贅沢を覚えちゃいけねえよ。
小説を書くにのに、文字を書くリハビリをしなくちゃいけません。ということで、エッセイで少しずつ書いていこうと思って、今日もまた、更新してみようかと思います。
昨日のエッセイで、異常気象で農作物がおかしなことになっている、っていうようなことを書いたと思うんですけれども。その時に「米」で思い出したことが。
私が住んでいるところは、田舎なもので。米っていう食べ物は、親族から譲ってもらう家が多いんです。かくいう雪家も、義母からの配給の中に米が入っております。ところが、そういういただきもののお米っていうのは、古米が多いわけです。とても新米など高価なものが回ってくることはありません。
そういう米はすごく安価だったり、無償だったりするわけで、贅沢は言えません。食べられるだけありがたいものです。そして、それが普通なわけです。だから、我が家の子供たちは、たまに新米を食べさせると、目を輝かせます。
「超うめえ! なんだこれ!」って。いつもは茶碗一杯で済むご飯も、新米の時だけはなくなるのが早いものです。でも、それでいいんだと思っています。食事って贅沢したら切りがないんだと思うんですよ。めんつゆだってね。高価なものばっかり食べさせていたら、自分が大人になったときに、安いめんつゆ食べられないと思うんです。
まあ調味料くらいは贅沢してもばちがあたらないんじゃないかって、そこそこのものは買いますけれども、超高級品は買いません。
ところがね。知り合いでね。先日、家を競売にかけられた人がいるんですけれども、その方の話を聞いていたら、米は新しいものを毎週買うっていうんですよ。えー。信じられない。30キロの安いの買わないんですか?って尋ねると、「重いから持てない」っていう答え。
毎週スーパーで購入して食べさせるものだから、安い米を食べさせると、子供たちが「おいしくない」って言って、食べないのよ。っていうんです。なんて贅沢な。その方の出身はかなり田舎。実家に戻れば、いくらだって安く米が手にはいるはず。それなのに、そういう贅沢をしているから、家を取られ……。いやいや。そこまでは言えませんけれども。
生活って広げれば広げるほど、縮小できないものです。現役世代の時に、贅沢し放題で、退職後にきつい生活になるっていうのは、よく聞く話。日々の節約を怠ってはいけないわけですよね。そして、それって親が子に教えていかなくちゃいけないものなんだなって、つくづく思ったしだいです。
おいしい米ばっかり食べて暮らしていたら、古米なんて食べられないんでしょうね。雪家の子らは、古米が普通だから。文句ひとつ言いません。でも、それいいのだと思います。
ガソリンも高い世の中。お菓子を買えば、底上げされていて個数が減っているという時代です。ものは大事にしないとね。
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