『普通じゃない』夜
『財前! 君は今どこにいるんだ!』
翔平は必死にあの日彼を助けてくれたあの歩くのが遅い彼女を探していた。
既に時間は20時。大学が丁度閉まる時間だ。
でも、もしかしたらと思い、翔平は大学に向かった。
なぜなら、大学の中にある図書館は19時50分に閉まる。
加えて、財前は以前、本を読むのが好きと言っていたので、その『もしかしたら』を信じて大学に走って行った。
だが、大学に着いた時は20時10分。当然のことながら、大学の門は閉まっていて、校内に誰かいる様子は無かった。
『……いるわけないか』
まあ、そりゃそうだ。
翔平は財前の今日の時間割を知ってる訳でもなく、財前が読書好きという情報だけで大学に向かったのだから、会える可能性は1%以下だった。
だが、翔平はその1%以下を信じて、財前を探しに行ったのだ。
会ったところで何を話すかも決めていなかったが、とにかく、今の財前に会いたかった。いや、会わなければならないという義務みたいなものを感じていた。
しかし、彼女は大学にいなかった。
そして、彼女が今どこで何してるのかも分からない。
『……仕方ない。帰るか』
翔平は財前を探すのを諦めて家に帰ることにした。
何も考えず。いや、財前のことを考えながら歩いていた。
すると、無意識のうちに翔平の家ではなく、財前の家の前にいた。
『おいおい……。俺、とうとうおかしくなったか。これじゃテレビでよく見るストーカーだ』
翔平は自然と彼女の家に行ってしまった自分に恐怖していた。
でも、反対に期待もしていた。
もしかしたら、帰り道を歩いてるのかもしれない。
もしかしたら、たまたま外に出てくるかもしれない。
だから、翔平はすぐには帰らず、財前の家の外で待っていた。
でも、5分くらい待っても財前の姿は見えなかった。
『いるわけ……ないよな』
翔平は諦めて背中を向けて帰ろうとした。
その瞬間、「あれ? その後ろ姿は山田くん?」と後ろから翔平が探していた人の声が聞こえた。
翔平は会いたかった人に会える嬉しさとその会いたかった人の家まで来てしまったストーカーみたいな自分を許してくれるのだろうかという恐怖の相反する2つの感情により、中々後ろを振り向くことができなかった。
「……山田君? 何、また泣いてるの?」
「いや、泣いてないって!」
翔平の心はその2つの感情を何とかコントロールすることで一杯一杯だった。
だから、財前の安い挑発に簡単に乗っかってしまい、つい振り返ってしまった。
「へへ! やっとこっち見たね」
そこにはゴミ袋2つ持った翔平の恩人が立っていた。
翔平は嬉しさによるものなのか、ストーカーと間違われてしまうのではないかという恐怖によるものなのか、はたまた話すことを決めていなかったからか(それとも全部なのか)分からないが、我慢していた感情が溢れて声が出せなかった。
プレゼンテーションの時に誰よりもしっかり準備する翔平が、今回は準備無しで来たのだから無理はない。
「山田君、大丈夫? どこか体調悪いの?」
財前が会話の口火を切った。
「う……うん、大丈夫。ってか、今ゴミ捨てちゃダメじゃない?」
「皆やってるから大丈夫だよ。多分」
財前は以前と全く同じ財前だった。
でも、この『以前』というのはあの翔平を変えてくれた日より前の財前だ。
用は翔平に勇気を与えてくれたあの強い財前ではなく、財前をただ歩くのが遅い変な女性だと思ってた時に翔平が勝手に抱いていたイメージの中の財前だった。
多分、これは他の誰に言っても分からないだろう。
でも、翔平はこの違和感をほぼ確信のように感じていた。
「就活、あんまり上手くいってないって聞いたんだけど」
翔平は回りくどく聞く方が失礼だと思い、自分自身が疑問に思っていることをそのまま聞いた。
いや、翔平はすこし期待していたのだ。
『うん。でも、大丈夫! 私が否定された訳じゃないからね』
あの日と同じ回答が返ってくるのではないかと。彼女は俺と同じ「普通じゃない」人だけど、強いんだと……
「うん。全然、上手くいってない」
財前の答えは残念ながら翔平の思ってたそれとは違った。
あの日の強い財前はどこにいってしまったのだ……?
あの日の俺を助けてくれた彼女は幻想だったのだろうか……?
何で、あの日と同じように否定してくれないんだ……?
心の中の奥底にいた小心者で傲慢で「普通」が嫌いな翔平が顔を出し、表に出てきそうだった。
でも、そんな翔平に構うことなく財前は続けて話す。
「私ね、実は山田君と同じでかなりのあがり症なの」
翔平は耳を疑った。
俺と同じあがり症……? そんなはずはない。いつだって、彼女のプレゼンは完璧だった。俺とは違い上手くやっていたじゃないか? 財前は歩くのが遅いだけで、それ以外は上手くやってたじゃないか?
翔平は財前が翔平と同じことを認めたくなかった。
財前は『普通』じゃなくていいと思わせてくれた憧れなんだ。
「そんなことはないでしょ? だって、財前のプレゼンとか見てたけど、俺より全然上手だったし、その後の先生からの質問もちゃんと答えられてたじゃないか」
頼む。君だけが「普通」を否定してくれる証明なんだ。俺の憧れなんだ。
翔平は捲し立てるように財前に聞いてしまった。
「……山田君は知ってるでしょ? 私が誰よりも早く学校に行ってること」
この財前の返しで翔平は全てを理解した。
いや、表現としては『理解してしまった』が正しい。
彼女も翔平と同じで『普通』に苦しまされながらも努力して『普通』を目指していたのだ。
少しでも皆と一緒に歩く為に。
少しでも皆と同じ『普通』になる為に。
「私が歩くのが遅いのもあるんだけど、早めに教室に行ってプレゼンの練習とかしてたの。実際の場所で練習する方がいい練習になるじゃない?」
そう言った財前の声は震えていた。
多分、あの日の強気な財前は翔平も彼女と同じ状況だったからこそ、強かったのだろう。
でも、その翔平が先に行ってしまった。
もう財前と同じ場所に人はいない。
彼女は独りになったのだ。
「……私、誰よりも不器用なんだ。多分、山田君よりも全然ね。だって、私は私より歩く人を知らない。いつだって私は最下位なの」
財前は間を空けてから、空を見ながらそう言った。
翔平も最下位の気持ちをよくわかっていた。
『1番下にいるなら、後は登るだけ』
この世には登らなくても既に上手く行っている人がいる。本当に嫌になる。
何やっても上手くやれる人がいる。本当に嫌になる。
でも、その上手くいった人にも辛い時期があり、苦しんだ時があったのも翔平は理解している。
だから、これが僻みというのもよく知っていた。
でも、最下位の人は僻んじゃダメなのだろうか?
最下位の人には頑張ることしか許されていないだろうか?
俺の目の前にいる俺の恩人は俺が抱えてる悩みと同じもので苦しんでいる。俺からその恩人にできることは無いのだろうか……? 恩返しはできないのだろうか……?
翔平は何か言わなきゃと思ったが、言葉が出てこない。
しかたない。自分が今思っていることをそのまま口に出すしかない。
「……財前、俺も歩くの遅いからさ、これからは一緒に歩こうよ」
翔平がそう言った時、もう夜だったのにも関わらず、彼女の顔が赤色に染まっていた感じがしたのは気のせいではないはず。
そして、それを告げた翔平の顔は確実に赤くなっていた。
翔平は告白に近いことをしてしまったと言った後に気がついた。
しかも、かなり痛いタイプの告白だ。
こんな告白の仕方は洋風の映画でしか見たことがなかった。
『こんなロマンティックな告白なんて絶対ない』と思ってた張本人がそういう告白をしてしまったのだ。
翔平の顔が赤くなるのは当然の話だった。
でも、恩人が悲しんでる時に支えたいと、財前と一緒に歩きたいと、財前と一緒に歩くことができるのは自分しかいないと思ったのは嘘ではない。
だから、翔平に後悔は全くなかった。
でも、その言葉のせいで翔平も財前も下を向いたまま黙ってしまった。
ヒューヒューと夜の風がいつもよりよく聞こえた。
「……というと?」
5分くらいしてから、下を向いたままだったが、財前が口を開いた。
財前は既に翔平の言いたかったことを理解していたが、確認の為にあえてもう一度聞いた。
「……君が好き……ってことだよ」
翔平は『普通』より小さい勇気を振り絞って財前に言った。
その瞬間、財前は下げていた顔をあげた。
その時の月の明かりに照らされた彼女の瞳は赤くなっていた。涙が通過した跡もなぜかその時はよく見えた。
「……山田君、女の子が弱ってる時に告白するのはダメだよ」
翔平はこの財前の言葉が理解できなかった。
『ダメだよ』
唯一理解できたこの言葉がネガティブな意味だったので、翔平はフラれることを確信した。
だって、『普通』は告白する前に2〜3回くらい映画館や水族館でデートを重ねてから、告白する。
でも、翔平と財前がまともに会話したのはあの夜の日が初めてで、その後、特に2人きりで話すことは無かったのだ。
用は今日でまともに話すのは2回目ということだ。
『普通』なら上手く行くはずがない
背中に冷たい汗が流れる感じがした。
多分、財前が次の言葉を言うまで、2秒もかかってなかったと思うが、翔平はまるで走馬灯が流れてるかのように長く感じた。
「こんな時に言われちゃNoって言えないじゃ無い……」
翔平が予想していた言葉とは全然違った。
どんな面接でも経験したことがない位の予想外だった。
この時の翔平の顔は嬉しいと予想外の2つの別の感情が混ざって、笑顔なのか泣いてるのかどうか分からない顔をしていた。
「じゃ……じゃあ、財前は俺の彼女ってこと……だよね?」
翔平は確信できる言葉が欲しかった。
「……はい。あー、もう山田君は女の子を泣かせる最低な人だね」
翔平は財前の笑顔を見てそれが『普通じゃない』財前からの最高の褒め言葉ということに気づいていた。
「……絶対に私のことを置いていかないで」
「うん……。絶対に置いていかないよ。一緒に歩こう」
夜がさっきよりも明るくなった気がした。
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