第5話 過ぎ行く夏の日(6/13)

■シーン13■ 遊歩道(烏山川緑道)


       遊歩道を歩く二人、遠景。

       木の茂みの所どころに外灯。近景に空き缶が一つ転がる。

       啓吾、足取りにやや酔いが見える。

       彩香は片手に紙の手提げ袋をぷらぷらと揺らしながら。


彩香   :「素敵ですねー。あたしも行ってみたいです」

啓吾   :「伊東? いい所だよ。今なら海水浴も出来るし、温泉もあるし」

彩香   :「温泉? また混浴ですか?」

啓吾   :「(笑い)いや、立派なビルになった温泉だけど」


       彩香、ちょっと表情を落とす。


       遊歩道片側の人家のブロック塀から、猫が1匹飛び降りて来る。

       「ニャー」と一声鳴いて、遊歩道を横切り、反対側のツツジの植え込みの陰に隠れて行く。


       彩香、すぐに明るさを戻して、


彩香   :「伊東も行きたいですけど、お母様の個展も見てみたいです」

啓吾   : 彩香を見つめる。少し考える。

      「いいよ。見に行こう」

彩香   : 啓吾を見上げて、

      「いいですか? それまで、あたしがいて?」

啓吾   : 一呼吸考えて、

      「いいよ。俺の方は全然」


       彩香、一人で歩を速める。

       啓吾、立ち止まって彩香を見守る。

       彩香、振り返る。


彩香   :「そう言えば、お父様って何をしていらっしゃるんですか?」


       啓吾、ちょっと言葉に詰まる。

       彩香の所まで歩いて行く。しばし考える。

       彩香、啓吾を見つめる。


啓吾   :「俺さぁ、父親って居ないんだよ」

彩香   :「えっ!?」

啓吾   :「いやさ、俺がこうして生きているんだからどこかにはいるんだろうけど、知らないんだ」

       歩き出す。

      「お袋の美大時代からの仲間連中の話を総合すると、その頃つき合っていた他所の大学の学生らしいんだけどさ、そいつは大学卒業と同時にどこぞに留学しちゃって、お袋の方も何を考えていたんだか、そんな事を相手に全然知らせないで卒業して俺を生んで、んで、あれやこれややって、伊東の山奥に今の土地を買ってアトリエ開いて今に至るんだ」


       彩香、啓吾をしばし見つめる。視線を外して足元を見る。

       啓吾、彩香の様子を見つつ、


啓吾   :「おっどろいちまうだろう、彩香なんかには?」

彩香   : 考え深げに、

      「やっぱり、お父様にお会いになりたいですか?」

啓吾   :「いや、それは無いかな? 俺、父親ってものに具体的なイメージが湧かないから」


       彩香、やや驚いた様子。啓吾を見上げながら、ついて歩き続ける。


啓吾   :「たださ、俺、物心ついた頃から、男って一体何なんだろう、って思ってんだよね」

彩香   :「え?」

啓吾   :「だってさ、そいつにとっては、恐らく俺は初めての子供な訳じゃない? もしかした唯一の子供なのかも知れないじゃない? だのに、お袋が言わない限りは、そいつは、俺の事なんか夢にも知らずに暮らしているんだよなぁ」

彩香   :「うーん。解らないでもないですけど、男の人って‥‥」

啓吾   :「勝手な女! 勝手に恋して、勝手に子供生んで、勝手に好きな事やって生きている」

       歩き続ける。


       彩香、不安げな面持ちで立ち止まる。

       不意に笑い出す。


啓吾   :「(不意を突かれて)ん?」

彩香   : 口許に指を当てて、

      「ふふ。でも、啓吾さんってお母様の事、お好きですね?」

啓吾   :「(ぎょっとした様に)何それ!?」

彩香   :「だって、啓吾さんの話し方聞いてて分りますぅ」

啓吾   :「(ややあわてて、彩香のそばに戻って来て)そ、そりゃあね! 親一人子一人だから仕方なく! お、親子でなければ、とうに離縁だ」


       彩香、可笑しげに笑う。

       啓吾、目を剥く。


彩香   : 不意に顔を上げて、

      「分かった! 啓吾さんが強くなったのって、それのせいでしょう?」

啓吾   :「な、何それ?」

彩香   :「ですからぁ、『俺は男だぁ!』とか思って熱くなっちゃって!」

啓吾   :「(手振りも混ぜて)な、何だ、そりゃ!? 何の関係も無いぞ!」


       彩香、可笑しそうにコロコロと笑う。

       啓吾、目を剥いて彩香を睨みつける。


啓吾   : 大袈裟に両手を左右に振って、

      「あー! やめ! この話やめ!」

彩香   :「(抗議口調)えー! いいじゃないですか、今明かされるスーパーヒーローの強さの秘密」

啓吾   :「うるさーい! 黙れ! それより、お前、バイトやりたいんじゃなかったのかよ?」

彩香   :「(ややあわてて)え!? あ、はい。(口許に指を当ててクスッと笑う)よろしいですか? 啓吾さんのハンコがいるんですって」

啓吾   :「いや、ハンコくらいいくらでも捺すけどさ、どうせなら、うちの会社でバイトしないかよ?」

彩香   :「え? 啓吾さんの会社でですか?」

啓吾   :「何だよ? 嫌かよ?」

彩香   :「いえ。ただ、会社のお仕事なんてあたしで出来ますか?」

啓吾   :「んー、それがな、」

       彩香の頭に手を置いて促し、歩き出す。

      「仕事は、バングラデシュの天気図を書いて現地にメールで送る事。本社の仕事なんだけど、うちの事業所にお前用のパソコンを置いてくれるそうだ」

彩香   :「天気図ですか? あたし、何も知りませんよ?」

啓吾   :「書き方は教えてくれるって。いやさ、お前が目の届く所にいてくれれば俺が安心てのもあるんだけど、この間キャンプに来ていた面堂って奴」

彩香   :「面堂さん? あぁ、はい!(思い出し笑い)」

啓吾   :「あいつがすっかり彩香にご執心でさ、是非ともお前にって言うんだ。どう?」

彩香   : 笑いながらも考え込む。

      「面堂さん‥‥。うーん、どうしようかな!」*3

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