その時は腹部を左右に引っ張り、裂けた腹の中身を止めに突き刺して殺害したらしい。周囲から足跡は発見されなかった。

 犯人は慎重で、血を踏んづけもしなかったようだ。手口から同一犯として認定。


 二件目と一件目の被害者同士の関係が洗われたが、二人の間に繋がりは見出せなかった。完全な赤の他人だ。

 以上のことから、凶行を遂げたは、なんらかの目的を持って顔を引き裂くことに執着しており、生前の被害者達と繋がりがあったというわけではないと、推察されていた。


 そして、昨晩の事件である。

 今度殺害されたのは山本結衣やまもとゆい(二十一)。

 埼玉県に住む会社員の女性。被害者の所持品から身元が判明した。

 昨晩は仕事が終わった後、駅に向かう途中だったようだ。


「今日倒した異誕はやっぱり違いますよね?」

「だろうな。あいつにこんな手の込んだ犯行は無理だ。カメラの映像を確認したが、見たことが無い。最近、それもひょっとしたら今日発生した個体なのかもしれないな。いずれにしろ、人を襲った時点でアウトだ。だから死んでもらった」


 不破はこともなげにそう告げた。


「では、やっぱり人型でしょうね。まだどんな見た目か分かりませんけど」


 茶花が口を挟んだ。

 白翅も、新人とはいえ、異誕に関する知識は多少持っている。

 異誕の中には人に紛れこめる個体がいる。

 そんな人型の異誕が一番厄介であることも。顔が割れないうちは人の波に紛れ込むことができるからだ。


「まあな、だが昨日の件で手がかりらしきものは見つけたぞ」

「ほんとですか」


 不破は頷きながら、机の上にいつのまにか用意していたファイルから、三枚の写真を取り出し、四人に見えるように置いた。

『顔裂き』事件の被害者達の生前の写真だ。どれも微かに微笑んでいる。遺族から借りてきたものなのだろう。


「みんな、よく注目してほしい。被害者達、なんとなくみんな似ていると思わないか?」


 白翅が遠慮がちに腰を上げて、写真を覗き込んだ。

 映り込んでいるのは、一重瞼で、目元。丸顔。整った顎のラインの女性。痩せ型な印象だが、病弱そうには見えない。笑顔は明るく、髪はそこそこ長い。


「確かに、なんとなくだけど……パっと見た感じの印象が似てる気はするわね……」


 

 写真を注意深く見比べていた椿姫が見解を口にする。そっくりというほどではないが、確かに雰囲気が似ている。


「まだ断定はできないが、検討する価値はあると思う。次狙われるとしても、似たタイプかもしれん」

「犯人は何か思惑があって、似た顔立ちの女性をターゲットに選んでいるってことでしょうか?」

「ああ。そうだ。対策として、今のところできるのはパトカーの警戒台数を増やすように渋谷署の地域課に要請することと、犯行が行われやすい時間帯に、集中的に犯人の捜索に当たることくらいだな。新しい捜査方針はこれだけだ」

「了解しました」

「了解」

「了解です」

「……わかりました」

 

  四人は装備の点検を終えると、ホワイトボードに貼られた地図を見つめ、次の犯行が行われそうな場所の絞り込みを開始する。


「似た顔かあ……」


 白翅の傍らで翠が、難しい顔をしている。


「どんな意味があるのかな?」

「……わからない」


 翠は少し困った顔で、そうだよね、と呟いた。白翅の口から、気の効いた言葉は出てこなかった。

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