第9話 失脚

 豪華なベッドの上で、男女が一体となって動いていた。正確には、女が上になって、騎乗位になって激しく動いていた。

「どう?いいでしょう?早く…。」

と喘ぎ声を出しながらも、下の、必死に快感を耐えて、腰を突き上げている男に言っていたが、自分の方が先に叫ぶような声を上げ、男の上に倒れ込んだ。

 すかさず、男の方も、もう耐えられなくなって、女の尻を両手で握りしめるようにして、腰を激しく動かして、

「う。」

「あん。」

の二人の呻きとともに静かになった。

「まったく、あんたには最後まで勝てなかったねえ、皇子様?」

 金髪の妖艶な美人は、ため息をつくように、唇を吸った後に言った。

「何を百戦錬磨のお姉さんが…。いつも花を持たせてくれたんだろう?」

「ふん。いつも返り討ちだったよ。最後は、と思ったんだけどねえ。都落ちは、明後日かい?」

「そうだ。本当にもう最後だよ。名残惜しいよ。」

「私もと言っておいてやるよ。そうだ、あんたの婚約者、元婚約者だけどね、あんたが都落ちした翌日に、結婚式を挙げるそうだよ。隣国の王子様と。悔しいかい?」

 彼女は、もてあそぶような目で彼を見下ろした。

「悔しい、嫉妬しているのは否定できないな。しかし、彼女を責めるわけにはいかないからな…。」

 男は寂しげに答えたが、直ぐに、

「しかし、どうしてそれを?私だけが知らないことはわからなくもないが、公表されたわけではないし…。」

「私を甘く見ちゃいけないよ。こうしたことは、色々と耳敏いんだよ。しかし、あんたも子供の頃から仲がよかったんだろうに…、まあ、諦めるのは早い方が良いけど。」

 “婚約者か…。”考えたかったが、そんな気持ではなかった。とにかく、今は全てを忘れたかった。明日には、また否が応でも、考えなければならないことが山積みになっていることが分かっていたが。

「朝まで哀れな、失脚した皇子様を慰めてやるよ。本当は、腰が立たなくなったからだけどね。」

 悪戯っぽく微笑むと彼に自分の体重を全てかけてきた。

 翌日早く、彼女はベッドから起き上がると手早く衣服を着て、帰って行った。最後に、

「餞別代わりに…。女はね、体の関係だけで物事を判断しないよ。まあ、溺れる女もいるけど、それは男も同じだろう?女も男と同じように、これはこれは、あれはあれと、割り切るものなんだよ。それから、都落ちの時は、見送りに行ってやるからね。」

と言ってから唇を重ねた。

 彼女は、高位の王侯貴族や大金持ちを相手にした最高級の娼婦である。客を選り好みすることを許されているほどだ。女を知らないといけないという周囲の配慮から、何度か肌を重ねた。今回のことで気落ちしているだろう彼のために、家臣達が手を回してくれたのだ。彼女は、快く応じてくれたわけだが、感謝すべきことであり、このことで世間の彼女への評価はさらに高まった。

 タレス帝国の皇子の一人、ディオゲネスの運命は、この一カ月のうちに急変した。順風満帆だったはずが、突然の失脚、東南の辺境の領地を与えられ、そこに赴くよう父皇帝命で命じられたのは、父の寵愛を長年一心に受けていた彼の母親の突然の死によってであった。

 女性としては長身で、理知的な顔立ちの、見事な黒髪の美人だった。容姿も、バランスのとれて魅力的であり、賢さが鼻につかない可愛らしいところもあった。40歳を過ぎていたが、30前後にしか見えなかった。皇帝に見初められて20年以上の間、その寵愛を一身に受けていた。つまり、皇后ではなかった。もし、もう数年間長生きしていれば、彼女の皇后が実現していたろう。その間に、多くの人間が、他の側室やその子供達、その親族達が罪に落とされた。中には、非業の死を迎えた者も少なくなかった。その半面、一族、親族に私利を、特権を貪らせることはなく、優秀な官僚、軍人を引き立て、時には皇帝からの勘気から守り、自身は質素を旨としながら、若く才能のある者を庇護した。故皇后の忘れ形見の孫である皇太子とは良好な関係というだけでなく、彼の地位を守った、度々後ろ盾になったのは彼女だった、彼より年上の息子がいながら。彼女の実家の身分が高いとは言いがたかったこともあって、下手に彼女の子供を皇太子の地位に求めることは危うい、それまでの間は皇太子を擁護していた方がいいという深謀遠慮だった、彼女の息子が皇太子となり、次期皇帝になると誰しもが考えていた。皇帝も同様だった。

 その母親が、突然の死、風邪をこじらせて亡くなったのである。順風満帆だったディオゲネスの運命は、その日から急変した。借金やつけで買うことのほとんどなかった母親であったが、商人達の取り立てが押しかけてきた。それは簡単に終わった。直ぐに支払いが終ったからだ。そして、周囲から人がいなくなった。訪問する官僚や軍人、商人、知識人などが来なくなった。そして、婚約者から婚約破棄をされたことを筆頭に、関係を切る者が続出した。婚約者は、子供の頃に決められ、ずっと親しくしてきた。どんどん美しくなってきた可愛らしい公爵令嬢だった。実家の公爵家は帝国随一の貴族であり、実力者だったし、過去何人もの皇后を出していた。未来の皇后としては、まさに理想的だった。だからこそ、失脚する、失脚した皇子の婚約者であってはならないのである、自分の愛娘は将来の皇帝の婚約者だったはずなのである。公爵にとっては、裏切られたのであり、ディオゲネスに怒りを向けても、あながち非難できないかもしれない。彼女の意志が如何だったかは分からないが、公爵家は婚約を破棄した。彼女とは、以前とは異なり、彼が行けば公爵家をあげての歓迎だったのが、もはや会うことすらできなかったからである。そして、使用人達が消えていった。まず、公的に送られていた侍女、使用人などが引き揚げた、各有力者から送られていた人間達が去った。さらには、古くからの使用人、家臣達からも去る者が続出した。彼らは、父皇帝が寵愛する妃の死により、その子供への愛情も失ったと考えた。それは正しいことが、直ぐに証明された。母親の葬儀が終わり、号泣しながら彼を抱きしめた父皇帝の命で、東南の辺境に公として封じるとの命令がきた。体のよい流刑だった。

 この日から、彼の周囲の使用人、家臣達の数がさらに減った。

「連れていけるのは100人以下。それをこえたら、後から来るようにしてもらわなければならないな。杞憂の可能性が強いが。」

 最悪のことを考える体裁をとったが、実際に同行を求めてきたのは30人に満たなかった。そこまでくると、さすがに愕然とした。万一のために、事前に考えていたのだが、まったくそういうことはなかった。

「約束どうり、見送ってくれているかな。」

 都落ちの馬車の中から、王宮の後門から出たが、かなりの群衆が待ち受けていた。中には、石を投げる者すらいたが、大部分は哀れな皇子、因果応報、自業自得、驕れる者の末路を見たいというものだった。どうして、かなりの群衆の中から視線に入ったのかは分からないが、道の隅に駐車している馬車の中からこちらに向けて、彼女は小さく投げキッスをしたのが見えた。苦笑した彼も、小さく投げキッスを返した。彼女が微笑むのが見えた。

“救われたな。”と思った。“それから、もう一つ。”前後に目を向けた。もう既に初老に達していると思われる騎士達が、堂々とした態度で騎馬に乗り進んでいた。

「お嬢様の恩に報いる時ですからな。」

「付き合いですよ。」

 彼らは笑って、まだ矍鑠たる態度で、彼の前にやって来た。

“私には、それでも僅か30人少しとはいえ忠臣がいる…、いや、30人以上もいるんだ。しっかりしないとな。”彼はそうやって何とか自分を励ました。



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