レイズ・マカブル・ヘレティクス
生月子旦(元スミハリ)
第一話 闇に浮かぶあなたの顔は case1
黒い銃口が、こちらを見つめている。
定まらぬ視界に入るのは、薄明かりに照らされた見慣れたマンションの部屋。
いつもと違うのは、明かりを消しても寝ているのが母だけだということ。
さっきからうつ伏せになったまま、ずっと動かない。布団も敷かずにリビングの板の間なんかでぐったりしている。
いつまで見ていても動かないので、目線を少し上向けてまた元の姿勢に戻る。
相も変わらず目の前では、長く黒く光る猟銃の洞穴のような銃口が揺れていた。
暗い部屋の中で、■■はただただ顔を逸らそうとする。だけど動けない。視線を少しも動かせない。
ゆらゆらと小刻みに揺れていたそれは、やがて■■の顔の真ん中でぴったりと止まった。
目の前の男は左手に持った猟銃を握ったまま、もう片方の手をぶらぶらと痙攣させている。
おかしいな、この人誰だろう。よく知っている人なはずなのに。今の■■には分からない。分かりたくもなかった。
泣いているような、笑っているような顔。
■■の頭はただ思考を停止する。
がちっと銃把が握られて。
猟銃が大きな音を立てた。
視界が真っ赤に染まり、■■は声を上げた。
それが泣き声だったのか、笑い声だったのか、■■自身にも分からない。
血溜まりに転がって声を上げ続けた。
天井を向いている筈なのに、もう何も視えなかった。
† † † †
〔202X年 東京都 4月23日〕
闇に沈んだ寝室の静寂を無機質なアラームが破る。
熱く急かすような動悸が胸の中で渦を巻き、
ワンコールで眠りから飛び起きると、翠は暗さに惑うことなく枕元の捜査用のスマートフォンを手に取り、それをタップしてホームに表示された時刻を確認する。午前二時五十一分。
電気スタンドをもう片方の手で点灯すると、ナイトテーブルの上で文庫本の背表紙が光を反射した。ダシール・ハメットの「ガラスの鍵」だ。
柔らかな光に浮かび上がる姿は、一見すると十代前半に見える少女だった。
短く切った黒髪に目鼻立ちのくっきりした顔立ちは、愛らしくも快活そうな雰囲気を醸し出している。端末画面の像が映り込む瞳の色は、鮮やかな緑色だ。
電話の向こうの相手に向かって、翠は応答する。
「こんばんは。こちら
『無い。有るのは悪いニュースだけだ』
重々しい溜息の混じったハスキーボイスで、相手が言葉を放った。
『おそらく三件目だ。《
「
『現場は
「了解しました。お気をつけて」
『大丈夫だ。運転は任せろ』
通話を終えると、翠は先程まで頭を乗せていた枕をどけ、その下にあったものをナイトテーブルに置いた。電気スタンドの円状の明かりが、それを無機質に蒼く光らせる。
SIG P226 Mk.25
翠は自分の寝室から廊下に出ると、一つ隣の部屋のドアを遠慮がちにノックした。
「
「寝ちゃってるよね」、と呟くと
「………どうぞ」
と小さな声で返事が返ってくる。
不意な返事にやや驚きながらも、翠はそのままそっとドアを開けて入室した。
「…………また事件?」
照明を点けると、薄暗い部屋の奥で同居人はすでに目を覚ましベッドに腰かけていた。
無垢に整った顔立ちをした、ショートボブのおとなしそうな容貌の少女は、外見だけなら翠よりもいくらか年長に見える。グレーの髪に、細身を包んだキャミソールから覗く胸元の肌や、伸びる手足は抜けるように白い。
白翅はそれ以上言葉を発することなく、長い睫毛に縁取られた紫の瞳を静かに翠に向けている。
翠は一旦電気のスイッチを入れ、再び少女に向き直る。
「そうみたい。今から来てって…不破さんが」
「また……出たんだね」
「うん。物証は無いけど、すぐ分かったって言ってたよ。場所は渋谷だから、椿姫さん達の方が早く着くかも」
「……そう」
「とりあえず着替えてから、玄関に集合だねっ」
翠は足早に自室に戻ると、寝巻きを脱ぎ、下着の上から履き慣れた短く赤いチェックのスカートを身につける。
カッターシャツの上からリボンタイのついた黒いブレザーをさっと羽織ると、細いながらも引き締まった太腿にレッグホルスターを巻き付け、P226を差し込んだ。スカートの裾を引っ張ってホルスターに被せると、姿見を確認しながら携帯端末をポケットに入れる。
すぐに白翅の部屋に戻ると、彼女は手早く身支度を終え黒いパーカーとショートパンツに着替えていた。
「白翅さん、忘れ物ない?」
「大丈夫……」
翠が玄関のドアを開けると白翅がその後に続き、出るのを待ってから素早く鍵を閉める。他の場所の戸締りは、寝る前と起きた直後に既に確認済みだ。翠は最近、以前から気にしていた戸締りに更に念を入れるようになっていた。
敷地から外へ出る時、ふと後ろを振り返ると、白翅と眼が合う。「それじゃ、出発します」と号令をかけると、彼女は小さく顎を引いて頷いた。
やがて、住宅地の道路の闇を裂いて、見慣れた車のヘッドライトが近づいてきた。
自宅の位置から考えて、現場までそう時間はかからないだろう。
車内でほとんど会話を交わすことなく不破のシボレーにしばらく揺られた後、目的地に到着した。現場となった公園に面した路肩には複数のパトカーが止まり、赤いランプが休むことなく点灯している。
「………!」
翠が車外に出てすぐに、濃い鉄の匂いが鼻をついた。同時に微かに異様な気配も感じる。 不気味な直感に近い、違和感のような感覚だ。こうした感覚を翠は良く知っていた。
「反応ありです。不破さん」
「やはりか……来たまえ」
翠の言葉にあまり驚く様子も無く、彼女の前を歩く長身の女性――不破が頷き、降車する時に履き替えたばかりのヒールを僅かに鳴らしながら、二人を先導する。不破の様子に動揺は少しも感じられない。それが生来の彼女の豪胆さに由来するものなのか、それとも今日のような事件の連続が彼女をそのように変えてしまったのか、翠は未だに分からないでいる。
公園はわりと広さがあり、奥からは僅かに重なる人の声音とカメラのフラッシュの光が確認できた。
入り口には黄色いテープの規制線が張られ、案の定よく知る人物が駆る原付が止まっていた。そして門柱近くには「警視庁」の腕章を付けた警官が二人。不破はその前で、取り出した身分証を提示した。
「ご苦労。警察庁の不破だ。所属と階級は記載の通り」
慌てて敬礼する警官達をよそに、不破を先頭に三人は敷地に入った。
一礼しながら、翠は規制線を飛び越える。
四月ももう終わりごろだ。草地に踏み込むと、敷地内に立つ桜の木は、完全に花を散らしていた。
「……。……。そうか。よし今から向かう」
白翅の後に規制線を潜った不破が、耳に装着したインカムに向かって何やら応答していた。
「どうかしたんですか?」
「初動捜査を行った渋谷署の捜査員達から、詳しい話を聞いてくる。君達は先に椿姫達と合流しなさい」
周囲から浴びせられる訝しむような視線を受け流しながら、二人は夜の公園に足を踏み入れていく。身長百四十センチ強の翠の存在と、それと十センチも違わない小柄な白翅の姿は、ここではいかにも場違いだった。
好奇の視線が向けられる事に翠はもう慣れてしまっていたが、白翅はきっとまだかかるだろう。
敷地の中央近くまで歩を進めていくと、闇の中に見知った後ろ姿を見つける。芝生と木々に満たされた現場にしゃがみ込んで慌ただしく作業を行う鑑識課員や現場捜査員を余所に、軽く腕を組むようにして佇む女性の影があった。
トレンチコートを着て、ネクタイ付きのジャケットをきっちりと着込んでいる。長く伸びる優美な脚を持つ、グラマラスな下半身には黒いサテンのスラックス。
「お疲れ様です!
「……お疲れ様です」
遅れて白翅が声をかけた。
「二人とも、その様子だと、さっき起きたばっかりね」
振り返った少女が二人を気遣う。
きつい印象を感じさせる目元に、作り物のように精緻な美しい顔立ち。容姿自体は大人びているが、実のところ翠と歳は二つしか変わらない。
「全く、《顔裂き》も空気読みなさいよね。肌荒れたらどうしてくれんのよ。ここまで来たら正真正銘、間違いなく私達の敵ね」
たおやかな指で淡栗色のロングヘアをかき上げつつ、椿姫はぞんざいに言い放つ。
「睡眠を奪って追撃するなんて卑怯だと思います!」
二人のやりとりに目を向けながら静かに頷いていた白翅が「ん……」と首を傾げた。
「どうしたのよ?」
尋ねる椿姫の近くに、いるべき人物がいない。白翅の疑問の意図を汲み取った翠が、「
「ここですよ」
「うわっ」
どこからともなくかけられた声に翠が驚きの声を上げる。近くの木の陰から目標の人物が姿を現した。
十二歳ほどの小柄、といっても翠よりは上背のある少女がトコトコと近づいてくる。
やがて椿姫の前で立ち止まると両手を前に出して、サッサッと前に二度倒す。しゃがめ、ということらしい。
何よ、と言いながら前屈みになる椿姫の耳元に彼女は何事かボソボソと耳打ちを始めた。
「……いつの間に。あんたねえ、現場であんまりうろつくなって言ったでしょ?」
「むー。その言い方は心外です。新たな手がかりを探しに行った相棒に、ねぎらいの言葉はないのですか」
「寄り道をどうねぎらえって言うのよ」
「椿姫さんの赤ペン先生っぷりも地に落ちたものですね。もっと上手に採点してください」
「赤ペン先生を極めたつもりはない!」
さして不満そうな様子もなく、抗議の声を上げる茶花とそれに応酬する椿姫。この分だと現場周りをうろついて他の捜査員に追い払われたのだろう。
少し困ったような素振りを見せる白翅に苦笑を返すと、パンパンと両手を叩き翠は仲裁に入った。
「二人ともっ!そろそろ私達にも情報教えてください!」
「そうね……と言っても、私達も大して知らされてないのよ。まず被害者はあそこに倒れてたって」
椿姫が軽く溜息をついて、視線で場所を示す。
フラッシュが時折照らし出す公園の最奥には、像の形をした遊具が三つ並んでおり、その前を数人の鑑識員達が取り囲んでいる。石畳の地面には白いチョークで人型が描かれていた。そして黒ずんだ液体の痕がその周りに広がっている。鼻に意識を集中させれば拭き取ってもなお生々しい血の
「不破さんから貰った身分証を見せて、中に入って確認しただけよ。反応のことを伝えようと思ったけど、多分運転してるだろうから来てからでいいかと思ってね」
「それなら、さっきもう伝えておきました」
「そう。ありがとう。まあ、向こうも確認はダメ押し程度にしか考えてないでしょ」
「ここからが私達の出番ですね」
「待たせてすまない。少し話をまとめるのに手間取った」
翠が小さな拳に握りしめて気合いを入れていると、聴取を終えた不破が、早足で戻ってきた。
「被害者は死後二時間といったところらしい。これから更に検視が行われるだろうが、あまり変わらんだろうな。第一発見者はまだ渋谷署だ。まともに遺体を見たらしく、相当ショックを受けている。気の毒にな。何の落ち度もないのに」
それから腕時計を見る。翠はかつて観た映画に、それと全く同じものが出ていて驚いたことがあった。
「三時三十二分。本件を《
「「「「はい」」」」
四つの声が夜闇の下で異口同音に重なる。
不破の指示を受け、公園の入口を出て二手に分かれた瞬間、背後から人の気配と共に濃厚な血臭が近づいてきた。
翠が道の脇に退くと、救急隊員達がストレッチャーを押しながら遺体を運び出していくところだった。担架の上の遺体には黄色いシーツが被せられている。
その遺体は、顔の部分が異様にへこんでいた。
白翅が僅かに目を伏せ、翠の胸の内が痛みを訴えた。白翅を促し、翠は歩き出す。
せめて立ち止まってはいけない。そんな焦りに身を焦がしながら。
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