第3.5話

「菱ちゃーん! 誕生日おめでとー!」

 帰宅した寛は、部屋に入るなりクラッカーを鳴らした。

 祝われた菱子は、パソコンから視線を外して静かに突っ込んだ。

「それ、普通出迎える側がやらない?」

「欲しい返し! さすが菱ちゃん誕生日だからテンション上がってるね!」

「寛ほどじゃないよ……」

 若干引いたように言う菱子に、寛は右手にケーキの入った直方体の箱を、左手にお菓子類でパンパンに膨れ上がったビニール袋をぶら下げて見せつけた。

「ちゃんとケーキも買ってきたから!」

「もー、また無駄遣いして。お金ないんだし、べつにいいよそんなの」

 めんどうくさそうに言いつつ、菱子は腰を上げてキッチンへ向かった。

 寛の用意した皿にホイコーローとチンジャオロースを足して2で割ったなにかを盛り付けた。

 おそるおそるその中華ミックス晩ご飯を口にすると、寛はぱあっと顔を明るくした。

「おっ、今日のは美味い」

「そう思うなら器用に避けてるピーマンもちゃんと食べてね」

「ぎくぅ」

 じとーっという冷たい目線を受けて、寛はしぶしぶピーマンを口に運んだ。

「それにしても、菱ちゃんも中学卒業まであと半年かあ」

「一回も行ってないけどね」

「卒業のときは記念に制服で写真撮ろうね。桜バックに」

「ええー、いいよ思い入れもないし。ていうか制服、やっぱり入学式の日に写真撮るために着て以来じゃん。だから買うのやめようって言ったのにもったいない」

「だって菱ちゃんの制服姿見たかったし……」

「うわ、今のはさすがにキモ……」

「そのマジの感じのやつ心にくるからやめて!」

 両腕を抱えて身体を引く菱子に、寛は笑いながらツッコミを入れた。

 と、菱子は数瞬の沈黙を挟んで、伏し目がちに尋ねた。

「ねえ、寛。……後悔してない?」

「なにが?」

「『来年こそは最優秀賞取る』って言ってたじゃない。私がこうなる前」

 高校二年生のころ。寛は新聞部のエースとして全国でそこそこの成績を収め、来年こそは、と意気込んでいた。

 そうした折、まだ小学生だった菱子の腕から芽が生えた。

 "植物人間"におそわれたのだ。

 幸い菱子の命を守ることはできたが、人間に戻すことはできなかった。

 そしてもっと悪いことに、両親は菱子を気味悪がった。

 だから、寛は彼らと縁を切った。高校を中退し、バイトをしながらフリーの記者として経験と実績、コネを積み上げた。

 その過程で、様々な地域を転々としながら、"植物人間"を探し続けた。

 そうして初めて発見したのが、ピンク頭の女だった。

 寛は渋い顔でピーマンを嚥下すると、素知らぬ顔で言った。

「最優秀賞取りたかったのも、そのほうが記者として生きていく道が開けると思っただけだから。着地点は今と変わらないよ」

「寛、頑張りすぎなくていいからね」

 見透かすような目を向けてくる菱子に、寛はにやりと口角を上げてみせた。

「オレがパソコンを使おうともしない怠け者だって、菱ちゃんが一番わかってるだろ?」

「…………」

 うそつき。

 浮かない顔で呟いた彼女の言葉は、寛の耳には届かなかった。

「ごちそうさま」

 皿の半分ほどを残して菱子が立ち上がった。

「あれ、お腹減ってない?」

「ケーキのためにお腹残しとかないとね。先にお風呂入ってくる」

 強引に言って、菱子は着替えも持たずに風呂場へ向かった。

 首をかしげながら、寛は料理を平らげ、こっそりと脱衣所へ向かった。

 閉まった扉の外から耳をそばだてる。

「大丈夫。私は大丈夫。きっと、うまくいく………………」

 うめくような、己に言い聞かせるような声がもれてきた。

 寛は思わず息をのみ、声がもれないよう口元を手で覆った。

 壁にもたれかかり、膝を曲げる。

 たまに、人間として生きることに強烈な違和感を覚える。

 以前、菱子がちらりと口を滑らせた話だ。

 屋根の中で、風雨にさらされず、太陽を遮って生きている今が夢であるかのような、そんな感覚がするらしい。

 "植物人間"特有の感覚なのか、菱子個人のものなのかはわからないが、おそらくそれは、本能が侵されていくような恐怖だろう。

「きっと、うまくいく。大丈夫。大丈夫」

 彼女の声を聞きながら、寛は拳を痛いくらいに握りしめた。 

 脳内に今日の映像が鮮明に映し出される。

 忍び込むための下見も兼ねて、学校に出向いてみた。そしたら、心臓が口から出るかと思うほどに驚いた。

 ピンク女と少年のふたり組が学校に来ていた。

 はやる心を抑えて、彼らの尾行に徹したことで、いくつかの情報を得た。

 まず、少年のほうはワタリアマネという名前で、ピンクのほうはデコトラと呼ばれていること。

 次に、少年のほうの家。護衛のためだろうか、ピンク頭のほうも今はそこに住んでいるらしい。

 その次に、彼らが怪しげな古物商店でなにかをしていること。ただの寄り道かと思ったら一時間ほど出てこなかった。もしかしたら、"植物人間"がらみでなにかしているのかもしれない。

 そして最後。明日、遠足があり、彼らはそれに参加するつもりであること。

 平然と学校に来て遠足にも向かうというのは、寛の感覚ではどうにも理解がしがたいが、己の目と耳で得た情報だ。そうなのだろう。

 単に油断しているのか、あるいはある程度引き込んでからこちらを叩く縦深防御の構えか、様々な可能性を考えておくべきだろう。

 もし仮に罠だったとして、こちらには時間制限がある。踏み込まないわけにはいかない。学校は人目に付きやすくて仕掛けにくいが、遠足ならばひとけのない森の中に行くこともあるだろう。できれば少年が一人になったタイミングを狙いたい。

 暗幕は役に立たないだろうが、それでもあの少年だけならばおそらくなんとかなる。

 ……正直なところ、名前は知りたくなかった。

 殺しにくくなるから。

 だが。それでも。明日こそはアマネ少年の根を引き抜かなければならない。

 家を飛び出して五年目。デコトラはようやく発見した"植物人間"だ。

 できる限り他人を巻き込みたくはない。ワタリアマネには悪いが、彼を確実に仕留めることが被害を抑える最適解であり、菱子の幸福のための最短距離なのだ。

 だから、明日こそは絶対に成功させねばならない。寛は握った拳を胸に押し当てた。

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