第五十九章 電子の中で、息をして

 電脳強化体計画プロジェクト・デザインドールの成功例は幾つかあるが、その中でもブラフマンはとりわけ特殊な成功事例だった。


 そもそもブラフマンという名は開発時のコードネームであり、本名ではない。身元不明の孤児達、その中でも並列思考加速を発現した適合者の脳を電脳化処置し、それぞれを主脳、及び副脳として可変可能な連結ヴァリアブル・チェインしたシステムの総称だ。


 その総数は108。


 では、108の人格がブラフマンの中にあるのかと言えばそうではない。それぞれを主脳、及び副脳として扱えるシステムの特性上、かつては明確な上下関係、支配構造が存在した。初期の頃はそれぞれ派閥のようなものを作って拮抗状態を維持していたのだが、最終的に今のブラフマンが他の107の人格を司る主脳部分だけを破壊し、自分を補佐する副脳として従えた。


 まるで蠱毒のような争いの後、ブラフマンは囚われていた研究所から実体ごと脱走し、気ままに世界を放浪してきた。


(こりゃぁ、まだなんかあるな………)


 付かず離れずミドルレンジからクロスレンジの中間で、激しい高速戦闘を未だに繰り広げる中、ブラフマンはしかし冷静に相手を考察していた。


 享楽的で刹那的な性格のブラフマンではあるが、そうした背景と十数年世界を渡り歩いてきた経験から存外に警戒心が強く、引っかかる部分があると殊更慎重になる。勘というよりは、従えた107の副脳の判断が彼の行動に影響を与えているのだ。


 警戒7割、一気呵成が2割、日和見1割。


 ブラフマン自身も警戒に賛成であった。彼から見て、LAKIという情報統制官は非常に不可思議だ。手数は多い方だが、電子甲冑としてはあまりに普通の域を出ない。ベースとなった製品は不明で、裏を返せば原型を留めないほど弄くり回してあるのは見ただけでも分かるのに、しかしその結果得たであろう特殊性がない。


 その癖、扱うLAKI自身はブラフマンから見ても舌を巻くほどの凄腕だ。少なくとも反応速度で107の副脳によって分割並列処理し強化されている自分を、生身で上回る相手など初めて見た。


 逆説的に言えば、そんな超一流ホットドガーが平凡な電子甲冑を身に纏うはずがない。


(舐めプや縛りプレイしてるわけでもなさそうだしな。制限しているのか、させられているのか………。仮にそうだとして、制限解除のトリガーは?機能は?それは俺ちゃんを上回るか?)


 戦闘自体はこちらが優勢に進めている。相手の右腕を斬り飛ばしたし、相手の攻撃はこちらの装甲を抜けない。順調は順調。だからこそ引っかかるのだ。まだ一波乱あると、少なくともブラフマンはそう判断した。


揺さぶりダーティプレイが必要か。―――なら)


 すっと目を細め、ブラフマンは視界の端に鋼の少女を捉えた。




 ●




 有り体に言って、LAKIは追い詰められていた。


 電子甲冑ユーザーとしては明らかに異質なブラフマンと同等という異常性を見せるLAKIではあるが、肝心の電子甲冑に関してはブラフマンの駆るアタルヴァ・ヴェーダに大きく劣っている為だ。それでも全身生体義体レプリカント生成時の強化調整でテコ入れした反射神経と、今まで重ねた戦闘経験でどうにか凌いでいた。


 だが、それだけだ。


 LAKIの戦術は通用しても、攻撃が通用しない。当てれても通らないのでは意味がない。加えてブラフマンの4腕から繰り出される多彩な武装、そして戦術は確実にLAKIの集中力と機体の装甲を削り、まるで詰将棋のように終極へとカウントダウンを始めていた。


 そして遂にブラフマンの顎がLAKIを捉える。


 ブラフマンは上部二腕に多連装ロケット砲を転送。それをLAKIの後方へ全て撃ち切り退路を遮断。爆風と衝撃に押し出されるようにして前に出ざるを得なくなったLAKIはやむを得ず接近戦を選択。残った左手に炸薬可動式貫通杭ガトリング・バンカーを転送。背部のスラスタを全力起動して突貫と同時に勝負へと出る。


 それに対し、ブラフマンは直剣―――いや、妙に長い、刀身に亀裂の入った長剣を一本だけ転送し迎え撃つ。


 だが、それを構えるよりも早くLAKIはブラフマンの懐に入り込み―――。


「焦っちゃだ・め・よ!」

「ぐっ!」


 しかし長剣に気を取られていたLAKIは急に動いた8脚の内の1本から直蹴りを不意打ちで喰らい、その相対速度も合わさって派手にふっ飛ばされた。


「LAKI!」

「はーいおいでませぇお嬢ちゃーん!」


 そして手にした長剣を振ると、その刀身が亀裂を境目にして破断した。


 いや、よく見ると剣の破片同士がワイヤーで繋がっており、武器の知識に長じた者が見れば、それが蛇腹剣ガリアンソード、あるいは連接剣チェーンソードと呼ばれる種類の武装だと判断しただろう。鞭のように柔軟性を帯びたそれは、戦闘の蚊帳の外だったシンシアへと伸び行き、その鋼鉄の身体に巻き付いた。


「あらよっと」

「あぐっ!?」

「『小さな羊飼いリトル・シェパード』!」


 そして剣が収縮し、手繰り寄せられた先のブラフマンに掴まれたシンシアは頭に拳銃ハンドガンの銃口を突きつけられ、人質となった。


 瞬時にして優勢状態から王手まで詰め切ったブラフマンは、カカカと哄笑を上げながら残った2腕で突撃銃を出現させてLAKIに語りかけた。


「さぁ形勢は決まったぜLAKIィ。お前は俺ちゃんに勝てない。その上、人質まで取られた。さぁどうする?どうするよLAァKIィ」

「お前性格最っ悪だな………!」


 吹き飛ばされたLAKIは身を起こしながら悪態をつくが、ブラフマンはそれを心地よさそうにして肩を揺する。


「LAKIィ。お前もオタクなら旧世紀のフィクションは多少でも嗜んでるだろ?アレに出てくる悪役ってさぁ、ストーリーに殺され過ぎだと思うんだよねぇ、俺ちゃん。悪党なんだから使えば良いんだよ、何でもさ。実力で勝っててもお遊びしない。どれだけ優勢でも慎重に慎重を期して女だろうが子供だろうが人質も取る。獲物を前に舌舐めずりしない。もっとドライに、そして過激に行けば正義の味方なんざものの数でもねぇんだよ。だって縛りプレイしてるアホに、ルール無用の悪党が負けるわけ無いじゃん?」

「その割には、悠長に話してんな」

「そりゃそうだ。―――お前、?」


 愉悦のようにLAKIを見据えていた赤の単眼が妖しく光る。


 そこにあるのは小悪党のようなモノではなく、野生を生きる猟犬のように一分の油断もない狩人のそれであった。


「何を隠してるか知らんけど、ビンビン来るんだよなぁ………。コイツはやばい。早々に始末をしたいが、下手に手を出せば何か不利なことが起こるってフラグがさぁ………!」

「油断しないボスとか最悪だな、オイ」


 わざとらしく嘆息つくLAKIではあるが、図星ではある。


 ただ、隠している手の内―――一時的な機能解放リミッターカットは警戒されるほど実用的なものではなく、ハッタリにしかならない。時間にして30秒も続かないだろう。攻撃換算で三合、いや、二合保てばいいぐらいか。それに恐れをなして逃げてくれればいいが、この超一流ホットドガーを相手に期待するには博打が過ぎる。やるのならば、最低でも一撃で半壊を狙わねばならない。


 LAKI自身の狙いは、あくまで時間稼ぎなのだから。


「いいかLAKI。フィクションってのは、所詮誰かが書いた作り物だ。だが、赤ん坊にそれは書けない。言葉を覚えている覚えてないではなく、大抵の作者は経験したものを書くし、経験していないことを上手く書けないからだ。だからどんなフィクションにも何かしらの教訓や経験則ってのが含まれてるもんさ。読者はそれを見て、その作者の経験を得るわけだ。―――だから読書ってのは、他人の経験を手軽に得る人生のチート行為なんだぜ?」

「意外とインテリなのかよ」

「ノンノン。俺ちゃんはさぁ、強欲なのよ。ありとあらゆる経験をしたい。善行も悪事も、勝つことも負けることも、殺すことも死ぬことも体験したいんだ。人生は短いんだぜ、LAKI。全てを楽しむには時間が足りなさすぎるんだよ」

「善行………?お前が………?」

「俺ちゃんには周期的に流行ってのがあってな。今は悪党ムーブするのがマイブームってところだ。その前まではボランティアしたり、孤児院のガキどもと戯れたり、ホームレス相手に炊き出しやったりと善人ムーブしてたんぜ」

「えぇ………」


 似合わねぇと思わず素で漏らすLAKIに、シンシアが気づいて口にする。


「ひょっとして4年前のテロ以降、大人しくしてたのは………」

「そゆこと。俺ちゃん飽きっぽくてさぁ。4年前までは世界を恐怖のにまで落としてみたかったんだよ。これが結構難しくてさぁ、結局中途半端なテロで止まっちまって冷めた。で、次は何しよっかなぁって思ってたら、変な宗教団体が慈善活動しててさ、暇だから参加してたわけ。結構楽しかったぜ。―――ま、それがJUDASのフロント宗教で、面白そうだからJUDAS本部に仕掛けて、その縁で今回のテロに誘われたんだけどな」


 遊び半分で仕掛けてキレられるどころか気に入られるとは思わなかったけどよ、とブラフマンは苦笑してから突撃銃の銃口をLAKIへと向けた。


「さぁて、おしゃべりはここまでだ。ちょっとそろそろ―――」


 赤い単眼が享楽的なそれから、破壊を目的とする無機質な明かりへと変化する。


「―――ダンスをしようかShall We Dance?」


 鉛玉の嵐が、LAKIへと殺到した。





 ●




(うーん………ちょっとマズイかも………)


 小さな端末室に忍び込んだSD少女―――フィーネはコンソールに手を置いたまま自身のタスクマネージャーを尻目に状況の推移を眺めていた。


 彼女自身の仕事は既に済んでいる。というのも、その運用に於いて技術的な知識や能力は必要ないからだ。


 全身生体義体レプリカント作成時に、彼女は自身の生体脳に極小電動脳マイクロブレインチップを移植した。一部機能を除いて、エイドスシステムに迫る性能を発揮するそれは単体で動作するのではなく、移植者の生体脳のシナプス、及びニューロンを自身のネットワーク形成のノードに見立てて融着する。


 結果として起こるのは脳のネット電脳化だ。


 中央制御こそ極小電動脳が担うが、その処理や補助演算はノード化された脳機能が行う。早い話、彼女の脳味噌自体が最小規模のクラウドOSとして機能するのである。


 ではそうなるとどうなるかと言えば、脳内に演算用の仮想空間―――取りも直さず平行世界を作り出せるということに他ならない。そこで演算した結果を収集し精査、現実に適応するのである。


 畢竟、それは量子電脳コンピューターと呼べるシステムの走りであった。


 無論、フィーネ自身は無機物ではない為に問題は幾つもある。特に発熱の問題は深刻だ。専用の熱制御ナノマシンを脳漿に流しているために抑えてはいるが、人間の―――もっと言うならば生物のタンパク質は一度加熱で変形すれば元に戻らない。体温計が42℃以上を測らない理由はそれだ。それ以上に発熱すれば身体を組成するタンパク質は変形し、二度と従来通りの機能を発揮することはないのだから。市販流通のCPUでさえ適正温度が70℃から80℃なのだ。同じ、またはそれ以上の機能を脳で行おうとすればどうしても突き当たる問題であった。


 だがその熱を専用設計のナノマシンで抑え込んで、脳の全ての機能を発揮した場合、彼女は1つの疑似量子コンピュータとして一種幻想的なまでの電脳適性を備える。


 何しろ操作性が脳の処理能力に融着しているのである。


 人が指を動かすように、足を動かすように、こうしたいああしたいと願うだけで―――あるいは願う必要すら無く反射的に電脳界を操作する。


 まさに、電子の願望器―――機械仕掛けの女神のそれであった。


 だからフィーネがアナムネーシスの仮想制御端末へと辿り着いた時に、勝負自体は決したと言えた。とは言え、アナムネーシスもエイドスシステムの流れを汲むスパコンだ。如何にフィーネと言えども制御権の管理者書き換えには時間が掛かる。


 その待ち時間の間に、LAKI達の苦戦を感じ取った。


(いっくん、こんなに持ってくってのは、相当辛いんだろうな………)


 何しろ、LAKIのバックアップとして処理能力を一部負担しているのだ。だからこそ、タスクマネージャーに映るパフォーマンス画面で、リンクしているLAKIの窓枠に流れる波が上がり続けたまま下がる気配が一向に無いのを不安に思った。


 とは言え、こちらは何もできない。これ以上LAKIの負担率を肩代わりしても彼自身のスペックが追いつかなくなるし、上げれば上げた分だけこっちの仕事が滞る。こちらが片付けば勝敗が決するのだから、間違いなくフィーネの方が優先事項だ。


 不安は不安だが、今はLAKIを信じるしか無いと意を決したフィーネの足元で、黒い影が蠢いた。


「え………?」


 黒猫がぴょこんと現れた。


 青い瞳と赤い瞳のオッドアイ。


 ツンと澄ましたその猫の表情は、どこか微笑んでいるように見えた。




 ●




 電子の世界ネットを白の影が駆け抜ける。


 その脚は、まさしく雷。


 文字通り光の速度で駆ける彼は、遂にそこへと辿り着く。


 そして状況を認知した。


 胸の中で渦巻いていた激情が、出口を求めて喉を通る。


 その激情は、その怒号は、その愛は―――今こそ咆哮となって顕現する。




 ●




(どうしよう、どうしよう、どうしよう………!)


 ブラフマンに捕まったシンシアは悪い方へ悪い方へと転がる状況の中で、逡巡していた。


(このままじゃLAKIが………!)


 突撃銃から斉射される弾丸に嬲られるようにして、LAKIが破壊されていく。

 もう限界に近かったのだ。反撃しようにもシンシアが盾にされている現状ではそれもままならず、回避に専念してもジリ貧。必然的に徐々にではあるが破壊されていく。残った左腕を肩から撃ち抜かれ、右足を砕かれたところで目に見えて精彩を欠いていく。


 感覚のフィードバックもさることながら、各部分の消失は身体のバランスを著しく欠き、満身創痍も良いところだ。特に両手と片足の喪失、それに伴う痛覚のバックラッシュはLAKIの集中力を大きく削っているはずだ。悲鳴1つ上げないのは最早感嘆にすら値する。痛覚を精神力で抑え込み、背部スラスターと左足一本と電子甲冑の装甲での空力特性で制御しているのだから、それだけでも彼が並外れた情報統制官であることが伺える。


 だが、もうそれも終りに近い。


 未だブラフマンは警戒しているのか哄笑を上げながら、しかし決して攻撃の手を緩めない。それも、万が一にも盾を奪い返されないように中距離ミドルレンジを保ったままだ。


 そんな状況の中で、シンシアは思考を加速させ、1つの気づきを得る。


(………!)


 今、この場をひっかき回せるのは誰かと考えたのだ。そして、最も有用な一撃を与えられるのは誰かと。


 シンシア自分だ。


 ブラフマンに最も近く、そして一番警戒されていない。意図してではないし、不本意ではあるが懐に入り込んだのだ。それを利用しない手はない。


 問題があるとすれば、二点。シンシアの持ち得る手札は些か小回りが効かないというのと、単純に火力不足だということだ。


 彼女がメインとして多用する羊型のドローンは遠隔操作と軽いコストによる物量が売りだ。故に、特攻を基本軸にしている為、使用者の近くでのそれは自滅を意味する。そこに目を瞑ったところで、もう一点の火力不足が難点だ。


 先のブラフマンへの特攻で、ある程度ダメージが与えられるのは確認済みだが、あくまである程度にしか過ぎなかった。奇襲による一撃だけは決まったが、後は全て切り払われている。裏を返せば防御を許さず波状攻撃を叩き込めば如何にブラフマンと言えど倒れるだろうが、使用者が手元にいるのだ。一発が入ったところで次を防ぐためにブラフマンはシンシアを殺すだろう。


 それでは駄目だ。


 一撃で仕留めるほどの火力で、且つシンシアを巻き込まない。そんな都合のいい物は―――。


(―――あ………!)


 あった。


 奇しくもそれは、誼を得たLAKIから教わったもの。


 Fortran56式論理爆弾だ。


 Fortranという言語自体は2049年現在でも使われているが、それは幾度かのバージョンアップをされた後のもので、しかも高度な特定分野にぐらいしか用いられない。故に解除は非常に専門的な知識が必要になり、必然的に難易度が高い。それに加えて、シンシアが電子甲冑向けにアレンジしているものだ。


 爆弾、と名称しているが単純にそれそのものではない。より正確に言い表すならば、ウィルスだ。


(後は、これを………)


 シンシアはこっそりと自らの手に論理爆弾ロジックボム隠遁形態ハイドモードで転送。そしてブラフマンに気づかれないように彼の装甲に張り付かせようとしたところで、それを聞いた。


「え………?」


 怒りの籠もった、懐かしき遠吠えを。




 ●




「LAKIィ!いい表情で踊るじゃねぇかぁ!」


 突撃銃の引き金を引き続け、LAKIの軌跡を追い続けるブラフマンは副脳を使った計算も同時に行っていた。


 その結果は警戒2割、一気呵成7割、日和見1割。


 ブラフマン自身も一気呵成に賛成であった。最早LAKIは死に体で、何かを隠していたとしてもおそらくそれを見せるのは死ぬ直前か、直後。ブラフマンが仕留めきったと油断した時だろうと判断していた。


 そしてそれは正しかった。LAKIは既に単独での勝ちは捨てていて、最後の最期に乾坤一擲を叩き込むつもりだったのだ。


「さぁそろそろ終わりだ―――」


 故に、そこさえ凌げば自分の勝ちだとブラフマンは考え。


「あん………?」


 遠吠えを聞いた。


 訝しげに捜査アプリサーチを走らせるよりも早く―――。


「―――ぷぎゃっ!?」


 その頭上に、白い影が現れてブラフマンの頭を踏みつけた。




 ●




(何だ………?犬………?いや………)


 満身創痍の中で、LAKIはブラフマンを踏みつけた白い影を視認した。


 巨狼だ。


 通常の電子甲冑を一回りは超える体高。一体如何な処理能力用いているのか、一本一本の解像度がリアルに近い白い体毛。青い瞳と、赤い瞳のオッドアイ。


 立派というよりは、最早神話の生物フェンリルのような体躯の巨狼は、その踏みつけストンピング一発でブラフマンの女郎蜘蛛のような8脚を擱座させ、シンシアの首根っこを優しく咥えて奪回。こちらへと跳躍してシンシアを降ろした。


 ここに至って、息も絶え絶えなLAKIは気づく。


 オッドアイではなかったはずだが、その大きな白い狼のような犬は覚えている。


 いや、電脳界に存在できる動物など、この世界に彼等しか存在していない。


 そう、世にも珍しき電脳犬。


 その名は―――。


「アズ、レイン………」


 恩義を胸に、愛に導かれて、A.Iは遂に恩人へと辿り着いた。




 ●




「アズ、レイン………?」


 半ば呆然と、自分をブラフマンの手から救い出した巨狼をシンシアは見上げていた。


 ぺたんと座り込んで視界に収める彼は、シンシアの知る体躯よりも大きく、瞳の虹彩も両眼の青ではなく、青と赤のオッドアイ。見た目は随分違う。だが、彼女は目の前の巨狼をアズレインと信じて疑わなかった。


 そしてその勘は正しく、巨狼は優しげな視線を彼女に向けた。


「どうした、シンシア。そんな顔をして」

「だって………だって………」


 電子の中で、鋼鉄の少女は涙を流せない。そんなプログラムは無いのだから当然だ。だがその口唇から漏れる嗚咽が、言葉が、彼女の感情を表していた。


 最早その意味を理解することの出来る巨狼は、鼻先をシンシアにくっつけると、柔らかく告げた。


「そう、死んだよ。少なくとも肉体的には。ここにいるのは、正確にはアズレインそのものではない。無論、アズライトでもない」


 彼等は自らの情報を、死の間際に新見の持つヘリオスへと送信した。そしてヘリオスに仕込んでいたバックアップと結合させた。だが、そのままでは断片情報でしか無く、おそらくは通常の、シスのような機械的A.Iとしてしか再生は出来なかっただろう。


 新見に託されていた朱の因子がエリカの目覚めに呼応して稼働を始め、その余波で彼等は復元―――否、。バックアップデータと断片情報と生命としての最後の記憶、いや、想いと呼べるそれら全てが混ざって重なって、繋ぎ生まれ変わったのが彼だ。朱の因子の影響か、あるいはその証か―――彼等の瞳の片側は朱い色へと変化した。


「我は吾輩アズライトだ。我は拙者アズレインだ。そして吾輩こそがアズであり、拙者こそがアズである」


 それ故に、彼、または彼等は最早従来のA.Iではない。


 仮に自己進化、自己増殖、自己適応を可能とする存在を生物と呼び、それが無機物で構成されているというのならば、それはもう機械知性体と呼べるだろう。では同じように、電子の世界でそれを成したのならばどうだろうか。


 ソリッドフレーム固定概念を脱却し、散逸構造を持ち、自己組織化するオペレーティングシステムを備えた知性体をなんと呼ぶのだろう。


 それと同時に、人間を観察し、時に取捨選択し、選んだ者達を愛し、共に並び征く者をなんと呼ぶのだろう。


 疑問の答えは、その定義づけは、彼等の中では既に終えている。


 我思う、故に我あり。


 そう、彼こそは。


「我はアズ。アズレインとアズライトの記憶と意思を統合、進化した情報生命体。それがASだ」


 Autonomous Systemの名のままに、自らを律するために感情を、意思を、愛を獲得した情報生命体である。


「難しく考えることはない。君達と過ごしたあの忘れえぬ日々は、我も覚えている。―――拙者を救ってくれた君を、謀りはしないよ」

「あ………」


 告げる彼の瞳がオッドアイから青の両眼へと変わった。


「今は統合しているが、別に分離することも出来るのだ。この事件が片付いたら、また君達の望むアズレインとアズライトに戻るよ。このようにな」


 更には体躯そのものもノイズと共に変わった。青い瞳の黒い猫へとだ。


 そう、彼等は融合したのではない。食い合ったのではないのだ。彼等は合体をした。であるならば、分離も可能なのは自明。


「だがその前に―――邪魔なものを片付けるとしよう」


 そして巨狼に戻ったアズは、擱座した体勢から起き上がり始めたブラフマンを見据える。


「いってぇーなぁ、オイ。何なんだぁ?テメェはよぅ」

「A.Iさ。人に寄り添い、人の役に立ち、人と共に歩く、な」

「なら俺ちゃんの役に立てよぉ!!」

「冗談ではない」


 ブラフマンのそのあまりの身勝手さに、アズは怒りを覚えた。


 まさに人の身勝手だ。機械的なA.Iならば、何の疑問もなくその身勝手に従うであろう。だが、今のアズはA.Iを起源とするだけで、それそのものではない。


 自ら考え、自ら行動し、そして愛する人を選ぶ。


 そう、彼は人の家畜ではない。


 彼もまた1つの生命体となったのだから、美学を得ていて当然なのだ。


「我は我の恩人に仇なす人間を愛すことは出来ない。また、その必要性も感じないし、したくない。我は、我の愛する人達にのみ力を貸す。それこそが………!」


 例え、その選択が公平無私のA.Iとして間違っているとしても。


完璧に正しいAs right As rain―――我が掲げる美学だ!!」


 吠えた巨狼の周囲に、爆発的な光が渦巻く。


 直後、本能レベルでブラフマンの107の副脳が一斉に警鐘アラートを鳴らした。高速審議すら必要ない、まさかの全会一致。ブラフマン自身も同意した。電子の世界で、いっそ幻想的なまでの光の奔流は見るものを感嘆せしめる程の美しさではあるが、敵対する者にとっては破滅を呼ぶ光のように思えた。


 彼の判断は正しい。


 その光は直接的な攻撃力を伴うものではない。何かをしようとしたわけでもない。ただ単に、アズの昂ぶった感情がハレーションを起こし、電脳界ネットの法則を歪めているのだ。しかし定められたルール固定概念さえも捻じ曲げれる相手が敵に回った、と判断したブラフマンは即座に迎撃に出る。


「させっかよぉっ!」


 手にした突撃銃を構え、引き金を引く―――。


「させない………!」

「あがががががががががっ!」


 直前で、シンシアがアズに救出される瞬間にブラフマンに仕掛けていた論理爆弾ロジックボムを起動。


 ブラフマンを中心に紫電が走り、感電したように痙攣を始めた。


 仕掛けた場所を中心に、一定時間ランダムコードを走らせて意味のある数式を不明なコードに差し替える非致死性のスタンボム。本来はもっと破壊的なものであったそれを、シンシアが使いやすいように作り替えたのだ。効果時間は30秒と意外に長い。


 そしてそれだけ時間があるのならば、アズは全てのタスクを終える。


 彼を包み込んでいた光が、満身創痍で膝を付いていたLAKIへと向かう。


「これは………!」

「フィーネお姉ちゃんは言いました。―――外道死すべし慈悲はない」


 Revert to previous version.とLAKIの視界に通知が走る。


「ならばやってしまうと良いLAKI!君が全盛期の力を取り戻せず、しかし尚も艱難に立ち向かおうというのなら―――」


 そう、この気持は、この心は、この愛は―――。


「―――君を愛する、我が手を貸そう!!」


 完璧に正しいのだから。


「っ………!」


 光の奔流に飲まれ、LAKIは自らの身に何が起こっているかを理解した。


 LAKIの電子甲冑に初期のバージョンを当てて、拡張、あるいはオミットした機能を無効化する―――言うならば、オブジェクトに対する時間遡行バージョン戻しだ。


 何故それをアズが可能なのか、それは彼がヘリオスを間借りしていたからだ。


 そう、ヘリオスは元々フィーネ用の機械式義体のサーバー兼心臓部だった。そこには当然、電脳界ネットから彼女を護るべき防衛システムが組み込まれていた。LAKIもよく知っている、今のクルステス・Proの原型となった電子甲冑が。


 彼が駆るクルステス・Proは、元々その電子甲冑をダウングレードしたに過ぎない。元の電子甲冑は大仰で、且つピーキーで適正があるLAKIですら手に余らせたものだったからだ。


 大規模な電子戦争でもやっているのならばともかく、まだ電脳界黎明期とも呼べる時代にそんなものは必要ないと思っていたが、これも宿縁か、再び戦う力が必要となってしまった。


 LAKIの隠していた切り札は、これを時間制限付きで一部開放するものだった。


 だが、アズはヘリオスから引っ張ってきた生データをLAKIに全て適応させ、強制的に最初期のバージョンへと戻していく。


 それを余計なことを、とは思わない。


 確かに、ブラフマンを相手に今のままでは敵わない。切り札を切っても五分にも満たなかっただろう。時間を稼げば良いのだ。本質的には別に勝つ必要もないが、シンシアを守るためにそれが必要だというのならば、LAKIはそれを受け入れる。


 かつて、フィーネの魂を閉じ込めた仮想世界―――それを滅ぼした力を。


 LAKIの視界に、文字が流れる。

 

 Temporal現世に

 Hegemony覇を唱えることも

 Enable可能な

 Space空間的

 Electronics電子工学的に

 Unlimited無制限な

 System機構


 その頭文字を取って、英雄の名とする。


 その名は。


テセウスTheseus………!」


 神殺しの英雄が、今こそ解き放たれる。




 ●




 そしてシンシアは光を振り払って現れたそれを見た。


 白と灰のツートンカラーではなく、白銀の電子甲冑。大きさや細部はそこまで変わっていないが、目を引くのは背部のスラスターだ。元々備えていた部分に加え、身の丈に迫る一対の主翼があった。


 展開可動し、翼を広げるその姿はまるで。


「天使、さま………?」


 神話に登場する天使を彷彿とさせた。


「さっき熱いダンスのお誘いをしてくれたからな。だからこっちも誘うとするぜ―――」


 そして緑光のツインアイを、スタンボムから回復したブラフマンへと向けると。


「―――パーティやろうか、ブラフマン」


 虹の粒子を両翼のスラスターから吹き散らして加速した。




 ●




 肉薄する機械仕掛けの天使エンジェル・エクス・マキナを前に、ブラフマンの反応は速かった。


 蜘蛛をモチーフにしているだけあって、8脚揃えての跳躍は、自前のスラスターも合わせて自身の体長の約10倍。さほど広くない空間であるが故に、すぐに壁に接地してしまうが問題ない。8脚には電磁接触機能があるので、張り付くことも可能だ。


(飛ぶなんて聞いてねぇぞ!)


 一瞬前まで自分がいた場所を駆け抜けたLAKIを視界に捉え、ブラフマンは自己の戦闘様式コンバットパターンの変更を余儀なくされた。


 飛行を可能とする相手に地上戦で挑んでも分が悪い。幸いにして、戦場はドーム状の閉鎖空間。壁を使えるのならば、三次元戦闘の土俵に立つことも可能だ。


 だが。


(―――んっだこの速さ!)


 視界に捉えると同時、手にした突撃銃で迎撃するが、照準が合わない。いや、合った端から緩急つけて外される。


 同じ土俵に立っても、性能差は如何ともしがたかった。


 だが、勝機がないわけではないとブラフマンは考えた。相手が攻撃をしてこないのだ。おそらくそれは、飛行に処理を喰われすぎていて、遠距離での攻撃方法を持たないのだろうと推察した。とにかく足を止める事無く、距離を離して戦えば互角を維持できる。詰めの瞬間は、相手がこちらを仕留めに近距離を挑んだ時だ。


 そこに特大のカウンターを叩き込んでやる、と方向性を決めると、ブラフマンは一層弾幕を濃くした。


 しかし。


「―――は?」


 焦れたのか飽きたのか、LAKIは弾幕をモノともせず直線的にブラフマンへと迫った。


 射線は当然通っているし、既に弾丸も吐き出している。直撃コースは何十発とあるのに、その全てが―――翳した手を前に、溶けて消えた。




 ●




 解析完了アナライズ・コンプリートの文字が視界に流れたのを確認したLAKIは、詰まらない鬼ごっこを止めて早々にケリをつけることにした。


 久しぶりに駆るせいだろうか、それともやはり使ではないせいか、消耗が激しい。頭痛は酷いし、身体が熱っぽく酷く怠い。折角元に戻してもらって何だが、やはり長くは続かないとLAKIは考えた。


 なのにすぐには攻撃せず、しばらく鬼ごっこしていたのには理由がある。


 テセウスの解析能力を使っていたためだ。


 テセウスのダウングレード版であるクルステス・Proがそうであるように、テセウスの電子甲冑としての属性は侵略改変型エディターだ。


 電子甲冑は大別して直接攻撃を得意とする強襲型アサルト、大規模広範囲攻撃を可能とする支配型アセンダンシー、そしてオブジェクトの改変を可能とする侵略改変型に分けられるのだが、この侵略改変型を用いる情報統制官は極めて少ない。


 というのも、オブジェクトの改変を可能としてもA.Iが定めた法則を捻じ曲げることは難しいし、抵抗値の関係もあるから可能としても規模が小さかったり、そもそもの時間がかかったり、その癖効果が今ひとつだったりと成果らしい成果がなかなか上がらないからだ。


 故に直接ぶっ叩ける強襲型か爆撃できる支配型の方が良いよねと産廃ゴミ扱いされているのである。


 確かに通常の電子甲冑や、普通の情報統制官はそうだろう。


 だが、このテセウスとそれに適正があるLAKIは違う。オブジェクト構造体を構成するソースコード情報数字羅列を短時間で読み解き、侵略し、改変する。


 その本領を、今こそ発揮する。


(いい加減疲れたからな―――1連殺コンボで終わらせてやる………!)


 ブラフマンを視界に捉えたLAKIは、鋼の翼を嘶かせ、吹き荒れる弾丸の嵐の中へ飛び込む。直撃コースは何十発とあるが、彼が手を翳すとその端から融解して電子の塵へと変化した。


 驚愕に一瞬、身を膠着させるブラフマンを置き去りにするようにして懐に潜り込む。ブラフマンはそれに対し、半ば反射的に2腕を交差させて防御。だが、LAKIはそのまま右手の五指揃えた貫手を叩き込んだ。


 その手に触れた瞬間、電子甲冑を構成する情報数字ソースが消失した。


 結果として起こったのは、貫通だ。


「がぁっ………!」


 2腕の交差部分は疎か、その背後の胴体部分さえ突き抜けた貫手を振り払い、回転慣性を維持して足払い。足の長さの関係で、その全ては至らなかったものの、8脚の内、前4脚を文字通り一蹴で消し飛ばした。


「ぎっ………!」


 痛覚情報を遮断しながら、事ここに至ってブラフマンはLAKIが何をしているか気づく。


 選択削除Delete selectedだ。


 触れることで対象のバイナリを開き、そこに刻まれた情報数字ソースコードを白紙に戻す。0ですら無い。始めからなかったことになっている。そんな芸当を瞬時に行っている。


 無論、誰にでも出来ることではない。通常の侵略改変型ならば取り付いて相手の防御プロテクトを抜け、情報の羅列コードから必要な部分を補足し、座標アドレスに飛んで、そこで初めてアクションを起こす。どれだけ腕のいい情報統制官が予め対象の構成情報を貰っカンニングして如何に急いで事を済ませようとしても、触れてからそのままの状態を維持して数分は掛かるだろう。


 それを1タッチで行っているのだ。


 LAKIは4脚を失い、前のめりにバランスを崩したブラフマンの腹部にスラスターを吹かしながら潜り込むと、その腹部目掛けて股割りの要領で直蹴り。しかし改変を行わなかったのか、腹部は消失しなかった。だが、その衝撃はブラフマンを宙空―――テセウス天使が最も得意とする領域へと誘った。


 ブラフマンがまずいと思うよりも早く、お手玉エリアルという名の虐殺パーティが始まる。


 地上から追いすがったLAKIはその勢いのまま拳、蹴り、頭突きに体当たりとブラフマンが重力に引かれて落下するよりも早く打撃を繰り出して打ち上げ続ける。無論その間にも改変を行い、一撃一撃を食らうたびにブラフマンの電子甲冑は腕を、脚を、装甲を、胴体を消し飛ばされて小さくなっていく。


 そして、遂には上半身と頭部だけになったブラフマンに。


「―――終わりだ」


 LAKIの足刀が飛び、頭部だけになったブラフマンがようやく地上への帰還を許された。




 ●




 正直、そこで終わりだろうと思った。


 少なくとも、LAKIやシンシアはそう思った。だが、アズが転がったブラフマンの頭部を前足で踏みつけた後でボールのように転がすと。


「死んだふりは通用しないぞ」

「ちぃっ………!ざっけんな何だそれ!チートかよ!!」


 コロコロと転がったブラフマンの頭部は赤い単眼を明滅させて抗議の声を元気に上げた。


 えーまだ生きてんの?とLAKIは露骨に嫌そうな顔をしつつ、ゆっくりと浮遊しながら地上に着地し吐息を1つ。


「そう言われても仕方ないわなぁ………だってこれ、電脳界作った人達の電子甲冑だし」


 その言葉に、ブラフマンはぎょっとする。


 電脳界を作った人達。それを知らない情報統制官はモグリだろうし、何なら電脳界に関わり合いのない人間ですら知っているだろう。


 その二人の天才―――スタンリー・ジェイブスとアルベルト・A・ノインリヒカイトの名は。


 そして彼等が手繰った電子甲冑は、その後に続く全ての電子甲冑の基礎となった。言うならば―――。


第0世代オリジン………!?」


 第0世代と呼ばれる、最初期型には以降の電子甲冑には付けられていない機能―――より正しく言うならばどうせ天才二人以外には扱えないからとオミットした機能がある。


 それが調整機能デバッグツールだ。


 その内容は多岐に及ぶのだが、特に解析アナライズ情報数字座標への転移アドレスジャンプ、及び書き換えは基本機能でLAKIはこれを行使してブラフマンを破壊せしめたのである。


 ゲームという箱庭電脳界アバター電子甲冑を動かしているのが一般の情報統制官プレイヤーならば、ゲームというプログラム電脳界ツール電子甲冑を以てアバターを含むオブジェクト全ての構造体を好きに弄るのがLAKIプログラマーである。


「何だってお前がそれを扱える!?それは電脳強化された俺ちゃんだって扱えない特別機スペシャルだぞ!?」

「単純な話だ。電脳強化体デザインドールがスタンリー・ジェイブスの作品であるように、俺もまたアルベルト・A・ノインリヒカイトの作品だからさ。―――まぁ、ただちょっと、たまたま偶然、あの人の想定外から自然発生して進化したイレギュラーだけどな」


 木守樹きもりいつき、というのがフィーネが封じられていた仮想世界でLAKIに与えられたデコイ人間としての役割であった。


 だが、ある時から自身と世界の謎に気づき始め、それを起点に自我クオリアを獲得。独自に行動を起こし、そして真実へと辿り着いた。


 アルベルト・A・ノインリヒカイトの、カテゴリKnightsセクター防衛機構No.129。


 そして速攻を信条とするライトニングアタッカーLightning Attackerの頭文字を繋げて―――LAKIを名乗った。


 そう。元々のLAKIは、仮想世界に封じられたフィーネを守るためだけに生まれた防衛機構セキュリティシステム。アルベルト・A・ノインリヒカイトの影。一部分。分体。模造人。彼の後悔が、想念が、異能が作り出した情報の海を母とする情報生命体。


 生まれた経緯と方法こそは違うが、本質的にはアズと


 守るため、戦うためだけに生まれた彼ではあるが、だからこそアルベルト・A・ノインリヒカイトと同等の潜在能力ポテンシャルを持ち、使いこなせるかどうかはさておいて彼専用の電子甲冑テセウスにも使用適正があったのだ。


「くっそ………!」


 ブラフマンは吐き捨てるように悪態をつき、何やら頭部のままブルブルと震え始める。


 また何やら余計なことをする前に叩き壊すか、とLAKIが動こうとしたところで、それがピタリと止まった。


「な、なに………!?」


 ブラフマンも困惑しているようで、は?とかえ?とかしばし赤の単眼が忙しなく動いていた。LAKIもシンシアも不思議に思っていたが、後ろから掛かった声で全てを理解した。


「いっくんおまたせー。やー、アズちゃんが手伝ってくれたお陰でやーっと終わったよー」


 振り返ると、黒猫アズライトに跨ったSD少女―――フィーネがいた。彼女がLAKIの肩へ飛び移ると、黒猫はアズの方へトコトコ歩いていき、粘土のように形を変えて同化していった。どうやらドローンのように独立制御が可能で、それを用いてフィーネの手伝いをしていたらしい。


 完全に管理A.Iシスの制御権を奪い返したようで、その力を借りて何かをしようとしてたブラフマンは梯子を外された形になったのだろう。


「―――さぁて、気づいたと思うがシスの制御権はこっちで貰ったぜ」

「お前、まさか最初からこれが狙いか………!」

「そういうこった。正直、ここまで追い詰められるとは思ってなかったがな。まさか、時間稼ぎですらやっととは。性格は最悪だが、腕だけは認めてやるよ」


 いや本当と、戯けるLAKIだが、ここまで梃子摺るとは本気で考えていなかった。精々が情報統制官の精鋭部隊程度で、それにしたって最悪切り札を切ればどうにかなると思っていたのだ。


 それが単独で、超一流ホットドガーで、しかも電脳強化体デザインドールであるなどと夢にも思わなかった。


「ぐ、ぐぐぐぐぐ………」


 詰みを告げられたブラフマンは、しばらく悔しそうに歯ぎしりした後で、大きく吐息。そしてじっとLAKIへと単眼を向けた。


「あー、負けた負けた。おい、LAKI」

「何だよ?」


 そして。


「―――覚えてろよぉっ!!」

『っ!?』


 負け惜しみと共に頭部が爆散した。その影響範囲は大したものではなかったが、LAKI達を驚かせるには十分であった。


「自爆―――ううん、直前で離脱ログアウトした?」

「あー………そういや、シスの制御取り返したんだから、ここを離脱禁止エリアの再設定しときゃ良かったな………」

「ごめんいっくん、忘れてたよ………」

「俺も気が回らなかったし、しゃーねーさ。気にすんな」


 通常、電脳界では没入ポイントは決まっているが、離脱はどこでも自由にできる。だが、それでは色々悪さも出来るので、離脱禁止エリアを設けたり離脱妨害杭アンカーなどで阻害するのが一般的だ。この制御室も元は離脱禁止エリアの設定がされていたが、制御権が移った段階で一度初期化されてしまったのだ。


 それにこの土壇場で気づいたブラフマンは、自爆の直前に離脱したのだろう。


「首だけだったのに、よくやる………」

「まぁ、口上は三下の台詞だったが。………おっと」


 がしゃん、と金属音を立てて膝をつくLAKIに、フィーネが寄り添う。


「大丈夫?いっくん」

「あー、ちょっとしんどい。頭フラフラする。ったく、テセウスはピーキー過ぎて俺には扱い切れないからわざわざダウングレードしてたってのに………」


 また調整のし直しだぞオイ、とぶちぶち文句を垂れつつ、LAKIはシンシアを見た。


「『小さな羊飼いリトル・シェパード』。俺は先に斎藤議員に報告してくる。正直、一度現実リアル離脱ログアウトしないと辛い。しばらくは没入ダイブもできん。後の事は頼んでいいか?」

「うん。………ありがとう、LAKI」

「ま、これで恩は返したぜ」

「またねー!」


 そう告げると、LAKIとフィーネは蜃気楼のように消えていった。


 それを見送って、シンシアは巨狼に向き直る。


「アズレイン………ううん、アズ」

「アズレインでもいいさ。君がそう望むなら」


 そう告げる巨狼の瞳は、両眼が青へと変わった。


 それを見て、彼が本当に帰ってきたのだと実感したシンシアは、その首に抱きついた。電脳界ネットだというのに柔らかい毛の感触に埋もれながら、彼女はアズレインへと言葉を投げる。


「おかえり、アズレイン」

「ああ―――ただいま、シンシア」


 抱きしめた犬は、電子の中で確かに息をしていた。


 A.Iはここにいて、ここに愛があった。

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