第五十四章 空より来る者達

 圏庁の多目的ホールの人口密度は、数分前から薄くなっていた。


 居心地が悪くなったのか、あるいは保身のために証拠隠滅に奔走を始めたのか汚職議員達が『後は好きにしろ』とばかりに慌てて席を立ったのだ。残ったのは、不正をしていなかった議員達だけ。その数が3分の1の20人にすらやや届かないと言う辺りがなんとも情けない、と西泉は嘆きながら深く嘆息した。不正をするのなら、自分のように先を見据えて進退を賭けてするべきなのだ―――と思って、気づく。


 何故、同じように自分が生かされたか。


(私腹を肥やさなければ、彼女的にはセーフなのか)


 正直な話、西泉とてグレーゾーンギリギリ―――いや、ブラックに片足どころか頭の先まで突っ込んだこともしている。だが、それは自分の利益以上に圏益、ひいては国益に繋がるように動いている。政治や行政運営が白黒はっきりつくことの方が少ないからだ。大抵は、表向きそう見えていても実際には関係部署に玉虫色のやり方を強引に通していることが多い。


 となると、身奇麗だと思っていた他の議員も、案外清濁併せ呑む流儀を心得ている可能性がある。それを世知辛いね、と内心で苦笑しつつも歓迎もしていた。


 世の中は綺麗事では回らない。理想論では足元を掬われる。何しろ他国を内部から破壊する工作手段静かなる侵略に用いられるぐらいだ。それを理解した上で自らの手を汚すことができるのならば、西泉にとって例え敵対派閥であっても同志足り得る。


 今回の騒動は、西泉にとって―――否、西泉家にとって想定外のことではある。少なくとも、兄を通して用意していた武装制圧は立ち消えとなった。


 だが。


(予定よりは数年早いが―――好都合と言えば好都合か)


 とは言え、だ。何も得るものがなかったかと言えば、嘘になる。


(箱庭の情報統制官と繋がりを持てたのは僥倖だ。彼等の力は一国のそれに値する)


 蜃気楼の箱庭ミラージュ・ガーデン、と噂される謎の集団。一国を相手に、軍事力もさることながら経済力、政治的影響力まで持っている奇妙な存在。背後関係は当然のこと、ルーツが何なのか、資金源はどこから来ているのか、何が目的なのかさえ不明な、政治に携わるものからしてみれば気味の悪い程の異常性バケモノ


 しかしながらその実力は確かなもので、今回に限ってかも知れないが味方であるのは心強い。


(まぁいい。今はこの状況を乗り切るのが肝要。―――老人共の処分はその後で良い)


 この流れに乗って、圏議会を掌握する。


 予定は幾分か早まったが、悪いことではない。用意していた計画が前倒しになるだけだ。尤も、そのあれこれもこの危難を乗り越えてからだ。


 西泉は一息入れて、残された議員達を見回して口を開いた。


「障壁は解除され、制空権は不利。広域展開され、更には包囲されて地上戦力も疲弊している。挙句の果てに内部からもJUDASのテロと消却者の発生か」

「状況は最悪ですな」


 太い眉が特徴の、小太りな議員―――斎藤一馬さいとうかずまが神妙な面持ちで相槌を打つと、他の議員達も唸った。


 想定できる状況で最悪な展開だ。緊急事態に於けるシミュレーションは、ある意味政府や行政の義務だ。何度も行われていたし、設定される展開には現状に近いものも含まれていた。だがそのどれもが単一―――例えば、障壁が解除されるだけだとか、制空権が不利なだけだとか、そういったものだ。それらが全てが複合して一番引きたくない状況に、もっと言うならばどこかで歯止めが掛けれるはずだったのに、それを残らず取り零しているなどという想定は、平時ならば失笑ものだ。


 そこまで愚かでないと、どこかで慢心していたのかもしれない。


「―――仕方ない。こういう時は、一つ一つ解きほぐしていこう」


 自嘲していても仕方がない。ここは気持ちを切り替えて、目の前の問題をクリアする道筋を立てていく。


「まず障壁。これは統境圏のシステムアナムネーシスをハックされたことが原因だ。奪還の目処は?」

「時間がないので専門的なことは省きますが、このままだと後半日は掛かります。無論、希望的観測で、です」

「例の彼女も梃子摺るようだしな………」


 情報庁と繋がりのある議員が手持ちの情報と予測を開示すると、西泉は眉根を寄せた。


 先程の例の彼女―――『小さな羊飼いリトル・シェパード』は、アナムネーシスに仕掛けハックする準備をすると言って席を外した。その際に、ちょっと手間取るかもしれないと言い残している。


 そもそも、アナムネーシスは統境圏を維持管理する中枢システムだ。当然のことながら、現行での最高レベルのセキュリティを施されている。下手な仕掛けハックは逆探知は当然、何なら攻性防壁ICEによる反撃すら行う。勿論、1つ2つの防壁ではなく、幾重にも張り巡らされ、厳重に守られていた。


 それを抜けてくるとなると、だ。


(何年も前から準備していた………?あるいは、内通者でもいたか)


 当て推量ではあるが、西泉は正解を引き当てていた。


 実際はメティオンがアナムネーシスの保守管理業務を担う人員に洗脳を施して、内部からバックドアを仕込んでいたのだ。そこからブラフマンが侵入して掌握した。


 尤も、過程はこの際どうでもいいのだ。犯人探しをしている時間もない。重要なのは、システムを奪還して再び圏障壁を展開できるか否か。それ次第でこの状況の打開難易度が大幅に変わる。


 皆が思案していると、斎藤が挙手した。


「えーと、一人、知り合いだけど、攻性防壁破りアタッカー専門の人材に心当たりがある。LAKIと名乗っている若い子だけど、腕は超一流ホットドガーだよ」

「実績はどうですか?」

「アナムネーシスや日本銀行に仕掛けてその脆弱性を報告してくるぐらいには」


 その言葉に、周囲の議員はざわついた。


「―――それ、今回の犯人ではないんですか………?」

「違うと思うよ。彼が私に接触してきたのは三年ぐらい前になるけれど、当時の彼は手元不如意だからと仕事を欲しがってただけだし、その後に定期的に私が仕事を斡旋しているから金銭面では今も問題ないはずだ。性格的にも、個人的な信条はあっても宗教的な思想性は無いと断言できる」


 アレは寄る辺を失って、それでも今を生きようと藻掻いている類の人間だよ、と斎藤は告げた。


「接触してください。可能ならばそのまま依頼を。値切らず言い値で札束を叩きつけて。―――領収書は貰ってくださいね」

「よろしいので?」

「最悪身銭を切る。現状を切り抜けないことには予算審議で喧嘩も出来ないよ」


 西泉が依頼を出すと、派閥内の仲間が確認を取って来るが今は予算や背後関係を精査している時間はない。


 次だ。


「広域展開されている消却者の対応は―――」


 西泉の言葉に、軍閥出身の議員達が頷いた。


「仕方がありませんな。特例事項第三項を適用しましょう」

「やむを得ん。既に一部は独断先行しているようだが、追認という形にしよう。彼らの判断は正しい。事後に形ばかりの謹慎休暇を与えれば体裁は立つ。西泉議員」

「分かった。兄にも繋ぎを取る。―――与党からの声明があれば悪いことにはならないはずだ」


 特記事項第三項とは緊急事態宣言に於ける予備役投入の要項だ。


 実際には現場が独走という形で既に行っているが、追認という形でも取らなければ、最悪、彼等が国家転覆クーデターを目論んだと取られてしまう。彼等は正式な手続きこそ踏まなかったが、統境圏を守るために現状で取れる最も有効な手を用いたのだ。結果としてこちらの尻拭いをさせる嵌めになったのだから、今度はこちらが彼等を守らなければ西泉達は自分達を許せなくなるだろう。


「配置については一任する」

「了解しました」


 軍閥出身の議員が関係各所にIHSで通話を始めた。


 次だ。


「圏内でのテロはどうします?」


 無所属から叩き上げてきた議員は、地元が心配なのか落ち着かない面持ちでそう言った。


 これに関しては西泉―――正確に言うならば西泉家が既に動いている。


兄の旧知安曇会が動いてくれている。正直、もう少し人手が欲しいが………」

「うん。なら、私の知り合いにも声を掛けてみよう。歓楽街の顔役みたいな男だから、援助して頼み込めばなんとかなると思う。ひょっとしたらもう動いてるかもしれないけど。後は、長嶋翁にも頭を下げて教練校生を使わせてもらおう」


 再び斎藤の提案に、議員達はざわついた。


「緊急事態宣言での要項には、確かに学徒動員もあるが………」


 教練校生は確かに適合者ドライバーの集団だ。


 しかし1年生は余程特殊な生い立ちでなければこれが初陣であろうし、2年生とて圏外領域に於ける実地研修は経験済みだろうが、この危急時に果たして冷静に対処できるだろうか。


「長嶋武雄という男はね、アレで結構スパルタだよ。―――快諾するだろうさ」

「では依頼しましょう。―――正直、今はひよこの手でも借りたい」


 だが、そうも言っていられる現状ではないのだ。


 IHS経由でアップロードされてくる地獄のような戦況は、戦闘に関して素人の議員達にでさえ理解できる。他圏への出向で主力を欠いて元々手薄だった地上部隊の損耗は酷く、最前線は本当にギリギリで保っている。早急に応援を送る必要がある。となれば内地向けの戦力はほぼ無いに等しい。予備役の投入で幾分か楽にはなるが、それとて半数は最前線へ送る必要があるのだ。そこを埋めるとなれば、単なる民間人に武装させるよりは教練校生の方がまだ戦力になる。


 不憫だとか可哀想だとか、憐憫の感情は確かにある。だがここでそうした感情論を振り回した所で、先で待っているのは物理的な破滅だ。今ここで清濁併せ呑まなければ、贖罪の機会すら訪れないだろう。


 それを理解しているからこそ、議員達は子供達の戦線投入に渋りはしたものの否定まではしなかった。


 次だ。


「最後に制空権だが………」

「一番難しいですね。既に上がれる機体は上がっています。航空士官学校の学徒でさえ上がっているそうです。どうやら近くの基地司令が独断で要請したようですね」

「こちらは圏境にも展開しなければならないので、戦力が圧倒的に足りません。本来なら他圏に応援を要請するのですが………」

「あちらこちらにも戦闘が発生している。流石に全空域をカバーできないか」

「とにかく数です。戦闘に参加できるだけの腕を持つパイロットと、何でもいいから機体。これがなければ制空権を確保できません」


 最後に、ある意味一番頭の痛い問題だ。これまでの問題と違ってシンプルに手が足りなく、そしてアテがないのである。


 そもそも戦場での制空権の確保、その主軸となるべきは戦闘機だ。そして現代に於いて、戦闘機の操縦とはある種極まったほどの特殊技能になっている。


 現在、日本国の主力機となっている天風は、特に防衛戦に於ける制空権の確保に主眼に置いて設計されている。つまり、格闘戦ドックファイトを主軸にした設計思想なのだ。しかし日本機だけが特別に尖った設計思想なのではなく、これは消却者という脅威があるからこそ生まれた世界的なトレンド潮流だ。


 故にこそ天風は前進翼というある意味けったいな主翼を採用し、機動性や安定性を犠牲にしてまで運動性に振った作りをしている。


 しかしながら、結果として通常の人間ではGに耐えきれない程ピーキーな機体に仕上がってしまった。扱えるのは異能を持たず、しかし霊樹による身体強化の恩恵を受けられた半適合者セミ・ドライバーのみ。更に、そこから飛行適正があって十全な訓練を行い、且つ実戦を経験した者となれば非常に少なく、おそらくは該当者は既に空の戦場に出ていることだろう。となれば、いよいよ増援を用意できない。


 さて、制空権の確保が出来ないことが何故ここまで問題なのかと言えば。


「最悪整備兵に練習機蕾天にでも乗ってもらうか………」

「天風のダウングレード版と言っても非適合者に扱いきれるものではないぞ。あたら命を捨てるようなものだ。なら、完動する機体の整備に充てたほうがまだ効率がいいだろう」

「しかし数を出さねば制空権が確保できません。つまり………」


 地上の被害が増える一方なのである。ただでさえ、ギリギリで保っている最前線の。


 地上戦力にも対空装備は勿論あるが、有利不利を語るのならばどう頑張っても頭を取れる航空戦力に軍配が上がる。まして地上戦力は飛行しない消却者の相手もある。それに加えて空まで気にしろというのは余りにもキャパシティをオーバーしている。


 そして地上部隊が瓦解すれば、内地侵攻は加速し、しかしそれを留める戦力は既に排出済み。とならば本格的に詰み全滅が見えてくる。


 予見できる最悪が、ひたひたと背後に忍び寄ってくる音を聞きながら、議員達は手を模索する。


 そんな中、一人の議員が再び手を上げた。


「腕の良いパイロットはいる。機体もある。呑んでくれるのなら、師団規模で用意できるよ」


 斎藤だ。


 この男、先程から妙な人脈を持っている。


「何を呑めば良いんですか?」

「相手の方が、かな」


 そして語られた起死回生の一手に、議員達が絶句して声を上げた。


「正気ですか!?」

「うーん、正直、気は引けるよね。―――彼等はもう、充分に国に尽くしてくれたんだから」


 確かに有用な手だ。


 その手ならば確かに人も機体も一気に確保できる。だがそれで大丈夫なのか、あるいはそれで本当に戦力になるのかと疑念が渦巻く。


「構いません。依頼しましょう」

「よ、よろしいので?正直、狂気的な策ですよ」


 しかしその策に軽々乗っかった西泉に、同派閥の議員が心配の声を上げる。それに対し、西泉は首を横に振った。


「こんな状況で正気も狂気もあるものか。―――事態は既に、総力戦だよ」




 ●




 統境圏に混乱を齎してから既に6時間程経つ。その推移を逐一観察していたメティオンは頃合いだな、と判断していた。


 鬼札ジョーカーたる長嶋武雄を使い切らせ、通常戦力を統境圏各地に散らばらせた。更に皇竜を各所に配置し、戦線を引き伸ばし艦隊戦力も分散。続いて使い捨ての信者を用いて混乱を加速させた。召喚結晶を用いた消却者の呼び込みも行っているので、そろそろ内地の被害も大きくなってくる頃だろう。


 舞台は整った。


 これから行うのはJUDASの次期主力戦力、その評価試験だ。使い捨てならばともかく、戦闘データは勿論のこと使用した兵器も無事に持ち帰らなければならない。故にこそ慎重に敵性戦力を調整してきた。


 現在、目標としている統境湾に駐留、展開できる正規戦力は横須賀基地に残された第8から第10艦隊のみ。地上戦力の殆どは最前線に出向いているし、残された戦力も内地での混乱を治めるために駆り出されている。


 メティオンはこれらの艦隊と試験相手として見ている。流石にそれを壊滅させる頃には増援も来るだろうが、この状況下では威勢は乏しく、且つ波状攻撃になることは予見できる。


 であれば、追加のデータ取りをした後で悠々と撤退が出来る。統境圏も逃げる相手をわざわざ追跡するほどの余力はその頃には無くなっているはずだ。


『さて、いい塩梅になってきましたね』

「そうだな。航空戦力が上手いこと散らばってくれた」


 同じ所見を得たか、横浜に潜伏しているブライアンからそんな通信が飛んできた。メティオンもそれには異論もなく頷く。


『ハルピュイアはどうです?』

「全体の8割、と言った所か。後、1時間程度で全機戦闘稼働可能だ」


 IHS経由で流れてくる研究室の情報では、クレイドルは順調にエリカの異能を制御して、限界域までその身体を掌握している。彼女の中で眠っていた朱の因子を強制的に励起させ、その異能は少々変質―――いや、を取り戻している。


 通常であれば、器が出来ていない段階での因子覚醒は精神に影響を及ぼす。だが、メティオンはエリカ・フォン・R・ウィルフィードという少女の自我など欲していない。必要なのはその肉体と、異能だけ。自我や性格など、後でいくらでも調できるのだから。


 いずれにしても、稼働させている彼女の異能は予定通りの性能を発揮し、壊れたヘリオスを修復し、更には複製して量産し続けている。それをハルピュイア達へ現在も移植を続けているのだ。それも後1時間程で全機完了する。


「まぁ、どの道3割をダイダロスの直掩に残すつもりだったから―――そろそろ、我々も表舞台に上がるとしようか」

『では、お待ちしておりますよ』


 そう言葉を残して、ブライアンとの通信が切れた。


 そしてメティオンは艦橋へと通信を繋ぐ。


「ダイダロス、浮上。進路北―――海ほたる」


 満を持して、機動要塞ダイダロスが浮上を開始する。




 ●




「夕霧大破、着底しました。なお、戦闘継続する模様」

「霜月中破。戦闘続行に支障なしとのこと」


 横須賀基地に停泊する統境圏方面第8艦隊の提督は腕を組んで、静かに瞑目したまま各地の戦況を聞いていた。


 第8艦隊から第10艦隊は横須賀から以東以南の守りで温存されている。その為、機関に火入れこそしてはいるが、戦闘開始から6時間超を過ぎた今でも待機状態であった。いつでも動けるように装備や設備の点検は行っているし、交代で仮眠も取らせている。だが、各所から聞こえてくる劣勢の状況に、特に艦橋に持ち場がある士官達が思うことは一つ。


 ―――歯痒い。


 この温存が重要なことは分かっている。


 言うならば、統境圏に残された最後の最大正規戦力が自分達だ。この非常事態がこれで終わりならばそれで良い。だが待機指令を出した横須賀基地司令は、現状はまだ敵勢力の底ではないと判断した。増援、ないし追加はあると考えたのだ。


 無論、事細かに説明されたわけではない。


 だが、全体の戦況マップを見るオペレーターにはよく分かる。幾ら陸地とは言え、あまりにも敵分布図が統境圏の北方と西方に偏っているのだ。南方や東方―――即ち、海にも消却者は出現するし、皇竜だって出現したことはある。しかし現状、一匹たりとて出現していないのは不自然極まりない。海側の圏障壁とて解除されているのにも関わらず、だ。


 こうして戦闘に参加せず、ある意味落ち着いて全体を俯瞰できているから気づくこともある。


 消却者の大量発生、皇竜の大発生に呼応するようにして各地でJUDASのテロ行為も起きている。通常であれば、混乱に乗じたものだと判断するだろう。だが、テロというのもアレで相応の準備を要する。混乱のどさくさ紛れに行動するにしても、こうまでフレキシブルな対応ができるだろうか。


 そこに疑念を持つと、逆の発想が鎌首をもたげてくるのだ。


 つまり、JUDASは消却者の自然発生に乗っかったのではなく、と。


 通常であれば、人が消却者を呼び出すなどと一笑に付すだろう。だが、しばらく前に集結したキューバの動乱で、JUDASは皇竜を呼び出したという噂が流れている。所詮噂である。だが、それを示す映像と実際に戦ったキューバ軍兵士の証言もあった。


 もしも、だ。


 それが事実で、完全な制御は不能だとしても、狙ったタイミングと場所で消却者を呼び出す術をJUDASが身につけたのならば―――南方と東方がいやに手薄な理由も繋がる。


 陽動だ。


 前代未聞ではある。だが、今までの前例がないだけでその時が初、と言うのは現場で良くあることだ。その異常事態に備えるのは、軍人としては当然のこと―――そう自分に言い聞かせ、彼等は耐えていた。


 その結果―――。


「南方の排他的経済水域に正体不明の巨大霊素反応!」

「皇竜か?」


 ある意味順当な、予見通りの動きがあった。


 提督が尋ねると、しかしオペレーターは言い淀む。


「いえ………これは………?」

「何をもたもたしている。判断がつかないならば映像を回せ」

「は、はい!」


 指示を出すと、人工衛星からリアルタイムで観測される映像と拡大された戦況マップがメインスクリーンに投影された。


「何だ………?これは………」


 それは二等辺三角形の形をしていた。


 良くある飛空戦艦のように艦橋や対空砲火、主砲などは見当たらず、何処かつるんとした陶器のような質感のそれは、妙な玩具感があった。


 だが、縮尺が断じて玩具のそれではない。衛星映像でこの大きさ。小さな孤島に匹敵するのだ。これほど大きな空飛ぶ物体は、提督の記憶にはない。


「推定、全長約4kmの謎の飛行物体、速度60kmで北上中です。約30分で第三防衛ラインに到達します」

「大きさだけならフィッシャーマンズ・レトリーバー級だな………」


 2012年に当時の科学技術の粋を集めて建造された大陸間長期航行貿易都市フィッシャーマンズ・レトリーバーが、同じぐらいの大きさだ。だが、あれはメガフロートを基礎設計に改造された為、海上で貿易しながら回遊する動く都市だ。流石に空は飛ばない。


「巨大構造物から何かが複数射出されました!」


 謎の物体を訝しげに観察していると、突然飛行物体のハッチが幾つか開いて何かが飛び出てきた。提督が望遠を最大にして目を凝らすと、それは―――。


「何だ、アレは………人………?」


 鉄の翼を生やした人型だった。




 ●




『―――接敵まで後20秒』


 謎の巨大飛行物体が出現してから、僅か4分で愛機の天風と共に空に上がった横須賀基地所属の中尉は無線で流れた管制官の言葉に気を引き締めた。ヘルメット・ゴーグルに映し出される空域マップでは所属不明機5機が真っ直ぐにこちらへ―――いや、正確には彼等の背後、横須賀へと向かっていた。


 相手の速度は毎時400km。人型である事を考えれば速くはあるが、カタログシート上の最大速度は時速2000キロ毎時に迫る天風程ではない。とは言え、天風もそこまで速い戦闘機ではないのだ。最大速度だけで言うならば、旧世紀でもこれを軽く超える機体が幾つも存在している。あくまで天風は局地防衛戦を軸に開発された機体―――とりわけ前進翼故に、音速超過以降の直進安定性が極めて悪い。その速度域に至った操縦桿のピーキーさは『女とヤる時と同じで、フェザータッチで動かさないと敵機の前にこっちがくぐらい敏感』と下ネタ混じりに語られるぐらいだ。


 閑話休題。


「そこまで速くはないな」

『ああ、だが、戦闘機動はまだ分からん―――加速したぞ!』

「奴さん、やる気か………!?」


 中尉が僚機と注意深く観察していると、所属不明機は今までの倍近い速度まで上げて散開ブレイクした。こちらも1個中隊を散開して、各個に当たる。


「こいつら、やっぱり人なのか………!?しかも、女………!?」


 目視できる距離になって、相手の全貌が確認できた。


 黒い鎧だ。鋼鉄の鎧に身を包んだ人が、同じく鋼鉄の翼を広げて、その推進部分から燐光を吹き散らしながら飛んでいる。大きさはそこまでではない。何なら強化外骨格を着込んだ機械化歩兵よりも小さく、しかし一対の鋼翼の全長は身の丈に迫る程だ。


 そして鎧のデザインは女性型だろうか。胸部に2つの膨らみがあり、全体的なシルエットも曲線が多い。だが、気を許せそうにないのはその手にした武器の類だ。恐らく両手持ちの槍であろうそれは、単純な形状をしておらず、穂先以外も鋼鉄製。更には穂先の上に銃口のような部分もあり、どちらかというと銃剣バヨネット―――否、銃槍ガンランスに近かった。


 鋼鉄の翼で空を舞い、手にした槍で敵を貫くのがこの兵士―――あるいは兵器のコンセプトならば、まるで鋼鉄の戦乙女ヴァルキリーだ、というのが中尉の感想だった。


「バンディッド4!フォックス3!!」


 火器使用符丁フォネティックコードを仲間内の無線で叫んで、中尉はロックオンした戦乙女に容赦なく空対空ミサイルを発射した。


 しかしこちらに背中を向けていた戦乙女は鋼翼を最大展開し急制動、斜め下に抉り込むように宙返りしながら反転し翼を窄めて再加速。


 放った空対空ミサイルは戦闘機に追い付ける程の超高速度故に小回りが効かず、ロックオンしたにも関わらず振り切られた。


「スライスバック………!?空中戦闘機動ACMまでしやがるのかよ!!」


 絶句する中尉であるが、当然である。


 形こそ人のそれではあるが、同じく空を飛んで前進して揚力を掴み、空気を手繰って旋回するのだ。であるならば、戦術様式コンバットパターンの基本骨子は戦闘機の空中戦闘機動Air Combat Manoeuvringに寄って然るべきだ。尤も、そのコンパクトさとそこから生み出される異常なまでの旋回性能は戦闘機の比ではない。


『小さいせいか!?異様な運動性をしてやがる!!』

「こっちだって安定性捨ててんのに!!」


 同じように先制攻撃をした僚機が絶句して、中尉も毒づく。


 そう、天風は局地戦を生き残るために機動性を捨ててまで前進翼を採用し、極端なまでに運動性に振っている。その結果、霊樹強化していない常人では乗りこなせないほどのGが掛かるが、その分旧来の戦闘機では真似の出来ないほどの旋回性能を手に入れた。


 だが、相手はそれを嘲笑うかのように軽く上回ってくる。


「こなくそ………!」


 ミサイルが振り切られるならば機銃だとばかりに、戦乙女の背中ケツにどうにか張り付いた中尉は火器使用符丁さえも煩わしくすっ飛ばしてトリガーを引いた。蜂の羽音の様な連弾音と共に吐き出された25mm口径の銃弾は、曳光を残しながら戦乙女へと追いすがる。それをエルロンロールで躱すが、運が良かったのか、銃弾の一発が戦乙女の槍を掠めた。


 ミサイルよりは威力は劣るが、戦闘機に搭載される機銃の威力は対人ならば過剰なほどだ。案の定、戦乙女は武器を取り落とし―――。


「はっ!ざまぁみろ!手持ちの武器なんぞ無くなったら………」


 ―――翼を広げて急減速したフルエアブレーキ


 それに追いついてしまった中尉はあわや衝突かと息を呑むが、戦乙女はいかなる膂力を発揮したのか天風のキャノピー風防に張り付き、それどころかそこに立ってみせた。相対速度を合わせていた故に、こちらは全力ではないが今も700km以上の速度は出ているのにも関わらず、だ。


 そして戦乙女はこちらを見る。フルフェイス全面貌の鉄兜。人としての容貌は見えないが、見下されているのは分かる。彼女はそのまま手を空に掲げると、燐光を散らしながら失ったはずの銃槍ガンランス。ご丁寧に逆手―――穂先をこちらに向けて。


「―――嘘だろ?オイ」


 そして、振り下ろされた銃槍はキャノピーごと中尉を貫き、彼の天風は空中で爆散した。




 ●




「ふむ。ようやく満足の行く出来になったな」


 横須賀基地から迎撃に出てきた天風の1個中隊を次々に落としていく戦乙女達―――否、ハルピュイアを映像越しに眺めながら、メティオンは深く頷いて独りごちた。


融人機ドミニオンは機動性こそ戦闘機に譲るが、その運動性と継戦能力は既存の空戦の概念を塗り替える。確かに、局地戦では有用ですよ、先輩)


 元々、ヘリオスを最初に手に入れたのはメティオンがかつて所属していた研究チームのリーダーである。彼は局地防衛戦でのジェット戦闘機の有り様に限界を感じ、それこそレシプロ機を復活させようとしてみたり色々と藻掻いていた。


 そんな中で、ヘリオスと出会ったのだ。


 これを特定の汎用型異能と組み合わせれば、既存の空戦概念を覆せると信じていた。実際、予算が途切れなければある程度形になっていたとメティオンは思う。ここまでには至れなかっただろうが、対消却者A・E戦に限って言えば対等以上に飛行型の消却者と戦えていたはずだ。


 尤も、量産ができないのだから試作機3つで行き詰まっただろうが。


 メティオンとて何年も無為に過ごしてきたわけではない。JUDASの枢機卿として忙しくする傍ら、暇な時間を見つけては解析はしてきたし、ダウングレード版も作成した。だが結局、ヘリオスを作ったあの天才には至れなかった。


 今持ってヘリオスを完全には理解しきれてはいない。だが、別にメティオン自身が理解せずとも量産し、作った器に搭載することは出来るのだ。


 そう、朱の因子に覚醒したエリカの異能はあの赤鳥姫と同じ無機物複製ミラージュ・ビルド―――それも制限無しだ。


 壊れたヘリオスを修復し、それを可能な限り複製。用意していた器たるハルピュイアに移植―――否、換装。メティオンが見よう見まねで作った不完全なヘリオスによる出力不足に悩んでいたハルピュイア達は、オリジナルと同等のヘリオスと換装することによって遂に完成した。


 High function高機能性を持った Airspace革新的 Revision空間 Party集団 Yoke支配が Intelligence可能な Armor知性鎧.


 その頭文字を取って、Harpyiaハルピュイアとそのは呼称された。


(そしてこの機動要塞ダイダロス………)


 ハルピュイア1000機を収容、修復、製造可能なプラント兼移動する要塞としての役割を持たせたのが全長3.8kmの威容を誇るダイダロス―――日本に於ける、JUDASの本拠地だ。本来はもう少しハルピュイアを積めるが、ここはメティオンの研究所も兼ねているため、その為のチームや護衛や小間使用の戦闘班も纏めて乗せているのでその数で収まっている。


(これでどうにか『I.R計画』には間に合う。後は量産の準備をしなければな)


 2年後に控えたJUDAS全体の計画は、世界の命運を背負っている。


 そこまで高くはないが、それでもメティオンにもJUDAS枢機卿としての誇りはある。何も用意できませんでしたでは、流石に目を掛けてくれた教皇に合わせる顔がない。だが、これで最低限の目標は達成した。後はデータ取りに勤しみ、不具合バグの修正作業を行いながら来る日に備えて量産を重ねるだけだ。


(そうだ、姫にまだ余裕がありそうならアレの復元と試験もしてみるか。以前のペーパープランを流用すれば、上手くいくかもしれん。いずれ、私自身にも戦う力が必要だろうからな………)


 今回の件で良く分かったのは、メティオンは単純戦闘に関してあまりにも無力だということ。


 元々研究畑の人間なのだから当然なのであるが、手足として使うべきシュガール部下相手に無法を止めることすら叶わないのは、少々よろしくない。謀略や策略をメインに立ち回る彼にとって、シュガールのようなタイプは何かとイレギュラーを引き込みやすく、その一つの切っ掛けイレギュラーが全体の瓦解へと繋がることになる。


 結局の所、脳筋を制御するためには言葉を尽くすより自らも相手を認めさせる力を備える必要があるのだ。


「さて、ではまずは横須賀を制圧してみようか」


 幾つかの自己強化プランを脳裏で練りつつ、まずはこの試験で有用なデータを取るために、メティオンはハルピュイア達に命令を飛ばした。

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