第一話 闇に浮かぶあなたの顔は case2
朝の日差しが射し込む廊下に、タイル張りの床をコツコツと靴底がぶつかる音が響く。
翠と白翅は学校指定の
半分しかカーテンのかかっていないフランス窓の横を通り過ぎ、廊下の端の教室のドアをゆっくりと開けた。
「お!おっはよー!」
明るい声が掛けられる。
教室の中央近くの席に座っていた
そのすぐ隣に立つ長い黒髪の
「おはよう!先に声かけたかったのに」
「にしし。私の勝ち。寝不足かな?」
茶髪につけた兎の髪飾りをいじりながら由香が答えた。
翠と由香、そして雫は中学校時代からの付き合いで、今でもたまに下らないことで勝負していた。
「おはよう……」
「白翅ちゃんも相変わらずだね。ちゃんとご飯食べてる?テンション低いぞ?」
「クロワッサンに、スクランブルエッグ、それとロースハムにヨーグルト」
「百点。
「うん」
において得をするタイプだ。
雫が「寝不足は由香の方でしょ」と声をかけた。
確かに、見てみると大きな目の下に
「ほんとだ。どうして?」
「動画観てたの。んで、今も見てる。恐怖動画集でさあ。先輩が言うには、アタシは恐怖のリアクションがいまいちなんだって。だから次の講演までに磨いておけとさ」
「だからって寝不足にならなくてもいいのに」
「もうヤケになってさ。できるだけ観てやろーってね」
由香は中高と連続で演劇部だ。何かと苦労しているのか、雫の言葉は幾分かため息交じりだ。翠が苦笑しながら尋ねた。
「怖いのあった?」
「少しね。そうだ、これどうよ。ねえ二人とも」
そう言って翠と白翅を手招きで呼び寄せ、タブレットの動画を再生する。イヤホンは付けたままだ。
場所はどこかの深夜の交差点の道路。そこには何台もの車が停車している。
アングルからして、撮影者がいるのは車の助手席らしい。
そして、前の車の前面のあたりで、何かが腕を振り回して暴れていた。二足歩行の灰色の体毛を持った巨大な獣のようだ。一見するとクマか何かにも見える。
が、その割にはあまりにも身体が大きすぎる。
何より、その顔は魚類と獣が混ざったような様相を呈していた。口から伸びるのは、長く鋭い牙。異様な外見は、まさに『怪物』と呼ぶに相応しい。
翠は内心動揺しながらも、それを気取られないように押し殺した。これは……
その『怪物』は、撮影者の前に止まっている車を滅茶苦茶に殴って破壊し、運転席に顔を突っ込んでいた。しきりに首を動かしている。
やがて車内があっという間に血に染まり、フロントガラスを赤く汚した。勢いよく『怪物』は首を運転席から引き抜いた。車はまるで、アルミ缶を潰したようにへこんでぐちゃぐちゃだ。そして……。
白翅が、声を殺して息を呑んだ。
次の瞬間、怪物は横にずれると、撮影者の車にその獣が飛び掛かり、その姿が大写しとなる。
ザザ、と音を立てて映像がブラックアウトした。
「……なんだろうね、コレ」
「……わからない、ドッキリ映像かな?」
我に返った翠がようやく答えを返した。
「場所がどこかもわかんないしねえ」
「…………撮影してた人、生きてたの?」
白翅が不意に思いついたように聞く。
「さあ。そもそもこれがリアルの映像なのかもわかんないし。でも、ホンモノなら死んじゃってそう。あんなのに噛みつかれたら、たまんないもん」
「気になるなら投稿された日の前後を調べてみたら?そしたら何かわかるかも?」
雫は他にも何か言いたげだった。
「そうかな、フェイクなら悪趣味だわ。よくできてるとは思うけど。実際グロかったし」
翠は少し物思いにふけった。その時、タイミング良くチャイムが鳴り、授業が始まった。
席についた後、後で不破さんに伝えてみよう、と翠は内心呟いた。
あの映像が本物であることを、翠は知っていたからだ。
そして、被害者も、あの怪物も、もうこの世にいないことも。
事態が動いたのは、放課後になってすぐのことだった。
翠の持つ捜査用のスマートフォンに連絡が入ったのだ。
ちらっと様子を伺うと、白翅と由香が空いている椅子に座って、何か話していた。
雫は教室の一番後ろの席で、ノートパソコンを開け、演劇の台本データをチェックしている。
「どう。学校慣れた?」
「……うん。だいたい。みんな優しい……」
「わかってるじゃん。うちは校風の良さがウリだからね」
「ごめん!みんな!急用ができちゃったから!」
行こう、と由香と世間話をしている白翅を促し、目で合図を送りながら、翠は急いで荷物をまとめる。
「またバイト?ブラック過ぎじゃない?」
「時給がいいの!」
「それなら仕方ない」
そう言って、由香と雫が見送ってくれる。こういうことは翠が中学生の頃からよくあることだった。
二人は足早に教室を出ていく。待ち合わせ場所は裏門付近だ。廊下を行き交う生徒たちの間を通り抜ける。
ロビーに続く階段を降りたところで、同じく急いでやってくる椿姫と茶花と合流し、裏門へ向かう。
道路脇に駐車している濃紺のランドクルーザー。それが不破の愛車だ。
車に乗り込むや否や、不破が口を開く。
「説明した通りだ。おそらく戦闘になるだろう。今から準備しておいてくれ」
翠達は鞄の中に忍ばせていた装備――――それぞれの
今から一時間前、八王子市内のホームセンターが何者かの襲撃を受けた。
多くの死傷者を出し、凶行を行ったソレは、目撃者によると、未だかつて見たことのない生き物だったらしい。その通報を受けて、不破達の『分室』が動いたというわけだ。
「昨日の事件とは関係ありそうですか?あたしの見立てではナシかと」
椿姫が自分の銃の点検を終えて、不破に問いかける。
「そうだなリーダー。私も無いと思う。いずれにしろ、対象を見つけてから確認すればいいだろう。みんな、これから現場に向かった
不破は黙々と車を走らせている。やがて遠くの景色に、山々が見え始め、住宅やビルの間隔がまばらになり始める。田畑の数も増えてきた。
かなりの距離を進んだ後、現場となったホームセンターの近くを通りがかる。
その途端、頭に異様な気配が感覚となって伝わってきた。
ホームセンターは玄関付近のガラスが全て割られ、その所々に、赤黒い液体が付着していた。入り口近くに置かれている園芸用の植木鉢が、ほぼすべて割れている。
鼻に流れ込んでくる猛烈な血の匂いに、翠の心を緊張が走った。
駐車場にはまだ多くの救急車両とパトカーが停まっていた。
狩りが始まる。化物狩りが。翠は自分の銃のグリップにそっと手を添えた。
スライドを指先で後ろに引き切り、初弾を装填する。
カチャン、と四つの銃が立てる音が重なった。
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