第4.5話

 寛は昏倒するアマネに宿る芽を掴み、その寄生体を力いっぱい引っ張った。

 雑草を引き抜くときと同様、根の抵抗が指に伝わる。が、この程度なら問題ない。ちぎれないよう気を付けつつ、うまく引っこ抜く。

 広葉樹に見られる、一本筋の通った根が、血をしたたらせながら眼前に姿を現した。

 その鉄っぽいにおいに、身体がへにゃりと力を失った。

 ようやく。ようやくだ。ここまで来た。歓喜に打ち震える。

 長かった。菱子が"植物人間"となってから何年経ったか。

 地に伏せるアマネを見やり、一瞬、黙とうをささげる。君の命は無駄にしない。心の内で唱えてから目を開け、周囲を確認する。人目につく前にさっさと逃げて、いち早く菱子に食べさせる必要がある。そこまでやって初めて少年の死に意味がもたらされるのだ。

 菱子に察されないよう、細切れにして料理の中に紛れ込ませるか、ミキサー処理して飲み薬として出すか。そんなことを考えながら一歩踏み出すと、

「!?」

 うしろから、すそを掴まれた。

 まずい見られたか。慌てて振り向く。が、誰もそこにはいなかった。

 人間は。

「ひっ」

 喉の奥から息がもれる。少年だ。根を引っこ抜き、心臓の止まったはずの少年が、ゾンビのようにおぼつかない足腰で立ち、かろうじて寛のシャツの裾を掴んでいた。

 思わず彼の手を叩き落とし、わき目も振らずに走り出す。

 頭が混乱する。

 "植物人間"は、根を引っこ抜かれると死ぬ。そう聞いていた。それは"半・植物人間"とてかわらないとも。ではうしろから追いかけてくるこの少年は?

「ぉぉお」

 うめき声を上げ、目から血の涙を流し、口を半開きのまま、押せば倒れてしまいそうなフラフラした姿勢の少年が、それでもたしかに寛へ向けて歩いてくる。

「な、なんなんだ!」

 悲鳴のような声を上げながら必死に走る。が、泥沼の中を駆けるように、足が回らない。肺ばかりが悲鳴を上げ、身体が意思に反してうまく動かない。

 やばい。やばい。殺される。

 焦りで変な汗が噴き出す。

 ちらりとうしろを振り向く。変わらずのろのろとした足取りだが、肝心の寛自身の足取りもなぜかふわふわとして、全然差をつけられない。

 まずい。脳内でやかましく鳴り続ける警鐘。

 とにかく今は逃げるしかない。そう考えて再び前を向いて、急ブレーキをかけた。

 眼前数メートルの距離に、ピンク頭の少女がナイフを手に立っていた。

 挟まれた。舌打ちを鳴らし、横に逃げようとして、ピンク少女に腕を掴まれると、抵抗する間もなく脇腹を突かれた。

 噴水のような鮮血が視界をふさぐ。激痛に身体が崩れ落ちのたうち回る。

 だが、彼女の復讐は終わらない。感情の存在を疑わせる無表情のピンク少女が、寛の身体に馬乗りになった。

「がはっ!」

 再び同じ場所にナイフが刺さった。

 三度、四度、何度も、何度も、肉を貫き、骨を穿ち、血を舞い踊らせ、悲鳴を奏で、しかし、それでも彼女の極寒の目は満足しない。

 何度も、何度も、何度も、何度も、拷問のように、寛の脇腹に穴が開いた。

 ――そこで、寛は目を覚ました。

「寛、大丈夫? 凄いうなされてたけど」

 菱子が布団の横から覗き込むように尋ねてきた。

 きょろきょろと周囲を確認して、自宅であることを理解し、ほっと息をついた。

「少し、悪い夢を見た」

 安心させるように小さく笑ってみせた。

 が、菱子はわずかに顔をゆがめるだけで何も言わなかった。

 外の様子を確認する。すでに日は沈み、菱子にとっての死の空間が広がっていた。

 時計を見ると、すでに時刻は夜11時を回っていた。

「……寝すぎたな」

「本当にね。帰ってくるなり爆睡して、そんなにたいへんな取材だったの?」

 昨日の死闘のあと、一旦は応急処置をしたのだが、なかなか出血が止まらなかった。そこで菱子に「泊りの取材になった」と電話してから病院に駆け込み、数針縫う手術を受けた。その後一泊し、数日間の入院が必要だと言われていたところを無理やり退院し、今日の昼前に帰ってきた。が、やはり体力が相当垂れ流されていたようで、家に帰るなり食事もとらずにベッドに倒れ伏し、爆睡をしていたらこんな時間になってしまった。

「まあ、いろいろと面倒な取材で。それより、ご飯ある?」

「お昼用意していた分がそのまま残ってるよ」

「ごめんって。っつ!」

 身体を起こそうと身をよじったところで、脇腹に電流が走った。傷口は無事縫合されたとはいえ、痛みはまだしばらく残るから無理をするなと医者が話していた。

「どうしたの?」

「仕事頑張りすぎて全身筋肉痛で」

「もー、仕方ないな。ほら、手伝ってあげるから」

「まっ」

 寛が抵抗する間もなく、菱子は寛の布団をひっぺがえした。

 彼女の顔から表情が消えた。

 ちょうどシャツがめくれ上がり、脇腹の縫い痕が菱子の目に入ってしまっていた。

「……なにこの傷痕」

「あー、や、その、取材でね。ちょっと怪我しちゃって」

 とっさに言い訳をひねり出すと、菱子は冷たい声で質問を続けた。

「なんの取材?」

「えっと、登山? そう、登山してたら転んで、木の枝が刺さって」

「それ昨日の話?」

「ん、そうそう。昨日」

「ふーん。泊まりの取材って言ってたのは?」

「…………その、心配かけると思って」

「へー。ふーん。そっかー」

 明らかに苦しい。そうと自覚しつつ嘘の雪玉を転がすが、案の定しらーっと冷たい目線が向けられた。

 せめてもう少し設定を練っておくべきだったか。何も考えずに寝てしまったのは迂闊だったと心の中で舌打ちする。脳に回すべき栄養がすべて傷口に向かってしまっていた。

「そ、それよりハラ減ったな。ごはん食べたい」

 ごまかすように言って無理やり身体を起こすと、いまだ冷ややかな様子の菱子を置いてキッチンへ向かった。

 冷や汗を垂らしながら鍋に火を入れた。かなり芳しくない状況だ。今までも若干不穏な空気を感じることはあったが、今回のは決定打になりかねない。

 いまだ向けられ続ける視線に気づかないフリをしながらフタを開けると、真っ赤なトマトスープがマグマのようにふつふつと泡立っていた。

 鍋の中でたぎる血の池地獄を前に、寛は先の夢を思いだした。

 おそらく、自分はおそれているのだろう。死ぬことも、恨まれることも。

 すべてを捨ててでも菱子を人間に戻す。その覚悟をあの日、固めたつもりでいた。

 だが現実はどうだ。深層心理の部分ではビビッて、弱腰で、罪悪感にまみれている。

 あまりのダサさに、寛は自嘲的に笑った。笑って、脇腹に走る痛みに顔をしかめた。

 ちらりと菱子を見やると、いまだ彼女はこちらをじぃっと見つめていた。

 今の立ち回りを突き止められたら、間違いなく菱子は止めるだろう。彼女は他人を犠牲にすることを良しとしない。絶対に。

 だから、一秒でも早くアマネの根を奪わなければならない。菱子に突き止められる前に終わらせなければ、彼女が最大の障壁となりうるから。

 なりふりかまってはいられない。本当はしたくないが、最終手段に出るしかない。

 そう心に誓って、寛はコンロの火を消した。

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