本編 結

第六十章 戦士の一分、一所懸命

 伊豆諸島大島より東へ7km離れた近海で、朝方だと言うのに酷く響く轟音が潮騒を引き裂いて響き渡っていた。


 平和な時代で育った人間が水平線越しにその光景を見たのならば、何故こんな所で花火大会をと首を傾げたか、さもなくば嵐が近いのだと勘違いしただろう。今の時代を生きる大島に住む住民達でさえも朝から随分気合の入った軍事訓練だなと思った程だ。


 無論、そんなはずがない。


 霊素粒子の燐光が舞い、火薬が爆ぜ、鉄と血が吹き荒ぶ戦場がそこにはあった。


 先遣隊の天風中隊が全滅したのを確認した横須賀鎮守府は即座に温存していた第8、第9、第10からなる連合艦隊を南方へと差し向けた。戦力を温存しなかったのは、天風を撃破した鋼の天使もそうだが、その背後に全長4kmに迫る巨大な機動要塞を確認したからだ。


 そう、機動要塞ダイダロスだ。


 統境圏側には未だ呼称不明のその機動要塞は、既存の兵器群に照らし合わせても明らかに異質で、他に類を見ないほどの異様さを誇っていた。


 既存の戦艦、その最大級でさえ500m前後だと言うのに、軽くその3倍超ある巨体が浮いている。同じサイズで比較するならば、大陸間長期航行貿易都市フィッシャーマンズ・レトリーバーとほぼ同じ。だが自治権を持ち、一種の国のように公海周遊して世界各地と友誼を結ぶ彼等と違って、迫りくる機動要塞が用いたコミニュケーション方法は攻撃であった。


 多数の仔細不明人形機動兵器が先遣隊を叩き落した後、機動要塞を防衛するかのように展開し、その守りの中で悠々とダイダロスは北上を続けた。


 これを受け、横須賀鎮守府から進発した連合艦隊はおよそ15分後に会敵し―――そして地獄を見た。


 彼我の大きさを考えると、適当に攻撃して黙らせ鹵獲、というパワープレイは出来そうになかった。だからこそ、初手から全艦隊による最大全力射撃を叩き込んだ。戦艦が持つ主砲、及び艦首砲、巡洋艦が持つ対艦ミサイル、駆逐艦が持つ潜水ミサイルとあらん限りのアウトレンジ攻撃による制圧射撃。


 海域目一杯に広がった艦隊から解き放たれた現代兵器の軌跡は、まるで扇の要に向かって収束するかのように邁進していき―――。


 を、ダイダロスが展開した霊素障壁によって防がれた。


 霊素障壁は何でも防ぐような便利なバリアではない。


 対象の霊素粒子が持つ波動、その逆位相の波動をぶつけることで対消滅、あるいは反発、または相殺させる事によって、結果的に壁の役割を果たす装置に過ぎない。であるからして、対応していない波動を持つ対象には無力であるし、そもそも単純な物理に関しては何の意味もなさない。だからこそ、圏域に展開する霊素障壁は味方である人間を通して消却者だけを防ぐのだから。


 オーロラのような色と揺らぎを見せ、ダイダロスを包み込むそれは、間違いなく霊素障壁。故に同じ霊素粒子砲や、コーティングされた砲弾を防ぐことは可能かもしれない。だがダイダロスが展開する霊素障壁は、完全物理で構成されるミサイルでさえ防いでみせた。


 その冗談のような光景を目の当たりにし、誰もが絶句している中で、ダイダロスが動きを見せる。


 爆煙の中から無傷の威容を見せつけるように現れた機動要塞、その二等辺三角形の姿から可変していく。上部と下部から腕のようなものが2対4本出現したのだ。追加腕のようなそれは、しかし直後に先端から霊素粒子を収束し始めて、意図を周囲に知らしめた。


 あれは砲だ、と。


 確信に変わった瞬間、霊素粒子砲が解き放たれた。だが光の柱とも形容できるそれは、しかし艦隊を直撃しなかった。外したのか、と疑念に思う暇こそあらば。


 照射したまま砲腕が可動し、そのまま薙ぎ払った。


 その軌道にいた艦は避ける暇もなく直撃、轟沈し、初撃を喰らわなかった艦も再度振り回された砲―――否、極大の光の剣によって次々と斬り落とされていく。4つの砲腕が縦横無尽に動き、幾度かの交差で空を浮かぶ艦はその全てが撫で斬りにされた。


 結果として会敵後、僅か52秒で連合艦隊は撃破された。


 戦艦4隻、巡洋艦8隻、防空艦24隻、駆逐艦36隻―――皇竜にさえ対応できる戦力が、ほぼ一合で。




 ●




 斬断され、2つの鉄塊となって着水した巡洋艦常磐ときわの甲板で、一人の男が手摺にしがみつきながら呻く。


「たった1つの特記戦力でこのザマか………!」


 黒ひげを蓄えた壮年の右腕の階級章には、青の二本ラインと桜を模した花弁が3つ。大佐を示す階級章は、基本的に一隻につき一人だけ―――艦長職であることを考えれば、彼こそが沈みゆく常磐の責任者であることが理解できるだろう。


 見上げる先には、睥睨するように鋼鉄の要塞が浮かんでいる。さながら昔見たSF映画―――それも、宇宙人エイリアンが侵略してくる系の母艦マザーシップのような威容だった。連合艦隊をほとんど一瞬で撃破した常識埒外の超兵器もそれに拍車をかけている。


 笑えないのは、この絶望感が冗談でも何でも無く現実で起こっている事と、その進路が統境圏だという事だ。


(所属不明、目的不明、そしてこちらは全滅か。何一つ………何一つ成せなかったとは………)


 何一つとして成果を挙げられないまま、長年連れ添った常磐が沈みゆく。それに寄り添い、忸怩たる思いを噛み締めながら、思いを馳せるのは乗組員達の事だ。着水した段階で退艦命令は出した。艦橋詰めの人間は全て逃したが、あの混乱の中でどれだけ他の乗組員に届いたかどうか。


 常磐はあの光の剣によって船体こそ両断されたが、運良く主機や弾薬庫には当たらなかった。大半の僚艦達がそのまま着水すること無く宙空で爆散したことを考えれば生き残っただけ御の字だろう。後は、救命潜水艇が見逃されるのを祈るだけ―――。


「艦長!どこですか岩波いわなみ艦長!」


 後は座して海の藻屑と消えるだけだった壮年の男―――岩波の元に、若い男の声が届いた。振り返れば、よく見知った砲撃手がいた。


有川ありかわ、貴様………!退艦命令はどうした!!」

「そんなもん無視です!一人残ったバカ艦長が居るって聞いたから回収しに来ました!」

「お前はこんな時にまで………!」


 乗員全員の名前と顔を覚えるのは艦長の仕事ではあるが、趣味嗜好、性格までは把握しきれないことは儘ある。そんな中で、この若い砲撃手―――有川は三十手前だというのに未だ反骨心余りある問題児であった。何度始末書を受け取ったかは分からないし、他部署に迷惑を掛けた時には一緒に頭を下げに行ったこともある。


 頭の痛いことに、砲手としての腕は良い。何なら、日本全国でも五指に入るぐらい。


 言動はともかく腕は非常に優秀なので、他所からの引き抜きの話も多く、あの長門への配属の話も上がった程なのだが、当人はそれを激しく拒否。理由こそ当人と上層部の間で秘匿されているために岩波も知らないが、それだけに普段から接することも多く、頭痛の種となる部下だ。


 今際の際と定めた時にですらやってくるのだから、岩波としてももう呆れた声しか出ない。しかしそんな彼の腕を掴んで、有川は叫ぶ。


「軍法会議に掛けたきゃ生き残ってからにして下さい!一緒に脱出しますよ!」

「えぇい離せ!艦長たるもの艦と命運を共にするものだ!まして敗軍の将が責任を取らんでどうする!!」


 そう、岩波は命を以て償うつもりであった。あの要塞が上空に来た時にでも、残った対艦ミサイルを無誘導で手動発射するつもりだったのだ。効くかどうかは分からない。その後の反撃で間違いなく命は落とすだろう。それどころか、手動発射する前に沈むかも知れない。


 それでも、たった一人で一矢報いるつもりだったのだ。それが自らの責任だと。


「ふざけんな………!」

「痛ったぁ―――!!」


 しかしそんな思いを知ったことかと有川は岩波へ頭突き一発。


「この石頭………!」

「へん。頑固者はどっちだってんだ」

「そういう意味ではない!」

「どっちでもいいさ。いいかよ大佐―――」


 互いに額から出血しながら、しかし有川はしゃがみ込んだ岩波の胸ぐらを掴んで。


「負けたからこそ、死んでないからこそ責任は果たせるし戦えるんだろうが!あんた一人の犠牲でどうにかなるほど俺たちの命は安かねぇよ!!」

「有川………。お前は、いつも言うことを聞かんな………」

「お行儀の良い部下がお望みなら長門にでも行ったらどうですかね。元々水雷屋の艦長には性に合わないでしょうが」


 皮肉げに言う有川は岩波の胸ぐらから手を離すと、そのまま差し伸ばした。


「戦士の一分いちぶんを果たしたいならここじゃねぇでしょうよ、岩波。俺たち手足下士官にゃできねぇことが、あんた将校にはあるんだから」

「…………………………そう、かもしれんな―――ぐっ!」


 ややあってからその手を取って立ち上がろうとした岩波は、右足に痛みと違和感を覚えた。


「歩けないんですかい?」

「いや、動くは動く。折れてはいないだろう」


 何しろこの混乱の連続だ。どこで捻ったかは分からないし、気にならないぐらいアドレナリンは出っ放しだったのだろう。今までは痛みを感じなかったが、一息ついたら急速に不調を訴えてきた。


「ったく、行きますよ………!」

「―――すまん」

「言いっこなし!」


 有川は甲板に転がっていた救命胴衣を引っ掴んで岩波を背負うと、甲板から飛び出した。その時、空飛ぶ要塞が二人の視界に入る。こちらはこんなに酷い目にあったのに、その余裕な態度が二人の癪に障った。


「化け物め。人を蟻ん子みたいに見下しおって………!」

「必ずだ………!必ず噛み砕いてやる!!」


 落下の中で、二人は揃って中指を立てた。


『―――覚えてやがれ………!』


 その二人分の負け惜しみは、潮騒に溶けて消えた。




 ●




(これは予想以上過ぎてつまらんな………)


 ダイダロスの司令室で粉砕した連合艦隊の残骸を映像越しに眺めつつ、メティオンは小さく吐息した。


 戦果としては想定以上。事前にしていたシミュレーションよりも良好な結果だった。と言うよりも、使用したあの光の剣―――クラウ・ソラスの戦果がありすぎた。初手で半壊させ、別の兵器の試し打ちでもするつもりだったのだが、そこに届かなかったのだ。


 相手が脆すぎたと言うよりは。


(エイドスシステムによる最適化の影響か)


 元々、エイドスシステムが無くてもどうにか動くようには改良はしていたが、本来の設計はほぼ必須というレベルで密接な関係であった。そもそもこの巨体を動かすに当たっての主機が特殊で、その制御をしつつ浮遊移動させ、障壁を張り、兵器の稼働をさせるとなるとスパコンがいくらあっても足りない。


 この巨大さ故にスペースは確保できるので、スパコンを並列接続してどうにか力技で動かすぐらいまでは達することはできたが、所詮力技なので諸々の問題は起こる。例えば動くことはできても障壁を張れないとか、障壁を張れても攻撃ができないとか、酷い時には自分で張った障壁に干渉して放ったクラウ・ソラスが減衰、結果どちらも消滅するなどという本末転倒な状況もあった。故に、日本近海まで持ってくるのにも海中を移動するという本来とは違う運用方法で持ってこざるを得なかった。


 しかし本来の仕様であるエイドスシステムを載せることでそれら全てが解決し、更には効率化、最適化が行われた。その結果、シミュレート時よりも3割増しの効率性を見せた。


(こうなってくると私がいなくても十分か。ふむ………)


 余裕が出てくると、欲も出てくるものだ。


 JUDASは世界各国からテロリスト扱いされている故に各地での戦闘自体は多く、実験には事欠かないが、それでもこうした大規模な実証試験となると年単位での仕込みが必要になる。彼等―――より正確に言うならば教皇が主導している計画が2年後に動くと考えると、次の機会はもう無いかも知れない。


 であらば、今の内に試せるものは試した方が良いだろうとメティオンは考えた。脳裏に過るのは、自身の強化プランだ。力を以てあらゆる我を通す相手に、理を説いた所で意味がない。同じ力を用いねば理すら説けないのだから。


 それがここ最近、シュガールと関わってよく理解できた。その為、今更ながら直接的な力を欲したのだ。かつて予算と素材、それから技術の問題があって実現できなかったプランが一つある。


(プラン自体は完成している。懸念だった素材はあるし、姫の異能を流用すれば技術面でもクリア可能。すぐにでも作れる。追加でヘリオスの生産をしてしまえば組み上げるのに1時間も掛からんか。細かな調整は実地試験中にでも行えばいいとして………)


 脳内で算盤を弾き、可能と結論した。もう一つの懸念もある。


(正直、私がブライアン君に頼りすぎている感もある。ここらで人材育成の1つでもしておくとしよう)


 こちらの意図を察して、細々と動いてくれるブライアンはメティオンにとって良い部下であり駒だ。


 だが、元がそうであった為かあれは行動原理が少し傭兵に寄り過ぎている。裏切ることはないだろうが、利益如何によっては苦心すること無くあっさりとこちらに不利益をもたらす決断をするだろう。それをこちらが飲み込める内は良いが、往々にしてここぞという時にやらかしてくれるものだ。


 であるならば、もう一人―――できれば功名心が高い人材が欲しい。


 すっとメティオンは司令室を見渡し、戦闘の観測結果を纏めている緑の法衣達の中の一人に目をつける。研究にも手足として使っている内の一人で、小太りの禿頭、妙にギラついた目の男。確か、名は―――。


「君、確か………ティグタムと言ったかね?」

「はっ。ティグタム・ギデオン・ノーバディと申します、枢機卿閣下」


 小男のくせに随分と仰々しい名前だな、とメティオンは思いつつティグタムのプロフィールを思い出す。確か、前は小国の軍で兵器技術官をやっていた男のはずだ。ダイダロス建造の時からいるし、知識面での不足はない。何よりもあのギラついた野心がある目がいい。そういう人間は、不利な状況であっても創意工夫で苦心して打開策を探すものだ。傭兵出身のブライアンには無いものである。


「ふむ。しばらく私は席を外す。今の内に追加でやっておきたい実験があるのでね。私の代わりに指揮を取り、横須賀基地を叩いておけ」

「はっ!」


 だからメティオンはティグタムに後事を託し、自分の実験室へと足を向けた。


 彼がいなくなった司令室でティグタムは身体をワナワナと震わせた後、胸を張り、直立不動で宣言した。


「諸ォ君!これよりィ!このティグタムがダイダロスの指揮を取ォる!なァに、小官は軍を指揮した経験もあるのだ!大船に乗った気持ちで任務に当たられよ!そもそも小官は―――」


 唐突に所信表明とも自慢ともつかぬ話を延々と始めたティグタムに、周囲は大丈夫かなぁと不安を募らせた。


 尚、名も知れぬ彼等のこの懸念は寸分違わず的中することとなる。




 ●




 鐘渡教練校では現在、緊急事態宣言を受けて学徒出陣の為の段取りに追われていた。


 通常であれば各班ごとに別れて適宜配置された場所に向かえば良いだけだが、今回は統境圏内が襲撃されたこともあって、安否不明及び招集に遅れる生徒が少なからず出ている。それを待っている余裕もないので今いる人員で組み直し、受け持ちに指定された横浜へと向かうことになっていた。


 人員が欠けなかった班は先遣隊として既に送り出されていて、そうでない班は指示があるまで各々の班室を拠点に装備の点検等を中心に出撃準備を行うようにと命令が下されていた。


 式王子と共に鐘渡教練校に向かった三上も彼女と別れ、特班の班室に赴いたのだが、そこには誰もいなかった。仕方無しに自前の手甲と調子の悪くなった右義手をこねくり回していたら、不意に班室の扉が開いた。


 現れたのは、飛崎だ。


「よ、正治」

「レン?って、その格好は………?」

「ん?まぁ、儂も色々あってな。良い羽織だろう?袖に暗器も仕込める特注品だ。ま、先達のお下がりだが」


 普段の学生服や学校指定の戦闘服ではなく、使い込まれた紺の戦闘服に藤色にだんだら模様の羽織を身に着け、腰のハードポイントにはいつもの刀と短機関銃を下げていた。実際そうなのだが、正しく出陣前の物々しい出で立ちであった。


 新選組かよ、と三上が力なく突っ込みを入れるとその元気のない様子に何か思うことがあったのか、飛崎が尋ねる。


「―――随分湿気た顔をしているが、何があった?」

「実は………」


 黙っていても仕方がないので、JUDASの襲撃を受けたこと、シュガールに久遠を攫われたことを三上は話した。


 最初は黙って聞いていた飛崎も、途中から辟易したような顔になって最後には深く吐息した。


「そっちもかよ」

「そっちも?」

「ああ、あの後、エリカがJUDASに攫われたらしい。班長は重体で、リリィも肩撃ち抜かれているから今回の招集には不参加だ。今は儂のセーフハウスで療養している」

「マジかよ………」


 面倒事ばかり起こるな全く、と飛崎は苦笑した後で。


「さっき山口教官と会ってな、言付けを預かった。三上、お前さんは今から第一班の所へ行け」

「第一班へ………?何で?」

「あちこちで完動しない班が出てきている。山口教官はその炙れた連中の再編と取り纏めを任されてな。どの道特班は一人しかいなくなるし、儂の方でお前さんを第一班にねじ込むよう進言して受け入れられた」

「ど、どういうことだ?」


 淡々と次々と決定事項を告げる飛崎に、三上は戸惑いながら尋ねるとそうさな、と飛崎は頷く。誤魔化すつもりは無いようで、一つ一つ話すようだ。


「まず、儂個人がタケから依頼を受けた。傭兵としてな。ちょっと知り合いと一緒に横浜を遊撃してJUDASを中心にシバいてくる。だから教練校生としては出撃しない。当然、他の学生達と行動を共にもしない。戦場で一時共闘することぐらいはあるかもしれんが、基本、ここからは自由に動く」

「え?じゃぁ、俺は………」

「そう、一人になる。他の連中も動けんか攫われておるからな」


 班長である新見は意識不明。リリィも命に別条はないが怪我をしている。エリカに至ってはJUDASに攫われ、所在不明。残った飛崎が傭兵として別口で動くのならば、残るのは三上一人。最早班としての体裁をなしていないのだ。


 その一人を山口が管理するのは凄まじく無駄が多い。そもそも、安否不明者には教師も混ざっている。監督者も足りないのだ。だから、宙ぶらりんになった山口に白羽の矢が立った。彼女は今、その炙れた生徒達を取り纏めるためにグチグチ文句を垂れつつも再編すべく奔走している。


 本来ならば、三上もそこに混じるべきなのだが、飛崎が待ったをかけたという。


「どうして、俺が第一班に………?」

「多分、他の班に混ざればお前さんが死ぬか仲間の誰かを死なすからだ」

「え………?」


 唐突に厳しい言葉を掛けられ、三上の思考に空白が生まれる。


「悪かったな。儂があの時にもっとはっきり言ってやればよかった」


 あの時。


 中間試験の対策の為に集まった勉強会で、言う機会はあった。丁度その話の流れになっていた。おそらくそこが三上の問題、その自覚を促す最後の機会だった。だが飛崎はそれをしなかった。悪気があった訳ではなく、それは自分も直面して、そして乗り越えてきた問題だからだ。


「お前さんの抱えたトラウマは、一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。それは同じ苦しみを味わった儂だからよく分かってた。だから追い詰めるのはどうかと思って言わなんだ。―――それがこの結果を招くとはな、失敗したわ」

「え?」

「お前さんは、実戦………とりわけ対人戦では。近接格闘訓練では多少改善されたが、射撃訓練での成績ではっきりしておる」


 初陣を経験した飛崎は薬物療法によるカウンセリングや、周囲の仲間に恵まれたから、比較的早くそれを乗り越えられた。傷が化膿する前に処置できたのだ。


 だが三上は自覚が遅く、故に処置も遅かった。放置された心の傷は瘡蓋を作ることはなく、そのまま破傷風へと発展した。だからこそ、三上正治は未だに―――。


「―――まだ、心の何処かで迷っているだろう。人を殺すことを」


 何一つ、覚悟を定めていなかった。


「何、を………」

「模擬戦をしていると嫌でも気づく。拳が当たる直前に引いているんだ、お前さん。インパクトをずらそうとか、そういう技術ではなく、単に力が抜けてる。倒す気で―――いや、殺す気で打ち抜いていない」


 口の中が乾いていくのを三上は自覚した。


「そりゃ、お前、訓練だし………」

「キー坊相手の時はそうじゃなかった。相手を倒す気で拳を放ってる。だが、それ以外となると途端にヘタれる」


 言い訳を口にしつつ、目を背けていた事実を詳らかにされていく。


「だから射撃訓練での命中率が悪いままなんだ、お前さん。―――銃弾は、

「それ、は………」


 三上正治は目が良い。


 取り分け彼我の距離感を図る深視力は群を抜いて。そしてその目の良さは、射撃能力に直結し―――実際、トラウマを得るまでは父譲りの射撃センスで幾つかの射撃大会、それも大人も混じるような大会で何度か優勝している。だからこそ、入校時の検査で散々な結果を出した際にそれを知っていた教官達に真面目にやれと叱られたぐらいだ。


 だが、その稀有な才能はトラウマによって芽を摘まれた。


 銃は数ある武器の中でも特に安定性に富んだ武器だ。誰が使っても、どのように使っても、弾が出て当たれば致死に到れる。無論、銃種、弾種、火薬量、腕の差、様々な要因で上下はする。だが、手加減するという一点においては他の武器には異常に劣る。そのぐらい、殺人を主目的とする戦闘においては非常に安定的に攻撃力を備えた武器なのだ。


 だから銃を構えて殺したくないと無意識にブレーキが掛かっている場合、その上で尚も引き金を引かなければならない場合、自然と身体は狙いを外す。


 三上の場合、去年のJUDASのテロに巻き込まれた際に信者の射殺も経験している。だからこそ他の人間よりもより明確に、よりリアルに射撃による殺人に関して容易に想像ができた。


 拒否反応を示した本能は無意識の内に狙いを外し、訓練をしなければという理性は狙いを修正する。その絶妙な二律背反アンビバレンスの結果、あの酷い射撃訓練結果に結びついていたのだ。


 飛崎は自身の経験から比較的早い段階でそれに気づき、三上と木林の模擬戦と言う名の喧嘩の時に確信した。それを諭して導いてやることも当然できたが、しなかった。ある程度のフォローはしてもいいが、直接の解決は本人の問題と判断して捨て置いたのだ。


 それが、久遠が攫われる一助になるとは思いもせず。


「他の即席班じゃタダでさえ連携も取れてないだろう。そんな誰も余裕もない中、お前さんが混じれば間違いなく足を引っ張る。それだけならまだ良いが、戦場でのそれは自分を含めた誰かの死に繋がる。まだ連携が取れて、適合クラスも上位な第一班の方が余裕があってフォローもできるだろう。だからそっちに捩じ込めと進言した」

「………………………」


 それに対し、三上は無言。


 気を遣われて、そしてフォローもされたのだが、無意識に目を逸らし続けた問題を叩き付けられた彼の心はまともな思考ができない程に狼狽えていた。


「正治。緊急事態宣言が発令されて、学徒まで動員する今、お前さんはもう逃げれん。いや、逃げることは出来るかもしれん。儂は統境圏での脱走兵の扱いや罰則は知らんし、それについては何も言えん。だが、今のままただ漫然と戦場に出るのなら―――死ぬぞ、お前さん」


 三上のトラウマは恐怖心から来るものだ。


 他者を害すことを避け、自分が傷つくことも忌避する。例えば飛崎が生まれた時代―――昭和や平成なら、あるいは優しいと褒めそやされたかもしれない。当たり前のことのように、道徳的だと尊ばれたかもしれない。しかし悲しいかな、今の時代では違うのだ。その価値観は毒でしかない。ただの臆病者は、誰かに喰われるだけだ。


「武器を持って戦場に立ち、会敵したなら容赦は無用。生き残った方こそが絶対正義―――ってのが儂が所属していた隊長の言葉でな。最初はビビってた儂も、戦っている内にそれが真実だと気付いたよ」


 命の奪い合いにルールや決まり事などありはしない。あったとしても命のやり取りの最中に考えることではない。その時は、その最中の時だけは後先含めた何もかもを忘れ、ただ効率良く相手を殺すことを考えねばならない。罪や贖罪も、生きてるからこそ発生するのだから。


「相手が殺す気で来る以上、こちらも殺意を以て答えねばならん。舐めプしてのほほんと生き残れるのは、タケのような不世出の英雄だけだ。正治、お前さんは英雄か?」


 飛崎の問いに、三上の脳裏を過るのはあの記者の言葉だ。


『英雄だなんて煽てられてのぼせ上がった糞ガキだ。ちょっと過剰に防衛本能が出ただけじゃねぇか』


 そうだ。


 三上正治は英雄などではない。そんなものにはなれない。こんなに心の弱い英雄などいてたまるか。


「―――いや、違う………」


 絞り出すように口をついて出たのは、否定の言葉。


 それに対して飛崎は安心したように吐息して頷いた。もしもここで是と答えたのならば、気絶させ縛り付けてでもここに監禁するつもりだった。子供のような英雄願望で、みすみす死なせるには飛崎は三上に関わりすぎたからだ。


「それが分かってるならまだマシだ。いいか正治、一所懸命だ。一生懸命じゃないぞ。どこか一所だけでいい。見定めたそこだけは意地を張ってでも懸命に戦え。勝てる勝てないは当然、死ぬ死なない殺す殺さないさえ忘れて、根性据えて本気を出せ。儂等のような一般人は、それほど広い手を持たん。どうやった所で何処かで何かを取り零す。ならばここぞと思った一所だけを懸命に、どうにか踏ん張って守って、それで満足せねばな」


 何もかもは守れない。


 あの武神、長嶋武雄でさえ長い人生で取り零したものは多々ある。あれ程出鱈目な戦闘力を持った英雄ですらだ。況や凡人にそれが可能だというのは、余りにも傲慢だろう。自分がそうなれると考えるのは、余りにも浅はかで夢見がちだろう。そうした妄想の世界に浸るだけならまだしも、現実で行おうとすれば間違いなく周囲を巻き込む。否応なく、悪い方へと。


「JUDASとの戦闘は、儂の方が多くなるだろう。久遠の事も気にかけておいてやる」


 だから釘は刺した。


 大人しくするか、それでもと思うかは飛崎には分からない。だが、これで覚悟もなく無為にその場の勢いで飛び出すことはないはずだ。きっと目一杯に考え、これでもかと苦しむだろう。しかしそれでも尚と走り始めたのならば、きっとその時には彼なりの美学が備わっているはずだ。


 そして備えた美学を掲げられる人間は、そう簡単には死にはしない。


 それへの微かな期待が、飛崎なりの今できる精一杯の優しさであった。


「じゃぁな―――生き残れよ」


 立ち尽くす三上を置いて、飛崎は戦場へと足を向けた。


 二度と、振り返ることはなく。




 ●




『そういう訳で、後10分で障壁は復旧するよ』


 統境圏庁の多目的ホールに響いたシンシアの声で、残っていた議員達は爆発的な歓声を上げた。これで全てを解決した訳では無いが、その為の光明が見えたのだ。現在進行する絶望的な状況を考えれば無理からぬことではあった。


「それは助かる。これで目処がたった」

『それでね。ちょっとお願いがあるの』


 とは言え、まだ足掛かりでしか無いのは西泉には分かっていた。だから他の議員達と違って冷静なままシンシアに礼を告げると、彼女はこのタイミングで要求を口にしようとした。


「ふむ。なんだろうか。ここまで尽力してくれた君の願いだ。個人的には無条件で頷きたい所だが、何分、面倒な職を生業にしているのでね。迂闊に言質は取らせられないのだよ」


 正直金で解決できればいいが議席を用意しろとか言われたら困るぞ、と思いつつもこの少女がそんな俗物的な考えはしないかと西泉は思う。


 だが、そうであれば何だろうか、と疑問にも思う。


『この統境圏をね、救いたいって子達がいるの』

「ほう、それは―――」


 感心だと言葉を続ける前に、この場にいる全員のI.H.S、そのAR表示に犬と猫が乱入する。


 統境圏に振りまかれた理不尽に対し、A.Iによる反撃の狼煙が―――今、上がろうとしていた。

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