◇ 女に誘われ戦場へと連れ出された。
悪魔の力と言ったって、大したものじゃなかった。使用人たちが少し甘くなるぐらいで、いつもと変わらない事の方が多い。──と、思っていたのだが。
「こんにちは、ファニーシュ」
予定通りにやって来たベル教会で、神父に出迎えられたところまでは良かった。用意された茶会場に顔を出したところで、悪魔の力が何たるかと知ったのだ。
「皆さん、ファニーシュが来ましたよ」
「こんにちは!」
いつも通り挨拶をする。神父の呼びかけを聞いてお喋りを中断した教会預かりの子らは、ファニーシュを見て奇妙な反応をした。
一人は顔を真っ赤にして俯き、一人は顔を逸らした。一人はファニーシュの前で祈りだし、一人はぽろぽろと泣き出した。
「!? どうしたの、皆!?」
ぎょっとしたのはファニーシュだけでなく、神父も、先ほどまで子供らに混じってお喋りに花を咲かせていたシスターも困惑している。
「皆、どうしたのですか? 貴方達のお友達の、ファニーシュですよ?」
背中に隠れてしまった一人に、シスターが声をかけるが、首を振って喉から綿を溢すばかりで何も言わない。そもそも口が利けない病にかかっている子なので、これは仕方がない。
「どうしたの? わたくし、何かしたかしら?」
ファニーシュも、こちらに傅き祈る少女に声をかけるが、彼女も涙ながらに懺悔をするばかりで、痛みに過敏な症状があると聞いている故に揺さぶることもできず、ファニーシュは途方に暮れた。
「ど、どうしましょう、神父様!」
「そ……そう、ですね……。ファニーシュ、一旦聖堂で待ってもらえますか?」
「分かったわ!」
言われるがままに踵を返すと、共について来ていたメイドの隣で、ベリーが乗っている馬ごと揺らして腹を抱えて笑っているのを見てハッとした。
急ぎ聖堂に駆け込み、メイドにも外で待つように伝え、ファニーシュはベリーの名を叫んだ。
「ベリー! どういうこと!」
「っがはははは!! これよ! これが見たかったのだ、我は!」
「ちょっと!」
「ふっ、ははは! 見たか! これぞ我の力! 尊厳に満ち満ちた圧倒的存在感と神々しさ! それらを纏った人間など、幼子は見た事もないだろう! 恐れ敬え! これこそ悪魔公爵の力なり!」
優越な笑みを浮かべるベリーに、ファニーシュはげんなりしたい気持ちをこらえ、現状をどうにかしようと考え込む。さすがにお友達がこの有様では、楽しくお喋りなんて出来そうにないのは困る。
「ん~……そうだわ! ベリー!」
笑い声を聖堂に反響させて一人で爆笑を続けるベリーは返事をしなかったが、ファニーシュは続けた。
「貴方の力は、加減はできないのよね!」
「ふははっ! いかにも!」
「じゃあこうしましょう! 貴方の力は、エオル様の前に出る時だけ使わせて頂戴!」
にたにた笑いながらベリーは「それは何故! 我の力を出し惜しむか!」と文句をつけてきたが、ファニーシュは首を振る。
「いいえ! 特別な力は、特別な時に発揮するべきよ! 毎日お誕生日ケーキを食べていたら、それはもうお誕生日のケーキではないじゃない!」
それと一緒! と主張するファニーシュをベリーは笑ったが、先ほどよりは落ち着いた様子で「一理無くもない!」と肯定してくれた。
「話の分かる悪魔でよかった! それじゃあ、エオル様に会う日の特別なドレスに、貴方の力を纏わせて頂戴!」
「よかろう!」
了承したと同時に、ベリーは腕をこちらに突き出し、何かを引っ掴んで剥がすような動きをした。その一瞬、体が軽くなり、すぐにその感覚は消えた。
「これで我の力は解除された!」
「ありがとう!」
「しかし、注意されたし愚かな令嬢よ!」
「何を?」
きょとんとするファニーシュの顔の前で、ベリーはリズミカルに指を振った。
「悪魔の力は、取り消せぬ者も少なくない! 特に、名も無き下級悪魔ともなれば! 力を使うだけ使って、後は知らぬ存ぜぬ、魂だけは貰っていく! なんてことも無いとは限らぬぞ!」
「ご忠告ありがとう! 次からは気を付けるわ!」
ベリーにつられて声を張り上げて返答をしていると、聖堂の扉が開き神父がやって来た。彼はステンドグラスから落ちる色とりどりの光が落ちる教壇に向かって話しかけるファニーシュを見て、周囲を見渡し他に誰もいないことを確認すると小首をかしげた。
「? どなたかとお話されていましたか?」
「いいえ! 独り言よ!」
素早くそう返すと、ベリーが笑いを殺しきれずに「ぐふっ」と声を洩らした。
「神に教え乞う場で、嘘を返すとは! がはははっ」
そんなベリーの指摘も聞こえなければ、ファニーシュが悪魔の力を纏っていたことも知らない神父に、ファニーシュは慌てて視線をさ迷わせ、目についた物を差した。優し気な女性が描かれたステンドグラスだ。確か、教会の創設者の姉妹だったか。
「こ、この人、とっても綺麗ね! わたくしの髪もこれぐらい伸びればいいのだけど!」
「その内伸びてきますよ」
「本当? ずっと待ってるのにいつまでもこの長さだから、もう伸びないのかと思っていたわ!」
そうか、伸びるのか。ちょっと安心したファニーシュが「皆は?」と尋ねると、視線を合わせる為に、神父は膝を折った。
「ごめんなさい、ファニーシュ。どうにも、子どもたちも取り乱した理由が分からないようでして……今日は私と、二人でお話しましょう」
「分かったわ!」
こっちへおいで。と手招きされるままに、大きなステンドグラスを横切って教会の裏庭へと連れられる。こちら側に踏み込むのは初めてだったが、普段茶会で使う庭先と同様手入れがされた空間、特に大輪の花々を、ファニーシュは一目で気に入った。
「まあ……っ、ここも素敵ね! 神父様がお世話されているの?」
「ええ。ここは、支援者の方々から預かった供え花ばかりなんですよ」
「そうだったのね! うちの供え花とはまた違う色と種類なのね! エオル様にも見せてあげたいわ!」
それから、パルフェにも! と付け足すと、少しだけ神父は悲し気に微笑んだ。
ファニーシュは簡素なベンチに腰掛けると、お茶の準備をメイドに言い渡し、神父に手招きをする。誘われるままにやや屈んで片耳を寄せた神父に、耳打ちをする。
「神父様は、パルフェが神様の下に行くってことは知っているの?」
「!」
ギクリと肩を揺らした神父は、「誰からそれを?」と声を潜めて聞き返してきたので、ファニーシュは少し視線をさ迷わせた。
「ええと……誰かは、分かんないけど……そう聞いたわ!」
「そうでしたか……」
間を空け、神父はファニーシュの隣に座ると、神妙な面持ちになり、子ども想いな彼は眉間を揉んで表情を和らげた。
「知っていますよ。パルフェは、暇さえあればこの教会に来て、お祈りを捧げていましたから。その魂の美しさを買われ、彼女は神様の下に行くことが決まったのです」
「それで、大天使様に気に入られたのね!」
「ええ」
「でもわたくし、寂しいわ! たまに遊びに来てくれるならいいけれど、神様がいる所ってとっても遠いのでしょう? もう会えないかもしれないのだから、もっと早くに教えてくれればいいのに!」
いくらファニーシュでも、神様の下に行くというその意味が分からないわけがないのに、皆して必要以上に子ども扱いするのだから! と少し憤慨するファニーシュを、神父は人の好い笑顔で「仕方がないことです」と説いた。
「貴方は素直だから、きっと嫌だと思ったら止めてしまうでしょう? パルフェは、そんな貴方の反対を押し切ってまで式を挙げるとは、言い出しづらかったのです。許してあげてください」
「そうなのね! じゃあ仕方がないわ!」
パルフェと神様の式の話についてはそれっきりにして、ファニーシュは用意されたお茶を飲みながら、前回もした覚えのある話をあれこれと取り留めなく神父に話続けた。
少しして、裏庭と聖堂を繋げる扉が叩かれ、老齢の男性が顔を覗かせた。神父は彼に気づくと、席を立ち、会釈をした。
「ジルド卿、お久しぶりです」
「庭園におらんと思ったら、こっちにおったか」
言いながら、男は神父の隣に座っていたファニーシュを見つけ、「おお」と声を溢した。
「ファニーシュ。どうした、今日は皆と話さんのか?」
「大叔父様こんにちは! 今日は神父様とお話することになったのよ!」
彼の名はエジー=ジルド。ファニーシュの母の叔父だ。歳は確か、今年で八十を超えた辺りだったか。教会近くの旧リャーナルド邸に住んでおり、ファニーシュが教会に来る日は顔を見にこうして教会を訪れる。今日は茶会場にファニーシュがいなかったので、探しに来たようだ。
ファニーシュの説明ではいまいち状況が伝わらなかったのか、大叔父は神父に視線をやった。
「ファニーシュが顔を出した途端に、他の子達がパニックを起こしまして……久しぶりだったので、上手く感情を調整できなかったのでしょう」
「そうか……なら、向こうをちょっと見て来てやったらどうだ? 一人で四人も五人も面倒見るのは大変だろう。ここはしばらく俺が見ててやるから」
そう言って、大叔父はファニーシュの頭を撫でて「ファニーシュもいいか?」と確認をしてきたので、大きく頷いた。
「いいわよ! シスター一人じゃきっと大変だものね!」
「ありがとうございます。では少し、席を外しますね」
ぺこりと頭を下げて、やや小走りになって神父は聖堂の方へ駆けて行った。そんな神父と入れ替わるように、大叔父はファニーシュの隣に座り、クッキーを一つ摘まんで口に放り込んだ。
大叔父は、身だしなみはそれなりに整っているのに、所作がどこか作法から外れていて、庶民が貴族のフリをしているような違和感がある。
「久しぶりったって、毎月会ってるはずだろうになぁ……ファニーシュ、何かやらかしたのか?」
「何もしていないわ! ちょっと気合いが入った格好をしてきたから、驚かせちゃったのよ!」
「いつもとそんなに変わらん恰好だと思うがなぁ……?」
不思議がって、大叔父はまじまじとファニーシュを見つめ、「いつも通りの可愛いお嬢さんだよ」と、深い皺だらけの顔ではにかんだ。ベリーの力を使わずとも分かる、彼もファニーシュへの愛に満ちている。
「ありがとう! 大叔父様も、いつ見ても格好いいわ!」
「おお、ありがとうな」
ファニーシュは神父に代わって、今度は大叔父にひたすら喋り続けた。それからふと、話題が途切れた時、思い出す。
「そういえば大叔父様、うちの書庫から医学書を全部持って行っちゃったって本当なの?」
「ん? ああ、本当だよ」
「どうして?」
「必要だったからさ」
「そうなのね! でも、一冊はあってよかったわ! 結局、あまり読まなかったけれど!」
「……」
動きを止めて、大叔父は「なんだって?」と聞き返してきた。ファニーシュの両肩を掴み、彼は詰め寄る。
「医学書が残っていたのか?」
「ええ! 奥の方に一冊だけね! パルフェが体調を崩した時に、」
「パルフェが、体調を? それはいつ?」
「え? ええと……」
十日後に。とは言えず、言い淀むと、大叔父は怖がらせたと思ったのか、急いで肩を掴む手を離し、少し距離を取った。
「あ、ああ、すまない。だが、パルフェがなぁ……仮病じゃなくか?」
「パルフェはそんなことしないわ!」
「そ、そうか……そうだな……しかし、うーむ。大天使の加護があって、体調を崩すなどありえるのか……」
考え込む大叔父に、ファニーシュは質問をする。
「大天使様の加護があれば、風邪を引かないの?」
「ああ、基本的にはな。まあ、悪魔から攻撃を受けたとなれば、話は別だが……」
ぎくり。
事実を突かれて動きを止めたファニーシュは視界に入っていなかった様子で、大叔父は、「あの子が、誰かの恨みを買うとも思えん。呪いなんてありえないか」と結論付けていた。
「お……大叔父様は、悪魔の事を知っているの?」
もしや、悪魔と契約したファニーシュのことなどお見通しなのだろうか。おずおずと聞くと、大叔父はファニーシュを不安がらせないように頭を撫でて「少しだけだよ」と言った。
「前に少し、必要で調べた事があってな。神父様に聞いたこともあった」
「そうなの……」
「正直、さっきの子どもらがパニックを起こしたって話を聞いたとき、悪魔がファニーシュに憑いちまったんじゃないかって、心配したんだ」
再び、ぎくり。
理由を問いかけると、大叔父は「そういう力を持った悪魔がいるんだ」と話し始めた。
「人間を尊厳高く飾り付ける力だ。名前は……確か、ベリー」
がはは、と。名を呼ばれたベリーは豪快に笑った。聞こえていないとは分かっていても、そこにいるのがバレてしまうのではないかと冷や冷やするファニーシュは、口を挟んでそれを誤魔化す。
「き、着飾るだけの力なら、怖くないわ!」
「はは。そうだな。だがなぁファニーシュ、奴の怖さは、そうじゃない。聞いたことはあるか? 昔々、悪逆非道の限りを尽くした男がいた。彼はその悪行の報いを受け、処刑されたが……どういうわけか、その悪行なんてちっぽけな事のように、彼の偉業ばかりが取り上げられ、後世では賢王として扱われるようになった。王ですらない男が、だ」
つまりな。と、大叔父は言う。
「奴はベリーと契約していたんだ。悪魔との契約だけでも、大罪だって言うのに……それが分かっている俺ですらも、賢王の経歴を読むと、素晴らしき偉業の数々に涙が浮かびそうになる。……悪行の数々も載っているのに、目に入らないんだよ。罪を罪と認識できなくなる、それはとても恐ろしいことだ」
確かに。そう思って、ファニーシュはベリーを見やった。彼はぐちゃぐちゃに引かれた線で潰れた顔を小刻みに揺らし、顎髭を撫でつけて笑っていた。「そんな奴とも契約したな!」と。
「嗚呼! 故郷を燃やされ、家族を奪われ! 税に苦しみ、蹴落とし合い! 泣き怒り狂いながら、神々に乞い! やっとの思いで処刑台に上げた市民が! 下卑た男を素晴らしき王だと絶賛し高揚としながら斧を振り下ろす様! 愚か! 優悦! これだから神々を愚弄するのはやめられぬ!」
ベリーの言っていることはさておき、悪魔の力を知っておくことは大事かもしれない。ファニーシュの想像とは違う方向に力が働くこともあるからだ。
「そうね! ねえ大叔父様! わたくし、もっと悪魔に詳しくなりたいわ! 教えて頂戴!」
「おお、やりたい事があるのは良い事だが……今日はもう時間が無いからな。リャーナルド家の書庫に、悪魔に関する本がいくつかあるはずだよ。調べてご覧」
「ありがとう! 早速探してみるわ!」
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