第4話
えっちらおっちらとバスに揺られてたどり着いた山の中、アマネは寝不足にきしむ身体をそらし、両手を広げて大きく酸素を取りこんだ。
昨日一昨日とリハビリで散々苦しんできたからか、身体がいつも以上に新鮮な空気を喜んでいるように感じる。もっとも、冬服に隠された葉っぱも歓喜の声を上げているのだろうと考えると、あまり好ましい環境とは言い難いわけだが。
「怪我や迷子には注意してね。なにかあったらこのバスに帰ってくること。はい解散」
ハゲのおじいちゃん先生の呼びかけに生徒たちは「はーい」とやる気のない声で応じて、各々の班のメンバーたちとどこへ行くか楽し気に会話を始めた。
一方、アマネを班長に、スズ、友人AB、女子ABCという、スズ以外はふだんから会話する程度に仲のいい男女で固めた七名班では、スズがアマネを指差して切り出した。
「アタシ、こいつに用があるから、みんな先行ってて」
「は?」
まったく予定になかった発言に呆気に取られる。
が、それを聞いた班の残り五人は一瞬顔を見合わせたあと、
「わかった」「先行ってるね」「班長がんば!」
口々にそう言って、いまだ状況の掴めていないアマネを置いて歩き出してしまった。
「え、待っ」
慌ててついていこうとするアマネの服をスズの手が掴む。反射的にひっぺはがそうとしたが、彼女の植物パワーでびくともしなかった。
そうして完全に置いて行かれたことを自覚すると、アマネはできる限りの平静を装って、きょろきょろと周囲を見回すスズに尋ねた。
「…………で、用ってなんだ?」
「あの中に協力者がいたかもしれない」
そんなところだろうと思った。深いため息をつく。用などなく、ただ単純に、スズは班のメンバーからアマネを引きはがしたかっただけなのだ。
それはつまり、守る必要はないという昨晩の説得は、まったくもって彼女には響いていなかったということで。
自分が学校でなすべきは、異常者であるスズに目をつけられた被害者というポジションの確立である。そう、昨日授業中に結論づけた。それが失敗したとは思わないが、結果として、友人たちはアマネを助けるのではなく、アマネにスズを押し付ける立場を選んだ。
「友情ポイント1の限界か……」
広く浅い友人関係を選択したのは自分の意思だから、彼らを恨む気はない。ないが、少しだけ肩が重くなったような気がした。
「とりあえず行くか。いつまでもここにいたらバスの人に変な目で見られる」
だいぶ人影も減り閑散としてきた。スズも周囲からどう見られているか考えているんだな、と皮肉っぽく思ったが、言っていることは正しいので素直に従うことにした。
「んで、どこ行くよ。博物館か科学館か……まあハイキングコースでい」「科学館行くか」
言葉を遮って歩き出すスズを、アマネは目を丸くしつつ慌てて追った。
「なんだ、人の多いところ行くのか」
「どうせ館内はあちこち監視カメラあるし大丈夫だろ」
「なら班から離脱しなくてよかったんじゃ……」
「アンタ、あいつら相手だとわりとパーソナルスペース狭くなるし、向こうがつけこむならそこだろうから」
「それはわかったけど、べつに科学館行かなくても良くないか? 今日は天気もいいし、ハイキングコースで日差し浴びてたほうがいざというとき対応できるだろ」
どうせ友情ポイントをはぐくむ機会は失われたのだ。ならば彼女の予定どおり、できる限りおそわれないよう、あるいはおそわれたときに対応できる状態を維持するべきだろう。ついでに言うと、昨晩ほとんど眠れなかったせいでかなり眠いから、正直なところあまり動きたくない。そう思って尋ねると、
「……アタシが、科学館好きなんだよ」
足を止めたスズが、ぷいとそっぽを向いて言った。
「あー、なるほどな。そういうことならしゃーないか」
アマネは意識的に口調を平板にして、情報量ゼロの合いの手を入れた。
調子狂うな、と思う。
昨晩からそうだ。スズがまるで、ただの恥ずかしがり屋で見栄っ張りな可愛い女子のように見えてしまう。違う。そうではない。こいつは頭ピンクで、ぶっきらぼうで、目つきが悪くて、真夏でも冬服の、異常で孤独な女子だ。そう自分に言い聞かせるが、内側の、理性ではない部分がキャッチボールを拒否してくる。
科学館の自動扉をくぐって、受付へ。
「高校生二枚お願いします」
「展示室のみか、展示室とプラネタリウムのセットか、どちらにされますか?」
「っと、展示室のみで」
そわそわキョロキョロしているスズにかわって受付を済ませる。
展示室に入ると、当然と言えば当然なのだが、見知った顔でごった返していた。
「……これ、やっぱ、班の奴らと分かれた意味なくね?」
「先に上行くか。馬鹿正直に頭から回ってやることもない」
「なるほど」
それもそうかと首肯し、エレベーターに乗った。五階へたどり着くと、そこは宇宙のコーナーらしく、思いのほか館内は薄暗かった。
「これ大丈夫か?」
「まあ、いけるいける」
尻込みするアマネを置いて、スズは迷いなく暗がりへ向けて歩き始めた。
「宇宙なあ。俺、ちょっと苦手なんだよな」
地球を模したパネルを前に言うと、「ふぅん? なんで?」不思議そうに尋ねられた。
「前、ユーチューブで天体の大きさ比べみたいな動画見たんだけど、太陽が地球の何倍で、でも太陽が豆粒に見えるくらいの星があって、それよりはるかにでかい星もあって、その上にさらに、みたいなのが延々と続いて、なんか、理解の外にあるっつうか、スケールが大きすぎて、怖くなった」
「それがロマンなんだろ」
整理されていないアマネの主張を、一言でバッサリと切った。
「宇宙は、わからないから知りたくなるし、面白いんだろ」
「いやあ……わからないのは怖いだろ」
「お、ほら、今は464億光年先まで観測できてるんだってさ。数字でっかいなロマンだな」
解説パネルを指差してニヤニヤと言う。
「え、138億年じゃねえの? どこに書いてある?」
目を細めてパネルを凝視する。
「うわっ目つき悪。ヤンキーかよ」
「お前に言われたくないけど……やっぱコンタクトないと眉間に力が入るな」
「コンタクトつけるのヘタクソすぎてマジでウケる」
「うっせうっせ」
今朝のアマネの洗面台での格闘を思い出しているのだろう。スズがニヤニヤと笑う。
高校入学を機にコンタクトレンズにしたは良かったが、アマネはコンタクトレンズをつけるのがおそろしく下手だった。
具体的に言うと、片目入れるのに平均20分はかかる。
そのため毎朝かなり早めに起きて格闘するのだが、どうしても駄目な日は裸眼で学校にくるようにしていた。
今日は遠足だからなんとかちゃんとつけたいと、ギリギリまで粘っていたのだが、どうしようもなかった。
日常生活を送るにはそれほど不便しない程度の近眼だが、少し遠くのものや小さい文字を見ようとすると、やはり目を細めるしかない。
「あとアマネ、朝のアレはマジでやめたほうがいいと思うわ」
「アレ?」
解説を読むのを諦めて、ブラックホールの写真を眺めながら訊いた。
「学校行きたくねえ~~~~~~って布団の上でうめくやつ。死ぬほどうるさかった」
「ああでもしなきゃお前起きないし、ちょうど良かっただろ」
「そんなに学校行きたくないならやめときゃいいのに」
行きたくはない。けれど行かないと友達ポイントが減る。この二律背反の苦しみを理解してほしいと思ったが、そもそも後者についてはこのピンク頭は気にしていなかったことを思い出して口をつぐんだ。
「それよりお前、プラネタリウム好きなのか?」
仕返しをするように尋ねてみた。
「は? なんで?」
「受付のとき、プラネタリウムのタイムスケジュールチラチラ見てただろ」
暗闇そのものな空間に入れるわけがないのだが。
まがい物の星空の下で窒息死など、ロマンティシズムのカケラもない。
「……くそ。よく見てんな」
悪態をつかれた。
「親が星好きで、よく連れていかれたんだ。プラネタリウムも多かったけど、山奥まで行って満点の星空をよく見上げてた。結局、アタシが星座を覚える前に死んじまったが」
懐かしそうに天井を見上げて話す。
「当時はそんな好きでもなかったのに、見ることがかなわなくなってから、妙に焦がれるようになっちまった。皮肉なもんだな」
「いうて、ベランダからでも少しは見えるだろ?」
「月とか明るい星はぽつぽつ見えるけど、あの満点の星空はさすがにな。そもそも町中じゃ人間でも見れないだろ」
「服の中でライトを照らして、顔だけ暗闇の中に出すとか」
「無理。前に一度試してみたけど、服の隙間からライトが漏れるうえに、頭に光がないから視力が制限されて街中と大差なかった」
「人間に戻るしか、ないのか」
「一応、あるにはあるんだけどな。人間に戻らなくても星空を見る手段が」
「へえ、どんなだ?」
「一回死んで、生き返るんだよ」
スズの言葉に、思わず目を丸くする。
「なんだ、生き返る手段があるのか」
「アタシも見たことはなくて、そういう話を聞いたってだけだけどな。変異種になって生き返ると、光を葉にためこむことができるようになるんだとさ」
「ならお前も変異種になればいいんじゃねえの」
「ホントに生き返れる確証もなしに死ぬのはさすがにな」
それもそうか、と納得する。
仮にその目で生き返る姿を見たとしても、じゃあ自分も死のうとはなかなかならないだろう。
本能に逆らうのは、人間にしても植物にしても、並大抵の力ではできるものじゃない。
そんなことを考えていると、
「アタシが死んだらハナちゃんが悲しむって言ってたよな」
スズが声のトーンをわずかに落として言った。
「アンタこそ、自分が死んだときに誰がどう思うかって考えないのか?」
「俺はいいんだよ。俺の死で他人を不幸のどん底に突き落とすために友情ポイント積み上げてんだから」
アマネの異常なまでの普通へのこだわり。その原因は種々あるが、根源を辿ると、祖父の死んだ日に至る。
祖父は、端的に言って異常者だった。価値基準が世間一般のソレと大幅にズレており、そのくせ気難しく頑固。みなに嫌われ、アマネも幼心に苦手だった。そんなだから当然、彼の葬式は乾いていた。燃え尽きたあとの骨のほうがまだ水分を含んでいるように見える。そういう空間だった。
そうしてアマネは気づいた。
死んでも誰も悲しまない人生は、どうしようもなく空虚であると。
自分は、自分の死で、できるだけ多くの人の心に消えない傷を遺したいと。
そのためには、友人をたくさんつくり、よりたくさんの人と親しくなる必要があった。そうしなければ自分の人生に意味などない。そう考えた。
「学校の奴らはいいけど、ハナちゃん不幸にするのはやめろよ。かわいそうだろ」
「それこそ、俺が死んだところでハナはなんも思わんだろ。そりゃ葬式やらなんやらは面倒だろうけど、それ自体は遠いか近いかの差でしかないわけで」
「……ホントにそう思ってるのか?」
「なんだよ。ハナより先に死ぬなっていうのか?」
「そういう話じゃ……いや、もういいか」
言って、話を打ち切った。
それから宇宙フロアをふたりでやいのやいの話しながら回り終えると、スズが言った。
「そろそろ出るか。暗くてかなわん」
「お前が科学館って言ったのにか?」
「宇宙以外はあんまり興味がな。ついでに言うと、わりともう限界だから外で日差し浴びたい」
「それは俺もだけど、やっぱ納得いかないんだよな」
ぶつぶつ文句を言いつつ、ふたりでエレベーターへ向かった。全体的に薄暗い館内のせいで、慢性的な息苦しさを押し殺して回っていたのだ。
外へ出ると、入る前と同じく、気持ちのいいくらいの快晴で、文字どおり生き返るような気分になった。脳が酸素の供給を喜ぶ。
「あ、トイレ行きそびれた。悪い、ちょっと待ってろ」
スズがハイキングコース横の公衆トイレに寄って行った。
見送って、アマネはぼんやりと周囲を見回す。
平日だからか、ひとけのない静かな空気感が横たわる。きっと一か月ちょっと前なら蝉がミンミンジージーとわめいていたのだろうが、冬服でもギリギリ生きていける程度の季節にもなると、さすがにそういうことはない。
ふだんなら周囲に人がいないと落ち着かないが、たまにはこういう空気感も悪くないな、と思った。
心地いい孤独に浸っていると、ぼやけた視界の奥のほうから誰かが歩いてくるのが目に入った。
ウエストポーチを身に着け、あごヒゲを生やした、うさんくさいおっさん……と、そこまで認識したところで、ばっちり目が合った。
目を丸くするアマネと、口をぽかんと開ける男――寛。
距離にして五メートルほどだろうか。ふたりの間の空気が、コンマ数秒硬直する。
「……木曽?」
アマネの声がゴングとなった。
寛がウエストポーチからナイフを取りだし、大地を蹴った。
数瞬遅れてアマネも反応。反転し、距離を取ろうと一目散に駆け出した。
が、数歩進んだところで、背筋がちりっと殺気をキャッチする。振り向くと、すでにじゅうぶんに距離を詰めていた寛がナイフを振りかぶっていた。
地面を蹴って無理やり身をよじる。が、
「ぐぁっ!」
制服の上から右の二の腕を深く切り裂かれ、勢い余って前のめりに転倒する。
痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い!
カッと目を見開き、右腕を押さえる。
脂汗が噴き出し、涙が流れ、土と交じって顔を汚す。
だが今はそんなことを気にしている余裕などない。
これまでの日常、指を多少深く切ったりすることくらいはあったが、二の腕を深く切り裂かれたことなど皆無であった。
だから、そのあまりに不慣れな激痛に、脳のリソースがすべて奪われる。
痛みが意識の大部分を支配する。
これが試合ならば。あるいはショーなら。すでに決着のゴングが鳴っていることだろう。
だが、そうではない。
寛の目的は、最速でアマネの抵抗を封じ、根を引き抜くことだ。ならばこの好機を逃す道理はない。横たわるアマネに再度ナイフを振り下ろした。
「んぐっ!」
半ば本能のままに大きく避ける。ナイフが土を刺す音。ゴロゴロ転がり、わずかに距離を取ったアマネは全身にまとわりつく土を払う余裕もなくなんとか立ち上がる。
やばい。
脳が警鐘を鳴らす。
最悪に近い状況だ。
黒い制服の上にじわりと血がにじむ。
汗と土が目にしみる。
窒息とはまた別ベクトルの苦痛。
スズがちょうど席を外しているのが唯一の幸いと言えるだろうか。自分の代わりに彼女が傷つく必要などない。
とにかく今は逃げるしかない。
アマネは震える膝に力を入れなおして駆け出した。
人目のある場所まで逃げる。それが最適解だろう。科学館まで逃げ切れば、おそらくはおそってこないはず。
よしんばそれで諦めないにしても、混乱に乗じて逃げ切れるかもしれない。
一秒でも早く屋内に避難する。そう決めて、わき目もふらずまっすぐに駆けた。
だが、次の瞬間、
「がっ!」
ナイフで切られたときとちがう衝撃が頭蓋骨に響く。
うつぶせに倒れ伏し、数メートル先、地に転がる鉄球を視界にとらえ、そこでようやく、痛みの正体を理解した。
「悪いな、アマネ少年」
「お、おっさん、なんで」
「オレのために、死んでくれ」
問いには答えず、冷徹な、乾いた声が視界の外、頭上から落ちてくる。
感情のこもらない声に、アマネの腹の底、丹田のあたりが冷える。
この男は、自分には想像もつかないほど、壮絶な覚悟のもと動いている。それだけ、ハッキリと理解した。
数瞬、思案する。
あるいは、"植物人間"としての力を成長させれば、まだあるだろうか。
そう考えて、心の内で首を振る。
その選択肢は絶対に取りたくない。この男に相当の覚悟があるように、アマネにも譲れない部分がある。
「ぐふっ!」
骨を打ったような鈍い音とともに、くぐもった声が響いた。
アマネのものではない。
めをぎゅっとつむっていたアマネの背中に、寛の両手が乗り、そこでようやく、うめき声が彼のものだと気づいた。
おそらくよろめく身体をそうして支えているのだろう。
なにが起こったのか。きょろきょろと周囲を見回すと、大きな石ころが目についた。
もしかしたらこれが寛の身体にぶつけられたということだろうか。
と、そこまで想像したところで、再び頭上に衝撃が走った。
今度は声も漏れない。肉を打つ鈍い音だけを残して、背中が軽くなった。視線の先、数メートル吹き飛ばされた寛が地面に叩きつけられていた。
「ピンチならちゃんとアピールしろよ」
蹴りを見舞ったスズの、凛とした声。
「……助けてほしいなんて、思ってねえし」
「ふん。おもしろくない奴」
つまらなさそうに言って、スズはアマネの背中を掴んで引っ張り上げた。
「いだだだだだ! やめろ起きれる引っ張るな!」
引っ張られた制服の袖の部分が右腕の傷とこすれ、激痛に悲鳴を上げる。
「ったく、こんだけ派手にやられておいて強がるんじゃねえ」
かろうじて立ち上がるアマネ。
スズは地に横たわったままピクリとも動かない寛へと歩を進めた。
「さあて。どうしてくれようか」
転がっていたナイフを拾うと、その赤い刃でぺちぺちと手を叩き、一歩一歩近づく。
「お、お前、まだやる気か!?」
狼狽するアマネに、スズが不思議そうに振り返った。
「こいつはここで殺しておくか、拷問でもして最低限裏の存在を吐かせておくべきだろ」
「そこまでしなくてもいいだろ! お前の蹴り一発でもうダウンしてるんだぞ。葉っぱに脳みそ支配されてんのか?」
「アンタ、アタシが助けに来るのがあと数秒遅かったら死んでたからな?」
振り返ったスズは、針のような声で言った。
彼女の言葉は正しい。
アマネは、この右腕に刻まれた以上の傷をつけられ、根を引っこ抜かれ、激痛にのたうちまわり迎える死を、目の前に倒れ伏す男によってもたらされようとしていた。
きっとここで逃がしたら、アマネが"半・植物人間"である限り、また殺しに来るだろう。そのときにスズがいなければ、今度こそ死んでしまうかもしれない。
だが。
それでも。
「それでも、だ。これ以上はやりすぎだと、俺は思う」
じっと、スズと睨み合う。
じりじりと、ふたりの間の空気が緊迫感を増す。
「アンタがどう思おうと、知ったことじゃない。アタシはアタシの責務を果たすだけ。邪魔するなら、アンタも再起不能にする」
「……やってみせろよ」
ドーパミンのおかげだろうか、だんだん痛みがマヒしてきた。
ナイフを構えるスズに、アマネは見様見真似のファイティングポーズで応戦する。
が、次の瞬間、
「……しょうもな」
スズが踵を返し、いまだ横たわる男へ疾駆した。
「おまっ! ひきょっ!」
慌てて追うが、どう考えても間に合わない。スズのナイフはきっと、深々と寛を刺すだろう。
どうする。脳神経をフル稼働して、一瞬で答えにたどり着いた。
「待てっつってんだろ!」
足元の石を、全力投球した。
「いっ!」
後頭部に激突。スズがつんのめる。いくら"植物人間"の身体が丈夫で力が強いといっても、石がぶつかれば衝撃くらいはある。
次の瞬間。アマネは目を疑った。
先まで倒れ伏してピクリとも動かなかった寛が、跳んだ。
跳ね起き、手元に隠し持っていたナイフでスズを切りつけた。
「ぎゃっ!」
右腕、冬服の上から鮮血がほとばしる。あるいは葉にも傷が入っただろうか。
が、スズもただでは沈まない。
「ぐぅぁぁあああああああああ!!」
瞳に強い光を宿すと、歯を食いしばって、右足を踏ん張り、切りつけられた右腕をそのまま突き出した。先端のナイフが、寛の腹部へ刺さる。
「がふっ!!」
寛が悲鳴にも似たうめき声を上げる。
よろりとふらつき、それでも強固な意志で己の身体を支える。
一方のスズも、肩で呼吸をしながら、ぎろりと鋭い視線を寛へ向ける。
お互い満身創痍ながら、獣のような瞳がぎらぎらと向かい合い火花を散らす。
「おーい、おまえらなにしてんだ!」
大きな声が遠くから響き、足音が近づいてきた。
「……チッ!」
数瞬の逡巡の後、寛は踵を返し、木陰を縫うようにして走り去っていった。
スズは追うことはせず、その場に腰を下ろした。
「おーい、スズ! 渡君! 大丈夫か!」
声の主は長谷だったらしい。荒い呼吸を整えながら尋ねてきた。
「ハセ、たまにはいい仕事するな。助かった」
「それなら良かった。訊きたいことはあるけれど、まず応急処置だ。ふたりとも大怪我じゃないか」
スズは首肯して、周囲をきょろきょろと見回した。
「このあたり水道ある?」
「トイレの手洗い場くらいだねえ。自販機で水買ってくるから、スズと渡君は先に上着脱いで待っていて」
「分かった」
短く言って、スズは赤黒く染まる冬服を脱いだ。見る人が見れば卒倒しそうな血だらけの腕がその姿を現す。
「アンタも制服脱げよ」
「あ、そ、そうだな」
涼しい顔で平然と言うスズに、アマネは戸惑いながらなんとか同意する。アドレナリンが去ったためか、いまさらになってじくじくとした痛みがぶり返してきた。右腕を動かすと痛いため、左手で制服のボタンを開け、衣擦れが起こらないよう細心の注意を払いながら上着を脱ぐ。
「うわっ、グロ……」
薄手のカッターシャツは、スズに負けず劣らず真っ赤に染まり、傷の深さを物語っていた。
そうは言っても、カッターシャツを脱がないわけにもいかない。こちらも痛みをこらえながらなんとか脱ぐ。
「ぐぅっ」
木々の間をとおり抜けてくるそよ風が傷口を痛めつけた。
そんなアマネの様子を見て、スズが口を開いた。
「ふぅん。芽は無事なのか。良かったな」
「このあと病院行けばいいのか?」
「その右腕、医者に見せる気か?」
「……そうだよな」
あらわになった右腕。幸い無傷で済んだ芽を眺めて思う。これを見せるわけにはいかないが、二の腕の怪我を治療しつつ前腕を隠すというのは至難の業だろう。
「"植物人間"に理解のある医者とかいないのか?」
「そんな都合のいい存在は聞いたことないな」
「医者に行かないでどうやって血止めるんだ」
「光合成で、"植物人間"としての回復力を使う。最初にアタシがやったやつだな」
「……それ、"植物人間"としての成長が進むんじゃないのか」
「けど、それをしなきゃ失血で最悪死ぬ。アンタに選択肢は用意されてないんだよ」
なんとか少しでも進行を抑え、"半・植物人間"である間に人間に戻ろうと拷問に耐えているのに、タイムリミットを縮めるわけにはいかない。そう思うのだが、スズにとっては他人事なのか、気にした風もなく空を見上げた。
あまりに平然としているものだから、ふと、ひとつ疑問が湧き上がってきた。
「"植物人間"になったら痛覚なくなるのか?」
「は? なに言ってんだ?」
アマネの問いかけに、スズはグロい腕をぶら下げながら平然と言った。
「…………もしかして、今、クッソ痛い?」
「死ぬほど痛いに決まってんだろ。おそらくこれ葉もやられてる。水洗いすると気絶しそうなくらいしみるんだよな」
「光合成すればいいんじゃねえの?」
「葉に血がべっとりついてるから、まずそれを流さないと光がとおらねえんだよ」
「……………………悪かった。俺のせいで怪我させちまった」
「ホントにな」
最初に言え、とスズがぶつくさ不満を続ける。と、そこで、
「ごめんね遅くなった」
500ミリペットボトルの水を四本抱えて長谷が帰ってきた。
「アタシは自分でやるから、ハセはこいつのほうやってやってくれ」
「分かった」
「水かけてやってもいいから」
「えっ君らなにかあった?」
長谷の問いかけに答えず、スズは無造作にペットボトルをひとつ開封すると、アマネたちに背を向けた。ひとつ呼吸を挟み、患部に注ぐ。
「っっっ~~~~~~~~!!」
おそらく必死に歯を食いしばっているのだろう。スズのうめくような声が耳に届く。
そんな彼女の背中を眺めるアマネに、すすすと長谷が近寄ってきた。
「アマネ君、光合成はしたことある?」
「…………俺、光合成したくないんすけど」
「でも、見た感じ結構傷深いから、これ放っておくと危ないよ。最悪死ぬかも」
「……それもイヤですけど、でも、"植物人間"にもなりたくないです」
「ふーむ」
長谷は考えこむようにあごに手をやった。
数秒間の沈黙。
「本当に死ぬかどうかはともかく、放っておいた場合、かなり痛いのが続くよ」
「大丈夫です」
「何日かは学校に行く元気もないと思うよ」
「……問題ない、です」
「光合成しないなら、水かけて血を洗い流さないといけないよ。死ぬほど痛いよ」
「……………………わかりました。ただ少し、時間をください。覚悟を決めますんで」
答えは揺るがない。
人間に戻るため、連日の拷問に耐えているのだ。今日も遠足が終われば、長谷宅で窒息に耐える苦行が待っている。
今自分がなすべきは、人間に戻ること。
学校に行けないのは由々しき問題だが、友情ポイントはまた稼ぐことができる。だから今は、少しでもタイムリミットを遠くに保つ必要がある。ならば、患部に水がかかる痛みなど耐え「ぐぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!」
目を閉じ深呼吸をしていたら、二の腕に焼けるような痛みが駆け巡った。
水と血の混ざった液体がドボドボと腕から垂れる。
ばったばったと身体が勝手に暴れる。
患部を空気が浸食して痛みが二倍三倍と膨らみあがる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
動いてはいけない。動いたら余計に痛みが襲ってくる。そう判断して全身の筋肉に力をこめるが、本能が理性を押しのけて勝手に身体を暴れさせる。
うめき声とも悲鳴ともつかない声が喉の奥から鳴る。焼けた鉄を押し当てられたような激痛に、全身から脂汗が噴き出してきた。
そうして血を洗い流し、アマネはガーゼを当てて包帯をグルグル巻きにして一息ついた。
「うぅ……いたい……いたい……」
じくじく痛みを訴える右腕。あまりの激痛に、少しでも気を抜くと涙があふれてきそうだ。
と、そうしてじっと耐えていると、光合成で傷をふさぎ終えたスズが戻ってきた。
「……なんだそれ?」
スズの手のひらには、一、二センチほどだろうか、ヒマワリの種のようなものが乗せられていた。
「種。開花したらでてくんだよ」
ぶっきらぼうに言われる。地中に埋めたら植物人間が生えてきたりするのだろうか。
「ハセ、いるか?」
「この間のがまだ解剖終わってないから、今はスズのほうで持ってて」
「わかった」
スズは短く言って、ぞんざいにポケットに突っこんだ。
「それで、なにがあったんだい? あの男が君たちをおそっていたのかな?」
「そうです。デコト……こいつがトイレ行ってるときに向こうから来て」
「妙にタイミングいいし、君たちがここにいるって最初からバレていたのかな」
「いえ、向こうも驚いている風だったので、たぶんたまたまだと思います」
アマネの言葉に、長谷は思案するように黙りこんだ。
「つうかそれより、そのあとだよ」
スズが不満げに声を荒げる。
「こいつ、アタシがあの男に追撃しようとしたら止めてきて、アタシに攻撃してきたんだよ。そのせいで逃がすわ怪我負うわで散々だわ」
「いや、だって、逃げれる状況だったのに、お前殺そうとしただろ。そんなのさすがに止めるだろ普通」
「そりゃあ殺すか拷問しておくべきだろ。今後の安全を考えるなら」
「発想がおかしいんだよ。お前はバトル漫画の世界の住人か?」
「うっさいな。べつにアタシが全部やるから、アンタはうしろで目つむって耳ふさいでりゃいいんだよ」
「俺が手を下したくないって話じゃねえんだって。殺すとか殺されるとか物騒なんだよ。もっと平和的にやろうぜ」
「よーしわかった。その清廉潔白平和主義な精神性おおいに感動した。だから絶対にその砂糖山盛りな激甘思想死んでも変えるんじゃねえぞ。もし土壇場で死ぬのが怖いからやっぱ攻撃しますなんてやりだしたら、アタシが殴り倒してやる」
「おうやってみろよお前だけは例外的に返り討ちにしてやるよ」
がーがーと言い争うふたり。しばらく黙って聞いていた長谷は、「ふたりとも、落ち着いて」仲裁に入った。
「君たちの言い分は理解した。どちらもそれなりに理があると、おれは思う」
落ち着いた声で話す。
「そのうえで、渡君に確認したい。君は、まだ、自分が普通であると思っているのかい?」
長谷の声に、急激に周囲の気温が下がった気がした。ぶるっと身体が震える。
「腕に芽を生やし、暗闇で窒息し、あと十日もしないうちに人間をはるかに超える身体能力を手に入れる。そんな君が、いまだ、友人たちと同じ次元の存在だと思う?」
静かに、語り掛けるように言う。柔らかい声の中央を貫く芯は硬く、太く、どれだけ叩いてもびくともしない力強さを感じさせた。
「おれたちは、フィクションなんだよ。渡君が今まで読んできたファンタジー漫画。バトル漫画。それらの世界に登場してもおかしくない、外れた存在なんだ」
外れた存在。長谷の言葉が、鉄球のような重さでもって下腹部に落ちる。
「もちろん、生きている場所が現実世界である以上、殺人は犯罪だし、大怪我を負わせるのもじゅうぶんアウトだ。軽々に罪を犯すべきじゃない。でも、普通じゃない僕たちが生き続けるためには、普通のことだけしていればいいというわけじゃないんだ」
諭すような言葉。ふだんのニコニコとした笑顔とは真逆の、至極真面目な目。
アマネはその眼差しを受け止めきれず、地面を見つめ、
「俺は、普通です。普通の人間に、戻ります」
それでも彼らを否定した。
こんな、脳まで侵されたバケモノになってたまるか。そう、心の中で呟いた。
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