第一章 痛みの正体

 その少年は生まれつき人の心の痛みが分かった。それは、感受性が豊かという意味ではない。痛覚として実際に感じることができたのだ。少年は幼少期よりこのある種の「能力」とも呼べる力に随分と悩まされていた。何故ならば、人として生を受けた時点で、悩みのない人間など存在しないからである。皆、何かしらに悩み傷つき、苦しむ。大人になればそんなことは当たり前だと知っているかもしれない。だが、幼い頃の彼は訳も分からず苦痛に苛まれ続けていた。針で刺されるような痛みや火傷のような痛みなど、痛みの種類には様々な感じ方が存在し、涙を流すことも少なくなかった。そんな彼の様子を案じた両親は病院に連れて行ったが、診断結果は感覚過敏症だった。こうして、苦痛に悩まされ続け、解決方法も見つからないまま時は過ぎていった。少年が痛みの原因を自覚し始めたのは、小学三年生になったある日のことだった。

 

 

 常に痛みで手一杯だった少年は、当然というべく内包的な性格へと育っていった。人と関わると痛みが生まれると、幼いながらに理解していたのか、自然と人と距離を測るようになっていった。そんな少年を心配して、声を掛けてくれた女の子が一人だけ居た。彼女は何日か前に引っ越してきたばかりだった。

 「おはよ!」

 「‥‥おはよう」

 きっとここに来たばかりで、クラスの現状が分からないんだろう。少年は痛む身体を抱え込むようにして彼女の挨拶を乱雑に返した。そのうち、クラスの中での自分の存在を理解して離れてくれるだろう。「あ、話をする相手を間違えた」って。別に寂しいわけじゃない。最初は一人を寂しいとも思っていた。けれど、他人に関わるほど痛みは増していくことに気付いてからは、関わらない方が気楽だと分かった。だから他人にどう思われたって良い。この痛みは誰にも気付いてもらえないのだから。

 ところが少女はその後も変わらずに少年に関わり続けてきた。

 「ねね、君はどうして一人なの?」

 「放っておいてよ!」

 イライラする。右肘から肩にかけて激痛が走り、少年はたまらずに抑え、歯を食いしばった。とっとと離れてくれよ。最近やけに痛みが激しいのは間違いなく目の前の彼女のせいだ。そうに違いない。彼女が現れて以来、痛み具合もペースも段違いだから。そう思わざるを得ない。頼むからお願いだから、関わらないでほしい。少年はそのまま目を閉じた。

 「‥‥‥そっか、ごめんね」

 少年の思いが伝わったのか、彼女は傍から離れていった。離れたはずなのに痛みは増すばかりで、少年の額には汗が滲んでいた。そんな様子を見かねた先生が心配そうに保健室に行くことを勧めてくれた。促されるまま教室の扉に手を掛けたとき、少年はそこに広がる景色に言葉を失った。何故なら彼女も同じであったから。うずくまり、教室を見ようとしなかったから気付けなかった。

彼女もまた独りぼっちだったということを。

 

 翌日から彼女は学校に来なくなった。不思議なくらいに痛みが薄らいだ。ああ、なんだ。やっぱり彼女がここ最近の痛みの原因だったんじゃないか。でも、何だ。この感覚は痛くないのに、苦しい。気づけば少年の目から涙が零れていた。何で、自分は彼女に向き合えなかったんだと後悔した。彼女は自分に助けを求めていたのに。先生に保健室に行くと告げて、少年は教室を飛び出した。あてがあったわけじゃなかった。ただ、じっとしていることができなかった。授業中の閑散とした廊下を走り抜け、保健室の脇を通り過ぎようとするその時、少年が今一番会いたい人物のシルエットが映し出されていた。

 「――おはよう!」

 「!‥‥おはよう」

 

 彼女と話をしていき、彼女の素性が明かされた。彼女の家は転勤一家で、事あるごとに各地を転々としてきたそうだ。最初の頃は友達もできていたが、作っては別れ作っては別れていくうちに友達の作り方が分からなくなっていったようだ。既に完成された輪っかに立ち入る隙間はないと思った彼女は、同じく友達がいない少年に声を掛けざるをえなかった。どうしてそこまで友達を欲しがるのと少年が問うと、彼女は、一人は辛いからとすりつぶされたような笑顔を零した。少年に突き放された彼女は学校まで足を運んだものの教室まで行く勇気は無く、保健室に訪れた。彼女の右肘から肩にかけて、あざのような跡があるのが見えた。それは彼女が親の転勤に付き合わされ、本当は引っ越しなんてもうしたくないという本音を必死に隠そうと抑えた際にできたつねった痕らしい。でも、彼女は笑ってこう言った。「君が友達になってくれたから、明日からは学校に通える」と。そんな彼女から痛みを感じることなくなっていた。だが、その翌日以降、彼女は学校に来ることは無かった。

 


この出来事をきっかけに少年は「痛み」に向き合い、理解していくことになった。

この痛みの正体が、人の心の苦痛だということを。

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