因果は…

エイドリアン モンク

因果は…

 その日はA国にしては珍しく蒸し暑い日だった。首都の中心部にある広大な公園の中にある広場には、多くの人が集まっていた。


「この痛みを、苦しみを、我々は決して忘れることは無いでしょう」

 大統領が静かに語りかける。

「しかし、それを乗り越え、我々は前に進まなければならないのです。」

 拍手と歓声が沸き起こった。先程とは打って変わって、決意に満ちた大統領の表情が、大型モニターに映し出される。この映像は、世界に同時配信されている。きっと、半年後の大統領選にも使われるだろう。


 今から三十年前まで、A国は軍事政権による独裁国家だった。この公園がある場所も、秘密警察の本部だった。軍事政権崩壊後も治安機関の施設として建物は使われていたが、民主化三十年を記念して、施設の移転と公園の整備がされた。


 式典会場から少し離れた場所に、石碑が置かれた一角がある。そこには軍事政権下での政治犯や、民主化運動で命を落とした多くの人物の名前が刻まれている。 


 その石碑の前に、年老いた神父が立っていた。


「神父様、こんなところで何を?」

 神父が振り向くと、若い男が立っていた。この若い男のことを神父は知らない。だが、知らない人間から声を掛けられることに神父は慣れていた。


 聖人―神父の教区に住む人間は、彼をそう呼ぶ。私腹を肥やす聖職者が多いこの国で、神父は常に清貧を貫き、信仰に関係なく困っている人間に手を差し伸べていた。

「熱心に石碑をご覧になっていたようですが、知り合いでもいらっしゃるのですか?」

「それは……」


 神父の杖を握る手に力が入った。その腕は病的なまでにやせ細っていた。

「初めて会った君にこんなことを頼むのは変な話だが、私の告解を聞いてくれないか?」

「私は聖職者ではありませんが……」

 男は困惑した。

「かまわない。それに、なぜか君とは初めて会ったような気がしなくてね……」

「……分かりました。私でよければ」

「ありがとう……」

 神父はゆっくりと話し始めた。


 軍事政権下で秘密警察の本部は、政権の残忍さを体現する象徴だった。

 

 夜中、若い捜査官は地下の通路を歩いていた。悲鳴が聞こえる取調室の前をいくつも通り、一番奥の取調室に入った。

 取調室には、倒れた椅子に縛り付けられた傷だらけの若い男と、腕まくりをした捜査官がいた。今まで男に拷問を加えていたらしい。

「交代しよう」

腕まくりをした捜査官が部屋を出た。

「こんなに痛めつけられてかわいそうに……」

 捜査官は椅子を起こしてやると、自らも置いてあった椅子に座って男と向かい合った。

「君がつまらない意地を張ったところで、秘密警察は、君たちたちのしたことを全て掴んでいる。いい加減、逃げた仲間の居場所を吐いたらどうだい?」

「……断る。仲間は裏切らない。それだけは心に決めている」


 捜査官が噴き出した。

「悪い、悪い。ここに連れて来られると、みんなおしゃべり好きになるのだけど、こういうお客さんは珍しいのでついね……せっかくだ、なにが君をそこまで頑なにしたのか教えてくれよ」

 男が怪訝そうな顔をした。右目は殴られ腫れあがり、見えていないだろう。

「仲間のことは話す気が無いのだろう?今日は夜勤で、どのみち朝までここにいないといけないんだ。時間潰しに話してくれよ」

「……なんか、調子狂うな」

「同僚にもよく言われるよ」


 男が幼いの頃の話だ。

 その日、近所に住む親友とキャッチボールをしていた。

「俺、秘密の魔球を発明したんだ」

 親友が変な握り方をしてボールを投げた。ボールは、男のはるか横を通り、窓ガラスを割った。

「何やってんだよ、下手くそ」

「どうしよう、父さんの部屋だ」

「とにかくボールを取りに行こうぜ」

 

 親友の父親の部屋は、壁一面本で埋め尽くされていた。

「本ばっかりだな」

親友の父親は大学の教授をやっていた。

 題名を見ても、さっぱり分からなかったが、そのなかに外国語で書かれた本があった。男は手に取って読もうとした。


「あっ、ボールこんなところにあった」

親友が言って伸ばした手を引っ込めた。

 夕食、男はその出来事を両親に話すと、二人の表情はみるみるうちに変わった。

「その本は、どこの国の本だった?」

父親が真顔で聞いた。

「分からない。俺、外国語知らないもん」

「その本を読んだの?」

母親が聞く。

「読んでないよ。読もうとしたけど、ボールが見つかったからやめた」

 ホッとした顔で母親が父親を見た。父親は母親を見て、うなずいた。

「よく聞きなさい。父さんは今日のことを秘密警察に報告しないといけない」

「なんで?外国語の本があいつの家にあったってだけだよ?」

「それがこの国では違法なんだ。いいか、外国語の本には、この素晴らしい国が悪い国であるとデタラメが書いていてある。そういう本が広がったらどうなる?」

「でも……」

「でもじゃない」

父親がピシャリと言った。

「学校で教わっているでしょう?国を守るために行動するのは、国民の義務なのよ」

母親が諭すように言った。

「早い方がいい。今から秘密警察の詰所に行ってくる」

父親が家を出た。幼い男は何もできなかった。

 次の日、親友の家族はどこかに連れて行かれ、そのまま戻らなかった。


 学校で、男は表彰された。模範的な子どもに与えられるバッチが、全校生徒の前で校長から授けられた。

「彼に拍手を。彼はわが校の誇りです」

 割れんばかりの拍手が起きた。みんな、男を正義のヒーローのように扱った。その後すぐに両親は職場で出世した。男は高校も大学も推薦で入学した。幼い頃に英雄的な行動をしたからという理由で。


 俺は親友を密告したんだぞ?なぜみんな俺を称える?


 成長するにつれ、男の中で拭い去ることができない違和感と、友人への罪悪感が芽生えた。しかし、その特権を利用する自分もいた。  


 みんな狂っている。

 

 いや違う、狂っているのは「みんな」じゃなくて「俺」だ。


「そうか……。それでお前は反政府活動に関わるようになったのか」

 捜査官が立ち上がった。

「じゃあ、俺も話をしよう。昔、親友に家族を売られた少年がいた。少年の父親が外国語の本を持っていたという理由でね。だが、その本はただの童話だった」

 男が捜査官を見る。

「本の件から父親の過去が洗われて、過去の些細な反政府的発言を理由に、一家は収容所送りになった。過酷を極めた収容所暮らしで両親はすぐに病気になり死んだ。子どもは再教育キャンプに入れられて、今では秘密警察の捜査官になっている」

「お前、もしかして……」

「そうだよ、久しぶり。すぐに分かってくれなかったから、少し傷ついたよ」

「俺……」

「いいさ、あの時は仕方なかった。俺たち家族の犠牲は、君の崇高な理想に役立ったらしい。……実に嬉しいよ」

 捜査官は拷問の道具を取り出した。

「だから、俺も捜査官の崇高な職務を果たすとしよう。さあ、夜は長い。昔のように一緒に遊ぼう」


 捜査官が男に近づく。

「因果は巡るのさ」

 捜査官が言った。


「知りませんでした。あなたが秘密警察の捜査官だったなんて」

「誰にも話したことは無い。かつての親友を殺した後も、私は多くの政治犯を拷問にかけ、殺した数も一人や二人ではない。それが正義だと思っていた」

「でも違った?」

「軍事政権が崩壊して、秘密警察が解体されてからも、私の怒りは消えなかった。だから救いを求めて、神の門を叩いた」

「神は、許しを与えてくれましたか?」

「それは分からない。だが、安らぎは与えてくださった」

「それは良かったですね」


 式典会場の方から、また拍手が聞こえた。

「俺も、祖母から聞いた昔話をしてもいいですか?昔、政治犯として殺された若い男がいました。男には彼女がいて、そのお腹には新しい命が宿っていたそうです」

 何十年も昔の記憶が神父の中で蘇った。あの男と、目の前の若い男の面影が重なる。

「知りたくありませんか?彼女が、その子どもが、その孫がどんな人生を歩んできたか……」


 神父が地面に崩れ落ちた。跪き、かすれた声で何度も「神よ」と呟いた。

「因果は巡るのですよ」

 男の声からは怒りも、悲しみも、許しも感じられない、どこまでも無機質な声だった。

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