レイズ・マカブル・ヘレティクス

スミハリ

第一話 闇に浮かぶあなたの顔は case1

 黒い銃口が、こちらを見つめている。

 薄明かりに照らされた、見慣れたマンションの部屋。

 いつもと違うのは、明かりを消しても寝ているのが母だけだということ。

 うつ伏せのまま動かない。布団も敷かずにリビングの板の間なんかでぐったりしている。

 いつまで見ていても動かないので、目線を少し上向けてまた元の姿勢に戻る。


 目の前で、銃口が揺れている。長く、黒く光る猟銃。


 暗い部屋の中で、私はただただ顔を逸らそうとする。だけど動けない。動かせない。

 ゆらゆらと小刻みに揺れていたそれは、やがて私の顔の真ん中でぴったりと止まった。

 目の前の男は左手に持った猟銃に手をかけたまま、もう片方の手をぶらぶらさせている。

 おかしいな、この人誰だろう。よく知っている人なはずなのに。今の私には分からない。分かりたくもなかった。


 泣いているような、笑っているような顔。

 私の頭はただ思考停止する。

 がちっと銃把が握られて。

 猟銃が大きな音を立てた。

 視界が真っ赤に染まり、私は声を上げた。

 それが泣き声だったのか、笑い声だったのか、私自身にも分からない。

 血溜まりに転がって声を上げ続けた。

 天井を向いている筈なのに、もう何も視えなかった。


 † † † †


 202X年 東京 新宿区


 闇に沈んだ寝室の静寂を、無機質なアラームが破る。

 動悸が胸の中で渦を巻き、意識を覚醒させた。

 ワンコールですぐに眠りから目を覚ました壬織翠みおりすいは、明かりをつけることなく枕元の捜査用のスマートフォンを手に取り、それをタップしてホームに表示された時刻を確認する。午前二時五十一分。

 電気スタンドをもう片方の手で点灯すると、ナイトテーブルの上で、本の背表紙が光を反射した。

 ダシール・ハメット「ガラスの鍵」。


 柔らかな光に浮かび上がる姿は、一見すると十代前半に見える少女だった。

 短く切った髪に、目鼻立ちのくっきりした顔立ちは活発そうな雰囲気を醸し出している。端末画面の像が映り込む瞳の色は、鮮やかな緑色だ。

 電話の向こうの相手に向かって、翠は応答する。


「こんばんは。こちらすいです。不破ふわさん、新情報ですか……?」

『残念だが悪いニュースしかない』


 重々しい溜息の混じったハスキーボイスで、相手が言葉を放った。


『寝起き早々に聞かせる話ではないと思うんだが、おそらく三件目だ。『顔裂かおさき』が出た。詳しくは道中で話す。検証に立ち会ってくれ。場合によっては捜索が必要かもしれん。今から車を出す。着くまで待機していなさい』

椿姫つばきさん達は……」

『現場は渋谷しぶやだ。近いから先に原付で来るそうだ』

「了解しました。お気をつけて」

『大丈夫だ。運転は任せろ』


 通話を終えると、翠は先程まで頭を乗せていた枕をどけ、その下にあったものを枕元のナイトテーブルに置いた。スタンドの明かりが、それを黒く光らせる。

 SIG P226自動拳銃オートマチック。四十口径モデル。各国の警察機関で使われる、コンパクトで高価な自動拳銃だ。

 自分の寝室から廊下に出ると、一つ隣の部屋のドアを遠慮がちにノックした。


白翅しらはさ〜ん………起きてる……?」


 寝ちゃってるよね、と呟くと


「………どうぞ」


 と小さな声で返事が返ってくる。

 翠はそのままそっとドアを開けて、入室した。


「…………また事件?」


 照明を点けると、薄暗い部屋の奥で、同居人はすでに目を覚まし、ベッドに腰かけていた。

 おとなしそうな容貌の、グレーの髪の少女……見た目だけなら、翠よりもいくらか年長のようだ。色素の薄い灰色のショートボブが闇に浮かび上がっている。

 日本人ばなれした肌の白さや、長い睫毛と、整った顔立ちが、その中でもはっきりと見てとれた。

 白翅はそれ以上言葉を発することなく、静かに翠へ特徴的な紫色の瞳を向けている。

 翠は一旦電気のスイッチを入れ、再び少女に向き直る。


「そうみたい。今から来てって」

「三件目……出たんだね」

「うん。物証は無いけど、すぐ分かったって言ってたよ。場所は渋谷だから、椿姫さん達の方が早く着くかも」

「……そう」

「とりあえず着替えよっか。その後は玄関に集合だね」


 一旦自室に戻り、履き慣れた短く赤いチェックのスカートを身につける。 

 カッターシャツの上から黒いブレザーをさっと羽織ると、細い太腿にレッグホルスターを巻き付け、P226を差し込んだ。スカートの裾を引っ張って、ホルスターを覆うと、姿見を確認しながら、携帯端末をポケットに入れる。

 白翅の部屋に戻ると、彼女は手早く身支度を整えていた。


「白翅さん、忘れ物ない?」

「大丈夫……」


 グレーの髪の少女──白翅しらはが抑揚乏しく頷くと、外側に跳ねた毛先が、ほんの少し揺れた。

 現場急行、と軽く号令をかけ、翠は玄関のドアを開けた。


 白翅がその後に続き、出るのを待ってから翠は素早く鍵を閉めた。他の場所の戸締りは、寝る前と起きた直後に既に確認してある。

 踊り場の採光窓から見える空に、星は一つも浮かんでいない。

 翠は歩を進め、自分たちの住む家の敷地から外へ出て、門を開けた。


 ふと後ろを振り返ると、白翅と眼が合う。キョトンと小首を傾げてきた。

 やがて、見慣れた車のヘッドライトが見えてきた。自宅の位置から考えて、現場までそう時間はかからないだろう。


 しばらく揺られた後、目的地に到着する。翠が車外に出てすぐに、濃い鉄の匂いが鼻をついた。同時に微かに異様な気配も感じる。不気味な直感に近い、違和感のような感覚だ。


「反応ありです。不破さん」 

「だろうな」


 翠の言葉に驚きもなく、彼女の前を歩く女性は頷いた。


「来たまえ」


 女性……不破は履き替えたばかりのヒールを僅かに鳴らしながら二人を先導する。

 現場となった公園の入り口近くには、見知った人物の駆る原付が止まっていた。


 路肩には複数のパトカーが止まり、赤いランプが休むことなく点灯している。

 その他にも数台。公園はわりと広さがあり、奥からは僅かに重なる人の声音と、カメラのフラッシュの光が確認できた。

 入り口には黄色いテープの規制線が張られ、門柱近くには「警視庁」の腕章を付けた警官が二人。不破はその前で、静かに身分証を提示する。


「ご苦労。警察庁の不破だ。所属階級は記載の通り」 


 慌てて敬礼する警官達をよそに、不破は敷地に入った。

 一礼しながら、翠達も規制線の下をくぐった。四月ももう終わりごろだ。

 敷地内に立つ桜の木は、完全に花を散らしていた。


「……。……。そうか。よし今から向かう」


 耳に装着したインカムに向かって、不破が何やら応答していた。


「どうかしたんですか?」

「初動捜査を行った、渋谷署の捜査員達から詳しい話を聞いてくる。君達は先に椿姫達と合流しなさい」


 周囲の訝しむような視線を受け流しながら、二人は夜の公園に足を踏み入れた。毎度のことながら、身長百四十センチ強の翠の存在はこの中ではいかにも場違いだった。


 好奇の視線が向けられることに、翠はもう慣れてしまっていた。白翅はきっとまだかかるだろう。


 歩いていくと、闇の中に見知った後ろ姿を見つける。芝生と木々に満たされた現場にしゃがみ込んで慌ただしく作業を行う鑑識課員や現場捜査員を余所に、軽く腕を組むようにして佇む影があった。

 トレンチコートを着て、ネクタイ付きのジャケットをきっちりと着込んでいる。下には黒いサテンのスラックス。


「お疲れ様です!椿姫つばきさん」

「……お疲れ様です」


 遅れて白翅が声をかけた。


「こんばんは。翠に白翅も。体調は万全?」


 振り返った女性が二人を気遣う。

 きつさを感じる目元に、作り物のように精緻な美しい顔立ち。容姿自体は大人びているが、実のところ、翠と歳は二つしか変わらない。

 滑らかにまとまった、色素の薄い淡栗色のロングヘアが闇の中で映えていた。


「はい!ぐっすりと」

「何よりね。私も。ついさっきまでは。全く、『顔裂き』も空気読みなさいよね。肌荒れたらどうしてくれんのよ。ここまで来たら正真正銘、間違いなく私達の敵ね」


 欠伸を噛み殺しつつ、椿姫はぞんざいに言い放つ。


「そうです!寝不足でじわじわ攻撃しようなんて卑怯です!」


 白翅は二人のやりとりに目を向けながら静かに頷いている。

 そして「ん……」と首を傾げる。


「ん?どうしたのよ」


 意図を汲み取った翠が、「茶花ちはなさんは?お休みですか?」と辺りを見渡した。


「ここですよ」

「うわっ」


 どこからともなくかけられた声に翠が驚きの声を上げる。近くの木の陰から目標の人物が姿を現した。


 十二歳ほどの小柄、といっても翠よりは上背のある少女がトコトコと近づいてくる。東欧系の容姿の持ち主で、鎖骨まで伸ばした鳶色の髪に、それと同色の瞳。

 どことなくぼんやりとしたムードを纏い、受ける印象はひどく幼かった。


 やがて椿姫の前で立ち止まると両手を前に出して、サッサッと前に二度倒す。しゃがめ、ということらしい。

 何よ、と言いながら前屈みになる椿姫の耳元に何事か耳打ちする。


「……いつの間に。あんたねえ、現場であんまりうろつくなって言ったでしょ?」

「むー。その言い方は心外です。新たな手がかりを探しに行ったパートナーに、ねぎらいの言葉はないのですか」

「寄り道をどうねぎらえって言うのよ」

「椿姫さんの赤ペン先生っぷりも地に落ちたものですね。もっと上手に採点してください」

「赤ペン先生を極めたつもりはない!」


 さして不満そうな様子もなく、抗議の声を上げる茶花とそれに応酬する椿姫。この分だと現場周りをうろついて他の捜査員に追い払われたのだろう。

 少し困ったような素振りを見せる白翅に苦笑を返すと、パンパンと両手を叩き翠は仲裁に入った。


「ストップ、ストップ!そろそろ私達にも情報教えてください!」

「そうね。と言っても……私達も大して知らされてないのよ。まず被害者はあそこに倒れてたって」


 椿姫が軽く溜息をついて、視線で場所を示す。

 フラッシュが時折照らし出す公園の最奥には、像の形をした遊具が三つ並んでおり、その前を数人の鑑識員達が取り囲んでいる。そこには白いチョークで人型が描かれていた。


「不破さんから貰った身分証を見せて、中に入って確認しただけ。で、伝えようと思ったけど多分運転してるだろうからって配慮したのよ。どうせすぐ来るだろうしね」

「あ、反応の件はもう伝えておきました。」

「そ、ありがとう。まあ、向こうも確認はダメ押し程度にしか考えてないでしょ」

「ここからが私達の出番ですね」

「待たせてすまん。少し話をまとめるのに手間どった」


 翠が小さな拳に握りしめて気合いを入れていると、聴取を終えた不破が、早足で戻ってきた。


「死後三時間というところらしい。これから更に検視が行われるだろうが、あまり変わらんだろうな。第一発見者はまだ渋谷署だ。まともに遺体を見たらしく、相当ショックを受けている。気の毒にな。何の落ち度もないのに」


 それから腕時計を見る。翠はかつて観た映画に、それと全く同じものが出ていて驚いたことがあった。


「三時三十二分。本件を「異誕事件いたんじけん」と認定する。君達は付近一帯の捜索を行って、対象を探し出せ。マップは端末を各自参照せよ。今から区域の割り振りを行う。念のため、現場周囲をパトカーで偵察させている」

「はい!」


 四つの声が夜闇の下で異口同音に重なる。

 不破の指示を受け、入口を出た。二手に分かれた瞬間、背後から人の気配と共に濃厚な血臭が近づいてきた。

 翠が道の脇に退くと、救急隊員達がストレッチャーを押しながら遺体を運び出していくところだった。


 担架の上の遺体には黄色いシーツが被せられている。その遺体は、顔の部分が異様にへこんでいた。

 白翅が僅かに目を伏せ、翠の胸の内が痛みを訴えた。白翅を促し、翠は歩き出す。

 せめて立ち止まってはいけない。そんな焦りに身を焦がしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る