3 廃工場

 流石さすがに『アントニーって誰?』と聞くような雰囲気でもなかったので、それとなくそのアントニーとやらが今日着ていた服装なんかを尋ねてみた。どうやらいつも騒がしくはしゃいでいるあの男子生徒がアントニーだったらしい。

 わたしが無視される前は楽しそうにわたしに嫌がらせをしていたので、最近はわたしにちょっかいを掛けられずに欲求不満だったのかもしれない。

 喜々としてわたしの教科書を持って行く彼の姿が容易に想像できた。

 面倒な気持ちが顔に出ないように隠し、代わりに焦った――当然、委員長たちへのパフォーマンスである――表情で急いでかばんに私物を入れる。そして、忘れ物がないことを念入りに確認すると教室を足早に出て行った。

 いつもであれば教室を出たら開放されたような気分に浸れるというのに、このあとは廃工場まで行かなければいけないなんて……。

 鬱々とした気持ちになりながら、校門を抜け、そのまま町の外れへと向かう。

 廃工場は町の中心部から少し離れたところにある工場で、わたしが生まれる前から使われておらず、そこでどんなものが作られていたのかは詳しく知らなかった。以前おじいちゃんに聞いた話だと加工食品の工場だったか、研究施設だったからしいのだが、今では見る影もない。そのわりに取り壊されることもなく、その上、工場の中から運輸用大型自走車が出て行くのを見たといううわさもある不気味な工場である。

 自走車があれば20分も掛からないらしいが、自走車を個人的に使える金持ちは上級市民だけだ。わたしには自走車を借りるお金なんてないので、少し時間は掛かるが歩いていくしかなかった。

 わたしの学校は下級市民が通う学校なので、町の中心部からは少し離れていた。そのため、ちょっと歩けば放置された家々が建ち並ぶはいきよ区域へと出る。

廃墟区域といっても治安が悪いというわけではなく、草のつるが壁を登っているのが目立つものの、窓ガラスが不自然に割れていたり、浮浪者が襲ってくるようなこともない。

 今から行く工場とは方向が違うが、わたしの家も廃墟区域にあるので、比較的見慣れた光景である。

 流石に夜にひとりで通るのは勘弁したいけどね……。今日は早めに帰れるといいけど。

 1時間ほど歩くとくだんの廃工場へとたどり着く。空を見ると、太陽がずいぶんと下がっており、辺りもだいだい色に染まってきていた。

 ここまで来ると廃墟区域も抜けて周りはアスファルトの道路が1本あるだけだ。道路を走る自走車なんてものは当然なく、この廃工場よりも先になにがあるのか、わたしにはまったく想像がつかなかった。

 少し昔は都市間の往来も頻繁で、時間によってはこの道が自動車(自動走行ではなく、人が運転する車のこと)の渋滞によって社会問題になっていたらしいが、にわかには信じられない。

 廃工場の門は開け放たれていて、警備員もおらず、わたしは少し及び腰になりながらもすんなりと敷地内、そして建物内にも入ることができた。

 廃工場なんだから当たり前なんだけど、こんなに大きな工場なのに音がしなさすぎてとてつもなく不気味だ。できればとっととアントニーから教科書を取り返して帰りたいし、それが無理ならせめて独り言でもつぶやきながら足を動かしたい。

「おっ、キャッシーじゃん。こんなところにひとりで来てどうしたんだよ?」

 そんなことを考えながら歩いていたら、クラスメイトの男子の声が聞こえてくる。普段であれば聞きたくもない声だが、こういう不安な心理状態のときは知っている声だというだけで嬉しくなるらしい。わたしは小さくあんしながら声のした方を向いた。

 声を掛けてきたのはアントニーと、彼とよく一緒にいる男子数人だった。

 不思議そうな顔をしているが、その口元はやたらとニヤついており、どうやらわたしが来るのを今か今かと待ち構えていたらしい。これならどこかで道草でも食って待ちぼうけを食らわせてやればよかったかもしれない。

「今日、委員長が配ってた道徳の教科書なんだけど、わたしのがアントニーのかばんに紛れ込んでるかもしれなくて。いつの間にか2部あったんでしょ?」

「ああ、あれキャッシーのだったのか。ちょっと待ってくれ。すぐに出す……ってあれれー? おかしいぞー?」

 背負っていたリュックサックの中身をすぐさま確認しはじめたアントニーは、しかしわざとらしすぎる声を上げた。

 そんな芝居がかった言い方……。小学生でももう少し取り繕った声音を使うだろう。

 すなわち、アントニーは取り繕う気がまったくないのだ。一緒にいる友人たちもニヤニヤ笑いに拍車を掛けた。

「確かに2部あったはずなんだけどなぁ。いつの間にか1部無くなっちゃったみたいだ」

「2階の書庫みたいなところでしまい忘れたんじゃないか? リュックの中身ぶちまけてたよな?」

 それからひとりで探してこいとでも言われるのかと思ったら、男子たちはその書庫の部屋に案内してくれるらしい。

 エントランスから少し歩いたところにあった階段を上がり、2階にたどり着く。どうやらこの工場には窓がほとんどないようで、電気もいていないから廊下は真っ暗だった。男子のひとりが、持ってきていた懐中電灯を点ける。

「暗いわね……」

「親父に聞いたんだけどさ、機密性の高い情報を扱っているような工場ってのはこんな風に窓がないらしいぜ」

 思わずつぶやいたわたしの言葉に、アントニーが答える。

「なんでも外部から不用意に侵入されるのを防ぐためとかなんとか」

 確かに、窓があったら割って入るということも可能になってしまう。

「つまりここもなにか機密なものを扱ってたってこと?」

「そうかもな。どちらにせよ、この工場に入ったり、出たりするのは大変だって話だ。

 着いたぜ。この部屋が書庫……ってか資料室だったな。プレートよく見てなかったぜ」

 話しているうちに、目的の場所にたどり着いたらしい。廊下に面した扉には『第3資料室』と書かれたプレートが付いている。

 ノブに手を添えてひねると、意外にも大した抵抗もなくするりとノブが回った。もっとび付いたりして扉を開けるだけで苦労するかと思ったけど。

 ノブと同じように扉自体も変な音もせず、部屋側へと動く。

 そして、1歩、その部屋へと足を踏み出した瞬間、背中をトンッと押される。

「――っ!?」

 わたしはたたらを踏みながらも、なんとか転ばずに済んだ。

 いきなり背中を押すなんて危ないではないか。こんなことをしたのは誰!?

 しかし、わたしが文句を言おうと振り返ったのと、入ってきた扉の方から『がちゃり』と音がしたのはほぼ同時だった。

 気付けばそこに男子たちの姿はなく、あるのは真っ暗な1面の壁だけだ。

 そこに扉はあるのだろうが、先ほどまで男子たちの掲げる懐中電灯の光に慣れていたわたしの目は扉と壁を見分けることができない。

 慎重に壁があると思われる方向へと足を踏み出す。すると、幸いすぐに扉と壁をつなちようつがいが見つかった。蝶番がここってことは……、ドアノブはこの辺りのはず。

 しかしドアノブがありそうな場所を何度手を往復させてもノブに手がかすらない。

 不思議に思いながらも更に手を動かし続けていると、扉に丸い穴が開いていることに気付いた。

「ま、まさか……」

 その丸い穴がいている場所はまさにドアノブがあるべき位置だった。

「あ、あいつら……ドアノブを壊していったの……?」

 当然だが、ドアノブを回さなければ扉は開かない。

「ちょっと開けてよ! こんなのしやになってないよ!?」

 ドンドンと扉を叩いて外にいる男子生徒たちに声を掛ける。

 流石にこのまま放置されるということはないと思いたい。彼らだって、閉じ込めて置いていったら死んじゃいました――なんてことになったら寝覚めが悪いだろう。

「いやぁ、わりぃ。なんか俺らの懐中電灯、皆電池が切れちゃったみたいでさぁ。暗いせいでこっちからも上手く開けられそうにないんだわ」

 廊下側のドアノブ回すぐらい、明かりがなくたってできるでしょう! もっと上手い言い訳はないわけ!?

 アントニーの下手な芝居にわたしは扉を叩く力を強めるもアントニーは気にした様子もなく言葉を続けた。

「だから、ちょっと電池取りに帰るな。そのまま別のことしてたら忘れちゃうかもしれないけど」

「ふざけないでよ! 今すぐ出して!」

「あとで『助けてくださいアントニー様~』って電話くれたら忘れずに助けに来るからさ」

 アントニーの言葉のなにが面白いのか、他の男子たちが笑いを堪えている雰囲気が伝わってくる。わたしの方は全然面白くもなんともないが。殺意しか湧かない。

「ちょっと、待ってよ! こんなところに置いていくとか正気!? ねぇったら!」

 しかし、本当に帰ってしまったのか、それとも廊下で息を潜めてわたしが泣き出すのを待っているのか、それ以降アントニーたちの声は聞こえなくなった。

 あー、もう。最近はわたしに対する行為もおとなしいものが多かったのに、こういう『閉じ込められる系』のものは久しぶりだ。それもあって、以前の〝慣れ〟が薄れてしまっている。得体の知れない場所、視界の効かない不自由さ、それらの生み出す恐怖はわたしが最初に閉じ込められたときに味わったものとほぼ同じだった。


 つまりはめちゃくちゃ怖い。


 あのころよりも心が強くなったのか、泣きわめいたりはしないものの、鼓動は次第に早くなっていき、呼吸もそれに比して短くなっていた。

「そ、そうだ。明かり」

 今は子どものときと違って端末を持っている。助け(アントニーたちに電話するかどうかはともかく)を呼んだりすることを考えたらあまり無駄遣いはできないが、部屋の広さや構造を確認するぐらいならバッテリーに余裕もあるだろう。

 わたしはかばんの中から端末を出そうといつも入れている場所を手で探るもそこにはなにもない。

 そうだった……。今日は体育があったから端末を持ってきてないんだ……。

 体育の日はかばんを放置しなければならないため、貴重品の類いは持ってきていないのだ。だから、端末もないし、お金だって最低限しか持っていない。

 まあ、お金は今あったところで役に立たなさそうだけど、端末がないのは問題である。明かりを点けることもできないし、最悪アントニーたちに助けてもらうことも不可能だということだ。端末がなければ電話を掛けることもできない。

 無駄だとは思いつつも、扉越しに男子がいることを期待して事情を話してみるが、扉からはなんの返事も返ってこなかった。

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