幸せの思考実験(前編)

水亀みずがめ名人なびとはまさしく天才だ」

 まだ名もない。たった数秒前に誕生したばかりの彼は、開口一番にそう言った。

 彼には名がないどころか、姿だって用意されていなかった。それもそのはず、彼はたった今『お試し』として想像されただけの、残酷なことを言うならば試作品だからだ。

 プロトタイプ。

 即席の存在。

 どうしようもなく、彼はインスタントだった。

 だけれど彼は、そんなこと気にもせず、うっとりと《水亀名人》に心酔して続ける。

「水亀名人は鬼才だ。水亀名人は唯一無二の秀才だ。あの人の目にはすべてが映っていて、そしてそれを完全に理解している。彼は自分が何を見ているのか、何を感じているのかを、とことん知り尽くしている。彼以外に彼のことを、彼以上に知っている人間はただの一人だっていやしない。何故なら、彼はいつだって当事者であり、第三者だからだ」

 言葉を紡ぐたびに、彼の身体は段階的に形を確定させていった。

 まずは輪郭が浮かび上がって、ぐねぐねとうねった。蛇のように、オシロスコープで見た音波のように。くねり曲がった輪郭は少しずつ人型に近付いて、大体二メートルに少し届かないくらいの、巨漢を想像させる型になる。

 そこから太過ぎる腕や足が削られて、爪楊枝みたいに頼りない細身になった。

「第三者とは傍観者だ。あるいは仲介人。どんな場合でも冷静で、どんな事故が起きたって感情的にはならない。どこまでも理性的。感情的なのが生物なのだとしたら、彼は限りなく無機物に近い。機械のような人間だ」

 プログラムでもいいな、と『男』は付け足す。

 なぜ彼が『男』だと分かったのか……それは、彼の輪郭の内側に、骨格が嵌まったからである。それは華奢な骨格ではない。太くて、がっしりとしていた。

 お次は主軸となるその骨のまわりに、赤と白の筋肉が出現した。いつの間にか臓物も完成していたらしい。周囲の暗闇から薄いピンクのそれらが飛来して、プラモデルを連想させる容易さで、次々と決まった位置に収まっていく。

 超常現象。

 怪奇現象。

 テレビ局が好きそうな光景だった。

 けれど、生憎とここにはビデオカメラなんて物は無い。カメラどころか地面だって、空だって、海だって。全てが虚無だ。領域がないから、勿論国家だってありはしない。四方八方、十六方位。分かりやすく言えば、全方位。どこを向いたって漆黒があるのみ。

 それだけの世界。

 ビッグバンが起こる前の空間みたいな。

 いやまあ、宇宙さえ誕生していないのに人類が出来上がりつつあるというのは時系列が滅茶苦茶だけれど。

 そういう超次元でのお話だということで納得しよう。

 これはそういうお話で、御伽噺みたいなもので、現実味なんて欠片もない。

 一切合切の現象がご都合主義で。

 森羅万象がペテン。

 だから、この男はやがて完成する七十億のペテン師の一人に過ぎないのだった。

 《水亀名人》を地軸として自転する世界の構成要素、何億何兆列のプログラムの、たった一列。その程度の下らない存在だ。砂粒の一つと同等か、それ以下の屑。

 しかも、彼の一列が抜けたところで起動するプログラムときているから、もう救いようがない。あそこまで《水亀名人》を妄信しているのに、狂信しているのに、彼の存在は《水亀名人》にとって何のプラスにも、そして酷なことに、マイナスにだってなりはしないのだ。

 あっても良いし。

 なくても良い。

 それは、その曖昧は、明確に拒絶されるよりもずっと深くて暗い。だって、面と向かって「お前は必要ない」と言われるまでもなく、そういう僅かばかりの関心を持たれることもなく、徹底的に彼は無駄なのだから。

 でも、彼は決して悲観しない。

 それはそれとして肯定してしまっているから。

 認めてしまっているから。己の無価値を知っているから。

 だからこそ彼は《水亀名人》を信仰するのだ。

 彼の臓物すべてを売ったところで足裏にさえ及ばないほど高次元の存在。自分のような凡百では触れることさえ叶わない、例えるなら土とレッドダイヤモンドのような関係だからこそ。そうであるからこそ、彼は《水亀名人》へ恭しく頭を垂れ、両手をすり合わせ、恍惚とした表情で涙を流す。

「彼は常に進化し続けている。生後一日で日本語を理解し、その数秒後に重力の概念を発見した。母親に抱えられて車に乗れば、発進と同時に慣性の法則を理解した」

 ああ、それは。

 それは確かに、天才だ。

 文字通り『天から与えられた才能』だ。

「——ところで」

 不意に。

 彼はこちらを見て、ニヤリと笑んだ。

「そんな水亀名人にも、十五年生きてなお理解できていないものがある。それは、幸福とか、幸せとか呼ばれているシロモノだ。たった一人であらゆる物理法則を理解してきた彼は、なんと一番人間にとって身近なモノを解明できていない」

 でも、それだって時間の問題だった。

 だから、この世界は。

 だから、この物語は。

 《水亀名人》がただ一人で、そして独りで『幸せ』を解釈するだけの戯言集。

 たったそれだけのお話でしかないのだった。




 ――夢には法則がある。

 法則と、堅苦しく言ってみたものの実際のところはそこまで小難しい話じゃあない。

 言われてみれば確かにそうだし。

 言われなければ、当たり前過ぎて考えることもしないような。

 そんな類の蛇足だ。別に考えなくたって良いのに、下らない思考の為に貴重な時間を消費するなんて無駄以外の何でもないのに、僕はその蛇の足みたいなのを考える。

 夢の絶対法則。

 不変不動の、そして普遍的なルール。

 それは単純明快。

 夢には(この場合はプログラマーになりたいとか、プロゲーマーになりたいとか、所謂将来の夢ではなく、睡眠中に見る方の夢を指す)自分が知っている、またはどこかで見たことのある者や物しか登場しない。

 こんなのは言うまでもなく当然なのだけれど。

 睡眠中に繰り広げられる白熱の大乱闘も、甘酸っぱい恋の物語も。結局のところ、どこで編集・上映されているのかといえば僕たちの脳である。

 既存の知識を素材として夢は構成され、僕達はそれを見る。

だから夢には、僕たちの知らないモノは現れない。

 もし仮に『一度だって見たことがない謎生命体が、聞いたことも、本で読んだこともない不可思議な踊りを披露してくれた』とか、そういう経験があったなら、それはもう夢ではないのだと思う。

 別世界。

 フランス語でオートルモンド。

 そういう場所に、もしかすると行っていたのかもしれない。

 異世界転移とか、いま流行っているだろ?

 ああいう感じに。ベッドの上から異世界に接続していたのかもしれない。

 ——ちなみに。そう言う僕は、『そういう現象』を経験したことがあるのかと問われれば、迷うことなく首を縦に振る。

 勿論。

 毎日。

 なんなら、現在進行形で。

 僕はこれまでの十五年の人生の中で、見たことも聞いたことも読んだこともないような、まったく未知の場所に行ったことがある。行ったことがある、というか。正確には『あちらの世界』にふっと湧いたと言うべきなのだと思うけど。

 歩いて来たとか、スペースシャトルに乗って来たとか、そんな感じのイントネーションではなく、それはもう超常現象の一つとして、唐突にそこに現れたと表すべきだ。だって世界を跨ぐ転移なのだから。ある意味ワープなのだから。

「……」

 毎日毎晩、僕は就寝と同時に旅をする。

 それは偶然ではないと言っておこう。

いや、まあ、最初の一回は偶然だったけれど、その他は全て必然だ。割合にして九十九パーセントくらいは確定演出でのトリップ。

 はじめの一回目で、僕はその方法を解明した。

 理解した。

 別世界への旅行の仕方を。あ

 完全に未知な世界に湧く方法を、僕は理解した。

 ので、呼吸をするみたいに、今では意図的に意識的に、どこかに湧くことができるようになった。睡眠中のみという制限はあるけど。

……え、呼吸は普通意図してするものではない? 無意識的にするものだ?

 むぅ。

 僕の身体には残念ながら、無意識的に発動する、反射みたいな概念はただの一つだってない。心臓だって肺だって静脈の弁だって、頭のてっぺんから足先に至るまで、完全に、僕の意志でしか動かないのだ。それは多分、欠陥。人間らしくない、つまり機械的な原理でしか生きていられない、プログラムの集合体みたいな奴なんだ。

 うん。

 自分で言っておいてなんだけど。

 悲しいなぁ。

 この悲しいという感情も、所詮は僕が自力で理解して自分自身に備え付けたモノだ。本能的な感情こそがホンモノであるとするならば、僕のこれは偽物でしかない。複製品。見よう見まねで用意しただけの、その場しのぎ。

 人間未満の機械以上。

 この僕、水亀名人は。

 その場しのぎと自作のプログラムでしか生きていけない欠陥動物なのだった。

 だから僕には生まれた時、《幸福》を感じる機能が欠落していた。それは今も無い能力なのだけれど、そのあたりの話は一旦置いといて。

 僕はこれまでに幸せを実感したことがない。

 一度たりとも。

 ゆえに僕は、今日こそは幸せを理解してやろうと意気込むわけだ。慣性の法則を生後数日で、車の発進と同時に理解したみたいに。ああいう感じに、幸せのなんたるかを解釈して、また一歩人間に近付こうと。

 野心家のAIみたいに企むのだ。

 やがては全人類と大戦争しようとか。

 流石にそこまでの悪事を働こうとは思わないけど。

 人並みに人波に紛れ、何食わぬ顔をして人間らしく人間と共に生きてみようと。

 そのくらいのことを、その程度のことを叶えるべく、僕は今日もベッドに潜り込む。

 ベッドイン。

 幸せを解釈するために。

 瞼を閉じ、僕はふと思った。これじゃあまるで思考実験だと。良くも悪くも、非現実みたいな場所でのみ進行して完結する、実験の為だけに用意された、空想にも似た世界を見るための睡眠。

 良くも悪くも、ということは二つの面があるわけだが。

 良い面は……そうだな。あっちでなら、どんな非現実も思うがままだ。魔法を使いたかろうが、弱き者を守り強者を成敗する正義の大量殺人鬼になりたかろうが、そんなのは自由だ。

 実験し放題だ。

 では、その逆は――




「幸せってなんだろう、水亀くん」

 道井みちいルイは小石と砂が三対一くらいの割合で混ざり合った……つまりは砂利の、公園の地面に座り込んで、泥団子を作りながら疑問を口にした。

 それに対して、僕もまた彼女と同じようにしながら返答する。

「それは一説によると青い鳥らしいよ。群青色の鳥」

「それは……どこか遠くに飛んで行ってしまうね」

 飛び立ってしまう。

 悠々とした飛行。

「いいや、それはない。青い鳥は籠の中に監禁されているから。人は幸福を逃さないために、幸福を拘束してしまったから。終身刑みたいに——彼らはもう飛べないよ。自由を奪われたのだから。観賞用の奴隷になり果てたのだから」

「へぇ、じゃあ、あの物語で幸せなのは人間だけだ」

「その通り。世界的に有名なあの童話のタイトルは『幸せの青い鳥』であって、間違っても『幸せな青い鳥』じゃあない。鳥の自由や幸せは一切考慮されていないんだよ」

「どうしてそれを、皆は気付かないのかなぁ」

「気付きたくないんだと思うよ。少なくとも僕はそうだった」

 小さなお友達が聞いたら泣いてしまいそうな会話だった。

 まったく、可愛げも夢もない。

 悪い意味で現実的すぎる雑談。

 大体、ファンタジーにケチを付けようってのがもう、本人たちの人の悪さを、如実に表している。それにプラスして未成年なのに真夜中の公園で、高校生なのに泥をこねくり回して遊んでいるっていうのがまた、絶妙な具合に非行している雰囲気を出していた。

 非行……なのかは疑わしいけど。

 少なくとも、この午前三時に、公園の地面に座り込んでいるという構図は相当に危なかった。内心、いつ警察に補導されるかとビクビクしているくらいだし。

 けれど一昔前のスケバンを連想させる、長すぎる制服のスカートと白いパーカーという出で立ちで地面に胡坐をかいた道井ルイは、公的機関の目など気にもしていない様子だった。それはあくまでも、そういう様子なだけであって、本当のところは警戒心バリバリなのかもしれないが。

 蛾や小さな羽虫が集る街灯の、暖かそうな光のサークル内で一生懸命に泥団子を量産する道井さんは、そういう不安とは無縁なように見えた。

 そんなのは、勿論実際には有り得ないことなのだけれど。

「水亀くん」

 唐突に。

 道井さんはそれまで加工していた泥の球から目を離し、こちらを見ると、「ふへへっ」と無邪気そうに笑った。

「ふへ、ふへへへっ、んふへへへ」

 なかなか日常では耳にしない、怪しい笑いだった。

 これは……本当に無邪気なのか……?

「あ、ごめんね。気持ち悪かったかな」

「いやまあ、気持ちが良いか悪いかで言えば、気持ち良くはなかったけど」

「すまんすまん……ほら、私って毎晩こうやって、泥団子作ってるんだけど、だれかと一緒に作るのって本当に久々でさ。テンション上がっちゃったんだよ」

「毎晩?」

「うん、毎晩。昔は両親が付き合ってくれてたんだけどさ。流石に面倒臭くなったみたいで。最近はずっと、ひとりだよ」

 一人。

 あるいは、独り?

 その辺の変換ミスみたいなお話は、僕には少し難解だった。それは、彼女の表情が不自然に明るかったせいでもあるし、何かを悟ったような、裏返せばそれは諦めているようでもあったが、とにかくそういう調子の声に疑問を抱いたからでもある。

 首を捻る。

「補導されたりとか、したことはないの?」

「あるよ」

 間髪入れず道井さんは即答して、泥が爪の間に詰まった指先で照れたように頬を掻くと、そしてへらりと笑った。「週に四回くらいかな。ううん、もっと多いかもしれない」

「でも、それがどうかしたの?」

 なんてことなさそうに。

「…………いや」

 ぼんやりと、それは曖昧だったけれど、僕程度が踏み入るには最低でも残機があと四つくらいは必要なんじゃないかって感じの領域を、僕は気配だけ察知した。

 プライバシーとか。

 家庭の事情とか。

 そういうモノ。

「なんでもない」

「……そっか」

 ふう。

 どうやら地雷は踏まずに済んだらしい。

「ところで水亀くん、さっきの話だけどさ。青い鳥は幸福そのものなわけじゃん? なのに、終身刑食らって、檻の中でピーチク鳴いてるんだよね」

「多分、ホー、とかじゃないかな。青い鳥の正体は鳩だったらしいし」

「え、そうなの? 青い鳩って珍しいね、新種かな?」

「新種だから《青い鳥》なんじゃないかな」

 名詞は《鳥》だけなのだろうけど、でも感覚的には《青い鳥》で一塊な気がするし。あの物語に登場する幸せの青い鳥は、他の鳥とは別格なのだろうし。鳥は鳥で、青い鳥は青い鳥。上手くは言えないが、そういう区別なのだと思う。

「なるほどー」

 考えを伝えると、道井さんは分かったような分かっていないような相槌を適当に打って、出来がった泥団子をピラミッドみたいになったそれの山に追加で載せた。

 すごい数だった。

 こんなに泥団子を作って一体どうするのだろうかと真剣に考えるが、やっぱり僕なんかに答えが分かるはずもない。そもそも解があるのかも謎だし、考えるだけ無駄だった。

「そんなに作ってどうするんだ?」

 なので、直接訊くことにした。

「んーっとね、いつもは砂場とか遊具にぶん投げてるよ。で、泥塗れになったそれらを見て、『ああ、今日も一仕事したなぁ』って感慨に浸る」

 地味に迷惑な奴だった。

「小さい子が遊具で遊べないじゃないか」

「あ、そこは安心してよ! 私、後始末はちゃんとしてから帰ってるから!」

 そういうところは妙にきちんとしている――あれ?

「うん? 少し待ってほしい……聞いている限り、それをすることで道井さん側に生まれるメリットが皆無な気がするんだけど」

 睡眠時間が削れて。

 警察に補導されて。

 最後には公園内の掃除をするって?

 デメリットしかないように思えるけど。

 自分で自分の首を絞めるよう、とまでは言わないが、道井さんの奇行はそれに準ずるものだろう。理解不能、意図不明。あらゆる物事を理解することに関して、ある程度、定評がある僕だったが……こればっかりは欠片も分からなかった。

 全貌が見えない。

 どこまでも不明瞭。

 どこまで進んでも開けない霧中。

 そんな、どうにも掴めない雰囲気。

 彼女は蜃気楼のような存在だった。

 あるようでない。

 在るようで居ない。

「うーん、メリットかぁ。水亀くんは中々に面白いことを言うんだね」

「僕は別に可笑しいことなんて言っていないと思うけど……」

 何がお気に召したのか気になるところである。

 道井さんは「メリットかぁ、うーん、メリット……逆はリスク? フリスクみたいだね」とかなんとか言うと、難しい顔をして頭を抱えた。

 それから、しばらくして意を決したように立ち上がると。

「えいっ」

「は?」

 彼女はまだ手の内にあった未完成の泥団子を、間が抜けたような掛け声とともに、ぽいっと捨てた。それは投げるというよりも、捨てる感じ。空き缶とか煙草の吸殻を放るみたいな。

 そんな要領。

 ただし。

 ポイ捨てとは、少しだけ違う。

 連続写真を撮って見れば、きっと放物線を描いているのであろう。道井さんの手から離れた泥団子の軌道は僕の顔面、その丁度真ん中をめがけていた。

 十分に、避けるか腕で庇える速度だけど。

 しかし、僕には人並外れた理解力はあっても運動神経はない。無念ではあるが……僕は彼女の、土臭い魔球の餌食になるしかないのだった。

 適度に水を含んだ土の塊は、顔に当たるとバラバラと崩れた。

「……」

「ふへへへへっ、当たったー!」

 腹を抱えて盛大に笑う道井さん。

 それはもう十二分に爆笑の域であったが、彼女の笑いは依然として「ふへへ」だ。どこか擦れた感じの、力の入っていない笑い声。

 恨みがましく睨みつけると、道井さんは緩んだ表情筋を元に戻そうとして、失敗したようだった。また同じ、「ふへへ」笑いが真夜中の公園に広がる。

 波紋。

 陽気な声につられて少し弛緩してしまった口元を正し、僕は唸る。

 どうしてこの意趣返しをしてやろうかと。

 心の狭い僕は考える。

 女性に対する気遣いとか、異性に向けての遠慮とか、そんなものは僕にはない。残念ながら、この僕、水亀名人は、フェミニズムとかマスキュリズムとか聞くと唾を吐きたくなるくらいには徹底した平等主義者なのである。

 やられたら同程度にやり返す種類の、《目には目を歯には歯を》の信仰者なのだ。

「——提案だ、道井ルイ」

 気障ったらしく慣れない呼び捨てなんかしてみて、僕は人差し指を彼女に向ける。

 すると道井さんは玩具を見つけた犬猫みたいに、ほとんど反射的にこちらを向くと、未だ治まらないらしい笑いの発作に時々身体を振動させながら、首を捻った。「な、なにかな、ふへっ……水亀くん」

「勝負をしよう、道井さん」

 やっぱりこっちの呼び方が彼女には馴染む。

「勝負? ふへへっ、わ、私、非力だからなぁ……」

「なに、殴り合いをしようとか腕立て伏せの回数を競おうとか言ってるわけじゃないよ」

 そっちの方が僕の勝率低いし……とは言わないでおく。

「ずばり、泥団子合戦をしようってことさ」

「雪合戦の泥バージョン?」

「そういうこと。流石に、どっちかが参ったと言うまで投げ合っていたらキリがないから、ルールはこうだ。相手の泥団子を三発食らうか、または相手に触られたらゲームオーバー」

「いいね」

 案外あっさり頷いた道井さんは、にやりと悪戯っぽく口角を上げると、挑発的に「ふへっ」と笑う。今のは絶対にわざとだ。

「罰ゲームはどうするの?」

「……公園内に散乱した泥団子の残骸を、一人で片付けるとか」

「いつもの私じゃん」

 道井さんは微笑むと――早速、真横に積んであった泥団子の中から一つを取って、投げてきた。予備動作なしの流れるような挙動で。

 さすがは道井ルイ。

 毎日伊達に泥と触れ合っているわけではない、ということか。

 そんな感想を抱きつつ。

「ふへへっ、弱っちいのー!」

 僕は早くも一発目を食らった。

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