河童が皿をかぶるまで

北緒りお

河童が皿をかぶるまで

 川の奥底、波で光が揺れ、川底に転がる石のなめらかな表面を光の斑紋が走るように照らしています。

 泳ぐのでもなく歩くのでもなく、水の流れをうまく使いながら場所を変え、流れに逆らう時にだけ力を使うのでした。少し腰掛けられるような手頃な石を見つけると、ふわりと舞い降りるようにそこに落ち着き、仲間の河童と互いの体を手入れしあうのでした。

 そのやりとりに言葉はありませんが、身振り手振りから、なにやら身だしなみを整えるようなことをお互いにやり合っているようです。

 雨蛙のようにツルンとした体の表面に、か細い手足が伸び、手と足の指のあいだには水かきがあります。

 その背中は人間と同じような背筋がありますが、その河童がまだ若い娘だからなのかいささか線が細く繊細なようにも見えます。人間と違うところと言えば尻に尻尾のような出っ張りがあるのでした。

 尻尾の付け根が気になるのか、片方の河童が体をよじるようにして尻尾を見ると、もう一人の河童もそのあたりを水かきの付いた指先でなでたりしているのでした。

 よく透き通った川の底で揺らめく光の中、しばらくお互いの尻尾や背中、肩のあたりなんかを毛繕いでもするかのように撫でたり指先で強くなぞってみたりしていたのでした。

 さんざん体中を手入れしあうと、次は自分で手入れできるところに取りかかります。手を思いっきり広げ水かきの具合を確かめるかのように指を曲げたり伸ばしたりして指のあいだの膜を動かしてみたり、片方の手を思いっきり広げ、もう片方の手で指先や水かきの具合を確かめ、きれいに整っているのがわかると、しばらくじっと指先の仕上がりを見つめたりしてるのでした。

 まるで、女の子が爪をきれいに磨き上げて、それを鑑賞するように眺めるのと同じ仕草です。


 川の中は河童が悠々と毎日を楽しむ、そんな所なのでございました。


 川の底では河童の娘達が石のあいだに手を入れてみたり、大きめの石をのかしてみたりして、何かを探しています。

 石をめくり、流木をどかし、砂をかき混ぜ。

 やっと手に入れたのは、河童の手のひらほどはあろうという貝でした。

 見つけたことがよっぽどうれしかったのか、二人して貝を光に当ててみたり、貝の内側の真珠色に光る艶やかな面を指先でなぞってみたりしています。指先でいじるのに満足すると貝の表面に付いた苔や汚れを落としにかかったのでした。

 手近にある水草を一掴みとると、それで貝をこすります。それは降り積もった埃に息を吹きかけ飛ばしたときと同じように、水の中でも細かな砂や汚れは煙のように水の中に広がります。河童は川の流れに背を向けるように体の位置を変え、貝に付いた汚れが自分の方ではなく、流れに乗って川下に行くようにし貝を磨いているのでした。

 しばらくゴシゴシとやってると、貝に付いた汚れの煙はほとんどなくなりました。静かに、そして絶え間なく流れる川の水は煙に似た濁りをすっかりと遠くに押しやります。その煙の始まりの位置では、艶が出た貝を片手に持ち、その形をほれぼれと眺めている河童がいるのでした。

 貝の表面の川底に転がる石ににた素朴さに比べ、内側のさも磨かれたような艶ときらめくような輝きは河童の娘たちを魅了するのに充分な美しさなのでした。

 河童はいつまでも眺めていたそうにしながらも、何か思い出したかのように泳ぎ始めます。片手に貝を持っていると泳ぐのに勝手が違うのか、少し行くと立ち止まるような感じで川底に立ち上がります。少し貝を眺めたかと思うと、それを帽子のように頭に乗せ、泳いでみたのでした。


 それから、季節が巡り、太陽が照りつける頃を過ぎ、氷が水辺を支配する季節を過ぎ、水がゆるみ、太陽が照らし、落ち葉にまみれ、そして曇天の下で寒さに耐え、という移り変わりがいくらか過ぎていきました。

 河童の乙女が気まぐれで身に付けた貝殻は、いつのまにやらその周りにいる同年代のあいだに広がり、そしてその親の世代に広がり、眉をしかめて見ていた男衆(と言っても、河童に眉はないのですが)達にもいつの間にやら広がりました。ほとんどの河童は、その頭に貝を乗せ、その大小や華やかさ、男の子の河童はその頑丈さなんというのも比べるようになったのでした。

 あのときの乙女たちが気の赴くままに集めていた貝殻は河童の中ではすっかりと日常になり、身につける物がほとんどないのにも関わらず、貝殻を頭の上に載せるのは水の中の日常風景となっているのでした。


 さらに季節が巡っていくと、その風景はより当たり前の物になります。

 乙女たちは艶やかに輝く貝をかぶり、また、母河童に抱かれているような赤子の河童でも頭の上には小さな貝が乗せられ、古老と言うのにふさわしい年寄りは乗せたり乗せなかったりしている物の、乗せているのは、なにやら時代の付いた苔やらなんやらとついているような重厚感のある(若い子から言わせれば古くさい)貝を乗せていたのでした。

 もともと河童の毛髪は人間のような量があるわけではなく、頭頂部は水が常に撫でつけているからそうなってしまったのか、まばらなそよめきがあるだけなのもあり、貝を乗せるとちょうどよいのでした。


 河童の日常は、川の中を上流へ下流へと魚を追いかけ泳いでみたり、流れに身をゆだね流れるままに漂ってみたり、そうかと思うと川底を探って貝や海老を捕ってみたりとしています。時には陸に上がり柔らかな草の実や果物なんかを採る以外はほとんどが水の中です。

 そんな河童達にとって水の中で貝をかぶり続けるのはいくらかの工夫が必要でした。器用に貝に穴をあけて水草を編んで作った紐でずれないようにしてみたり、その紐を使うにしても、荒い網のようにして頭ごと包み込むようにする者など出てきたのでした。

 どちらにしても見てくれは良くないのですが、ずれるのを手で押さえながら泳ぐのにくらべれば格段に楽になるのでした。

 しかし、水草はいささか強さが足りません。せっかく作っても寝て起きてからもう一度使おうとしても、すでに茎はほつれ、細くなった紐はだらしなく所々がちぎれてしまい、それでも使えるかと締め直すと切れてしまうような代物でした。

 他になにかいいのがないかと川底に沈む流木の皮が柔らかくなっているところを叩いたり摺ったりして縄のようにしてみたのですが、丈夫なのはいい物の肌に食い込み若い河童には不評なのでした。しかし、長老ぐらいの世代になると、その物々しさや頑丈でちょっとやそっとでは切れそうにない見た目に良さを見いだしたのか、常用する老河童も現れたのでした。

 若い河童はより見た目もよく、より、柔らかになる物はないかと探しています。

 太陽の季節が終わり、蒼々としていた野草も土のようなくすんだ色になる頃、川縁に伸びる葦に気が付いた河童がいました。

 まっすぐで強くもあり、それですぐに手に入る。河童の水かきの付いた手では手折れないのを貝の破片を使い摘んで川底に持って帰ったのでした。

 川底ではできるだけ平らな石を見つけ、その上に摘んできた葦を乗せると、河童がやっと握れるぐらいの大きさの石をつかって叩くのでした。葦の上に石を振り下ろしていく度に水の中でもまっすぐになっている草はだんだんと正体をなくし、いくらか叩いていく内にまるで水の流れになびく水草のようにしなやかになっていったのでした。

 河童が一抱え持って帰ってきても、やっとのことで一本か二本の紐になろうかという葦は、あたらしい物を取り込むのが得意な若い河童が次々と工夫を加え始めていったのでした。指のあいだに水かきがピンと張り、無駄な肉がない細い指先を器用に使い、複雑に編み込んでみたり、所々に水草を混ぜ込んできれいな見た目になるようにしていたのです。

 こうして付け心地は悪いものの、なにやら立派そうに見える流木の皮でこさえた紐と、柔らかくしなやかで、装飾をつけたりしやすい葦の紐が貝を押さえるための主流となったのでした。

 日は昇り、そして沈み、月は満ち、そして隠れ、枯れ葉の季節を過ぎ、芽吹きの頃を越え、太陽の季節が巡ってきたのでした。

 果物を採ろうと陸に上がった若河童がいました。

 雲一つない空の真上に太陽があり、まっすぐ差す日差しが地面に刺さっていくような天気の良い日でした。若く経験が少ないというのはこういうときに出てしまうもので、太陽が出たばっかりの時間、そうでなくともこれから沈もうという時に行けばよかったのですが、川から少し離れた茂みに鈴なりになっている甘い実がを持って帰ろうとしたのでした。しかし、陸で生きている人間ですら厳しい暑さです。体の表面のぬめりがすぐに乾ききってしまう暑さの中を歩き、頭にかぶっていた貝も熱を持ち、すっかりと熱くなってしまったのでした。

 もう、動くことができません。

 茂みで、少しでも陰になっているところにうずくまるぐらいしかできないのでした。

 河童の視界は、すっかりと色をなくし、こんな昼の真ん中なのにも関わらず夕暮れの中で周りを眺めているような心地でした。

 体しびれ始めています。まるで体が体から離れていこうとしているような、そうでなければ波の中を漂っているような気分です。

 体中の力が抜けていきます。いま自分がどこにいるのか、陸の上なのか水の中なのかすらわからなくなって、地面にうつ伏せになっているのがやっとでした。

 しばらくのあいだ、寝ているかのように意識が遠のきます。熱くも寒くもありません、ただ、やわらかい眠りの泥の中に沈んでいくような心地です。

 なにやら背中が涼しく心地よく感じました。

 ふわりとした眠りから静かに浮かび上がってくると、熱を持った体に水がかかってくるのを感じます。

 やっと動かせるようになった頭を持ち上げ、何が起きているのかを眺めます。

 人間の子供が背中に水をかけてくれているようでした。

 桶を持って何往復もしてくれたらしく、頭から足の先までしっかりと水をかけてくれています。さっきまで臥せっていた地面の土もすっかりと水を吸ってぬかるみのようになっていたのでした。

 初めて見る人間は、まだ子供なのか河童から見ても目鼻立ちが幼いのでした。その子は自分の胴体ほどもあろうかという桶を抱えて水を運んできてくれています。

 まだ動けない河童はどうしたものか困ったものの、この子が助けてくれたことは理解できていいました。動けない今はその子供に身を預けるしかありませんでした。少しのあいだ、河童はされるがままに子供の助けを受けていたのでした。遠くから、人間の大人らしいのが歩いてきます。この子の兄弟なのか子供に手を引かれ、もう片方の手にはなにやら荷物を持っています。

 河童の近くまで来ると、なにやら子供と話しをしてますが、人間の言葉はわかりません。けれども、入れ物に入っている水をこちらに見せてから優しくかけてくれたり、一緒に持ってきてくれた草花の実を渡して食べてみろとの手振りをしてくれました。

 なにやら草の茎のような鮮やかな実を渡してくれました。人間がキュウリと呼んでいる物ですが、水の中で暮らす河童にとっては始めてみる食べ物です。体の表面の乾きはどうにか戻りつつあるものの、のどの渇きは太陽で熱く照らされた石の表面みたいになっています。

 人間の大人が一口齧って見せ身振り手振りで食べてみるように促し、これが食べ物だと言うことを教えてくれます。

 言われるままに齧ってみます。体の表面の暑さはどうにか我慢できる程度になったのですが、口の中は熱が残っています。すぐにでも川に飛び込み嘴(くちばし)を大きく開けて川の流れにさらしたいのですが、それは今は難しい話しです。ですが、キュウリを一口齧ったあとでは、違いました。水草のような色からは想像できないぐらいに水の香りがし、それだけでなく新鮮な植物のような感じもあり、すぐに二口、三口と食べ進んでいき、あっという間に一本がなくなってしまったのでした。あっという間のことに河童も自分で驚いてしまいました。こんなに無我夢中になって食べてしまうことなんていままでなかったからです。大人の人間はやさしくキュウリをもう一本差し出してくれます。恐る恐る手を伸ばしてそれをもらうと、またあっという間に平らげてしまいました。やっと落ち着いて食べられるようになったのは、持ってきてくれたキュウリが最後の一本になったときでした。

 体が乾かないようにしてくれ、おいしい食べ物ももらえ、どうしたらよいのかわからないぐらいに助けられたのでした。ついさっきまで倒れていたところにあぐらをかいて座っていたのが、やっと体が動かせるようになり、機敏には動けなくても川までは歩けそうと思ったときです。人間の大人はかぶっていた藁傘を河童にかぶせてくれたのでした。

 人間の大人は暑かろうと想ってくれたのでしょうか。なにからなにまでがありがたく、河童は人間がするように頭を下げてお礼をしてみます。と言ってもそもそもそのような姿勢をとったことがないので、軽く頭を下げるような格好をしただけなのですが、そのときにかぶせてらった傘が落ちないように手を添えたのが人間には丁寧なお辞儀ように見え、人間たちもつられてお辞儀を返したのでした。

 そうして、人間たちに送り出してもらい、のこ若河童は無事に川に帰れたのでした。

 何度か日が昇り、そして沈みとした後のことです。河童は、せめてもの礼にと魚を捕り人間に贈ろうとしました。

 河童が倒れたのと同じような時間。けれども、前と同じような晴天を避け、雲が厚く出ている日に魚を持ち川縁から上がったのでした。少し入った小道、河童がよろよろと膝から落ちたあの場所、その奥に人間の住処が見えていたのでした。

 水が入った桶を持ってきてくれたのも、子供たちがなにやら戻っていったのもあの住処です。

 河童には人間の家のことはわからないのですが、なにやら食べ物らしい作物がおいてあるところを見つけ、そこに近くに生えていた葉っぱやらを下敷きにして魚を置いたのでした。

 河童にとっては魚を捕ることは大した苦労ではありません。毎日のように魚を追いかけ、貝を捕り、時には植物の実や水草なんかでも食べていました。人間にとって何が喜ばれる物かは分かりませんでしたが、大きな魚が穫れたときに、助けてもらったお礼にと届けるようにしたのでした。

 何度か届けていると、人間も河童になにか返そうと、いつも河童が魚をおいていく所にキュウリを置くようにしたのでした。

 涼しい日を選んだと言っても夏のことです。河童にはこたえます。置いてあるキュウリに手を伸ばし、そこで腰をかけて食べていたのでした。

 そのシャグシャグというキュウリを食べる音を聞きつけたのか、子供が出てきました。河童は少しは驚いたものの、あのときに助けてもらった子供です。警戒していないのを伝えようと、何度か鳴いてみたのでした。

 河童の鳴き声は水の中でも通りやすいように低い声です。大きな蛙(かえる)がするように喉を慣らすような感じで音を出します。人間のようにいろんな音を出したりはできません。蛙が鳴くよな声もしないで、ググッググッ、という音を出すのが精一杯でした。人間がわかるように嘴(くちばし)も少し動かしてみますが、人間のような声が出せるわけではありません。

 子供たちは不思議そうな顔で見ていましたが、河童が思うところが伝わったのか、笑顔になりながら河童の鳴き声をまねしたりしていたのでした。なにやらうれしいようなほほえましいような気持ちがしました。

 そうしている内に年長の子供が遠くの方に向かいなにやら大きな声を出していります。何を言っているかはわかりませんが、悪いことではないだろうと感じていたので、キュウリをゆっくりと食べながらことの成り行きをみていたのでした。

 人間の大人がやってきます。大人の手にはなにやら貝のような物があります。

 大人が手にしていたのものは、土器(かわらけ)でできた皿でした。河童が頭に乗せていた貝が紐でくくりつけていても収まりが悪いのをみて、頭に合うような形でこしらえてくれたのでした。

 人間の大人は、身振り手振りでこの皿をかぶるように促します。

 河童も言われるままにかぶってみるのでした。

 皿の形が頭の形に近いからか、貝で感じていたようなズレや食い込みなんかはありません。

 河童が喜んで頭にかぶった皿をなで回していると、人間はそれを一度渡すようにとの身振りをするのでした。返すのは惜しい気がしたのですが、恩人の言うことです。おとなしく従って皿を渡します。

 大人はなにやら取り出して皿に細工をしています。皿の縁にあいている穴に紐を通し渡してくれたのでした。河童が紐でくくりつけやすいようにとしてくれていたのでした。藁で作った紐なので水に入ったらすぐにほどけてしまうのですが、そのときは水草で作った紐を通し直せばいいだけです。

 河童は喜びました。うれしさのあまり、低い鳴き声が何回も出てきます。それをみて、子供たちは鳴き声をまねします。

 人間たちにお礼をすると、川に戻っていったのでした。

 川に戻ってからというもの、河童はその皿を自慢して回っているのでした。

 これが河童が初めて皿をかぶった時のお話でございます。

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河童が皿をかぶるまで 北緒りお @kitaorio

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