第四十九章 風を待つ者達

 圏障壁の消失に始まった混乱は、最早それだけに留まらなかった。


 電力流通を制御する中央給電指令所がストップ、上下水道の圧送ポンプを統括する監視制御システム不全、交通管制センターの制御システムが応答不能。現段階でもこれだけ問題が出てきているが、アナムネーシスが統括制御しているインフラ分野はまだまだある。鉄道のように夜間の本数が極めて少ないのならば、そこまで影響は今のところ出ていないが、これから明け方に向かって徐々に、そして極めて甚大な被害が予見される。


 だからこそ、アナムネーシス保全管制室は恐慌状態にあった。


「一体どうなっている!?」

「アナムネーシスの中枢が乗っ取られています!こちらからのアクセスを全く受け付けません!!」

「保守警備していた情報統制官はどうした!?24時間体制のはずだろう!?」


 悲鳴のような室長の叫びに、オペレーターは情報統制官のバイタルパターンを見て、蒼白になりながら告げた。


「その、全員、脳死ラインアウトしています………」

「何だと………!?」




 ●




 矢継ぎ早に来るアクセスを、全て拒否するようにシスに指示をしたブラフマンは喉を鳴らして口角を上げる。


「無ー駄だっての。―――ここに俺ちゃんがいる限りはなぁ」


 さぁて次は何処を混乱させようか、と悪辣な笑みを浮かべながら彼はこの状況を楽しんでいた。


 


 ●



「―――こりゃ、駄目だな」


 同じ頃、電脳界ネットの接続を切って鉄棺ネットカプセルから起き上がったLAKIは、顎を擦った。


(さて、どうするか………)


 現状は考えられる中で最悪に近い。


 消却者の大規模発生。皇竜もダース単位で出現。頼みの綱の圏障壁も制御を乗っ取られて機能不全。更には圏域内部ではインフラ関係が徐々にではあるが狂い始め、挙句の果てに小規模ながらJUDASによる多発テロまで起こっているらしい。


 この状況を打開するために、LAKIは考えを巡らせてみる。幾つか案はあるが、まずは緊急事態宣言で戦える人を集めること。そしてアナムネーシスの奪還だ。そこさえ抑えてしまえば、後はどうにかなると彼は考えた。


 だが。


(年寄り共が揉めてるんだよなぁ………)


 この期に及んで責任の押し付け合いを、指示を出す側が行って時間を浪費しているのだから始末に負えない。痺れを切らした現場の人間が処罰覚悟で独断専行しているが、もしもしていなければもっと被害が拡大しているだろう。


「どうするの?いっくん」


 打てる手を幾つか考えていると、横合いから声を掛けられた。同居人のフィーネだ。いつの間にか部屋に入り込んでいたらしい。


「フィーネ。一応、トンズラする用意をしておけ」

「逃げるの?」

「そうだな。多分、そうなる。面倒だが―――」


 そう言いかけ、フィーネが遮るように首を横に振った。


「いっくん。嘘はダメだよ」

「―――俺は、嘘はついてない」

「でも、本当のことも言ってないよね?」


 その尋ねに、LAKIは大きなため息をつく。


 情報統制官、そしてその中でも超一流ホットドガーに分類される彼はこの状況をどうにかする道筋はある程度付けていた。だが、それを自分がする義理はないと思っているし、何よりも目の前の女を巻き込みたくないと思っていた。


 だからこそ、逃げる選択肢を選ぼうとしているのだ。


「………この混乱の原因は統境圏のアナムネーシスがハックされているからだ。仕掛けたバカをどうにかすれば、自体が好転するきっかけにはなる。少なくとも、障壁は復活できるはずだ」

「うん」

「だけど、アナムネーシスの―――特に管理AIシスが乗っ取られて敵に回っている以上、俺一人じゃ手に余る」

「うん」

「俺は―――俺は、お前にもう電脳界ネットに関わって欲しくない」

「うん」

「表舞台に立たせたくないし、その可能性は極力減らしたい」

「うん」

「お前の正体が、スワンプマン計画のだと知られたら………いや、アルベルト・A・ノインリヒカイトのだと周囲に知れたら、政府さえ奪いに来るかもしれない」

「うん」

「折角掴んだ平和なんだ。ひっそり暮らしていくだけの金もある。もう俺一人の稼ぎでお前を養っても行ける。もうこれ以上、お前の力を使う必要は―――」

「違うよね」


 続けようとした言葉は、フィーネによって遮られる。


 すっと手を伸ばした彼女は、LAKIの両頬を包み込むようにして触れてじっとその瞳を覗き込んだ。それがどうにも居心地が悪くて、LAKIは視線をそらした。そんな彼を諭すように彼女は続ける。


「ねぇ、いっくん。私を理由に、自分を偽るのはやめて」

「別に、偽ってなんか………」

「灰村さんとか、私達がこの三年間お世話になった人達を、いっくんが切り捨てられるの?」


 切り捨てられる、と口にしようとして、しかしLAKIは口を噤んだ。その代わりに出てくるのは、言い訳のような単語の羅列だ。


「だが、俺は、お前の………」

「ねぇ、いっくん。私は優しいいっくんが好きよ。そんな貴方が居てくれたから、私はリアル現実に帰ってこれたのだから」


 フィーネ・アーディという女は、本来この世に存在しない人間だ。


 アルベルト・A・ノインリヒカイトの一人娘は、小児がんを患っていて、それが全身に転移していたため余命1年と診断されていた。それを不憫に思った父親がエイドス・オリジナルに遺伝情報から記憶、バイタルパターンに到るまで残さず転写コンバート。肉体的には死んだ彼女は、しかし情報的にはエイドスの仮想世界の中で生きていた。


 だからこそ、全身生体義体レプリカントに全ての情報を再転写エクスポートすることによって現実に帰ってきたのだ。


 故に、彼女は今までの名前を捨てて、終わりの貴婦人フィーネ・アーディを名乗った。その手助けをしたのが、LAKIだ。彼女との付き合いは、そこからになる。


「だからね、私はいっくんの重荷になりたくないの。貴方が、優しい貴方らしく振る舞うのに私が邪魔だというのなら、私は私の命を捨てます。貴方に助けられた命で、貴方を縛りたくはないもの」

「冗談でもそんな事を言うなっ………!」

「言わせたくないのなら、もっと我儘を言って?私を頼って?私の能力を使い倒して?」


 LAKIを抱き寄せた彼女は、その耳元でこう囁く。


「お姉ちゃんに、任せなさい」

「半年も違わねーだろ、誕生日」


 それを引き剥がしながら、LAKIは鼻を鳴らす。そっぽを向く彼の頬は若干赤く、それを見てフィーネはくすくすと品よく笑った。


 LAKIはそれには反応せず、これから先の方針を打ち出す。


「―――議会が纏まれば、多分、いつものように斎藤議員から接触してくるはずだ。統境圏議会からの依頼が来れば、大手を振って無茶を出来る。お前のことも、企業秘密で押し通す」

「もし纏まらなかったら?」


 決まってる、とLAKIは笑った。


「お前を連れて逃げる。まぁ、道中で義理のある連中の手助けぐらいはするが、俺達の安全が最優先だ。―――これだけは、例えお前が相手でも絶対譲らない」

「うん。分かったよ、いっくん。―――頑張ろうね」

「おい、まだ依頼が来ると決まったわけじゃないぞ」

「きっと来るよ。あのおじさん、気弱だけど持ってる人だから」

「それは演算結果か?」

「ううん。勘」

「そっかー………」


 こいつの勘は無駄によく当たるんだよなー、とLAKIは天を仰いだ。




 ●




 統境圏は現在の日本の首都圏である。


 それ故に、日本政府の中枢施設が多数存在しており、国策にしても外交にしてもここがその中心である。では、その治安維持や行政は日本政府が行うのかというとそうではなく、統境圏には統境圏の自治が認められており、その内訳には対消却者戦も含まれる。


 現在、統境圏を始め主要都市圏を取り囲む事態は既に国家非常事態レベルなのであるが、法律上統境圏議会の意向を無視して日本政府が介入、独走することも出来ない。


 その為、この新宿にそびえ立つ圏庁の一角―――多目的ホールにて統境圏議会の主要メンバーが夜中にも関わらず緊急招集されていた。


 その雰囲気は険悪かつ非常にピリピリとしたものだった。議論や激論を交わすというよりは、悪態や罵倒に近いもので、これを圏民に中継したらきっと来期の席はないなと思うほどだった。


(どうしたものか………)


 議席の後方で、斎藤一馬さいとうかずまは太い眉の間を指で揉みながら胸中で吐息した。今年で42を迎える彼は、政治家としてはまだ若手の部類だ。発言権が無い訳では無いが、年寄り共の醜い責任の擦り付け合いに混ざる気は毛頭なかったし、混ざればいらぬ火の粉が降りかかることだろう。


 緊急招集が掛かって既に3時間程経過している。皇竜の出現時にはまだ招集命令は来ていなかった。確かに皇竜は脅威度が高く、戦場で出会ったならば酷い犠牲を覚悟しなければならない存在だ。しかし、圏障壁がある状況ならば、犠牲は出るだろうが予想内に収まる程度であった。


 だが、その皇竜が12体出現した一報が入り、更には圏障壁の解除という悪夢のような展開に現場は勿論、圏議会も混乱せざるを得なかった。


 即座に緊急事態宣言を出すべきだ、と言う声が大勢だった。だが、圏知事の早川泉が待ったをかけた。色々と言い訳という名の持論を展開していたが、要は責任を取りたくないようだった。確かにここで即座に民間人も巻き込んだ軍事行動を許容すると、最近になってようやく下火になってきた9.25事件が再燃しかねない。そしてそれを許可した圏知事は間違いなく最初にバッシングされることだろう。


 とは言え、だ。


(責任を取るのが責任者の役目だろうに)


 嫌なら何処ぞでも行って人足でもやっていれば良いのだ。尤も、民間の『み』の字も知らない杓子定規な人間が天下ったところで何の役にも立たないどころか、むしろ煙たがられるだけだろうが。


(さて、どうしたもんかな………)


 斎藤にはこの状況を切り抜けるためのプランは幾つかあった。元々は軍属上がりだから、相応のツテもあるし、戦場で命をかけている彼等が戦いやすいように様々なフォローや調整、折衝まで考えついたものは1つや2つではない。


 だが、今ここで挙手をして開陳したところで、この老人達は耳を貸しはしないだろう。


(それに嫌だしなぁ………早川派に睨まれるのは)


 何だかんだと統境圏議会の最大勢力だ。派閥違いの斎藤が目をつけられれば、色々と厄介な目に合うのは必定。自分一人ならまだしも、おそらくは斎藤が所属している派閥も巻き込むだろう。それは少々頂けない。


(何か一つ。何か一つ動きがあれば乗っかって動き出すんだけど、って思っているのは僕だけじゃないみたいだね)


 故に、こういう時は連合を組むのが常道だ。一人よりも二人、二人よりも三人、実に民主的だねと斎藤が周囲を見回すと、一人の男と目が合った。切れ長の目が特徴的な、中年男性。確か歳は斎藤よりも少し下の39歳。


 名を、西泉寛二にしずみかんじと言った。


(西泉議員か。ちょっと人間味が無くて苦手なんだけど………)


 ニコリともしない鉄面皮に、汗1つ掻かないんじゃないかと思うほどに冷静な言動。人間というかサイボーグじゃないかなこの人、というのが斎藤の第一印象だ。西泉も何か言いたげな表情をしているが、今は沈黙して老人達の罵り合いを眺めている。


 どうも彼も、斎藤と同じように時期を待っているようだ。


(起こらんもんかね、年寄り共を押し付けられるような風)


 現場は今も血を流しているというのに、未だに進まない会議を斎藤は呆れたように俯瞰していた。




 ●




 目覚めは酷く気怠いものだった。


 重い瞼をどうにか気力で抉じ開けると、見覚えのない白い天井。背中と後頭部の感触から自分がベッドに寝かされているのだと推察は出来たが、それ以上は分からない。


「ここは………?」

「よぉ、目が覚めたか?」


 だからリリィ・シーバーはその疑問を口にし、その寝起きの声に誰かが反応した。視線を横に向けてみると、椅子に腰掛けた飛崎がいた。手にはPITを持っていて、何かしらの操作をしている。


 何でこの男レディの寝室に堂々といるんですの?とジト目を送りながら、今更ながら周回遅れになっていた寝起きの思考がリアルタイムに追いつき始めた。


 ここは何処なのか。―――不明だが、飛崎がいることから彼に関連した場所なのだろう。


 そもそも何故自分はここにいるのか。―――不明だが、意識を失っていたからだ。


 何故意識を失っていたのか。―――JUDASの襲撃を受けたからだ。


「―――!?エリカ様はっ………!?っ―――!」


 現状把握はまだであるものの、その原因には行き着いたリリィがバネ仕掛けのような勢いで上体を起こし、しかし直後に左肩に走った激痛で行動を阻害された。右手で左肩を押さえて痛みを堪えるリリィを、飛崎は呆れたように眺めて声を掛ける。


「落ち着けって。手当はしたが、左肩撃ち抜かれてんだぞ」

「私の怪我はどうでもいいですわ!それよりもエリカ様が!」

「落ち着けっての」

「あいたー!?」


 取り乱して叫ぶリリィに、飛崎は彼女の額にデコピンを叩き込んだ。結構な威力があったのか、思わずリリィが額を抑えてベッドに倒れ込むぐらいだった。


「容赦とかありませんのこの男………!」

「喧しい。優しくして欲しいとか甘くして欲しいとか舐めたこと言うならそれに見合った女になってからにしろ。そもそも惚れてもねぇ女に無駄に優しくするほど暇な人間でもねーよ、儂は」


 右手で額を抑え若干涙目になるリリィに、しかし飛崎は呆れたように鼻を鳴らしながら、手にしていたPITを懐に仕舞った。


「さて、まずはどっから説明すっかな………」


 その上で腕を組み、しばし言葉に迷った後で、リリィに言葉を投げかけた。


「お前さん達が儂の家を出た後、何をしに行くかはエリカに聞いたか?」

「いえ、エリカ様は寄るところがあるとだけ………」

「そうかい。エリカはな、アローレインと契約を結びに行くつもりだったんだよ」

「アローレインと………?」


 唐突に出た傭兵団の名前に、リリィは眉を顰める。


「この間の襲撃で流石に日和ったらしくてな。お前さんと、後は班長を連れて日本国外に逃亡するつもりだったんだ」

「え―――?」


 告げられた飛崎の言葉に、リリィは言葉を詰めた。


 航空祭での襲撃後、確かにエリカは何かを考えている様子だったが、まさかそこまで計画していたとは思いもしなかった。


 最も近くにいたリリィにすら相談することもなかったということは、おそらく護衛総出で反対されることを予期していたのだろう。開陳するにも直前で、もう止まれない状況になってから巻き込む形で実行するつもりだったはずだ。


「いえ、仮にそうだとしても何故それを貴方が?」

「アローレインの母体となってる箱庭。そこの所有者オーナーが儂だから」

「―――は?」

「別に隠しているつもりじゃなかったが、喧伝するつもりもなくてな。だから知らんやつは知らんし、知ってるやつは知ってる。エリカは自力で気づいたが」


 ふと疑問に思って尋ねてみると、飛崎はしれっとそんな事実を口にして、リリィは絶句した。


「で、その契約を結ぶつもりだったんだが―――その途中で襲撃を受けたってわけだ。大変だったぞ。シンシアが泣きながら通信してきてな。パニックになってたから何を言ってるかよく分からんくて。どうにか読み解いて意識を失った班長とお前さんを回収して、ここに運び込んで治療してと」

「あの、アズライトとアズレインは………?」

「死んだ」

「え………?」


 端的に告げられた事実に、一瞬、リリィは言葉の意味を見失った。


 死んだ。アズライトとアズレインが。


 あの瞬間。高架が崩壊し、それに巻き込まれたリリィは激痛に意識が朦朧としながらも状況を認識していた。落下する皆を救うために新見が祝詞を口にし、あの二匹が動いたことを。アズレインはシンシアを護るように落下していき、アズライトは瓦礫の1つに体当たりをしていた。その意味は今になってこそ分かる。おそらくあの瓦礫が、新見が作り出した金属のスロープの先に落下するところだったのだろう。だからこそ今、自分達は生き残っている。


 代わりに、彼等は落下時にまともに着地など出来ず、そのまま転落死したという。


「一応遺体は回収してある。そこまで損傷はしてないし、綺麗に血も洗ったから、眠ってるようには見えるよ。後で墓でも作ってやらんとな」

「そういう、そういうことではなくて………!」


 淡々と告げる飛崎の胸元に掴みかかるように手を伸ばしたリリィは、瞳を濡らしながら絞り出すように呟いた。


「死んだって………」

「馬鹿を言うなよリリィ・シーバー。テロリスト相手に無傷で犠牲も出ないとか、そりゃフィクションだけだぞ」


 しかしそんな彼女を突き放すように、飛崎は口を開く。


「今まで誰にも言われたことはなかったかよ。互いに武器を持って戦うってのはな、即ち殺し合うってことだ。スポーツじゃねぇ。命のやり取りだ。殺すこともあれば、殺されることだってある。それを嫌だとか野蛮だとか否定するのは良いが、人間が個々人である限り争いってのはどうやっても避けられない。口で収まる程度の争いなら良いが、互いに主義主張が平行線のままなら、最終的にぶつかるのは必定だろうよ。そして相手がやると決めてるならもう避けようもないし、ぶつかったのなら―――血だって見るだろうさ」


 事実だ。


 旧世紀の平和な時代であっても、誰もが戦う力を否定しなかったし、出来なかった。それをしていたのは、いつも現実から目を背けた頭がお花畑の理想主義者か、さもなくば他国の工作員だけ。世界中の何処かで必ず戦争、あるはそれに類似する戦闘行為はあったし、個人間の殺し合いにまで縮小すれば、それこそ秒単位で起こっていた。


 ましてこんな時代だ。命の保証など、誰も出来はしない。それが人であれ、獣であれ、A.Iであれ、だ。


「そんな………そんなのって………」


 酷い、と感情的には口にできないのはリリィもまたこの時代を生きる人間だからか。


 だがそれでもショックを受け止めきれずに、掴んだ飛崎の胸元を離せないでいた。


「班長は例の心臓の不調が酷いようでな。今は鎮静剤を打って眠らせてる。もう殆ど薬の効き目もなくなるぐらいに耐性が出来てるらしくてよ、今回の投薬は致死量ギリギリまでいったそうだ。―――次は下手すりゃ痛みで神経性ショック死もあるってさ」


 それを好きにさせたまま、飛崎は続ける。


「エリカの行方は分からん。シンシアから聞いた話で、JUDASに攫われたのは分かってる。その後の動向は、根岸湾まで追跡できたそうだが、以降は不明。ただ………」

「ただ………?」


 突然歯切れの悪くなった彼に、リリィが促すとやおら考える素振りを見せた後で頷いた。


「何となくだが、すぐに見つかる気がしてる」

「気休めは………」

「いや、今の統境圏の混乱がな、どうもJUDAS主導っぽいんだわ」

「混乱?」

「見てみるか?」


 懐から取り出したPITの画面には、アローレインが独自に纏めた幾つもの情報が記されていた。


「そんな………」


 大量の皇竜の出現、圏障壁消失、アナムネーシスのハッキング、JUDASの同時多発テロ、等々混乱の極みにある統境圏の情報の数々だった。


「私達の、せい………?」

「馬鹿を言え。原因が何であれ、行動を起こしたのはJUDASだ。お前さんたちのせいであるものかよ」

「でも………!」


 声を上げるリリィに、飛崎は大きくため息をついた後。


「やかましい」

「あいたー!?」


 もう一度デコピンを見舞った。その上で、今度は飛崎がリリィの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「ピーピー泣くな鬱陶しい。お前さんは何だ?その辺の温い学生やってるガキか?仲間殺されて、仕えるべき主が攫われて、泣いてるだけのつまんねー手弱女か?」


 そうじゃねぇだろう、と彼は続ける。


「違うだろう?エリカ・フォン・R・ウィルフィードの従者、リリィ・シーバーだろうが。柄にもねぇ態度すんな。いつもみたいに怒鳴ってがなっていきり立って騒いでろよ」

「いえ待って。貴方の中の私の評価はどうなってますの?」

「何か細かくて小煩い―――」


 飛崎は掴んだ胸ぐらから伸びた服から覗ける、リリィの胸元に視線を向け。


「―――胸が無念な女」

「こんの山猿………!!」


 直後、ビンタが飛んできた。


「そうそう、それでいい。ショックなのは分かるが、塞ぎ込んだり落ち込んだりしているよりは誰かや何かに突っかかってるお前さんの方が、断然


 閃光のように放たれた右のビンタを、しかし甘んじて受けながら飛崎は居住まいを正した。


「さてと、だ。で、お前さんはどうしたい?」


 何だか納得は行かないが、励ましてくれたのは理解したリリィは、衣服の乱れを直してこほんと咳払いを1つ。


「―――エリカ様を、取り戻します」

「方策は?」

「ありませんわ。―――手を貸してくださる?」

「高いぞ、ウチは」

「私を誰だと思ってますの?」


 主従揃って同じセリフを口にしたことに、飛崎は一瞬きょとんとした後に爆笑した。

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