4 A liquid state

 俺たちは森を進む。隣で進むイアを見遣ると、不思議そうに見つめ返してきた。緑がかった白髪が揺れる。昔三人で、「ジハイドロジェンモノオキサイド」という色がぴったりなのでは、なんて話をしたっけ。野営を繰り返しているのにふわふわのままで、女子ってすごい。俺の髪はと言うと何となく髪質が固くなってきたような、そうでもないような。


 ゼロは相変わらずいるんだかいないんだかわからない。さっきまで姿が見えていたのにもう見えない、なんてことがザラにあって、こちらはこちらですごい。けれどたまに音は聞こえるから、ちゃんと着いてきているのだろう。というか、ゼロが先導なのではないのか。あくまで俺なんだろうか。


 モンスターにはまだ出会っていない。こう言ってしまうと出会いたいようだけど、ここまで出てこないと逆に不安に思う。緊張しっぱなしなので効率はよくない。


 なんて考えていると、呼んでしまうものらしく。


「ミラ」


 後ろから突然、ゼロの声。


「なんか、やっぱりいる?」

「えっ」


 薄々嫌な感じはしていたが、当たっていたか。イアが戸惑った声を出す。


「小型、だナ」

「小型って……」


 でも姿が見えない、どこにいるんだ? そう言いかけたとき、目の前の草むらが動いた。


 にゃー。猫の鳴き声に近い声がする。ただ決定的に変な響き、というか。びよーん、と伸びる独特の響きが含まれていた。あと発音の感じがちょっと違う。思ったより怖くない声だ。


 しかし姿が見えない。


 そう思っていたら、足元に水が湧いてきていた。敵の何かの魔法か、それとも近くに川でもあったか。何気なく足を上げると、水は足にひっついてきた。


「ヒッ」


 思わず情けない声を上げる俺の目の前で、透明の何かは何かの形を形成する。


「にぃゃぁぁ」

「わっわっわっわ」


 出来上がったゲル状の何かは、俺を見上げてまた鳴いた。思いのほかつぶらな黒い瞳で、透き通ったボディ(と言っていいのだろうか)は綺麗だし、なんだかそこだけ色がついている三角の耳もちょっと可愛い。


「ミラ、あの、そいつ」

「なんだこれ、可愛いぞ」

「……敵じゃない?」


 次の瞬間。


「にゃぁぁぁぁぁ」


 透明な何かは恐らく口であろうところをガバッと開いた。


 それはもう、ガバーっと開いた。目が一瞬銀色に光った。

 大きく開かれた口はその身体の四分の三くらいまでの大きさの穴だった。そしてその中は、真っ黒。


「敵だな!敵だよな!」


 透明なのに、どこにこんな深淵を入れているんだ。しかも都合の悪いことに、仲間の声を聞きつけたらしく沢山湧いて出てくる。


「わー!」


 可愛い見た目といえ、正体不明の生き物が延々と湧き出てきてブラックホールのような口の中を見せてくるのはかなり怖い。無我夢中で槍を振り回す。鍛錬の成果が生きているかと言われれば、否。あまりに警戒心をなくした瞬間に訪れた危機に、ちょっとしたパニックだった。


「ミラっ、後ろ!」

「危ねぇ!」


 イアの声に振り向くと、俺の背丈を優に超える長さまで伸びた奴が頭から齧りつこうとしていた。あの中に入ったらどうなってしまうのだろう。ヒヤリとしたものが首筋に走る。少し思い立って口の中を突いてみると、先程までの鳴き声の気持ち悪い響きの部分だけ倍増したような……先程よりは魔獣っぽくなった断末魔をあげて何かは霧散した。


「……やった」


 イアはステッキからちょこっとずつ魔力を放出し、迫り来る透明な何かたちに当てている。当てられた瞬間から霧のようになって消えていく何か。


 突如現れた謎の生命体だったが、コツを掴むと割と簡単に倒せる。あっという間にその姿は消え、やけに耳障りの悪い可愛らしい鳴き声の残響も消え、恐る恐る草むらに近づくと、青と緑の光を放つ魔法陣が消えていくところだった。


「これが、発生源?」

「森の主かもしれないねェ」

「げっ、ゼロ」


 どこ行ってたんだよ、という言葉を辛うじて飲み込む。まだ少し、付き合い方が分からないところがある。


「森の主って」

「あれはかなり下等なモンスター、というカ……洞窟とか水辺ニ、群れで暮らしていル、「ゆーめる」って名前のやつらなんだけどねェ」


 なんでこんなとこに出てきたんだカ、何かに呼ばれたには違いないけド。ゼロはそう言いながら、魔法陣のあった場所に手をかざす。俺も真似をして手をかざしてみる。ほんのり温かい気がする。


「なんか、あったかいような」

「……そうかナ」

「……お前にゃわからんか」

「まア、手、布巻いてるしネ」


 ローブの中から覗く右手は素肌ではない。指先だけは素肌が露出しているが、それでは感じ取れるものも感じられないだろう。


「魔力ってこと?あ、私も感じるけど」

「……というか、何か……」

「?」


 また、だ。背筋がひやりと寒くなる感覚。ゆーめるが出てくる前にも、同じ感覚があった。しかし、今回は先程より強い。


「まずいネ」

「え?」

「今のボクたちでは手に負えなイ」


 見たくない。後ろから何かすごく嫌な雰囲気を放つものが近づいてきている。


「弓使いがいればいいけド、いなイ」

「いないな」

「嗅覚と視覚が退化しているかラ、今逃げたら大丈夫」


 俺は後ろを振り返った。


 どこから呼ばれたのか、巨大なモグラがいた。巨大といっても、イアの腰あたりまでの大きさだ。問題は前足だった。鋭い爪が伸びている。引っ掻かれたらひとたまりもないだろう。


「逃げるぞ」


 モグラからは目を離さず、後ずさりする。俺の槍が草むらに引っかかり、がさりと音を立てた。自分でも、顔から血の気が引くのがわかる。モグラの目が銀色に光る。こちらを向いた。耳はいいらしい。普通のモグラとは特徴が違う。


「……走れっ!」


 モグラが前足を掲げた瞬間、俺たちは向き直って全速力で走り出した。

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