第四十八章 救世の赦炎

 ある兵士は、手にした小銃の引き金を、迫り来る消却者へと向けて引きながら聞いた。


『―――諸君。聞こえているかね』


 あるパイロットは、自身の機体をエプロンから滑走路へと進ませながら聞いた。


『私は統境圏陸軍第一師団、愛川防衛基地司令官、遠藤克成えんどうかつなり少将である』


 あるオペレーターは、背後で急にオープンチャンネルで語り始めた上司の声を、戦闘管制しつつ聞いた。


『今現在、統境圏は未曾有の危機の直中にある。既に諸君はこの危難に際して己が役割を全うすべく、動いていることであろう』


 ある民間人は、避難誘導をしている軍人の無線機から流れて来た声を聞いた。


『あの皇竜を前に、恐れ慄くことは決して恥ではない。あれは厄災の概念が形作ったような存在だ。人智を超える災害を相手に、人が恐怖を覚えるのは当然のことだろう』


 そしてある英雄は、そろそろ有視界に捉えつつあった皇竜を見据えながらIHSから流れてくる元部下の声を聞いた。


『だが、我々は恐怖に怯え、ただ竦んでいるだけの木偶の坊ではない!そうだろう………!?』


 声に強さが宿った。


『思い出せ。我々が今の平穏を甘受するまでに、重ねた苦労を、流した血を、零した涙を』


 ある機械化歩兵は、強化外骨格に身を滑り込ませながら自らの階級とそこに至るまでの苦労を思い出した。


『思い出せ。我々が啜った泥の味を、失った時間を、亡くしてしまった命達を』


 ある艦隊の司令官は自らが座す飛空戦艦を見上げながら、現代で制空権を確かなものとするまでに失った仲間達を思い出した。


『そして思い出せ!それでも尚、我々は立ち上がってきた歴史を………!!』


 そしてある基地司令は、そうだとも、と同期の言葉に賛同した。


『まもなくこの戦場に、武神が舞い降りる!老いて尚、衰えて尚、消却者の暴虐に際し未だ我々を救うべく動いて下さっているのだ!しかし―――ここまでされて情けないとは思わんかね!?』


 長嶋武雄という男の存在は、確かに大きい。


『我々は既に大人だ!社会人だ!今更先達に手を引かれねば立ち上がれないほど幼くもないし、守って貰わねばならぬほど弱者でもない!』


 だが、彼一人で全てを解決できるほど世の中や現実というのは生温くないし、彼だけに全てを押し付けるのは戦場を共にした自分達の矜持が許せない。


『舐めて貰っては困る!確かに我々は彼等のような英雄の才能はない!一騎当千の異能も無ければ、それを持ってしまった苦悩も知らない!だが、彼等だけにその責を押し付けるほど恥知らずではない!戦場で大物を食うのが英雄の仕事だというのなら、戦線を支えるのはいついかなる時も、ありふれた名の我々だと心得ろ!!』


 武器を手にするのは名のある英雄だけではない。名もなき我々もだと叫ぶ。


『現時刻を以て、職業軍人、予備役、民間人問わずあらゆる戦闘行動を私の名で許可する!繰り返す、!』


 故にこそ命令を。


 絶望に抗う心を持った者達が、その立場を超えて躊躇わずに動けるような命令を。


『―――全ての責任は私が持っていく!各員、生き残るための最善を尽くせ!今ここで踏ん張らねば、今日の朝日を拝めないと思え!!』


 夜の帳を引き裂くように広がった命令は、まるで波のように統境圏全域へと広がっていく。




 ●




 避難先の物資貯蔵庫で、ある民間人がある若い兵士に声を掛けた。


「武器はあるか?」

「アンタ民間人じゃ………」


 そこで物資を引っ張り出そうとしていた兵士が訝しげな表情をすれば、民間人の中年の男は施設内スピーカーを親指で指した。


「今の聞いたろ?あらゆる戦闘行動を許可するって。俺は予備役だ。短い間だが、戦場に出たこともある。―――元軍曹だ」


 それを聞いた兵士は、しばし逡巡した後、物資コンテナの中から小銃を1つ取り出して男へと渡した。


「―――復帰を歓迎するよ、先輩」

「頼むぜ曹長。一応、ブランクはあるんでな」




 ●




 ある基地の格納庫で、黒い強化外骨格の中へと中年の女が身を収め、兵士へと意見を求めていた。


「使い方は変わらないわね?」

「ええ、基本的な操作性は二世代前から変わっておりません。幾つかアシスト機能はつきましたがね」


 強化外骨格は元は建築重機であったことから、全長2.3m程の大きさの骨組みに積層装甲板を貼り付けた程度の、比較的簡素なものだ。兵器化の際にあまり詰め込むと大型化し、自重量や積載量を圧迫してまともに動けなくなったことからその様になっている。


 だがそれでも適合者ではない歩兵の重火力化、高機動化が可能なことから戦場では重宝されており、専門の部隊も存在する。この女も、元は機械化歩兵部隊に所属していた予備役だ。


「いっそ切ったほうが良いですか?」

「分かってるじゃない。身体の操作にアレコレ介入されるのはどうもね………」

「アンタ等年寄りが、新しいものを受け入れづらいのは、私も年食って分かりましたよ」

「こいつめ、言ってくれるじゃない」


 軽口を叩き合って幾つかの調整をした後、兵士は敬礼を1つ。


「では准尉。―――貴君の健闘に期待する」

「はっ。中尉殿。どうかこのおばさんを上手く使ってください」


 今は子育てを主戦場としていた女は、今一度兵士として自らの古巣へと戻ろうとしていた。




 ●




 日本国統境方面軍横須賀鎮守府の発令所にて、じっと戦域モニターを見守っていた基地司令が口を開いた。


「―――第1艦隊から第3艦隊までは、抜錨準備」

「よろしいので?議会の承認はまだですが」

「構わん。―――そろそろ引退時だと思っていた頃だ。あの馬鹿と同じにな」


 楽しそうな副官の訊ねに、基地司令も口元に笑みを浮かべて頷いた。


「全く、クズが余計なことをしてくれたせいで動きづらくて敵いませんな」

「本当にな。他国からではなく、消却者から統境圏を救うのに、政治に配慮せねばならんとは。―――だが、護国の本懐を遂げられるのならば、それに反抗するもまた良しか」


 本来であれば、もう少しフレキシブルな反応も出来た。だが、それを躊躇わせる事件が去年あったのだ。


 9.25事件と呼ばれる、叩き上げで今の地位についた彼等からしてみれば七光りの馬鹿が余計なことをしてくれた事件だ。アレのせいで国内で対人、対消却者に限らず軍事行動についての議論が起こり、それを抑える為に政府から行動の慎重さを特段に求められていた。


 そもそも政治の派閥争いが発端となった騒動であるのだから、個人的には無視したかったが、何しろ今の日本も軍国主義国家ではない。文民統制に従って軍人は動くのだ。


 故にこそそれを無視し、人事決定権を持っている彼等の要請にそっぽを向いて独断専行をすれば、待っているのは軍法会議だろう。懲戒免職処分ならまだ安く、当然最重量刑も考えられる。尤も、それまでに統境圏が無事ならば、と但書がつくが。


 だが、この危難を際にオープンチャンネルで呼びかけた陸の馬鹿は、己の命さえもベットした。


 それが堪らなく痛快で、だからこそ海の馬鹿としては負けていられないと対抗心が擡げたのだ。


「皇竜相手に陸戦力だけでは厳しいでしょう。まして主力も欠いた現状で、12体も相手にするとなると。武神が幾らか削ってくれるとは言え、我々の力が必要になるでしょうな」


 副官の言葉に基地司令は頷く。


 そもそも、対皇竜戦にて最も有用なのは飛空戦艦による打撃だ。弾道ミサイルは基本的に撃ち落とされ、核兵器も効果は薄く、そもそも後々を考えるとおいそれと使えない。クラスExの適合者、その中でも英雄と目される連中ならば対応も可能だが、そもそもの絶対数が少ない。汎用性や即応性を考えると、やはり飛空戦艦に分がある。


 大型の霊素粒子機関から取り出した霊素粒子を収束させて放つ主砲と、単独で張れる霊素障壁、特装弾搭載型のミサイルが一番ポピュラーで数を揃えられるのだ。それとて一撃でどうにかはなるレベルではなく、地形が変わる勢いで連打する飽和攻撃が基本となる。


「とは言え、この状況………まだなにかあると考えた方がいい。西と北にこれ程の強大な戦力。とても偶然の産物とは思えん。とならば………」

「東か南から何か来ますかね?」

「ある、と私は睨む。だから、第8から第10までの艦隊は抑えとして残す。3番艦隊は西方の救援、残る1番から2番艦隊は北上し、武神から引き継ぐ。戦力の分散は愚策だが、致し方あるまい」


 現在、4番から6番までは他圏の応援に出ている。手持ちの戦力は1番から3番。永久欠番の7番は除いて8番から10番まで。それを適切に振り分けながら基地司令は指示を出す。


「準備が整い次第、進発させろ。各員、第一級戦闘配置」

「了解。―――第一級戦闘配置!」


 副官がすぐさま復唱し、鎮守府内に火が入った。


「我々が行くまで、耐えろよ………」


 刻一刻と変化するモニターの様子を見つめながら、基地司令は我知らず呟いた。




 ●




「煽ってくれるじゃないか、全く。これで情けない姿は見せられなくなっちゃったよ」


 そして長嶋武雄はヘリのローターブレードが生み出すけたたましい風切り音の中で、静かに喉を鳴らした。


 白を基調に青いラインが入った戦闘服に身を包んだ彼は、装備の点検をする。と言っても、彼の獲物は二振りの直剣だけだ。


 両腰に佩かれたその双子剣、飛刀赦炎ひとうしゃえん。世界最高と名高い鍛冶師、田村竜造が超高霊素結晶を用いて打った七曜剣―――『火』に対応するその剣は、半世紀以上を共にしてきた相棒だ。柄を逆手にして、少しだけ刀身を露わにしてみれば、いつもと変わらぬワインのような赤い刀身があった。


 しばらく実戦も無かったので使っていなかったが、問題ないようで長嶋は安堵した。それから眼下に見え始めた皇竜を見据え、左腕に巻いた黄色のリボンに触れる。


(―――佐奈。また力を借りるよ………)


 僅かに瞑目し、今は亡き前妻を偲んでいると操縦席から声がかかった。


『元中将閣下!後十秒で直上です!!』


 ヘリの高度は現在3000m。限界高度まではまだまだ余裕があるが、皇竜の竜砲ブレスを加味してこの高さになったのだ。


「分かった!私が降下したらすぐに離脱を!いつ飛行型の消却者が現れても不思議じゃないよ!!」

『了解!ご武運を………!』


 そして何秒かの後、長嶋は左腰から直剣を抜き放つとパラシュートも背負わずに深夜の空へと身を投げだした。


「―――っ!!」


 暴風というよりは、最早空気の壁とも言うべき圧力を全身に受けながら、長嶋は自由落下していく。両手両足をエルロン代わりに動かし、まるで砲弾のように皇竜へ向かって加速。


 その圧力を感じたのかは定かではないが、皇竜は徐ろに顔を上げて、縦に切れ目が入った竜眼が長嶋を捉えた。そしてまるで挑むような表情を見せたかと思うと、ガバリ、とその口蓋を開く。


 霊素の収束を始めた皇竜の口に、燐光が舞う。


(させるものかよ………!)


 竜砲の動きを感じ取った長嶋は、深く息を吐き出して体内霊素を活性化。それを呼び水にして、燐界から霊素粒子を取り出し、異能として顕現させる。


 選ぶ祝詞は普段から中距離でよく使うもの。直剣を皇竜に突きつけるように構えて。


「―――龍ノ太刀!」


 直後、剣の切っ先から特大の炎柱が放射され、同じタイミングで放たれた竜砲とぶつかった。


 一瞬にして闇夜が切り裂かれ、昼間かと錯覚するほどの光量が夜空を照らし、一拍置いてから爆音と爆風が周囲に吹き荒れた。途方もないエネルギー量が、奇跡的に拮抗して相殺したように見えた。だが、長嶋武雄はこれを狙ってやっている。


 竜砲を避けては離れていったヘリに被害が及び、単に異能で押し込んでは労力の割にあまりダメージを与えられないことを経験上知っているからだ。


 相殺の際に生まれた衝撃に落下速度を殺され、長嶋は僅かに滞空していた。その上で、見下すようにして皇竜を睨む。


「随分好き勝手やってくれるじゃないか、ええ………?」


 目を細める長嶋に2つの変化が起こる。


 彼の周囲の空間がチリチリと鳴動し、風が逆巻く。長嶋が自身の体を通して呼び込んでいる霊素粒子量が身体の滞在値を超え、周囲に吹き出ているのだ。


 もう1つの変化は、彼の瞳だ。日本人らしくブラウンに近い黒瞳であったその瞳は、青へと色を変えていた。碧眼よりも明度を増し、空よりもなお眩しい―――白群びゃくぐん色。


 もしもここにメティオンがいたのなら、『蒼の因子』の発露だと解説したことだろう。


 長嶋武雄は『消却事変』時、消却者に殺されかけ、そして蒼の王に救われた。その際に託されたのが『蒼の因子』だ。以降、彼はその色の権能を以て世界中を転戦して英雄となった。


 彼の本気は、その瞳の色に現れる。


「トカゲ風情が、の居場所に土足で踏み込むな………!」


 右手の剣を掲げると、周辺を漂っていた霊素粒子が纏わり付く。本来であれば、虹のようにキラキラと数多の色を見せるそれらは、今は青一色だった。


 白群の瞳が皇竜を見据えた。


「―――空ノ太刀………!!」


 祝詞の直後、直剣から白い炎が吹き上がり、一瞬で天を焦がした。


 比喩でも揶揄でもない。天を突かんばかりに白い炎は優に2キロは吹き上がり、大気を焦がす。更にはその余波で長嶋の周囲を焼いている。白い炎は、科学的には6000度程度。だが、周囲に及ぼす影響度はそれを遥かに上回っていた。大気を、元素を、空間を、そこに存在するを焦がしていた。 


 蒼の王が司るのは、時間と空間。その権能の一部を持つ長嶋は今、剣の延長線にある時間という概念を燃やしているのだ。


 あり得ない現象。科学的でない理屈。それはまさに外の概念。


 だからこその、理外。


 そして彼は特に感慨もなく―――。


「せぇ―――のっ!!」


 まるで薪でも割るかのように気軽に振るわれた白い炎の柱が、皇竜ごと天壌を両断しながら焼き払った。




 ●




「皇竜をただの一刀で両断とか、真性の化け物だね、全く」

『いや本当。真正面から相手にしなくて正解です。アレが武神の本気ですか………』


 その様子を統境圏全域に放った監視ドローン越しに見ていたメティオンと通信越しのブライアンは、呆れたように吐息した。全体の指揮を執るためにメティオンは拠点に残り、現場で指揮を執るブライアンは統境圏に部下と共に潜伏している。今は定時報告をしている最中だ。


 状況は予定通りに推移している。武神の出撃も想定範囲内だ。そしてこのまま配置した皇竜も半数は撃破されることだろうということも。予定内ではあるものの、だからと言ってこの光景には飽きれざる得ない。


 映像の先、皇竜を一刀のもとに斬り伏せた長嶋は剣の腹に両足をスノーボードにように載せて、切っ先からアフターバーナーよろしく炎を噴出させて夜空を北へ突き進んでいた。まるで彗星のように燐光を振りまきながら進む速度は、およそ500km。三分半で旧神流町へと辿り着くだろう。統境圏より北西には皇竜を厚く配備しているが、こうもあっさりと撃破されると戦闘時間よりも移動時間の方が長くなる可能性が高い。


 IHSをAR操作で何事か見ていたメティオンは、小さく頷いた。


「蒼の因子の駆動を観測している。間違いなく本気だね」

『時間と空間、でしたっけ。蒼の王が司るのは』

「そうだ。とは言っても、本質的には時間だそうだよ。時間という概念の性質上、空間的な概念は意味を成さないから」

『では、あの一刀は時間を燃やしたと?』

「そうだね。などと、言葉にすればまるで意味が分からないが―――それが理外というものだ」


 そもそも異能自体がこの世の理にあらざる現象を引き起こす能力なのだ。だが、適合者も人間である。その想像力や生まれてからずっと傍にあった常識、そして自らの在り方に異能というのは多大な影響を受け、最終的にはこの世界の法則に沿ってしまう。


 だが、理外は違う。


 完全にこの世界の法則から外れた概念を、あるいはその適合者の願望をありのままに叶えてしまう。まして『蒼の因子』と言う別世界の法則を権能として持つ長嶋は、消却者達の王のその能力を、この世界に持ち込めてしまうのだ。


「取り分け長嶋武雄は蒼の王と添い遂げた男だ。その寵愛を一身に受けた彼は、ほとんど同じ権能を持っている」


 長嶋武雄の前妻、長嶋佐奈―――旧姓、相蘇佐奈あいそさなは蒼の王だ。


 この事実は世界でも知る者は少なく、知ったからと言ってどうこう出来る話でもない。長嶋武雄は、その因子の力で世界中で消却者を屠り続け、同じくその妻であった佐奈も同様だ。その最期には、手に負えなくなった完全体皇竜を命を賭して封じている。


 文字通り、世界を救った英雄なのだ。


 そしてその英雄は、映像の先で追加で2体の皇竜を屠っていた。またも一刀でだ。


「だいぶコストは食うのだがね。人工皇竜は」

『キューバの方にも使いましたからね。再生産して同じ規模にするためにはどれぐらいかかります?』

「一年ぐらいだな。結局のところ、消却者を使っているから素材集めのほうが手間だ」


 実の所、JUDASは消却者が出現するメカニズムと、その生態、そして意図的に出現させる方法を明らかにしており、既に技術として使用可能としている。その過程で、皇竜を人為的に呼び出す方法を副産物的に発見し、これを戦力に組み込めないかと幾つかのテストを行った。先月のキューバでの動乱もそれに当たる。


「とは言え、これで人工皇竜のテストはこれで終了だな。『歩く天災ウォーキング・ディザスター』級の化け物ならともかく、有象無象を相手にするならばこれで十分だ。良い戦力になると思う」


 JUDASはその規模は世界的で大きいのだが、単純に戦力だけで言えば寡兵だ。洗脳した信者は世界中にいるのだが、戦闘教育も受けていなければ、何なら武器の供与すら受けていない者もいる。単なる駒ではなく、きちんと使える戦力というのは実の所そう多くなく、だからこそ2年後に迫る『IR計画』に際して、計算できる戦力の拡充が目下の目的であった。


 今回の騒乱は、特に試験評価実験の側面が強い。試験地に選ばれてしまった統境圏にとってはこの上なく迷惑な話ではあるのだが。


「で?どうだね?艦隊の方は?」

『まもなく進発する模様。―――どうやら独断専行のようで』

「独断?命令が出ていないのかね?」

『ふむ………どうやら議会の方でまだ揉めているようですね』

「―――相変わらずか、この国は」


 ブライアンが統境圏議会に忍ばせたシンパの報告をIHS越しに見てそう言うと、メティオンは呆れたように肩を竦めた。


『そう言えば、この国を選んだのは私怨、とのことでしたが』

「大した話じゃない。私が師に出会う前、まだ無名の科学者だった頃、この国に招聘されたことがあってね」


 メティオンがまだ故郷で単なる研究者をしていた頃、技術交流の一環で日本に来たことがあるという。その中で幾つかのプロジェクトに参加していく内に、現場と上層部の乖離具合に辟易したという。


「やり方や倫理観、その他諸々にはいちいちケチを付ける。改善や知恵は出せと言うくせに、肝心の予算は言う程出さない。科学の進歩や開発など、予算を回してこそ燃料となるのにな」


 メティオンも当然であるが、彼や現場の人間は何度も上に陳情した。だが、常に予算の増額は却下された。


 無論、これには当時の日本国の状況も加味しなければならない。まだ圏域が狭く生存可能領域が限られていて、国内の経済的にもそれほど余裕があった訳では無いのだ。先々を見据えた研究よりも先に、今日や明日を生き抜くための部署に予算を割り振りたくもあるだろう。


 しかし結果的に、メティオンが関わっていたプロジェクトは空中分解した。当時の技術交流の主任は、帰国後にその責任を追求され、干された。最期は酒浸りの末、車に轢かれて死んだ。メティオンにとっては、研究所の先輩にあたる。


 彼が主導で行っているハルピュイア計画は、その残滓だ。そういった意味では、確かに私怨による意趣返しだろう。復讐と呼ぶほど熱量はないが、上手く行けばザマァ見ろと嘲笑うぐらいには感傷がある。


「根本的に、この国は技術者や科学者を見下しているのだ。やれコミュニケーションだ、接待だ、そうした科学の発展に関係ないものを殊更に有難がり、真に必要な部分から目を逸らす。そしてそんな連中がやがて幹部となり、出世させる部下に同じ穴の狢を選ぶ。その時に能力では判断しない。理由はコミュニケーション以外の能力を理解出来ないから。それすら、言語の壁が在ればまるで役に立たないというのに」


 その理解できないものこそが文明を成し自分たちの暮らしを支えているのだというのにな、とメティオンは悪辣な笑みを浮かべた。


「ならその文明を剥ぎ取ってやろう、と思ってな。障壁崩しもその一環だ」


 統境圏のインフラを管理するA.Iを乗っ取り、混乱を呼び込む。その為の準備は幾つも重ねた。アナムネーシスのメンテナンス人員を攫って洗脳し、巧妙なバックドアを仕込み、汚れ仕事を厭わない人員ブラフマンにハッキングをさせる。


 基幹部分の保守人員であるため、国の監視の目が厳しく外堀から埋めるために時間も手間もかかった。バックドアに関してはメティオンが手ずから行えたので問題はなかったが、実際にハッキングしてアナムネーシスを抑えられる情報統制官は超一流ホットドガーを欲したので確保には難儀した。


 その苦労の甲斐もあって、計画は順調に推移している。


 圏軍と国軍の主力不在。武神、それから残存勢力の陽動。そして何よりも、障壁が無くなったことで圏民は一気に恐慌状態に陥っている。後はブライアンが都心部に仕込んだ信者を使って無差別テロと消却者の召喚を行えばさらなる混乱を見込めるだろう。


「さぞ慌てていることだろうよ。普段当たり前にあって使っていたものが、何故使えないのか理解すらしていないのだから」


 薄く嘲笑を浮かべながら、メティオンはまだ動かない。


 もっと混乱が煮詰まるまで、じっとその時を待っていた。




 ●




 夜空を一筋の彗星が北上していく。


 白い燐光を吹き散らして前進する直剣の腹に、スノーボードよろしく乗った長嶋だ。右手にはもう一振りの直剣を握り、時速500kmで夜を裂く。地上から400mは離れて飛んでいるのに、ヘルメットは勿論、酸素マスクも無し。それでも問題なく彼が移動できている理由は、この移動方法もまた異能の産物だからだ。


 超高圧縮した炎を剣先に収束、更に一部分だけ逃場を作ってやることで放出と同時に生まれる反発力を推進力代わりに使用しているに過ぎない。やっていることは異能を用いたファンタジーだが、理論的には飛行機のアフターバーナーとそこまで変わりない。だが、それだけでは風圧で自分が吹き飛ぶし、そもそも無装備では息が続かない。


 だから彼は自身の周囲に炎の障壁を展開していた。


 長嶋武雄が生み出す炎は敵を焼き尽くすことはあっても、自身を害することはない。それは熱量による火傷は当然のこと、燃焼による大気成分の変化もそうだ。クラスが低ければ、自身の生み出した炎で火傷をし、酸素を奪われて呼吸困難になることすらある。ややもすると、高クラスの適合者でもその制御は難しい場合がある。


 だが、長嶋は数週間前の演習でやってみせたように、特定の人物だけを残して大気成分を変化させたりと細かい制御を得意としていた。だからこそ長嶋が展開している炎の障壁は、酸素を燃やすこと無く、しかし風圧を燃焼時に起こる気流で受け流し彼の身体を守っているのだ。


 そんな絶技とも言える制御を平然と行う長嶋ではあるが、実の所、体力的には既に限界が近かった。


(歳は取りたくないもんだ………!)


 息が苦しい。体が熱い。頭痛が酷い。倦怠感が纏わり付く。


 長嶋武雄に許されたタイムリミットが、刻一刻と身体の不調を通して知らせてくる。


 IHSの網膜投影に映し出されるカウントダウンは残り4分強。戦闘を開始して、既に約16分だ。ほぼ移動だけとは言え、異能は使いっぱなし。道中に追加で2体の皇竜を狩ったとは言え、宣言した6体までは後半分。だが、残り3体は何故か北上を止め、旧神流町に密集している。辿り着けさえすれば、約束を果たすことは出来る。


 だが、そこに至るまでが酷く遠く感じる。


「はぁ………!はぁ………!」


 いつもの演習でのようにペースを配分していないのもあって、呼吸は既に上がっている。正直無理もしているし、無茶もしている。だが、そうしなければこの難局を凌ぎ切ることは難しいと長嶋は判断した。


 建前的にはボランティアで出動したのだが、実際には付き合いのある統境圏議会の議員―――西泉義一から緊急議会での進捗具合と戦況の情報をリークされ、それとなく要請されていたのだ。


 現在、統境圏議会は緊急事態宣言を未だ出していない。されれば予備役や学徒の動員―――早い話、戦闘技術を持った民間人を戦力として徴兵、投入できるのだがその動きが鈍い。


 西泉の話によれば、どうも去年の9.25事件による影響が政治にも及んでいるらしい。未だ『軍部の暴走』やら『政府の手綱が緩い。シビリアンコントロールはどうなっているのか』などと批判的な世情が多分にある。そんな中で、強引に緊急事態宣言を行えばそれを助長しかねないと危惧しているのだろう。批判が加速すれば、次の選挙にも影響が出るのだと。だから現状の通常戦力のみでどうにか出来ないかと。


 当然、このタイミングで貧乏くじを引くのは圏知事であるのだが、どうやらそれを渋っているらしい。更に上の日本国内閣総理大臣による強権でやらせることも可能だが、基本的に圏域周辺での対消却者戦は圏軍に管轄―――即ち、自治に含まれる。


 皇竜が現れている以上、さらなる被害の拡大、住宅密集地である内部への侵攻は既に確約されているようなものであるが、現状を杓子定規に当てるとここでの強権は自治権の侵害に当たる。そっちはそっちで次の衆議院選挙に影響が出ると及び腰になっているのだろう。


(これだから政治屋ってのは………!)


 それが社会を形成するのに必要なパーツであるのは理解できているが、現場人間の長嶋からしてみれば不毛な責任の押し付け合いやらしょうもない内部抗争やらは全てが終わったあとで勝手にやってくれ、である。そもそもここを生き残れなければそれすら出来ないのだから。


 現在進行形で最前線で命を懸けている人間が、後の軍法会議を覚悟した上で独断専行するわけである。


 これで帰って地元が破壊されてたらクーデターでも起こすぞこの野郎、と半ば本気で思いながら夜空を掛けていると、闇夜の先で皇竜を視覚に捉えた。


 だが、どうも様子がおかしい。


 3体の皇竜が、それぞれ背中合わせになっている。いや、あれは背中合わせになっているのではなく―――。


「おいおい………。ゴ◯ラの次はキング◯ドラか………!」


 三体の皇竜が合体し、三つ首竜へとなっていた。成熟期へ向けて、共食いをしたのだ。


 消却者は霊素粒子のないこちらの世界へ来ると、酷い飢餓状態になる。故にそれを回避するため、この世界の生物を食らうのだが―――時に、餌が近くにないと共食いを行う。皇竜は、より正確に言うならば高密度の霊素粒子の塊である。その脅威度を無視するならば、確かにお互いが十分な餌になるのだろう。


「―――っ!!」


 そのけったいな姿を捉えた長嶋と同じように、三つ首竜も長嶋を補足していた。


 彗星のように霊素粒子を吹き散らして夜空を駆ける長嶋を格好の餌だと判断せず、明確な敵だと判断したのかギロリと6つの竜眼が長嶋を睨んで、咆哮した。


「―――――――――………!」


 耳朶を打つというよりも、突き刺すような竜の咆哮に眉を顰めながら長嶋は更に加速。


 それを阻むべく、三つ首竜は口蓋を開き、竜砲の予備動作。だが、余りに速い。収束や溜めは殆どなく、そして細く短い熱線が拡散しながら矢継ぎ早に発射される。3つの砲台からなされるそれは、さながら対空砲火だ。


「くっ―――!」


 視界いっぱいに広がった光の矢を、殆ど本能と反射神経だけで躱し、弾幕の中を長嶋は流星となって突き進む。鋭角的な光の軌跡を夜の帳に刻み付けながら、長嶋は三つ首竜の前面へと迫る。


 遠距離から首を切り落とせれば一番手っ取り早いが、おそらく1本落とした所で皇竜は止まらないだろう。3つの首を同時か、胴体部分を狙う他無い。そしてこの対空砲火の中では、精密な同時斬撃よりも取り付いて最大火力を放ったほうが早いと長嶋は判断したのだ。


「ちっ………!」


 その際に至近弾が横切る。拡散されていると言っても、一弾一弾が1メートルはあろうかという大きさだ。直撃は勿論、掠っただけでも重傷は避けられないのは明白。実際に横切った余波でも軽度の火傷を負ってしまった。その痛みに舌打ちして、しかし長嶋は遂にその対空砲火を潜り抜けた。


 三つ首竜の足元。射角外へと入り込み、急上昇。そして右手にした直剣を勢いを殺さずに皇竜の腹へと突き込むと、肉を裂く感触を得て、しかし鍔で停まった。だがそれでいい。単純な物理攻撃は皇竜だけに限らず、消却者には薄いのだ。ましてこの200m近い巨体が相手では、蚊に刺された程度の痛みも覚えていないはずだ。


 だが。


(内部からの異能はその限りじゃないだろうよ………!!)


 長嶋の白群色の瞳が更なる輝きを放つと、肉に埋まった紅刃が呼応するようにして煌めいた。


 飛刀赦炎。


 田村竜造が鍛えたその直剣は、通常の霊素兵装にあるような積層合金素材ではない。貴重な超高霊素結晶を芯鉄に、今でこそ一般的な技術として確立されたが、当時は秘技として秘匿されていたアダマンタインを皮鉄として包んだ、所謂造り込みで作成されている。細かな数値や性能は割愛するが―――『蒼の因子』を最大に発現した武神が異能を振り回しても全く問題にしないほどに許容量がある。


「―――赦炎しゃえん………!!」


 祝詞と共に、三つ首竜は腹の内部に出現した白い太陽に灼かれ、一瞬で蒸発した。爆発のような熱波が周辺区域を駆け抜ける。その余波は凄まじく、廃墟と化した旧神流町を更地に変えるほどであった。


 その光景を見届け、自身の炎によって未だ燻る地面に無事落着した長嶋は、長い吐息と共に呟いた。


「はぁ―――疲れた。早く帰って静流さんの尻を撫でて癒やされよう」


 ジャスト20分。


 長嶋武雄に許された時間を、残らず使い切った直後の台詞だった。

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