第五十三章 東雲の出撃・後編

「だからそれはそちらの都合だろう!?」

「では貴様らの責任でやれると言うのか!?」

「責任を取るのが貴様の仕事だろうが!!」

「口だけ達者な若造が!!」


 圏庁、多目的ホールにておよそ政治に携わる者としては品位に欠ける罵声が飛び交う。


 年寄りが年寄りを罵倒し、数年若いか老けているかだけで罵り合っているのだから、最早子供の口喧嘩と変わりない。いや、見た目の可愛げがあるだけ子供の方が幾分かマシだ、と西泉寛二にしずみかんじは辟易していた。それは他の若手の政治家達も同様であった。


 時刻は既に明け方。ブラインドの隙間から見える窓の外に視線を向ければ、空も白みが赤へと変わり始めている。既に5時間以上この調子だ。今この間にも最前線は独自判断で最善の行動を取って、しかし及ばずに命を散らしているだろう。その結果、民間人にも夥しい被害が出ているはずだ。


 決して兵士達が無能なのではない。だが、手足が独自判断で行動しても、統括する脳が反応できなければ全体の整合性が取れない。兵士は戦うことが仕事であるならば、政治家はそれを支え、より効率良く戦いやすい環境を整えるのが仕事だ。


 例えば物資等々の兵站。例えば戦況情報を起点とした戦略構築。例えば避難民の誘導、シェルター収容を行政が兵士達の代わりに行い負荷の軽減を図る。


 戦うこと以外にも、やること、やるべきこと、やらなければならないことは幾らでもある。


 何にでもそうであるが、特に図体の大きな組織程に初動が物を言う。組織系統が複雑になればなるほどに関わる人数が増え、命令系統が幾重にも増えて混乱が生まれる。だからこそ大きな組織は動きが鈍重で、それ故に一度動き始めたら中々止まれない。逆を言えば、動き出しが遅ければ、最も効力を発揮するべき時に間に合わないのだ。


 現状に関して言えば、既に手遅れである。


(責任だなんだと賢しげな事を言ってはいるが、貴様らの責任はその命で払え)


 冷徹な瞳で、西泉は醜態を晒す老人達を見据えた。


 既に西泉の兄―――参院議員の西泉義一にしずみよしかずが動いている。そろそろ周囲の根回しも完了するようで、首相が国家非常事態宣言を発令して圏議会を武力制圧し政府が主導権を取る。その際、抵抗されたため止む無く発砲、運悪く射殺してしまったという筋書きが既に出来ている。


 誤解や曲解を恐れずに言えば、内向きの簒奪クーデターだ。


 一歩間違えば自治権の侵害―――取りも直さず与党による独裁だと誹りを免れないが、それを回避するために西泉はこの醜態を録画している。無事にこの難局を乗り切れば、その映像をバラ撒くつもりだ。この危機的状況下で内ゲバやっているようなボンクラ爺共を擁護するような人間は現れないだろう。現れたとしてもガソリン被ったまま火中の栗を拾いに行って、そのまま焼身自殺するようなものだ。放っておけば自然と消えて消し炭ごと土に還る。


 しかしその余命のカウントダウンが始まった所で、一つの風が吹くことになる。


 バチン、とホールの照明が落ちたのである。


「何だ………?」


 ざわつくホールの中で、西泉も怪訝な表情をした。武力制圧にしては予定より随分早い。それにやるとしても、対テロ戦ではないのだ。まして老人達も非武装なのだから敵味方識別の為に、照明は落とさないはず。


『お話を聞く用意は出来た?』


 甲高いエフェクトの掛かった電子合成音声と共に、ホールの中央にホログラフィが表示される。小柄な人影―――しかし、断じてそれは人間ではなかった。金属で形成された少女、より正確に言うのならば電子甲冑に身を纏った少女の投影映像だった。


「き、君は誰だね?」


 議会員の一人が尋ねると、鋼の少女は優美なカーテシーを一つ。


『初めまして。政治家のおじさん達。わたしは「小さな羊飼いリトル・シェパード」だよ。今ちょっと、ここ圏庁のデータサーバーにお邪魔してるの』


 セキュリティはどうなってるんだ!と悲鳴のような疑問が幾重にもなって少女に投げかけられるが、彼女は金属の容貌だというのに煩わしそうな表情を見せて、小さく吐息を一つ。


『一度に話さないで。お話に時間を掛けている余裕はあんまりないの。そもそも、あんな紙装甲でセキュリティとかお笑い草。名持ちの情報統制官ホット・ドガーなら簡単に抜けると思う。と言うか、既に抜かれた痕跡ログは幾つかあったよ』


 その段になって、西泉の脳裏に幾つかの情報が蘇る。


(『小さな羊飼い』―――?確か、南米を拠点にするARCS社が、そんな名持ちの情報統制官を擁していたな)


 電脳界ネットに於いて距離は関係ないとは言え、何故にそんな所からわざわざ極東くんだりにまでやってきたのか西泉が疑問に思っていると、『小さな羊飼い』は本題を切り出した。


『早急に議会を纏めて全軍を動かして?おじさん達がグダグダしているから、現場の人達も動くに動けないの。一部独断専行しているけれど、それだけじゃこの難局を超えられないよ』


 彼女はそこで言葉を切ると手にした羊飼いの杖を掲げる。するとドローン経由だろうか、戦場―――それも最前線各地の様子が映像で投影された。


 足を引きずりながら、気を失った仲間に肩を貸す傷だらけの兵士がいた。―――仲間の屍を、涙を堪えて踏み越えながら。


 右手と上半身の装甲を失いながら、残った左手で重機関砲を消却者に向ける機械化歩兵がいた。―――僚機の仇を見据えながら。


 疲労を色濃く表情に出しながら、霊装を掲げて異能を行使する適合者達がいた。―――その銃後に民間人を背負いながら。


 船体を3分の1程失いながら、大破着底しても尚、対空砲火を止めない戦艦があった。―――艦橋を失い、指示系統がなくとも銃座に座って。


 無限軌道を破壊され、砲塔だけになっても固定砲台となっている戦車部隊があった。―――遂に弾薬が切れ、しかし身につけた携行火器に手を伸ばしながら。


 弾切れになり、それでも飛行型消却者に追われて、一匹でも多く囮となって惹きつけている戦闘機があった。―――一機一殺と言わんばかりにその翼が砕けるまで体当たりを繰り返して。


 誰も彼もが満身創痍であった。議会が踊っている間に、少し離れた戦場では多くの兵士達が死の舞踊を踊っていた。自らの命を賭し、それでも一つとして自らの有り様を見失わずに。


『みんな、死んじゃうよ?』


 『小さな羊飼い』の言葉に、老人達はたじろぎ、若手の政治家達は沈痛な面持ちをする。この状況は、この地獄は、お前らが作り出したのだと糾弾されているようだった。


 否、事実そうだ。


 もっと早くに緊急事態宣言を出し、即座に戦線を構築、避難民の誘導、兵站の確立―――動き出しが早ければ早いほど、彼等はもっと楽に戦えたはずだ。もっと被害を抑えられたはずだ。それを現場の、生の情報で突きつけられ、彼等は狼狽していた。


 だが、愚物というのは何処にでもいるものだ。不思議なことに、そういう人間に限って妙な権力を持っていたりする。


「小娘が!選挙前の今がどれ程大事な時期だと―――!」


 統境圏議会圏知事―――早川泉はやかわいずみである。


 彼は口角から泡を飛ばしながら『小さな羊飼い』を睨んで叫んでいた。しかし彼女にとって、その老人は小五月蝿い蝿のようなものだ。


『あのね、わたしはお願いしているの。。本当ならもっと手っ取り早い方法もあるけれど、おじさん達にもメンツや役割があるだろうから、穏便に、それでもなるべく早く次のタスクに移行したいの』

「煩い!儂が、どれほどの時間と労力を掛けて今の立場を勝ち取ったと思ってる!!」

『そう。あくまで協力しないのなら、もう手っ取り早い方法を使うね。―――これを見て』


 だから、黙らせるならば殺虫剤でもぶっ掛ければ良いとばかりに彼女は羊飼いの杖を一振りした。


「こ、これは………」

『彼のナポレオンは言いました。「真に恐るべきは有能な敵より無能な味方である」と。国家の危急にあっていつまでも足の引っ張り合いをしているのなら、もう無能な味方でしょう?なら必要ないよね?いっぺん社会的に死んでみる?引導なら、今からでも渡してあげる』


 投影された映像に映し出されたのは、不祥事スキャンダルの数々だ。


 汚職、外患誘致、裏金、癒着、公金私的利用、立場を利用した恫喝、ハニートラップ、未成年への淫行等々―――出てくるわ出てくるわ、錆の数々。


 無論、早川だけではなく、他の議員達のものも散見される。それを見て、身奇麗な議員達は汚職議員達を軽蔑の眼差しで睨みつけ―――特に先程まで口汚く罵っていた年寄り達は今や完全に沈黙していた。流石に掌返しは年季が入っている。


 この数々の情報、元々は対無貌戦を行う際に政治方面から工作するために集めていたものだ。おそらくは統境圏に少なくない被害を齎す無貌との戦いに於いて、正規兵や圏警に邪魔されないよう指揮系統を混乱させるための仕込みであった。


 飛崎が使って良いと許可した仕掛けの一部である。公的機関を黙らせるには、頭を押さえつけるのが一番早くて楽だからだ。実際、頭が機能していない現状が今前線で起きている地獄なのだから、理に適っていると言える。


『都合が悪くなると結局ダンマリするのなら、最初から騒がないで欲しいな。―――時間の無駄だから』


 金属の容貌だというのに、ゴミを見る目であることを感じれる程に感情豊かな表情を見せた後、『小さな羊飼い』は一人の若手の政治家を見据えた。


『おじさんが良いな。働いてはいるけれど、お金目当ての汚職の類はしていないし。西泉寛二さん、あなたが纏めて?』


 西泉である。何がお眼鏡に適ったかは不明だが、ここでのまとめ役をやれとご指名してきた。


「それは光栄だが―――君はどうしてこの国にそこまでしてくれるのかね?確か君は、南米はARCS社の子飼いだろう?」

『ちょっと前まではね。今は別の所に身を寄せてるの。さて、質問の答えだけれど―――さっきね、家族になったばかりの子をね、殺されたの』

「それは」


 それを僥倖だと考えつつも、会話を重ねていると『小さな羊飼い』の声のトーンが落ちた。電子的合成音声でマスクされているというのにも関わらず、それが酷く苦く、それでいて火傷しそうな程の熱量怒りであることを感じることが西泉にも出来た。


『だからわたし、「小さな羊飼い」はJUDASに対して復讐します。JUDASのあらゆる企みを、あらゆる計画を、あらゆる目的を、徹頭徹尾、邪魔します。潰します。壊します。わたしの出来ることはそう多くないけれど、可能な限り派手にやり、見せしめろとマスターのお言葉もいただきました』

「マスター?君は誰かに仕えているのかね」

『申し遅れました。わたしは「小さな羊飼い」。アローレイン麾下の情報統制官メイドです』

「―――アローレインの………?」


 傭兵団アローレイン。


 単純な軍事力に限って言えば、一国にも匹敵すると言われている謎の勢力、箱庭が擁するフロント民間軍事会社PMC。彼女はそこの所属だという。


『うん。JUDASはわたし達の逆鱗に触れました。今、アローレインは主より参戦を承認されて、出撃準備中です』

「いつ頃来る?」

『4時間以内に』


 速い、と西泉は思う。


 箱庭の拠点が何処かは知らないが、仮に国外だとして最遠で統境圏から1700km以上。それを4時間で来るという。あるいは、既にこれを見越して予め領海内に潜伏していたのかもしれないが、それだとしても日本国の探知外に隠れていたということだ。


 いずれにしても決して侮れる相手ではない。


「な、内政干渉だ!そもそも傭兵風情が―――!」

『えい』


 それを弁えない早川が声を上げるが、『小さな羊飼い』の可愛らしい声と共に映像に文字が踊った。


「―――なぁっ………!?」


 早川泉の情報を流出させました、とインターフェイスが分かりやすく仕事完了の通知をし、その先の未来を予見した早川は言葉を失って膝を折った。


 『小さな羊飼い』が他の汚職議員達を睥睨すると、彼等は顔を青ざめる。今更ながらに気づいたのだ。自分達の生殺与奪権は既にこの鋼の少女が握っていて、それを行使することに一切の躊躇いがないということに。


『この局面から先、お馬鹿さんはいりません。警告を無視したあなたはもう不要なので社会的に抹殺です。二度と政界に帰って来れると思わないで。一族郎党―――一生お外出歩けないぐらい、追い詰めるから』


 見せしめだろうが、割りとえげつないと西泉は思った。


 日本は昔から狭い。国土的な話では意外と広いのだが、生活可能な平野部が限られていて、まして現代では消却者の驚異から身を護るために圏障壁という壁に囲われているのだ。結果として、人々は生まれた土地に土着することが多く、他圏に移り住むことはそれほど多くない。


 となると当然、横の繋がりが強くなる。それは政治家達にとって極めて重要な票田となり、詰まる所政治家としてやっていくための武器となる。しかし、その武器を―――票田を裏切ることがあれば、それは即座に諸刃の剣へと変わり、持ち主に牙を剥く。


 即ち、汚職情報を流された早川は―――今のこの緊急事態が落ち着いた後で非難の的になる。その後など、想像しなくとも予想がつくだろう。まず間違いなく、統境圏にはいられなくなる。だが、他圏への伝手はそれほどないだろうし、仮にあったとしてもこうまでケチの付いた彼を再び政へと押し上げる勢力はいない。無論、彼だけではなく、彼の家族も含めて。


 これなら、武力制圧されて不運の事故死とされた方がまだ本人や遺族の名誉は保たれただろう。この電子の少女は、早川泉という老人が持ち得た権力を一切合財を刈り取ったのだ。


「意外と容赦がないな」

『優しさと甘さは別。それに、そんな生温い対応でこの状況を乗り切れると思う?小学生のわたしでもそんなこと言っている場合じゃないのが分かるのに』

「小学生なのかい?」

『普段は義務教育してるのよ?』

「ならば君が再び勉強できる環境に戻さねばな」

『うん。わたしもそうしたいから、お手伝いするね』

「頼めるかね?」

『たくさん遊んでたくさん学んで、時々大人のお手伝いする―――それが子供の美学よ?』


 初めて見せた柔らかな表情に、西泉も珍しく鉄面皮を崩して苦笑。


「よい考え方だ。君は既に淑女レディのようだから、今後はそう扱わせてもらうよ」

『子供だからって見下さないなんていい大人ね、おじさん。ちゃんとお手伝いするから、頼ってね?』


 こうして、統境圏議会はようやく正常に機能し始めることになる。




 ●




 広大な乾ドックから人の気配が消え、全ての隔壁が降りた。


 そのドック中央に鎮座する戦艦の艦橋で、乗組員達は静かな熱気を帯びていた。薄暗がりでも分かるほど乗組員達は皆一様に若く、本来ならば今もまだ見習いか、尻の殻が取れた具合の者達ばかりだ。先のキューバ解放作戦に従事したのがベテラン勢ばかりだったので、それを抜かすとこうした編成になってしまったのである。


 そしてそれを統括する代理艦長―――マリアベル・サザンクロスも普段はウェイブの副官という立ち位置であった。正式に後釜としてウェイブに名指しされてはいるものの、それはもう少し年数がいってからだと思っていたのだ。彼女もまだ23―――ウェイブからすれば小娘も良い所だったであろうに、彼は躊躇いもなく箱庭の旗艦であるノアを託した。


 その期待に応えようとしているのは、彼女だけではない。このノアに乗り込んでいる全員が、それぞれの師から持場を託されているのだ。故にこそ、この熱気があった。気負っているなぁ、とマリアベルは苦笑しつつだがそれも悪くないと考える。緊張し過ぎは問題だが、しなさすぎも問題だ。まして諸先輩に託されたとあらば、無事に生きて帰ってこそ恩を返せるというもの。


 だからマリアベルは、艦長席に備え付けられたマイクに向けてこう告げた。


「―――じゃぁみんな、ちょっと日本まで行こうか」


 艦橋では、皆がこちらを振り返って頷いている。きっと機関室や格納庫でも同じ反応であろう。


「補助エンジンスタート、ドック注水開始」

「補助エンジンスタートします」

「ドック注水開始。―――満水まで約180秒」


 マリアベルが指示を出すと、すぐさま復唱が返ってくる。


 通常内燃ディーゼル機関が生み出す補助動力から得られた電力を利用し、非常電源から切り替わって艦内に光が灯る。インジケーターに命が吹き込まれたかのようにメーターが上下に作動オープニング・セレモニーし、正常値へと移る。


 一方、艦外では乾ドックに海水が注入され、洞窟から海中へと変わっていく。


点火領域イグニッションレベル到達」


 オペレーターの報告に頷き、マリアベルは次の指示を出す。


「イグニッション回路接続―――RE機関、起動」

「イグニッション回路接続開始―――完了。RE機関、起動します」


 内燃機関が生み出した大電力を用いて、改良型大型霊素粒子機関リヴィジョン・エーテル・エンジンに火入れを行う。


 回路が接続された次元穿孔管が励起し、チャンバー内で次元に穴を開ける。そこから霊素粒子が噴出し、機関内の圧力を上げてクランクシャフトを回し始めた。


「RE機関、起動確認」

「ドック注水完了」


 霊素粒子機関の起動が完了する頃、艦外の海水は艦橋を超えて天井にまで達し、ノアは完全に水没していた。だがこれでいい。そもそも飛空戦艦は水両用だ。何も問題はない。


「ガントリーロック解除、フラクタルシャフトへ接続」

「了解、ガントリーロック解除します」

「了解、フラクタルシャフト接続します―――多次元遊星歯車ディメンション・プラネット・ギア、回転開始」


 次なる指示をマリアベルが出すと、ノアを支えていたガントリーが解除され、海中に浮く。機関内部ではピニオンギアがリングギアを回し始め、軽始動してからフラクタルシャフトが引き継いで回転を始める。サンギアが唸りを上げ、リングギアが鼓動を刻み、そしてそこに繋がった多重に張り巡らされた遊星歯車プラネット・ギアが回転を始める。


「超電導フライホイール起動」

「超電導フライホイール起動―――パワーレベル、安全域グリーン


 問題なくアイドリングへと移行したノアは、しかし回転駆動の影響で右に少し傾いた。だが、マリアベルは慌てること無く指示を出す。大型霊素粒子機関を搭載していて、まして海中始動を行えばよくあることだ。


「―――ピッチ仰角0.17」

「ジャイロ始動、修正開始」

「修正―――完了しました」


 すぐに修正作業を行い、傾きが直る。出力と姿勢が安定した所で次のタスクへと移った。


隔壁ハッチ開放、微速前進0.5」

「搬出隔壁ハッチ、開放します」

「微速前進0.5、ヨーソロー」


 ノアの正面の隔壁が開放され、道代わりの誘導灯が灯る。そこを推進装置を吹かしてゆっくりと進んでいく。


 まるで鍾乳洞のような道を暫く進むと、広い暗がりへと出た。上を見上げれば、朝日を受けてキラキラと光る海面が見えた。


「アップ30度、海面浮上と同時に最大巡航戦速へ」

「アップ30度、了解。海面まで後10秒」

「機関出力80%。最大巡航戦速、何時でもいけます」


 海中をぐんぐんと加速していき、やがてノアは海面を船首から突き破るようにして海上へと出た。水しぶきを瀑布のように吹き散らし、鋼鉄の巨体が天空を突かんとそそり立つ。それだけでは収まらず、推進装置ブースターを吹かして更に加速、上昇を続けていく。


「上昇角40度、異常無し」

「最大巡航戦速に移行」

「上空300m到達後、進路北北西へ。目標―――日本国」


 そして遂に目標高度に達したノアは、進路を定めて最大巡航戦速―――時速700kmで日本を目指し始めた。


「―――はぁぁあぁああ………どこにもぶつけないでちゃんと発進できた………」

「お疲れ様、マリア」


 それを見届けて、マリアベルが艦長席からずり落ちるように胸を撫で下ろしていると、横合いから声を掛けられた。聞き知った声にぎょっとして振り返れば、マリアベルと同じようにメイド服を着込んだ、長い銀髪にキツネ目の美女がそこにいた。因みに、船帽を被っておらず、通常のメイドキャップであることから船員でないことが分かる。


「あれ?サニーちゃんなんでいるの?キューバ組でしょ?」

「実は一度やってみたかったの―――命令違反」


 そのメイド―――サニーベル・シルヴァリーは喉を鳴らしながら平然とそんな事を宣うと、艦橋の外へと視線を向けていた。


(何だかドラマチックな再会になりそうよ。ねぇ、エリカ様?)


 東雲に目を細めながら、銀の狐は楽しそうに笑っていた。

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